美女が野獣
「…さて。そもそもアイツの姿が見えないわけなんだが。」
泉の傍。4人は円陣を組んで話し合っていた。
洞窟の壁には『ブロウ捕獲会議対策本部』などと書かれた布が張ってある。ただ勢いだけで書かれたその文字は、意味が微妙に通ってない。
「もう、この洞窟から出て行ってしまったということは考えられませんかね?」
もともとあまり広くない洞窟なのだ。一匹くらい逃げ出していても不思議ではない。
むしろ、こうして同じ洞窟に4人集まっていただけでも幸運なのかもしれないのだ。
「んっとね、それはないと思うんだ。」
目を真っ赤に腫らしたルートが、答える。声がわずかに上ずっていて、まだ完全復活とはいえないだろう。
「どうしてそう思うんだ?」
一番洞窟を歩き回ったシンヤが聞く。構造も頭に大体入れているだけに、逃げ出した確立が高いと彼は踏んでいたのだ。
「僕が見て回ったとき、入り口付近におっきな化け物がいたもの。」
「…巨大な化け物…」
ふむ、とシンヤは考え込む。
自分が始めに見て回ったときはそんなものいなかったのだが―…獣になっていたとき、何かに追いかけられているような気がしたのだ。
大きな大きな、化け物に。
「そうだよー。なんかね、キマイラっぽいの。キメラ?どっちでもいいけどさ。僕が見たとき入り口にそいつが座ってたからさ、多分ここにいると思うよ。」
「その前に逃げ出したという可能性はありませんか?」
セツナの質問に、ルートは首を横に振る。
「一応、せっちゃんが逃げてないかなって調べたんだけど、入り口はおっきい足跡しかなかったよ。あと、言うまでもないけど人間の足跡もあったよ。」
「ふむ、ではアイツはまだ洞窟の中を闊歩している、と。」
「…そういうことになりますね。」
セツナの言葉を最後に、場は沈黙する。結局、考えても埒が明かないのだ。
こういうときにリーダーのブロウが居れば何かしら行動を起こそうと呼びかけてみるのだが、今は彼が居ない。
まぁ、呼びかける行動がわりと『トンでも』な提案ばかりだったのを補足しておくが。
「…人数は居るんだから、姿だけでも確認してみるか?」
イレイスが提案する。
「確認するって、どうやって?」
「人数はいる。特にこの洞窟、敵は居ないみたいだしな。オマケに狭いから、いっそ4人で分かれて探すぞ。草食・肉食がわかれば手も打てるしな。」
「なるほど…では、それでいいですか、シンヤ?」
今だ巨大生物のことを考えていたシンヤにセツナが確認を取る。
「ああ。別に俺もそれでいいと思う。」
シンヤが了承したので、くいだおれはいっせいに立ち上がった。
「とりあえず、全員で適当に。一周したらここに集合ってことだよね。」
「ま、そうしかできないな。」
イレイスがうなづくと、各自各々今だ見ぬブロウを探しに歩き出したのだった。
…まるで珍獣でも探しに来たのか、と勘違いされそうだが、あくまでも動物なんで。更に言うと、同じパーティのメンバーなんで。
歩くこと、しばし。
やはり、姿が見えないことにシンヤはやはりというか、諦めの感情も持ち始めていた。
別にリーダーを探すことを諦めているわけではない。というよりも、本日はツイてないのでめぐり合う可能性を否定しているだけだ。
山賊の罠(?)に嵌り自分を含め動物になってしまったことから始まり、イレイスに振り回され、ルートには襲撃されて。
冒険者となってまだ一年とたっていないが、此処まで不運が続くとため息しか出ない。
「全く―…こうなったのも全部奴らのせいだ…」
猛獣のようなお頭とオマケ二人。その三人組さえ取り逃さなければ、こうにはなっていなかっただろう。
「…絶対、ひっとらえてやる…」
小さくつぶやく、決意の言葉。
半分以上やつあたりだが、別に相手も悪事を働いているので誰かがここにいたとしても、咎める者はいないだろう。
鋼よりも確固たる意思を抱いたところで、さらに歩を進めようとしたとき。
彼のすぐ目の前に、それはいた。
「…………冗談…」
思わず漏れる言葉。何故ならそこには、ふっさふさの鬣と大きな四肢を持った偉大な王者がいたりしたわけで。
ようするに、ライオンだ。ライオンでしかない生き物が暗闇の中ぎらぎらと光る目をコチラに向けている。
地響きのような唸り声は、明らかにコチラを警戒している証拠。しかし全く飛び掛ってこようとしない。警戒して、こちらに来るなと言うばかりだ。
「……まさか、ブロウ、なのか…」
気づいて、思わず声がでていた。というか、答えの選択肢が一つしかない。
