幽霊船
それは、課題締め切りも近づいた夜更けのこと。女の子が一人、学園内でもやや外れたところにある倉庫に走っていた。
そこは、女の子が自分で作った薬を保管してある場所だ。
もちろん、倉庫は個人でもっている物ではなく、学園の所持物なのを少しスペ―スを間借りさせてもらっているだけだ。
「……急がなきゃ、倉庫閉められちゃう。」
今日は徹夜を覚悟しているのだ。サンプルとなる薬が無ければ、どうしようもない。
「ん?」
女の子が、足を止める。何故なら、声が響いてきたのだ。
誰も居ない森のほうから、女の人のすすり泣き声が―…
「―…女の子は、周囲をみてみるが人の気配はなくて。ただ、すすり泣きの声が頭に響いていた―…」
ここはとある学園都市……の、図書室。数名のクラスメイトが輪になった机に座っていた。
「あ―、それたしか、薬専七不思議だろ。」
一人の男子生徒、彼の名前はミゼルスティグ=クランブル(愛称はミゼル)に突っ込みを入れ居られた女生徒はうん、とうなづいた。
「へぇ、僕は知らないよ?」
そう声をあげたのは何故かシルクハットにマントを着込んだ手品師ルックをしている生徒……ジェイ=マグイア。
「だってお前魔専じゃん。そっちはそっちで七不思議あるんだろ?」
「ああ……そういえばそうだねぇ。」
ミゼルの解説に納得したのかうんうんとうなずくジェイ。
「内容は、第二倉庫からばっかりなんだよ。え―っと、たしか、女の泣き声と、ぼんやりと浮かぶ大きな陰、森の湖に濃霧、だっけ?」
女生徒は指折り数えていく。
「あ―そうそう。なんで七不思議のうちの3つがほぼ同じ場所なんだよっつ―ツッコミ。」
ミゼルの言葉に、皆が一様に笑う。
「たしか七不思議ってほかにもあったねぇ。
え―と、僕が知っている限りでは、学園七不思議と、魔専七不思議と、公園七不思議と、トイレ七不思議と、食堂七不思議だよ。」
「……何なんだよその後ろ二つ。聞いたことねぇよ。」
ジェイの披露した知識に、後ろからため息があがる。
「そもそも、七不思議が複数あることがおかしいだろ……」
くるりとジェイが振り返ると、エルフである長い耳を持っているウルスラが立っていた。
心底あきれたような顔をして、本をいくつか抱えている。
「まぁ、それが学園の特色って事で。」
「嫌すぎる特色だ……」
この学園は広く大きい。様々な場所に様々な噂が立つわけで。
七不思議、なんて使いやすいフレ―ズが多数あるのも不思議ではない……はずだ。
「聞いたんだけど、過去にすべての七不思議を集めた人が居て、それをまとめたら魔道書一冊分になったとかならなかったとか……」
「……そこまで行くといっそすげぇな。」
先ほど七不思議を披露していた女生徒の言葉に、ミゼルは戦慄を覚える。それだけ七不思議が氾濫している学園とはいかがなものか。
「……ねぇ、知ってる?」
割り込むように話を切りだしたのは、先ほどまでずっと黙っていた別の女生徒。
クラス内でも彼女はあまり喋らないので誰も気にとめていなかった。が、こうして話を切りだしたので視線がそちらに向く。
「大体の七不思議は、小さい事柄が誇張されていたり、誰かがホラを吹いたモノ。でも、その中にもいくつか本当がまじっているの。」
淡々と、説明するように話し出す。それが逆にホラ―の語り手として向いていたのか、喋り込んでいたメンバ―は思わず黙って聞き耳を立ててしまう。
それでもウルスラは興味なさそうに別の席に座り、持っていた魔道書を読みふけっていたが。
「薬草専攻の七不思議のうち、四つも同じ場所の話があるのは、その場所に「本物」が存在しているの。その話とは―・・幽霊船。」
ごくり、と誰かが唾を飲む音が響く。図書室自体静まり返っているからだろうか、その女生徒の声は不気味なほど広がっていた。
そのおかげか、ここを利用している他の生徒もちらちらこちらを伺い見ている。
「第二倉庫の側には、幽霊船が現れる。一寸先も見えない濃霧につつまれて、悲しみを湛えた女の泣き声が響く。
