空白の時間 3日目


ブロウは、駆け抜けていた。
息をつく暇もなく、ただ、無我夢中にある場所を目指して。

全て、思い出してしまった。
空白の、十分間。
消されてしまった、衝撃と惨劇の10分間を。


地下室。
アシュレイは、誰かを待つように立っていた。瞳には、ギラギラと輝く意思を携えて。
ブロウは、そんなアシュレイに嫌な予感を覚えながら、物陰に隠れるようにして潜んでいた。
やがてこつり、こつりと足音が響き渡る。
そこに現れたのは、誰でもない。自分が特別親しかった冒険者、グレイシー・オードリーその人だった。
「よっ、待たせたな。」
一体何の目的で此処に現れたかはわからない。しかし、まるで警戒心のないその様子は、どこか不自然とさえ感じられた。
「女を待たせるような男だったとはね。とんでもない気障って聞いたけど?」
「どこで聞いたんだか。…それにしても、せっかくの美人に呼ばれたのがこんな辛気臭い場所だとはね。」
始まった。
二人の、取引が。
なんの情報ももっていなかったが、本能的に、ブロウはそう思うことができた。さらに、互いに賭けようとしているのは、金だけではないとも。
「あら、貴方にはここがお似合いでしょ?こちらの白骨死体、貴方が殺したんですもの。市議長といっしょにね。」
「…デマもいいところだぜ、お嬢さん。そんな証拠が何処にあるのやら。」
グレイシーはとぼけて見せる。しかし、彼にはわかっていたのだろう。
アシュレイが、真実を突き止めることができたということを。
「最初はただの好奇心だったけどね。どうして市議長がここを壊すことを嫌がるのか…
 夜の仕事で培ったパイプを使い、調べてみたの。そうしたら…市議長の名前は偽名ってことがわかったわ。
 オマケにその前は執事、はてには強盗団の一味だったということをね。」
市議長が、強盗段の一味。それだけで、ブロウは驚きだった。
しかし対するグレイシーは、黙ってアシュレイの演説とも取れる言葉を聞いていた。
相槌を打つわけでもなく、本当に、ただ押し黙って聞いていた。
「さて、此処からが本題よ。その議長が強盗団だった頃の話。
 さる中流家庭の家に押し入り、2歳の幼児以外を全て皆殺し。…その生き残りが貴方。グレイシー・オードリー。
 そして15年の月日の後、市議会議長と運命の再会を果たす。」
そこまでアシュレイが言ったとき、ようやくグレイシーに動きが見えた。
初めにやれやれと呆れたように肩をすくめると、口を開く。
「個人情報をそんなにあさって楽しいかい、お嬢さん。
 確かに、アンタの言うとおり、俺は家族を殺され、市議長を恨み続けていた。でも、どうしたってガキにはその男の所在はつかめなくってね…
 しかし、運命ってのはあるらしいな。たまたま兵士として雇われた先が、あの男が執事の館だったわけだ。」
どこか飄々としていたグレイシーの表情に、真剣みが帯びていく。
「何回偽名を使ってきたか知らないけどな…俺の目は騙せない。いずれ殺す、そう思ってたんだよ。」
その意思は、確固たるものなんだろう。
アシュレイも、グレイシーの演説に彼がしたときと同じように、ただ黙って聞いていた。
相槌も打たなければ、動きもしない。片方が見せつけるだけの、文字通りのワンマンショー。
「だけど、不覚にも俺はアイツの隠し子でもあった、一人のメイドとして働いていた女性に惹かれあったんだ。
 館で噂になると色々面倒になるから隠れてお付き合いしていたがね。」
グレイシーは、ふ、とそこで息を吐く。
何百年も昔のアルバムを見ているような、遠い眼をしていた。
「心の綺麗な子でさ…父親に子として見てもらえずとも、ただのアホみたいにメイドとしてこき使われても…父親の悪口どころか、本当に何も言わず…
 いつしか俺も…あんな糞のような奴でもこの子が心から慕うことのできる父親なんだ…
 って思うようになってから、アイツへの殺意は薄れて…やがて、消えていった。」
そこで、両方の人生が何事もなかったのならば、全ては上手くいっていたのかもしれない。
お互いに、乗り越える苦難は多かったかもしれないが―…幸せに、なっていたのだろう。
「俺たちは、健全な付き合いだった。そして、一緒になろうと決めたその日の夜…」
しかし、今ここにこうして対峙していることは、その幸せは誰かに奪い去られてしまったのだ。
ブロウはその方程式にすぐに気が付いてしまった。