他の仲間は全て元に戻した以上、今目の前にいるのはリーダー以外にはいないのだ。例えそれが、百獣の王というそぐわない姿かたちをしていても。
さて、どうする、とシンヤの頭が回転を始める。
そのとき、だった。自分とライオンだけの二人きりのはずの空間に、何処からともなく声が響き渡り始める。
『迷える子羊よ…』
「…は?」
思わずでる素っ頓狂な声。ライオンのほうも、そわそわと周囲を見回している。
何もないような場所から響き渡るような声がするなんて、誰でも警戒くらいするだろう。
しかし、ライオンに対したシンヤは、声こそ出したものの、表情に驚きはなかった。
何故なら、シンヤにはわかっていたのだ。
この声が、イレイスのも以外の誰でもないということを。
『今貴方には、三つの選択肢があるのです…』
今度の声はセツナだ。
―…奴らグルになって楽しんでやがる。そう、シンヤは思った。
元々、パーティ名でも示しているように、こういう悪戯にはノリがよすぎるのだ。
仕掛けるほうとしてはそりゃあちょっと楽しいかもしれないが、仕掛けられるほうとしては不快極まりない。
「1.相手が攻撃してこないことをいいことに、先制攻撃ではり倒す!」
さ、っと通路の奥からイレイスが現れる。
「2.気絶させまして、手にしたロープでつるし上げます。」
ふと気が付くと、自分の真横にセツナが何食わぬ顔して立っていた。
「さーん!さぁ、宴の始まりだぁ♪」
どぉん、と抱きつくようにしてルートが突進してきた。体が一瞬前につんのめるが、後ろに急に降って沸いて出てきた3人の方に振り返る。ルートは背中に抱きついている形なので、シンヤが振り返っても意味がないのだが。
「それは選択肢じゃなくて箇条書きっていうんだよ!!しかも一連の行動がどうみても悪人さながらの非人道街道まっしぐらじゃないかッ!」
どうみてもリーダーに仕掛ける方法ではありませんね、ありがとうございました。
「いや、主犯はシンヤだから、選ぶのはお前の自由だぞ。」
「…オイ。」
シンヤはイレイスを睨み付けて文句の一つでも言おうとした時。即座に何という言葉が来るか大体察したイレイスは両の手で頭を抱えだす。
「あぁ痛い!急に頭が痛み出したー。誰の仕業かなー?だーれーのしーわーざーかーなー?」
わざとらしさ極振り演技もいいところだ。だが、そうすることによって、自分に手伝意思など全くなく、傍観を決め込むと言葉でなく態度で表せるのだ。
しかも相手に殺意と怒りだって買えちゃう。すんばらしいね。
シンヤは目の前の人間が全く当てにならないことをわかっていたので、すっとセツナのほうに視線を向ける。
「すいません。シンヤ。オレは、協力できません…」
セツナはシンヤと目があった瞬間、すっと斜め下にそらして、申し訳なさそうに言う。
「…何か、あるのか?」
思わず、シンヤもセツナの様子にそう口を開いていた。
普段からあまり前線で活躍しない彼だが、というかタイプ的に後衛だ。それでもイレイスのように派手な立ち回りを良しとせず、ひっそりと佇んでいる、そんな彼だったからこそ。何か、あったのかもしれない。そう、考えていた。
「ええ。ぶっちゃけ内戦に加わりたくありませんから。」
そういって穏やか〜な笑みを浮かべてセツナは丁寧に頭を下げた。一連の動作に嫌味も皮肉も微塵も感じられない動作。
それなのに、胡散臭いのは何故だろう―…そのままシンヤはルートのほうに目を向ける。
ルートもまた、シンヤの視線を浴びてすまなさそうに、うつむくのだった。
「ごめんね、しんやん。僕、しんやんのこと、協力してあげたいんだけどね…」
ちょっと暴走しちゃったときのお詫びもあるし、とルートは続ける。
しかし、その表情は憂いに憂いのままで、しょんぼりと眉尻を下げていた。
「…腕、一本で済むかどうか…」
なんの話だ、とこのパーティを始めてみたものならばそう思うだろう。
だが、少年が盗賊というポジションについており、暗殺を主としているのをシンヤは知っている。
つまり、直訳すると。
『手加減できないから許してネ★』
と、いうことだ。
獣になった時点で受けたダメージが元に戻ったときにどれくらい残るのかはわからない。
ただ、ぶっ飛んだ腕は元には戻らない、そんな気がしたのだ。
「やるしか、ないのか…」
結局は、ソロで。すっと、目の前のライオンを見つめる。
ライオンは警戒しているものの、全く逃げ出そうとはしない。
さすが、百獣の王というところだろうか。それとも、コチラが一人しかかかってこれないのをわかっていて、佇んでいるのだろうか―…?