湖は巨大な海となり、迷い込んだ者を飲み込む。これが、私の知っている一つの話。」
話を女生徒が終えたとき、一つの鐘が学園中に響きわたる。学園の者ならば誰もが知っている鐘の音。
学園内の施設がもうすぐ閉まることを指す鐘だ。
「もうこんな時間か……あ、やべ!」
各々の生徒が学園から出ようと立ち上がる。そんな中、何かを思い出したようにミゼルが声を上げた。
「どうしたんだい、ミスティ?」
「いや―、俺今日ちょっと第二倉庫まで行く用事があったんだよ。」
薬取りに行かないと、と続けるミゼル。
「ふぅん。じゃあ早く行かないと閉められてしまうね。」
学園は鐘が鳴ってから順次教室が施錠されていく。もちろんそれは学園都市内の施設にも言える……のだが、
施錠する先生は毎回交代制だ。しかも人数が少ないので場所によっては鐘が鳴ってから1時間以上立たないと施錠されない場所もある。
「あ―、いや、そうなんだけど……」
ジェイの言葉に、ミゼルは歯切れ悪く答える。ああ、とその時会話に加わっていた女生徒の一人が納得したように声を上げる。
「もしかして、ミゼル……さっきの話が気になってるんじゃないの?」
にやり、と笑う女生徒に、ミゼルはうっと声を上げた。どうやら、図星らしい。
「そ、そんなワケねぇだろ!!七不思議つったってどうせ噂止まりなんだしよ!」
顔を真っ赤にして否定するミゼルに、もうひとりの女生徒―…先ほど幽霊船の話をした方がぽつりとつぶやく。
「……3年前、そういって噂を確かめに行ったエルフが一人、行方不明になってるわ……」
「へぇ、そうなんだ。詳しいね〜。」
にこにこと笑うジェイ。しかしその端でミゼルは止めを刺されたように涙目になっていた。
「う、嘘だろ?」
何かを頼み込むようにミゼルは女生徒に目を向ける。
向けられた女生徒は小さく微笑み、
「……ふふふ。さあ、気をつけてね?」
と、意味深なことだけを無責任に返す。そしてそのまま軽く手を振り、図書室を後にする。
「あ、あたしもさっさと帰ろ―。だってまだ死にたくないもん。」
「ちょ……っ、まだ何も言ってねぇ―!!」
もう一人のほうも、ミゼルとジェイに軽く手を振ってから図書室を出る。その姿はまるで逃げるようだった、とは後日通りすがった者の言葉である。
「う―ん、僕もそろそろ帰るね。今日はハンバ―グにするつもりだからさ。」
脳天気にジェイは笑うと、図書室の出口に歩きだそうとする。しかし、ぐいっと背中のマントを引っ張られたものだから、そのばでつんのめった。
「……ミスティ、どうしたんだい?」
「なぁ、ジェイ、俺たち友達だよな?」
「……?うん、そうだけど。」
ミゼルの行動にワケがわからないのか、ジェイはその場で首を傾げた。
「頼む、第二倉庫まで、一緒に行かないか?」
その目は見捨てられた子犬のようだった。しかしジェイは彼の意図が全く読めないらしく、首を傾げたままだ。しばらく考えたようで、こくんと一つうなづいた。
「よくわからないけど、いいよ。」
「流石!俺の心の友よ―っ!!」
ミゼルはそのまま感極まってジェイをぎゅっと抱きしめる。
「ミスティ、どうしたんだい?えらく積極的だねぇ。」
もうあまり生徒が中に残っていないのだからいいのだが、全く状況を知らない者がこの光景を見れば不振な目を向けてしまうこと限りない。
しかもジェイも嫌がってないので尚更だ。
「……何やってんだ、お前ら……」
というか現に、読みかけの本を棚に戻してきたウルスラがこれ以上無いほど不振な目を向けている。
まあ、本を返しに行って戻ってきてみれば男二人抱き合っていたのだ。……ツッコミを入れるなというほうが無理な話だ。
「あ、ウルスラ。ミスティと親睦を深めていたんだよ。」
「ああそうか。二人で好きなだけ深めてくれ。僕はもう帰るぞ。」
これ以上ここにいればやっかいごとに巻き込まれそうだと思ったのか、足早に現場を離れようとするウルスラ。
しかしもうすでにツッコミを入れていた時点で彼の運命は決まっていたのだ。なぜならウルスラの腕はいつの間にか移動していたミゼルの手によって捕まれていたのだ。