気が付きたく、なかった。話自体、もうこれ以上聞きたくなかった。
しかし、自分はもう取り返しのつかないところまで行ってしまったのだ。
「…彼女は、自殺したんだ…この館の主に手を出され汚されたとな。
 俺宛の遺書には…汚れなく俺と結婚するはずだったのに果たせなかったって…ひたすら、謝罪だけが書いてあったよ…」
自嘲気味に、グレイシーが一瞬だけ笑った。顔を上げた次の瞬間、彼の瞳に映っていたのはどす黒く汚い、報復の感情。
「俺は、復讐を誓ったよ。でも、一人じゃどうにもできなくってね。
 そこで利用したのが、アイツだった…アイツは、この家の財産を狙っていたからな。
 アイツは俺と彼女のことを知らなかったから、金目的だと思っていたみたいだが…それはいい。
 ヤツと共謀して、もっとも辛い生き埋めにしてやったよ。」
ごくり、とアシュレイの喉が鳴る。
闇よりもなお深きその瞳に、自身は映っていないと知りながらも、どこか背筋が凍るような思いだった。
「あの汚らわしい男の妻も、その血を引く娘も纏めて殺してやったよ。だまし討ちの生き埋めでね。心が凄く晴れた…その、達成感にな…」
「………そう。」
アシュレイは、静かに一度だけ相槌を打った。
恐れという己の気持ちに負けぬように、き、と目の前の人間を睨みつける。
「で、目的は何だ。金か?」
「それ以外になにがあるの?グレイシー・オードリー。」
アシュレイは、薄ら笑いさえも浮かべて見せる。その表情に不快感を示すように、グレイシーは僅かに顔をしかめる。
「強請るのなら、宵越しの金は持たない俺よりもあいつのほうがいいんじゃないのか?」
「一般の立場で市議長を強請るなんて難しいわよ。だから貴方にしたの。まぁ、あの爺様よりも色々な意味で危ない男だけどね。」
「…色々な意味で、ね。面白い事いうじゃないか。だが、そこまでわかっていて俺を強請りにくるなんてな。お馬鹿なお嬢さんだ。」
グレイシーはそういうと、右ポケットから長めのロープを取り出す。
そしてゆっくりと迫るように、アシュレイのほうへと近づいていく。
「や、やっぱり殺す気ね…!」
アシュレイはじりじりとあとずさるが、すぐに背が壁に当たった。
一般人ならば、逃げる可能性はあったのかもしれない。しかし、あいては冒険者。しかも、ベテランの。
いくら盗賊ギルドで技術を会得しようが、にわかじこみの腕前では全く役に立ちはしない。
「お前に払う金なんて1spもないからな…こいつらと一緒に永遠に寝てしまえ、雌豚ッ!」
あっというまに、アシュレイの首にロープが回される。グレイシーはそれを一片の迷いもなく思いっきりきつく縛る。
アシュレイはしばらく苦しそうに声も出せない状態でもがくが、それも十数秒。
すぐに息絶え―…どさりとその体が冷たい石床に叩きつけられる。
「っ…グレイシーさんッ!」
瞬間、思わずブロウは飛び出していた。止めないと、いけないような気がしたのだ。
イレイスのお手製遮蔽魔法の札の効力は、既に切れている。
「…ッ、ブロウ!?どうしてお前がここに!」
急に振って沸いたように現れたブロウに、グレイシーは驚きの声を上げた。
「遮蔽魔法で、消えてました…」
真っ直ぐに、グレイシーの瞳を見つめる。
グレイシーはそんなブロウの視線に耐えられなかったのか、目線を死んだアシュレイのほうに向けた。
「今の話、聞いていたのか…」
ブロウは、こくりとうなずく。
何かを言わなくてはいけなくて。
ひねり出すように、言葉を選ぶ。
「だから…ッ、もう、自首してください…」
罪を少しでも、洗い流して欲しかった。
責めることもなく、ただ、また後ろめたい気持ちなどなく、人生をやり直して欲しかった。
「…馬鹿か、お前は!そんなことするくらいなら今此処でこの雌豚を殺すことはしなかっただろ。そんなこともわからないのか、この馬鹿がッ!!」
グレイシーはそんな彼を踏みにじるように怒鳴りつける。その手には先程のロープが携えられたままだった。
一瞬で間合いを詰めると、アシュレイと同じようにブロウの首をきつく絞める。
「…っ、めて…くだっ…」
声にならない声で、制止をかける。グレイシーはそれでも手を離さない。
だが、ブロウの意識がかすみ始めたとき、す、とそのロープはほどけて下に落ちた。
グレイシーが、何かを言っているのを、漠然とブロウは飛び行く意識で感じた。