シンヤはかちり、と剣に手をかけて―…動きを止めた。そう。相手はあくまでも自分たちのリーダーなのだ。
いくら獣になっているとはいえ、流石に自慢の獲物で叩き伏せるのはヤバイだろう、と。
みねうちのしにくい相手だ。そうなると刃を使うしかなくなってくるわけで。善人リーダーを切りつけるのは、流石にためらわれる。
それに、そんな行動に起こしたら後でどんな顰蹙を買うかわからない。
下手をすれば、『旅の途中帰らぬ人になる』という称号が付きそうだ。
「…シンヤ。迷っているのか?」
じっとライオンを見つめて動かないシンヤに、イレイスが近寄る。
「誰のせいだと思っている。」
シンヤは背後を振り返ることなく、声だけで返事をした。
「わかったわかった。そんなお前にコレをやろう。」
イレイスは懐から一本のくたびれた棒をとりだす。それは、先程落とし穴を掘るのに使ったつるはしの残骸。
刃が根元から折れてしまっているが、うまく使えば鈍器の代わりになるかもしれない。
「拾ってたのか…」
「昔から言うだろう。世の中に無駄なものなんてないんだぞ?」
お前が言うな、そう思いつつシンヤはその棒を手に取る。いくら根元から折れたとはいえ、天辺のほうにはまだ硬い鉄の部分がある。
そこさえ気をつければ、ライオンを出来るだけ傷つけずに抑えることもできるだろう。
棒を、構える。それを合図に、ライオンもキッとコチラを睨み付けてきた。
勝負は、一瞬。
おそらく、それで全てが決まる。
しばし沈黙のとき。
どちらが先に動いたかなんてわからない。
ほぼ、踏み出したのは同時だった。
「…はッ!」
ライオンが爪を振りぬく前にシンヤがあいたわき腹に一発ふりぬく。
ご、と棒が肉を叩きつける鈍い音。
貰った、そうシンヤが確信したその時―…何故だか棒からいきなり電流が迸った。
そう、あらかじめ魔法が発動するよう、かけられていたかのように。
『ぐるぐぎゃぁぁあああああっ!!!!!』
あられもない断末魔の叫び声をあげるのはライオン。シンヤは一瞬あっけにとられそうになったが、とっさの判断でその棒を手放す。
棒が手から滑り落ち、からんと乾いた音を立てると共に、ライオンの巨体もまた、地に伏したのだった。
しゅうしゅうと何処となく程よい香りと煙を上げながら完全に伸びている。
「…………。」
無言でイレイスのほうを向くシンヤ。イレイスも、シンヤのほうを見ていた。
まるで殺人犯を見るような、そんな目で。
「……俺のせいか…?俺のせいなのかコレはッ!!!」
シンヤがずかずかとイレイスの方へ大股三歩で距離を詰める。イレイスはそんなシンヤからまるで見てはいけないものかのようにふっと目をそらす。
そして、儚げにつぶやくのだった。
「ぁーぁ…ブロウ…あれだけ、誰彼信用するなって言ったんだがな…」
「貴様だろ!!全ての責任は!!」
むしろ、諸悪の根源がイレイスです。
「また、他人のせいにするのかお前は。いい加減自らの罪を認めればどうだ?」
「…OK、ちょっと話し合おうじゃないか。」
そのイレイスの一言を皮切りに、ぎゃんぎゃんとやり取りし始める二人。シンヤは本気で怒り始めているようだが、あくまでイレイスは受け流すだけだ。
「ぶろりん、戻さなくてもいいのかなぁ…」
その光景を誰に言うでもなくルートがつぶやいた。だが、ブロウは今だ体をぴくぴくと痙攣させており、復活するまでは今しばらくの時間がかかるだろう。
「ま、オレたちに出来ることは待つだけですよ。」
セツナはその場で既に座り込んでいる。
ちなみに、両手で湯飲みをもっており、そこからは湯気が出ている。…お茶だ。いつの間に沸かしていつの間に片付けたのだろうか。
「そんなもんなんだけどねー。ぶろりんがちょっと哀れだよー。」
「リーダーも丈夫な方ですから。」