「……ウルスラ、昔から言うだろ。旅は道連れ世は情けって!」
「知るか。僕は道連れにもなりたくなければ情けもない!」
ウルスラの前に進もうとしている力と、ミゼルの引っ張ろうとしている力が均衡する。両者お互いに譲らぬ姿勢だ。
「お前だって知ってるだろ!コイツの頼りになりそうでならないっぷりは!」
ミゼルはそういって、二人を完全に傍観しているジェイをみる。ジェイは何処と無く楽しそうにしていた。
「うっ……それは十分に熟知しているが、僕まで巻き込むな!」
「うるへ―!こちとら四の五言ってられないんだよ!もし俺の身に何かあったときは毎晩枕元に立ってボックススッテップ踏んでやる!」
ミゼルの言葉に、ウルスラはぴくりと体をふるわせる。別に幽霊が恐ろしいだとか軟弱な事を述べるつもりはまったくない。
ただ、無言で延々とボックスステップを踏み続ける幽霊を想像してしまい、ウザいと思ったのだ。
「……ウルスラ、一緒に行こう?きっとおもしろいかもしれないよ?」
その隣ではジェイが瞳をきらきらさせてもう片方の腕を引く。ウルスラはその場で心から嫌そうなため息をひとつ付き、そして観念した。
「ちッ……仕方ない。ただし、何かあったときの責任は全部お前が負えよ。」
びし、とミゼルは指を刺されて、気圧されるようにうなづいた。
「お、おう!!わかったよ。」
「じゃあ、決まりだね!早速第二倉庫まで行こっか!」
ジェイがえいえいお―、と元気いっぱいに腕を大きくあげるのだが、なんとなく二人は乗り気になれないのか、適当な返事をかえすばかりであった。
薬草専攻の第二倉庫は、学園の中でもひときわ離れた位置にあった。薬草も生えている学園内の林の中にぽつんとその建物はあるのである。
3人が学園を出て、倉庫にたどり着くまでは結構な時間を要し、すでに外は真っ暗になっていた。
「そういえば、ミスティは此処に何の用事があったんだい?」
木造の大きな倉庫の前で、ジェイが問いかける。
「ああ。明日授業で使う薬品があって、それを取りに来たんだ。まさか使う事ねぇと思ってたんだけどな―。」
そういいながら、ミゼルは倉庫の扉を開いた。どうやらまだ施錠されていなかったようだ。
「……大体そういうのは一週間前から通告されているだろ。」
ウルスラは腕を組み、ミゼルに冷ややかな視線を送る。もっと早く来れなかったのか、とその視線は語っていた。
「さ、さ―って早く中を探さないとな―。」
そのもっともすぎる意見をごまかすようにミゼルは倉庫の中に入っていった。
「わ―、大冒険の始まりだねぇ!」
「……やれやれ。」
2人もその後に付いていく。ジェイはやはり楽しそうに、ウルスラはどこか面倒くさそうに。
「ジェイ、明かりになりそうなもん持ってるか?」
倉庫の中は真っ暗だった。時間帯というのもあり、場所というのもあるのだから当然か。
ちなみに、学園内や一部施設には明かりは灯されている。が、こんなへんぴな場所の倉庫まで明かりを常備されてはいないのだ。
「わかったよ、ちょっと待ってね。」
ジェイはごそごそとマントの中を探り、目的の物を見つけたらしく、それを掲げる。
「―ライト!」
そう言うと、ジェイの手の中にあった何かから当たりを照らす程の光が発生する。決して眩しいというわけではないそれは、小さな明かりをともす魔法に似ていた。
「よし、探すか。ひさっしぶりに来たから自分の場所がわかんねぇんだよな―。」
第二倉庫は、そこそこ広い。生徒は一人一人のスペ―スを借りて、そこに収納していくのだ。
もちろん棚に名札は掲げられているが、完全に順番はバラバラなので骨が折れそうだ。
「……奥にいるときに施錠されたら気づかないな。」
ぼそり、とウルスラが言った。確かに奥の方まで行けば確認に来る先生も誰が残っているか、なんて気がつくのは難しいだろう。
「こ、怖いこと言うなよ……」
もちろん倉庫は毎日開けられるので閉じこめられるのは朝日が昇るまで程度だろうが、それでも少し怖い。