「……やっぱり、お前を、殺せるわけがない…他の奴は殺せても…お前は、無理だ…」

「綺麗で…真っ直ぐで…馬鹿みたいにお人よしなお前を…汚れきった俺が殺せるわけがない…」

「でも、俺はつかまりたくない…お縄なんて、御免なんだ…情けない俺を許せ!情けない先輩を許してくれ!!


だから…俺の盾になってくれ…!!


ブロウは走っていた。
あの人に、会うために。
会わなくては、いけないから。


<<XXXX年 3月10日 18:49 リューンよりやや北の岬>>



夕日で、空が真っ赤に染まっていた。
波の音が、穏やかに響き渡る中、場違いのように立てられた墓があった。
そこに、男性が…グレイシーが、立っていた。
「ここまで、来ちまったのか…」
一人で現れたブロウに、グレイシーはなんとも言えない表情を作った。
しかし、それも一瞬。その形相は何時もの彼ではなく、まるで鬼のようだった。
「はい…」
ブロウはそれをしっかりと受け止めるようにグレイシーを見つめ返す。
「…で、お前さん…どう思ってるんだ?やはり、俺が憎いのか?」
グレイシーの質問に、ブロウは首をゆっくりと横に振る。
そして、数秒の思考の後、口を開く。
「憎いなんて…思えないです…俺は、悲しいです…されたから、復讐する、なんて繰り返しじゃないですか!!
 それじゃ、何も変わらないんですよ!あの女の子だって、好きな人がいて、その人と一緒になろうって決めてて!
 それなのに、それ、なのに…っ、どうして…また誰かに、悲しい思いをさせるんですか…貴方は、わかってるのに…」
うっすらとだが、ブロウの瞳には涙がたまっていた。誰に対した涙なのかは、わからない。
大切な人を殺されてしまったグレイシーにあてたものか。
幸せが決まりつつあったアシュレイにあてたものか。
それを奪われてしまった、クリューにあてたものか。
いや、全てに対してだったのかもしれない。誰の気持ちが晴れるわけでもなく、誰一人として笑うことなく。悲しく繰り返される事件に対して。
「そう、か…お前は優しい…優しすぎるくらいに…
 でもな…理解していても…実行できるのは…ほんの一握りだ。お前はそれを、わかっているんじゃないのか?」
「でも…」
ブロウが言いかけて、グレイシーはゆっくりと剣を抜く。
「お前には、二つの選択肢がある。
 まず一つは…俺はもう此処を旅立とうと思っている。お前にも近寄らない。だから、俺を見逃せ。
 そしてもう一つは…どうしても、というならその力で…止めてみろ。」
グレイシーの言葉に、ブロウは一瞬だけ迷う。しかし、すぐに手は自分の腰に刺さっている獲物の方へと伸びた。
すらり、剣を抜く。
「ほう…少し、意外だな。」
それを見たグレイシーはほんの少しだけ驚きの声を上げた。
「わからないんです。俺も。どうすればいいのか…でも、このままにして、終わりたくないんです。」
ゆっくりと、ブロウは剣を構える。グレイシーも同じように構えた。
二人の実力は、ややグレイシーの方が上というところだろう。
「最初に言っておく。俺は殺す気で行くからな…中途半端な決心だと…死ぬだけだぞ…」
グレイシーがそう言葉にしたとき、彼の殺気が膨れ上がった。ブロウはそれに無言で剣をきつく握り締めることで答える。
「…行くぞッ!」