セツナはそういうとお茶を一口すすって、ふぅ、と落ち着いた息を吐いた。
「…せっちゃんがそういうなら、そうなのかも。ね、隣いい?」
「どうぞ。」
ルートはセツナの隣に座ると、リュックサックからマーブルチョコレートを取り出す。
そしてシンヤとイレイスの今だ止まらない怒号をぼんやりと見物していたのだった。
待つことしばし―…
言いたいことが尽きたのか、ボキャブラリーがパワー切れを起こしたのかさておき。
「ほら、何も言い返せなくなっただろう?」
「……ぐ…」
シンヤとイレイスの言い争いはイレイスのコールド勝ちで終結していた。
ちなみに、シンヤのほうが年上であるのだが、そこは頭脳型と体力型の違いである。
殴り合いにならなかったのは、シンヤがいい年こいた大人になっているからだが。
「さて、そろそろアイツを起こすか。結局、勝負にならなかったしな。」
イレイスはシンヤに水の入ったグレイルを渡した。シンヤはそれを黙って受け取ると、無言のままライオンのほうに近寄る。
もう、口を開くのも腹立たしい、といった様子で。
「シンヤー。口移し!口移し!」
「…誰がやるか…」
手拍子付きの口移しコールにもシンヤは屈しない。屈したら、どこがどうなるなんて考えてはいけないのだ。
だって、年齢制限ついちゃうかもしんないじゃんか。
シンヤはゆっくりとライオンの口を開かせると、グレイルの水を流し込む。
一瞬中身が毒だったらどうしてくれようかと思ったが、相手はブロウだ。
他の人だったらともかく、ブロウに対して取り返しのつかないことはやらないだろう。
こくり、とライオンが水を嚥下する。それと同時に、きらり、とライオンの体が輝き始めた。
みるみるうちに光でブロウの輪郭があいまいになっていく。そして、ぼんやりとだが、獣から人へ変化していく。
光がやんだころ、ブロウは完全に獣から人へと戻っていた。といっても、意識はないままで倒れていたままだが。
「おい、ブロウ。起きろ。」
イレイスはさっとブロウの傍により、そのほほをぺちぺちと叩く。
「う…?…うー…」
数度叩かれて、ブロウの瞳がゆっくりと開けられた。そして、数度間瞬きをしてから、体を起こす。
「あれ…ぇーっと…何かあった?」
くるりと周囲を見回し、バツの悪そうな顔でぽりぽりと頬をかく。
そりゃ、目が覚めたら何時もの仲間達が勢ぞろいしていて―…しかもいっせいにコチラに注目されていたのだから、戸惑うしかない。
「あぁ、今から説明してやろう。…シンヤが。」
「俺かいッ!」
さっとイレイスが会話のバトンがシンヤにチェンジされる。
もちろん、そのバトンを受け取る前に叩き落すのも可能だが、ブロウに状況を話さないわけにはいかない。
一応、このパーティのリーダーでもある上に、彼にはなんの罪もないのだから。
シンヤは、ブロウにコレまでの経緯を説明する。
皆が動物になってしまっていたこと。
そしてそれを元に戻していったこと。
ブロウで最後の一人だったこと。
一応、一人一人の戻した経緯は黙っておいた。
「そっか。じゃあ、あとは出口の頭領を倒せば終わりだな。」
「ああ。そういうことだ。」
ブロウはなんとか納得できたような表情を顔に浮かべる。
まだ理解できていない点があるのかもしれないが、この騒動ももう終わりだ。後は、宿に帰ってから酒のつまみにでも話せばいいだろう。
「…あのさぁ、シンヤ。」
「ん、どうした?」
「体中がぴりぴりしてる上にわき腹が地味に痛いのは、なんでかなぁ…?」
ぶ、と口に含んだ空気が外に押し出されるのを感じた。もちろん、ブロウはイレイスのように邪気を含んだ声ではない。
きょとんと不思議な体験でもしたかのように小首をかしげているのだ。だが、その全くわかっていないという風なのが、逆に良心を責め立てる。