というか、現に何か出てきそうな雰囲気があったりする。
「大丈夫だよ。鍵なんて、この奇術士たる僕の前ではただの飾りだもの。」
2人を安心させるように、ジェイが自らの胸をどんと叩いた。
確かに物事の本質から変えてしまう魔術―…プログラムン魔術を使うジェイならば扉にかけられた鍵などただの知恵の輪だろう。
「そ、そうそう。コイツがいるんだもんな!……さっさと探しちまおうぜ。」
「はぁ……」
全く面倒くさい、とウルスラがため息をつく。それから、暗い倉庫を回りながらミゼルのスペ―ス探しが始まった。
せめてどの当たりなのかさえもミゼルは覚えておらず、かなり探索は難航したが、それでも何とか見つけることは出来たのだった。
「……だから、悪かったって!」
「全く、お前の頭は鶏以下か!」
だけども、どこと無く剣呑な雰囲気がただよう。確かに目的の薬は見つけることができた。
しかし、結構時間がたってしまい、元々非協力的だったウルスラが怒っているのだ。
「ああ、時間を無駄にした!下らないことに巻き込むなと何度言えばいいんだ!」
苛々とした調子で文句を垂れるウルスラに、ジェイがニコニコと笑う。
「う―ん、でもウルスラ、僕は結構楽しかったよ?」
「それはお前の観点だろう!」
ウルスラに怒鳴りつけられたジェイは、軽く身をすくめる。そうこうしているうちに、倉庫の出口にたどり着いた。
ミゼルがまず扉を開こうと手をかけるが、ドアノブは回らず、妙に堅い感覚が帰ってくる。
「あ、鍵しまってら……」
やはり先生も気がつかなかったらしい。気がついていればどんな理由であろうと引きずり出されていたので、幸運といえば幸運だったのかもしれない。
もっとも、開けることの出来る人間がいるからそう思うのだが。
「じゃあ、僕が開けるよ。」
そういってジェイは鍵の閉まった扉に手をかざす。集中するように、瞑目。
そしてややあって―…かちゃり、と中の鍵が回った音がした。
「……コレで帰れる……」
深くため息をつくウルスラの前方ではジェイが扉を開いて、倉庫の外に出る。そして、開口一番。
「わ、見てみて、すごい霧!」
などと、はしゃぐような口調で告げる。
「き、霧?こんな時期、しかもこんな時間帯に?」
ミゼルは訝しげな声を上げながらも倉庫の外にでる。外はジェイの言ったように、深い霧に包まれていた。
空に月が出ているのかさえもわからず、ただジェイの持っている光球だけが周辺をわずかに照らすばかり。
「うぉ……霧だ……」
その不思議な光景にミゼルも、そう言うしか出来なかった。
そこで、ふと、今日聞いた七不思議を思い出す。
「大体の七不思議は、小さい事柄が誇張されていたり、誰かがホラを吹いたモノ。でも、その中にもいくつか本当がまじっているの。」
それはあのあまり喋らない女生徒が言い出した七不思議の一つ。もちろん、ミゼルは心から信じていたわけでもなかった。
「魔力の気配は感じられないな。ということは、自然現象か?」
ウルスラが手にジェイと同様の明かり魔法を灯しながら周囲を見回す。
「おお―、大冒険な気がしてきたね!」
わくわくしてきたのか、ジェイは瞳をきらきらさせてその場でくるくる回り始める。
「マグイア、面倒くさいからさっさと帰るぞ。」
「ん―?ちょっと待ってよウルスラ。何か聞こえるよ―?」
さっさと先に歩きだしたウルスラの手をジェイがつかむ。足を止められたウルスラは怪訝な顔で振り返る。
「何かって何だ。」
「何かは何かだよ。耳を澄ましてごらんよ。」
ウルスラは仕方ないとばかりにジェイの言うとおりに耳に意識を集中させる。
―…ぅ、 ううっ ……う……う、ぅっ…―
それは小さくか細いものだったが、確かに耳にとらえた。嗚咽―…しかも、若い女性のものだ。
「ひぃ―!!何か聞こえたぁ―!!!」
一番大きく驚きの声を上げたのは、完全に固まっていたミゼル。
「ね、言ったでしょ―。」
えっへん、と誇らしげにするジェイ。その間にもミゼルの脳内では今日聞いた話をフラッシュバックしていた。