グレイシーが怒涛の踏み込みからで一気に距離を詰める。ブロウはそのスピードについてこれずに、防戦一方を強いられていた。
「くっ…」
「そんなもんか、お前の決心ってやつは!」
剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。
通常ならば、似たような実力同士力が拮抗するが―…すぐにブロウの剣ははじかれてしまっていた。
「―ッわぁっ!?」
二人の力の差は、あえて言うならば『決意』だろう。
ブロウは普段からあまり人に向けて剣を使うのを好まないうえ、親しいグレイシーには、その動きが鈍ってしまう。
しかし、そんなブロウの気持ちも利用するかのように、グレイシーはさらにぐっと踏み込んだ。
「終わりだッ!!」
勝負が決まった―…そう、彼の中で確信したとき一瞬の悪寒を覚え、その場からとびずさる。
直後、自分の先程まで居た足元に、ずどん、という音と共に魔法の矢が放たれたのだ。
「―…よう、私の居ない間に好き勝手し放題してくれたようだな?」
ばさり、と翼がはためく音。不機嫌な声と共に現れたのは、一人の人影。とん、と地面に降り立つと、背中にあった飛行魔法がふわりと掻き消えた。
「兄貴!?」
「はは、間に合ったようでなによりだ。」
ブロウの驚きの声に対して、イレイスは軽く微笑む。
「イレイス…か。」
体制を立て直し、再び剣を構えるグレイシー。
「悪いな。ちょっと真犯人がわかってしまってな。情報をくれたタイミングといい廃墟の刺客といい…引っ掻き回すのがお上手なことで。
 さて、どうするんだグレイシー?私とコイツと二人を同時に相手して勝てたものは今のところいないぞ?」
元々、二人で行動していたのだ。共に数々の苦難や敵に打ち勝ってきた―…いわゆる、相棒。
しかし、追い込まれているはずのグレイシーは高らかに笑い声を上げる。
「ははっ…本当、お前は聡明で勇敢だよ、イレイス…冒険者なんかやめて騎士にでもなれば十分英雄になれる器だよ、お前は。」
「ふ、生憎さま私にそういうのは興味ないな。この世で興味を持つのはたった二つ…魔術と、面白い出来事のみだ。
前者はともかく後者はどうよ!?
イレイスの物言いに思わず突っ込みを入れるブロウ。
どうみても数分前のシリアス空気をぶち壊しているのだが、そんなことはさておき。
「大丈夫だブロウ。その中にはお前の事象も入っているから。」
「何が大丈夫なんだよ!!っつーか、どっちみち果てしなく嬉しくねぇ!」
イレイスは軽く笑う。ブロウもそれにつられるように、苦笑を浮かべた。
「…吹っ切れそうか?」
「ああ。うん―…だから、今回は俺に任せてくれないか?」
ブロウが、剣を手にしたままイレイスの一歩前に出る。そして、その奥に居るグレイシーを見据えた。
「…負けたらリューン中引き回しの刑な。もちろん、バニーで。」
イレイスは、すっと後ろに数歩下がる。
「うわ、最悪。」
イレイスに背中を押されるように、ブロウは剣を構える。
その瞳に、迷いはなかった。
「…ふ、ようやくそれなりの面構えになったじゃないか。」
「ええ…考えるのは、性にあいませんから…出来ることをしようかな、って。」
真剣な眼差しで対峙する、二人。勝負は、一瞬で決まるだろう。
イレイスはその様子を、腕を組んで傍観していた。
やがて、何処からともなく一陣の風が吹いたとき―…二人の剣士は、走り出す。