「あぁ、それは…副作用らしいぞ。なぁ、シンヤ?」
ゲホゲホとその場でむせ返るシンヤの代わりにイレイスが答えた。
シンヤは思わず返答につまる。このまま事実を闇に隠していいのだろうか、と。
……まぁ、今現在事実を知らないのはブロウだけであるのだが。
「あ、そうなのか。なんだ、ちょっと変なことでも起こってるのかって心配しちまった。」
「大丈夫だよ、ぶろりん。ほっとけば治るよ♪」
ニコニコ笑うルートに、そっか、とだけ小さく答えて立ち上がる。
ぱんぱん、と服に付着した砂を軽くはたくと、思い出したようにシンヤのほうを振り向く。
そのときにはシンヤもむせ返る息をなんとか押しとどめ、ふぅと息をついていた。
「あのさ、さっきシンヤの話を聞いてたら、俺を獣から戻してくれたのシンヤなんだろ?」
「…あぁ、そうだが。」
詳しい方法には伏せておいた。右わき腹を殴りつけたくらいまでは、『必要だったから』の言葉で済んだだろう。
強烈な雷撃まで食らわせたのはかなりやりすぎだったとは自覚している。
もちろん、それはイレイスの罠だったのだが、よく確認もせず使ってしまった自分が悪いのだ。
もしかして、感付かれたか―…そんな疑惑が、シンヤの脳裏にひらめく。しかしブロウは、笑顔を浮かべたまま言葉を続ける。
「だからさ、お礼、言ってなかっただろ。……さんきゅ!」
ブロウの一言で、パーティメンバー一同の空気が変わる。
シンヤは顔を完全に固まらせて―…
セツナとルートはおもいっきり苦笑の顔を浮かべて―…
イレイスはさも楽しそうに噴出した。
全員、頭に思い浮かべた言葉は一緒だった。
『うわぁ、きっつぅー…』
と。
全く疑いのないそのお礼に、シンヤは土下座をしたくなる衝動にかられたが、何とか抑える。
「ぇ、あれ、俺、ごめんなさいの方がさきだった!?うわ、ごめん!!」
ブロウが空気が凍りついたのを感じ、シンヤに頭を下げる。
いや、ちがうちがう、逆だ逆。なにが、どっちが、と聞かれてもこう答えるしかない。何かもかもが逆だ、と。
「ブロウ、オレ時々貴方のこと尊敬しますよ?」
セツナがかわいそうなものを見る目でシンヤを見つめつつ、つぶやいた。
「えぇ!?なんだよそれー…」
「…リーダーに向きすぎて笑えない、ということだ。」
イレイスが適当だが的確な解説を付け加えるその隅で、シンヤは思ったのだった。
もうちょっと、疑うとか何とかしてくれ―…じゃないと、こっちが良心の呵責で押しつぶされそうだ―…
と。
「とにかくさ。山賊たちをひっとらえにいこ!僕こんなじめじめした所、もうヤダだし。」
周囲の空気を変えるように、ルートが提案する。
「あぁ、そうだな。こんどこそ、とっちめてやらないと。」
ブロウがそれに賛成し、こくりとうなづく。そして一同は、出口に向かって歩き出したのだった。
「…あれか。」
洞窟の出口付近に一同は立っていた。
日光が洞窟内に入るのを遮るようにして、それはいた。
ライオンとドラゴンとヤギ、三つの頭を持ち、蛇の尻尾を持つ怪物―…キメラ。
人の身の丈を軽くこすその大きな体格が、一筋縄では行かないことを物語っている。
「さて、どうすっか…」
ブロウがうーん、と悩むようにつぶやく。
「どうするもこうするも、一つしかないだろう?」
まるでそうすることが無駄だと言いたげに、イレイスが口を開く。
「一つしかないって、どうするんだよ。」
「…な、シンヤ?」
イレイスがぽんとシンヤの肩を叩く。もちろん、シンヤは露骨に嫌な顔をした。
「で、次は俺に一人で戦えとかぬかすのか?」
「ご名答。さあ頑張れ。明るい未来は今お前の手にかかっている。」
イレイスの事だ。いいえ、なんて答えたらどんな切り替えしをされるかわかったものじゃない。