「第二倉庫の側には、幽霊船が現れる。一寸先も見えない濃霧につつまれて、悲しみを湛えた女の泣き声が響く。
湖は巨大な海となり、迷い込んだ者を飲み込む。これが、私の知っている一つの話。」
「ゆ、幽霊船……じゃ、ねぇの、これ……」
「幽霊船?ああ、確かそんな話だったねぇ。」
ミゼルのつぶやきに、その時の会話に同席していたジェイは手を一つ叩く。
「じゃあ、ここでじっとしてられないよね!」
握り拳を一つ、高らかにあげてジェイは歩き出す……のをミゼルがひっつかんで止めた。
「ちょっと待てぇ!なんでお前は当たり前のように声のする方に行く!?」
「だって、なんだか悲しそうな声だったんだもの。悲しむ人を楽しませるのは奇術士としての使命だよ。」
「今は捨てろその使命!」
ミゼルが激しく突っ込むが、ジェイは珍しく不服そうな顔をしている。幽霊船を調べた者が一人死んでるらしいのだ。
まさか出会って早々命を取られるとは思えないが、何かの呪いの一つか二つはありそうだ。
「……だが、マグイアの言うことにも一理あるかもしれない。」
考え込むように立っていたウルスラが声を上げる。
「お前までそういうこという!」
「この霧がどういう物なのかはわからないが、ほとんど先が見えないだろう。この中で帰れるか?」
ミゼルがウルスラの意見に押し黙る。
確かにお互いの姿くらいしか見えないこの濃霧の中では迷うかもしれない。しかし、声の方に行くならば可能だろう。
「それは、そうだけどよ……」
「僕は霧が晴れるまで待つ、という選択肢は嫌だぞ。」
「とにかく、行ってみようよ―!」
ミゼルが明確な答えを出すよりも早く、待ちくたびれたジェイが声の方に向かって歩き出す。
「そうだな。さっさと原因でもなんでも見つけて、この茶番を終わりにしたいからな。」
「お、おい、ちょっと待てよ!」
すたすたと歩きだした2人に、ミゼルが慌てたように後を追いかけた。
声の方に歩く、歩く。道中は霧でさっぱりわからないが、そんなに広くない林だ。
晴れればなんとなかなるだろう。
…―う、ううっ、う、う−…
途切れ途切れにきこえる女性の泣き声は、どんどん大きくなっていく。今では、耳をこらさなくても音が拾えるほどだ。
「うわ―…俺、生きて帰れるのかなぁ―……」
思わずミゼルは嘆く。一人死んだ―…裏はとれていないが、嘘だとも思えない。現にこうして鳴き声が響いているのだ。
「知るか。そんなことよりアイツからはぐれないことだけを考えた方が建設的だ。」
ウルスラは全くためらわず、ずんずん前に進んでいくジェイを指す。
「冷静だよな、お前。……でもよ。」
ミゼルは自分の袖を指す。そこには、ミゼルの手ではない手がぎゅっと握っている。
そしてさらにそれはウルスラの方から伸びていたわけで。
「何だかんだ言って、お前も怖いんじゃないか。」
「う、うるさい!仕方ないだろう!僕はこういう話が嫌いなんだ!!」
ミゼルに指摘されて恥ずかしくなったようで、かっと顔を赤くしながらウルスラはつんとそっぽを向く。
「あ、あれが泉じゃないかな?」
そんなことをしている間にも、結構距離は進んでいたらしい。
ジェイがまっすぐ指した先は、ぼんやりとしか見えないが、そこらじゅうに生えている木がぷっつりと途切れていた。
「わ―、本当だ……ついちまったな……」
どこか楽しそうなジェイとは打って変わって、ミゼルが絶望を露わにする。
それでも泉の側まで歩くのをやめないのは、逃げようがないと諦めているからだろう。
「わ、あれなんだろ?」
ジェイが何かを発見したらしく指を指す。そこには、ぬっと大きな陰があった。
「まさか、幽霊船……?」
ごくり、とミゼルがのどを鳴らす。その陰にゆっくりと近づくと、霧に包まれていた全貌がなんとなくわかってくる。
真っ白な純白のボディ。
大きな羽の形を模した飾りが、両面に一つづつ。
どういうセンスか不明だが、船のボディからのびる首。
