戦闘

※某会誌に掲載しました!!

うっそうと茂り、太陽の光も届かない森の中。眼を凝らして初めて見えるような獣道に近い道を歩くのは二人の旅人。
片方は頭からつま先まで白く、もう片方は頭からつま先まで黒。白いほうをイレイスといい、黒いほうをブロウという。
「……あー、雨降りそうだな。」
道なき道を歩きつつ、ブロウが空を見上げる。空はどんよりと曇っており、今にも降り出しますよと警告を出している。
「困ったな、主にお前が。降られると濡れるし、歩きにくい。主にお前が。
イレイスがブロウに同調するような言葉を投げかけるが、それは微妙に感情がこもっていなかったり。
「……なんで俺を二回も引き合いに出すんだよ。」
「お前と違って、私は水くらい魔法ではじけるからな。」
ブロウがじと目で見つめるが、イレイスはひょいと肩をすくませる。
「というわけで、私としては雨が降れば面白いなあ、と思うわけだ。」
イレイスがそう言った瞬間、一体何の神様の気まぐれが反応したかはさておいて。ポツリ、と地面に水が落ちる音が一つ。

あ、とブロウが思った時、まるでバケツをひっくり返したような雨が二人を襲った。

どわぁー!?めっちゃ雨が降ってきたぁー!!
驚きの声を上げるブロウ。その体がどんどこ濡れていくが、どうしようもない。
「ぷぷー。やーいやーい、雨でハゲろハゲろ。」
ブロウを指差して笑うイレイスは土砂降りの雨だというのに全くぬれてない。何故なら水滴は全てイレイスを避けるように跳ねているからだ。
「他人事だと思って指差して笑うなッ!あぁもう、どうにかして雨宿りできるところを探さないと。」
「ま、それもそうだな。馬鹿は風邪を引かぬというが、風邪を引かぬことに気づかないから馬鹿なのだし。」
二人はそう決めると、急ぎ足で森の奥へと進んでいく。



しばらく歩いて、森の中にあるものを発見する。
「……い、家?」
田舎によくありそうな朽ち果てかけた一軒家が、ぽつんと一軒建っていた。見た目は只の家なのだが、深い森にある光景はどこか異様に見える。
「廃屋か?」
「いや―…明かりが、ほら。」
家の隅にある窓をブロウが指を刺す。そこからは、ほのかな光が揺らめいていた。
恐らく、小さなランプでも窓際においているのだろう。
どうする、とイレイスが視線で聞く。どういう理由があるかはわからないが、こんな森に一軒家で住むのだ。マトモな人物で在る可能性は限りなく低い。
「聞いてみよう。せめてこの雨だけでもしのげればいいからさ。」
そういって、ブロウは古びた木製のドアに近づき、二・三度ノックした。
その扉も強くノックしてしまえば蝶番ごと壊れてしまいそうなもので、なるべく優しく軽やかに叩く。
「すいませーん!旅の者ですけど、雨宿りさせてくれませんかー!」
降りしきる雨音にかき消されないように、なるべく声を張り上げる。
返事は―…ない。
「……やはり駄目か。というか普通の明かりである可能性も少ないような気がするが。」
イレイスは、ぶち壊すか?と、目線で聞いている。人が居なければそうしたってかまわないだろう。そう、人が居なければ。
「うー、でも誰も居ないって決まったわけじゃ……」
ブロウが言いかけた時、不意に扉が開いた。ぎぃ、ときしんだ音の奥から出てきたのは、年齢七十は越えていそうな老人だった。
「おやまあ……声がするかと思うたら、久方の客人か……外の雨は大変じゃったろうに。生憎何もないが、雨宿りくらいしておいき。」
そういって、二人を特に警戒するでもなく、妙な顔をするわけでもなく、
家に入るように手招きをした。まさか普通に迎え入れてくれるとは思ってもみなかったので、二人で一瞬顔を見合わせてしまう。
「あ、ありがとうございます。」
すぐに顔を老人のほうに戻し、ぺこりとブロウは頭を下げる。そして言われるがままに、家の中へとお邪魔させてもらったのだった。
「さ、こちらへおいで。二階に何も無い部屋があるんで、そこで一晩過ごせば良い。」