先程までなら、ため息混じりでも自分がやるしかなかった。だが、今は違う。先程までとは確かに違う点があるのだ。
「ちょっと待てよ。皆で戦ったほうが確実だって。何があったか知らないけど、シンヤだけに危険な目にあわせるの、俺は嫌だな。」
そう、皆の心のオアシス(道徳的な意味で)、このパーティ唯一の善人。
自分の損得を省みずに困っているものに手を差し伸べることの出来る者。それが、リーダーたるブロウだった。
「ブロウ…」
今の今まで散々な目にあってきたシンヤはその彼のひとことでうっすら涙ぐんだとか。
泣きっ面に蜂状態の彼に出された助け舟は、彼にとってノアの箱舟のようにに見えたに違いない。イレイスはその様子を見て、ふうと息をつく。
「ブロウ。シンヤは動物を人間に戻すスペシャリストだ。今までシンヤが華麗に立ち回ったからこそこうして全員無事に集まっている。
それを、ド素人同然のお前が行っても役に立たないどころか足引っ張るだけだぞ?」
「ぇ…っ、ま、マジで?」
「マジだ。」
ブロウが、イレイスの言葉に戸惑ったような表情をシンヤに向ける。
信じるなよ、そこは信じるなよ!!と、声を高らかに上げたいところだが、ブロウは騙されやすいのだ!
シンヤもシンヤで違うと一言言えばよかったかもしれない。だが、彼はイレイスのとんでも理論に戸惑った、被害者の一人でもあったのだ。
交差する、両者の困ったような顔。
例えるならば、テニスのダブルスでボールがど真ん中に飛んできた瞬間、二人でうっかり同じ動きをしてしまったがために戸惑いの視線を向け合い、ボールを拾えなかった時のようだ。俗にコレを『お見合い』という人もいるのだとかいないのだとか。
「ごめん、シンヤ…そっか。俺が邪魔しちゃいけないよな…」
「ぇ、いや、あのなぁ…」
否定の言葉が出なかったためかは知らないが、ブロウはイレイスの言葉を信じてしまったようだ。その表情は、ちょっと暗い。
「だからブロウ。お前は此処で影ながらシンヤのこと応援しておけばいい。」
「応援なら、僕に任せてよー!」
シンヤが言葉を継ぐよりも早くぱっとルートが会話の輪に入る。手には黄色いビニールテープで作られたふさふさのポンポンを装備している。
「がんばれがんばれ、しんやーん♪」
両手のポンポンを振りつつ、声援をかわいくあげるルート。
「まけるなまけるな、しんやーん♪ほらほら、ぶろりんも一緒にやろうよ。じゃないと、しんやん元気でないよ?」
「ぇ、えぇっ!?」
そうルートに促されるままに、黄色いポンポンを受け取るブロウ。
かなり戸惑いながらもルートと同じようにポンポンを上下に振りつつ、声援を送る。
「ふ…ふれー、ふれー、しんやー…」
ちょっと、というかすっごく恥ずかしいのだろう。
18という年齢になっているのにかかわらずこうしてポンポンを振っているのだから。顔を真っ赤にしつつも、ルートと一緒に応援を続けるブロウ。
「がんばれがんばれ、しんやーん♪」
「まけるなまけるな、しーんやー…」
「かっとばせー、しーんや。」
さらにセツナも声援を送り始める。その手には紫色のポンポンが握られていた。
表情も穏やかなところから、まんざらでもないのだろう。
「…後戻りできなくなったな…」
応援し続ける三人とシンヤを見比べて、イレイスがつぶやく。確かに、この状況ですいません手伝ってください、なんて言える訳がない。
シンヤは疲れ果てたように乾いた笑いを浮かべていた。その背中には、哀愁がただよっているようにも見える。
「は、ははっ…覚えとけよ……」
そう、イレイスの一言さえなければ―…こんな風に一人で特攻かけることなどなかったのだ。
シンヤは剣を抜くと、乾いた笑いのまま、キメラのほうへと歩んでいった。
後戻りなど、出来やしない。