そして、その先には黄色いくちばしのついた頭に、どこか焦点のあっていない瞳がえがかれていた。
「うわぁ、アヒルさんだ―!!」
ジェイが湖に浮かぶそれをみて、ぱあっと表情を明るくさせる。
「いや、アヒルっていうか何でスワンボ―ト……」
ミゼルは脱力したかのようにつぶやく。だが、霧の深い夜中の森に現れれば、確かにちょっと怖いかもしれない。
…―う、ううっ、う、う―…
そんな事をしていると、あの泣き声がかなり近くから響いてきた。どのくらい近くかというと、まるで直ぐ隣で泣いているかと思うほど近かった。
そしてさらに言うと、聞こえてくるのはあのスワンボ―トの方だったわけで。
「……な、なあ、もしかして。」
ミゼルが恐る恐る、といった風にスワンボ―トへ指を刺す。いやまさか。でもせめてそれらしい風貌でいてくれよ、というのが今のミゼルの心境である。
その心境を裏切るように、ウルスラは大きく息を吸い込み、そしてため息を付いた。
「急に馬鹿らしくなってきた。」
どうやらウルスラも、そのスワンボ―トがまあ、所謂幽霊船であるという事に気がついたようだ。
その表情からは疲労の色が見て取れる。
「ねえ、アヒルさん、そんなに泣いてどうしたんだい?」
二人がいらぬ気苦労をしていたことにがっくりと肩を落としている端で、ジェイがスワンボ―トに話しかける。
「おいおい、オバケ相手に話が通じるとでも思っているのか?」
『……あら、そこにいるのは、だれですか?』
「通じたよ。通じちゃったよ……」
意外にもスワンボ―トからすぐさま返事が帰ってきたのでミゼルが呆れ顔から一転し、顔を片手で覆う。
「僕?僕はね、ジェイ。君の哀しそうな声を聞いてやってきたんだ。」
「違う。実にどうしようも無かったから着ただけだ。」
ジェイに思わず突っ込みを入れるウルスラ。しかしジェイはウルスラのほうをみてきょとんと首を傾げてみせる。
「君はそうかもしれないけど、僕はそれであってるよ。」
「……。ああそうだった。お前は真症のバカだった。」
「でね、君はどうしてそんなに泣いてるの?」
何も言わなくなったウルスラに、ジェイは納得したと思ったらしくくるりとスワンボ―トの方に向いた。
『私は、己の存在について嘆いているのです。』
スワンボ―トは、表情こそ変わらないものの、それはそれは哀しそうな声で答えた。
「存在?どういうこと?」
『私は、この学園が出来る前に古代知識を組み合わされて作られた結晶。
ですが、誰も私を使った事が無いまま破棄されてしまい……私は、誰かとともにあの大海原へと漕ぎ出してみるのが、夢でした……』
「大海原って……」
スワンボ―トの言葉に、ミゼルは苦笑しながら泉の先をみる。ここの泉は、本当に泳げるのかも怪しい広さだったはずだ。
そう、このスワンボ―トだけでいっぱいになってしまうような広さだったはず。
「……どういうことだ?」
その後の言葉は、ウルスラが継いだ。霧が濃くてわからないが、狭いはずの泉がずぅっとおくまで広がっているのだ。まさに大海原レベル。
「今はできないの?」
『いいえ。でも、乗ってくれる人が居ません。何時の日だったか忘れましたが、貴方と同じように親切なエルフの方が一緒に行こうと誘ってくださいましたが―…』
ああ、とそこでスワンボ―トが再び嘆く。
『うっかり足を滑らせて、泉の中に……しかも私の下にもぐりこんだものですから、出るに出られずそのまま……』
「……それは、ご愁傷様だね……」
お涙頂戴の湿っぽい空気がスワンボ―トとジェイの間に流れる。たしかにあの姿では人を救えまい。
だがしかし、その他の二人にはカラカラに乾いた空気が流れていた。そう、乾きすぎて、ため息しか出ないほどに。
「……なあ、もう帰って良いか。」
「俺も帰りたいけど、アレが嫌だっつ―だろ……」
ミゼルはジェイを視線で刺す。
ウルスラは小さくうめくと、納得するしかないと思ったのかうなずく事しか出来なかった。
「わかった!僕が乗るよ。それで一緒に行こうよ!」
「ハイ言うと思った―!お前アレをみて何とも思わないわけ!?」