うるぉぉぉおおおッ!!
はああぁぁぁああッ!!




剣が、閃く。




風が止んだ頃には、もう二人は背中合わせになっていた。
「は…ははっ…」
乾いた笑みを先に漏らしたのは、グレイシー。
同時に、彼の持っていた剣が刀身半分あたりのところでぱきりと折れる。
キィン、と地面に金属が落ちる甲高い音。それと共にブロウは剣を鞘に収めつつ振り向いた。
「…やっぱり、俺はできません。俺の剣は―…護る剣、ですから。」
「それで、どうしたいんだよ、お前は。」
グレイシーが手に残った半分を諦めたように地面に捨てる。その表情は先程までと変わらず硬く、ブロウを睨みつけていた。
「約束、して欲しいんです。」
「約束…だ?」
「はい。もう誰も、悲しい思いをさせないで欲しいんです。
 誰かを傷つけたり、裏切ったり―…俺、グレイシーさんのこと好きですから。そういうこと、して欲しくなくて。」
そういって、ブロウは笑う。
グレイシーはあっけにとられたように、固まっていた。だがすぐに、片手で頭を抱えると、うつむく。
「……っと、お前って奴は……」
殺されかけた上に、裏切られて。しかも、豚箱にまで放り込んだのに。
ブロウがグレイシーを見る眼は、以前とそのままで、変わってなどいなかった。
「さて、どうするんだグレイシー・オードリー。…と、いうか敗者には選択権などないと思え?」
先程まで黙っていたイレイスが不意に口を開く。その表情は、にやにやとさも楽しそうに笑っていた。
「ああ―…わかったよ。わかった。降参だ!」
グレイシーは半分自棄になったように天を仰いで叫ぶ。そして、地面に捨てていた筈の折れた剣を拾い上げた。
「その約束、この剣に誓って破らないことを約束しようじゃないか。」
「はい、ありがとうございます!」
「………ブロウ、お前…こんな時に言うのアレだが…いつかその優しさで身を滅ぼすぞ…」
負けたのはグレイシーなはずなのに、満面の笑みでブロウは礼を述べた。
思わずその姿に、グレイシーの口から出るのは、ため息。
「だから、私が居るのだがね。」
イレイスはそういって、不敵に微笑む。
「ああ…そうだったな…さて、俺はそろそろ旅立つことにするよ。」
グレイシーは半分しかない剣をぱちんと鞘に収める。
「そうですか……」
「でも…お前のことは、忘れようにも無理っぽいけどな。」
ふ、と口元には何時もの穏やかな笑みが戻っていて。
手を軽く振り、森のほうへとグレイシーは歩き出す。
恐らく、もう会うこともないだろう。

でも。

「俺も忘れませんよ、グレイシーさんのこと。いつか会える、またその日まで!」

再会を望むくらいならば―…許されるような、気がした。



グレイシーはあれから忽然と姿を消した、ことになっていた。
おかげで宿への依頼は彼が居たときと比べめっきり減ってしまったのだが、誰もグレイシーを責める者は居なかった。
冒険者が誰の断りもなくふらりと姿を消してしまうことは、前例を上げたらキリがないくらいだ。
その代わりといっては何だが、あげ・ダッシュの宿を辞める冒険者は少なくなかった。
結局。事件の真相は、未だくいだおれ一同の中にしまわれたままである。
恐らく、これからもずっと。


<<XXXX年 3月13日 09:01 あげ・ダッシュ 5番テーブル>>



あれから3日後。
何時もの宿、何時ものテーブルで一同は朝食をとっていた。誰よりもすこし先に朝食を済ませたシンヤがふうとため息をついた。
「…あのさ、もしかして、未だ怒ってる?」
ブロウが、目玉焼きの中央にフォークをぶっさしながら、恐る恐る聞いた。
「当たり前だ。」
「…だからぁ、悪かったって…」
うう、とブロウがうつむく。
「ぶろりんが飛び出していったのならまだしも、僕ら到着したとき全部終わってたんだよ?せっちゃんの手と足を煩わせないで欲しいよねー。」
ルートがトーストを食いちぎりながら不満の声を上げる。
「しかも聞くところによるとグレイシーを見逃したんですって。全く、貴方って人は…」
セツナが紅茶を飲みながら辛らつな言葉を投げかける。
「返す言葉もございません…」
ブロウはすっかり萎縮して、心なしかその背中も小さく感じる。

3日前。
なんとかダイイングメッセージを解き明かした3人が北の岬に到着したとき、
既にもうコトはすっきりさっぱり解決しており、無駄足を踏まされたわけである。
もちろん、ブロウはルートの手でボッコボコにされていたが、未だその溝は埋まっていない。

「おい、お前ら。無駄口叩く暇があったらとっとと準備しろ。仕事だ。」
そんななか、食卓に加わっていなかったイレイスが一人、張り紙をテーブルの上におく。
「ひほとぉ?ひょうはへほさはし?ひょへとほへふひほひ?」
「ルート…ちゃんと飲み込んでから喋りなさい。お行儀悪いですよ。」
セツナの言葉に、ルートが口の中に入れたパンをこくんと飲み込む。
「仕事ぉ?今日はネズミ捕り?それとも迷子のネコ探し?」
「いや、残念ながらどちらもはずれだ。今日の仕事は…」


今日も一日が始まる。
張り紙を片手に冒険者は東奔西走する日々がはじまるのだ。
悲しいことも、辛いことも、不条理なことも、たくさん出会うかもしれない。
けれど、彼らは彼らであるが故に―…どんな苦難でも、多分乗り越えてしまうのだろう。
それはきっと知らず知らずのうちに。


空白の時間  fin


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