こうなったらもう、徹底的にブン殴って後悔させてやる、という決意の念と共に、今日という悪夢の日を終わらしてやると誓ったのだった。
シンヤはキメラのほうに躍り出た。たった単身、一人きりで。
「グフフ…来ると思ったわ…来ざるをえまいて…」
山賊の一人であろう、ヤギの頭が威圧感をかもし出しながら言う。
「獣はいいわよ。人の道徳にしばられない。まさに、フリーダムッ!」
頭領だったのであろう、ライオンの頭がけたたましい雄たけびを上げる。
「好きなときに好きなだけ食って飲んで寝てやって!コレこそ生き物のあるが道!!」
山賊の一人であったドラゴンの頭が高らかに吼えた。しかしシンヤは臆することなく、その三位一体のキメラをぼんやりと見つめるだけだ。
そして、ふ、と口をゆがませる。
「ふ…ふふっ…ふはははははっ…」
口をかすかに広げて、消して大きくはないが、笑い声を上げる。
「何がおかしい?」
ライオンが、ぎろりと殺意の篭った目でにらみつける。
常人ならすくみあがってしまう様なその目つきも、シンヤには全く効果がない。
「それは―…な。」
口の端が、更にゆがむ。
シンヤは剣を構えた。
もしも此処で、このキメラが彼の身に起こった一部始終を知っていれば、結果は違ったかもしれない。
だが、目の前の獣は不幸にも何も知らないのだ。そう、シンヤが生まれてきて最大のストレスをその身に抱いていることを。
「どれだけ殴ってどれだけ完膚なきまでに叩きのめしても罪に問われないからだッ!!」
シンヤは駆け抜ける。これまでにないほどの、猟奇的な笑顔を携えて―…
「え、ちょ、まっ…」
戸惑いの声を上げるのは、ヤギの頭。生命の危機が近づいているのを、本能的に察したのだろう。
だが、シンヤは足を止めることなく、剣の切っ先を獣に向けた。
そのとき響き渡った獣の絶叫は、山賊の被害にあっていたふもとの村まで響き渡ったそうな―…
―――――結局。
くいだおれはてんやわんやとあったものの、無事山賊を撃退することに成功した。
最後に捉えられた3人の山賊とひきかえに、報酬も無事受け取ることができた。山賊はうわごとで『悪魔だ…悪魔がやってきた…』と、うわごとをつぶやいていたらしい。とりあえず、少なくとも同一人物が同じ罪を犯すことはないだろう。まさに、大団円。終わりよければ全て良し、なのである。
だが、一つだけ、たった一つ、残り火があったわけで――――
帰り道。
くいだおれは、謝礼を受け取ると、すたこらさっさとその道を歩いていた。理由は簡単。早く帰らないと日が暮れそうだったから、である。
「全く、今回はとんだ騒ぎだったな。」
「…貴様が状況をかき回さなければもっと早くに終結していただろうが…」
「だからシンヤ。人のせいにするなんて大人のすることか?」
「煩い。」
イレイスとシンヤが、毒気120%のやりとりをしている。
付け加えておくが、シンヤが一方的に怒っているだけだ。イレイスは笑いさえ浮かべて言葉を投げかけている。要するに、からかっているのだろう。
「…なぁ、あの二人…仲、悪化してねぇ?」
その後ろを歩くブロウが、その様子をはらはらとして見ていた。
「そうですねぇ。洞窟の中で色々あったようですし。」
「…そうなのか?」
「ええ、まぁ。ですから、シンヤの気持ちもわからなくもないですけどね。」
隣で悠々と歩くセツナの傍で、うーん、とそこで考え込むのはブロウ。
恐らく、二人が仲直りする方法でも探しているのかもしれない。だが、二人の間に開いた溝は大きく広いのだ。
「貴様は、俺を笑いに来たのか怒りに来たのかどっちだ?」
「決まっているだろう?罵りに来たんだが。」
「……いい加減にしておけよ。」
「ふ…別にいいが。返り討ちにあうのはお前のほうだろうに。」
時間がたつにつれ、広がり続けていく二人の亀裂。シンヤはもはや抜刀直前か、と思われたそのとき。