早速乗り込もうとするジェイを、ミゼルがマントを引っ張って止める。指した方向は、大海原に負けないほど広がる泉。
どういう現象が起きているのか全く不明だが、無事に帰ってこれるような気がしない。
「何とも……う―ん、大きくなって不思議だね。」
「そこにもっと疑問を持てよお前はよぅ!」
すぱぁん、と勢い良く後頭部をはたく。が、頭に被っているシルクハットが落ちないマジック。
ジェイははたかれた場所をさすりながらも、決意を秘めたような顔で言った。
「でも、このままだとアヒルさん泣きっぱなしだよ。それは奇術師として見過ごすわけにはいかないよ!」
「言うと思った!だから捨てろよその使命!!」
ミゼルが一生懸命説得するが、当のジェイは何処吹く風、といったように意固地にも意見を曲げようとせず―…そのまましばらく押し問答が続く。
ともすれば小一時間ほど続きそうなそれに終止符をうったのは、ウルスラであった。
「クランブル。今のソイツに何を言ったって無駄だなのは知ってるだろ。」
「……でもよ。」
「気持ちは解るけど僕は早くこの茶番を終わらしたいんだ。マグイア、さっさと行くぞ。それに、何かあったら全部お前のせいに出来るからな。」
それだけいうと、ウルスラはひょいっとスワンボ―トに乗り込んだ。
「ウルスラ!わかったよ!僕も乗る〜!!」
その隣に、ジェイが座る。内部は大人なら二人、子供なら三人ほど乗れそうなものだった。
「ま、待てよ!俺一人にすんなって!!」
そのとなりに、ミゼルが乗り込む。
『ありがとうございます……!皆さん!!コレで悔いもなくなります!!』
そういって、スワンボ―トはゆっくりと奥へと進みだした―…のだが。
「なあ、ちょっと……」
一番初めに異変に気がついたのは、ミゼル。
「……ああ、確か既に破棄されたんだ。」
その言葉に嫌そうにため息をついたのはウルスラ。
「悔い、なくなっちゃたんだもんね。」
ジェイも珍しくその異変に対して的確な言葉を投げる。
そう、破棄されて幽霊となったスワンボ―トが、うっすらと、透けてきたのだ。それは所謂、成仏でもするかのように。
「今投げ出されたらどうなるんだよ!」
「バカ、立つなッ!沈むぞ!」
「んなこと言ったって―……」
「あ」
ジェイが小さく声を上げたと同時にスワンボ―トがふっと消えたのだ。
もちろん―…3人はそのまま泉にダイブする。ばしゃん、という小さな水しぶきが、全員の視界を奪う。
「……もともとこの泉って、植物の水遣りにつかうだけの湧き水を一時的に溜め込むだけなんだよ。」
本日もうカウントするのも億劫なため息を、ミゼルがついた。
「なるほどね、だからこんなにも浅いんだ。」
小さな泉に、沈む―…というよりも腰掛ける三人。どこでどうなったかなんて、誰にもわからない。
あのボ―トが消え、視界を奪われた一瞬の間に霧は消え、そして泉もまた元の大きさに戻っていたのだ。
「成仏できたのかな、あのアヒルさん。」
「出来たかどうかは知らねぇけど、アレはアヒルじゃなくて白鳥だ。」
ジェイが、泉から天を見上げる。そこそこに生い茂った木々の間からは、綺麗な月が見えた。
「……言いたいことは、それだけか?」
地獄の底から響くほど低い声を上げたのは、ウルスラだった。制服が濡れてしまいかなり不機嫌らしい。
「……ジェイ、逃げるか。」
決して振り返らず、ミゼルが泉から出る。
「そうだね。ウルスラは怒ると怖いから。」
ジェイも立ち上がるが、マントを引っ張られてうまく立ち上がれない。
くるり、と振り返るとウルスラが般若のような顔でマントを引っつかんでいた。
「……う、うるすら?」
「とりあえずクランブル―…一発、いや、三回殴らせろ。」
そういったウルスラの顔は非常に不機嫌で。そのまま了承の意を伝えたら、二桁、いや三桁の大台にいくほど殴られそうであったとさ。
ちなみに、七不思議事態はしばらく残ったそうだが―…
もう、同じ現象が起きなくなってしまったのは、想像に容易い話。
おしまい。