「ちょっ、ちょっと二人とも!何があったか知らないけど、喧嘩すんのやめろって!」
間に入ってきたのは、ブロウ。
「喧嘩、ね。別に私はコミュニケーションをとろうとしているだけだが?」
ひょいと肩をすくめて、イレイスが言う。シンヤはただ無言でイレイスをにらみつけていた。
二人の間に流れる空気はギスギスとしていて、最高の険悪っぷりである。
「だから、そういうの喧嘩っていうんだろ。お互い謝って終わりにしようよ、な?」
ブロウがリーダーらしく、喧嘩両成敗案を提示する。
「まぁ、妥当だな。」
イレイスがそれに賛同の声を上げる。だが、彼はそう易々と思いどおりに動く人間ではないのだ。
「―…シンヤが先に頭を下げれば、の話だがね。」
そう、余計な一言もくっついていた。
「今回はやりすぎた貴様のほうに責任があるだろうがッ!」
もちろん、シンヤは否定の声を上げる。
「お前が私に対して行った行為も行き過ぎだったとも考えられるだろう?」
「だったとしても、俺は貴様に頭を下げるなど末代までの恥だ。」
「ははっ、大丈夫だシンヤ。多分お前に子孫などできやしないからな。お前で末代だろ。」
「なっ、ふざけるな!いい加減俺も流石に限界だ、そこになおれッ!」
どんどんヒートアップしていく二人。飛び交うのは敵意のある言葉。もうこうなってしまっては、誰にも止められないだろう。
もちろん、このパーティのリーダーだとしても。
しかし、その喧騒の中心に立っていたブロウの表情は、戸惑いではなかった。むしろ、どちらかというと―…『怒り』だ。
「すぐに抜刀したがるとは。お前、やはりカルシウム不足か?」
「煩い!この糖尿病予備軍!砂糖水すすって生きていろッ!」
だが、そんなブロウの表情の変化にも二人は気づかず、いい争いを続けるばかり。
「ハッ…流石は前衛。人間に必要な栄養分までご存じないとは。その無知さにはほとほと感心する。」
「貴様こそ、頭ばかりで―…
「いい加減にしろよ!!」
二人の間に響いた、ブロウの怒声。動きがおもわず、ぴたりと停止する。
「全く!そんじょそこらの子供じゃあるまいし!!ちっとは妥協しろっつの!!
…もういいッ!今日はちょっと晩御飯奮発しようと思ったけど、二人には抜きだ!勝手に喧嘩でもなんでもしとけッ!!」
ブロウの怒りは、留まることを知らず。ぷいとそっぽを向くと、すたすたと歩き始めた。
「ルート、セツナ。俺たちだけで、どっか食べに行こうぜ。」
意外そうに、瞳を一瞬だけまるめて、くすりと笑みを浮かべたのはセツナ。
少しだけ歩くペースを速めて、イレイスとシンヤを追い抜くと、ブロウの後ろに付く。
「わかりました。オレ、最近美味しいお店見つけたんですよ。そこ行きませんか?」
そしてもちろん、その後ろからルートが何時もの笑顔で駆け寄る。
「いいね、それ!二人いない分、デザートも食べられるね♪」
後に残されたのは、二人。
ブロウの怒りにシンヤはあっけにとられたような表情で佇んでいる。前を行く3人にイレイスは珍しく、すこし困ったような苦笑を浮かべた。
「はは…うーん、どうやらやりすぎたみたいだな。」
「…どうするんだ?」
「どうもこうも。晩御飯抜きは地味に辛いぞ?」
そういって、イレイスはブロウの方向に向かって歩き出す。恐らく、弁解と謝罪を述べるために。
シンヤもイレイスのあっさりと引き下がったその様子に、自分も同じ道を選ぶしかないことに気が付く。
数分もしないうちにきっと二人で追いついて。
二人で頭を下げることになるであろうその光景は、想像に容易かった。
相手は、もちろんリーダーにだが。
「俺も大人気なかった、かな…」
シンヤは天を仰いで、つぶやく。太陽はまだ、高かった。
美女が野獣!? おしまい。