「言われたとおりに何も無いな。」
イレイスが案内された部屋の中で呟いた。そこは生活上必要な家具もなければ、何かしらの小物もない。
家のボロさとあいまって、今にも取り壊されそうな雰囲気だ。それでも部屋は清掃されており、床に埃がごっそり残ってる、というわけでもないが。
「そうだな。本当に空き部屋だったんだなぁ……っくし!」
雨で体が冷えたのか、ブロウが大きくくしゃみをする。
「うー、体冷えてきたー…せめて火でもあればなぁ……」
上着を床にひろげながらブロウはイレイスを見る。
イレイスは少し考えるようなそぶりをみせ、そして自分が着ていた長いローブを脱ぎ、そっと床にたたんで置いた。
初めてだから、優しくしろよ……?
何をだよ!?そういう方向性の優しさっぽい嫌がらせは求めてねぇよ!」
すすす、と近寄るイレイスから音もなく壁際まで移動するブロウ。
イレイスはち、と舌打ちすると、凄く仕方が無いという顔をしながらも、ローブから取り出していたチョークのようなもので床に直接何か幾何学的な模様を描く。所謂魔法陣というやつで、コレを使うことにより安全に範囲内に魔法が使えるものだ。
「冗談の通じんヤツめ。下らない男として指をさされろ。もちろん心臓に届く勢いで。」
「そっちの刺すかよ!?指で内臓はちょっと無理だろ!」
「……試してみるか?」
「……いや、やりかねないから止めてくれ……」
そう答えるブロウの脳内では笑顔で自分の兄に指で刺される光景が浮かんだとか。
それはあまりにも猟奇的な光景ではあるが日常風景としてありえそう、と判断してしまいかけたので、急いで頭を振って思考を打ち消す。
そんな事をやっていると、こんこん、と二回ドアが打ち鳴らされた。
「あ、はいはーい。」
ブロウが立ち上がり、ドアを開ける。そこには先ほど迎え入れてくれた老人がタオルをもって来てくれていた。
どうやら、あんまりにもブロウが濡れていたので心遣いをしてくれたのだろう。
「旅人さんや、あんまり綺麗じゃないが、コレを使いなされ。そのままじゃ風邪を引くだろう?」
「わざわざご丁寧にありがとうございます。」
ブロウはそれを受け取り、ぺこりとひとつ礼をする。
「いいんじゃよ。……それじゃ、ごゆっくりの。」
そういって老人は歩き出す。ブロウは部屋に戻ろうとして―…違和感を覚えた。誰かに見つめられているような、妙な感覚。
「―…?」
ふと振り返ると、何時から居たのか十代も半ばくらいの女の子が、物陰に隠れてじっとこちらを見つめていた。
薄暗い室内でも爛々と輝く二つの瞳。その瞳に違和感を覚えたのだろうか。
何も、此処に他の誰かが居たところでおかしい話ではない。
だが、自分を見つめて微動だにしない女の子に対して、寒気が走るのは奇妙というよりも、漠然とした恐怖に捕らわれる。
「―…おい、ブロウ。」
うわあぁっ!?
突如、後ろからぽんと肩を叩かれて、びくーんと体を振るわせるブロウ。ばっと振り返るとイレイスが呆れた顔をして立っていた。
「き、急に肩とか叩くなよ!びっくりするだろ!」
「何時もやるような行動に難癖つけるな。何をそこで突っ立っていた?」
「いや、あそこに女の子が居てさ。どうしようかなーって思って。」
そういって、ブロウは先ほどまで女の子が居た場所に指を差す。しかし其処は、誰もおらず、半分朽ち果てた廊下が続くばかりだ。
「……誰も居ないが。」
「え?あれ?」
確かにそこにいたのに、とブロウは首をかしげる横でイレイスは大きくため息をつく。
「何か余計なモノでも見たんじゃないのか?こんな辺鄙な場所にやましいものが無いわけがないだろう。」
「おいおい、それで片付けちまうかよ、普通。」
「阿呆。私達はあくまで雨宿りに来た何も知らない通りすがりの旅人だ。何処かの誰かみたく一時の感情でトラブルに巻き込まれたくはないんでな。」
イレイスがワケありげににやりと口を吊り上げる。ブロウはその行動に心当たりがあったのか、うっと言葉を詰まらせてしまう。
その行動が愉快だったのか小さく笑い出したイレイスに、ブロウはぷいと顔をそらす。
「わ、悪かったな!どーせ俺は後先考えずに行動するタイプだよ!」
ブロウはそう言葉を吐き捨てて部屋に戻る。イレイスもやれやれとひょいと肩をすくめて、同じように部屋に戻ったのだった。

部屋の中は、ほっこりと暖かい。というのも、イレイスが書いた魔法陣から焚き火サイズの炎が燃えていたからだ。
ブロウは渡されたタオルでひとしきり体を拭いた後、半乾きの上着を手に取る。
「……ふぅ……今日中に乾くかな?」
「さてね。それはともかく、今晩はどうしたもんかね。」
イレイスは立ち上がってあちこちに小さくヒビの入った窓から外を見る。雨はまだ降り続いていた。
最初の勢いに比べてはるかに弱くなっているので、明日には止んでいるだろう。
「どうするって、何を?」
「見張りだ。寝ている間に取って食われないとも限らないだろう。」
「あー……なるほど。だったら、いつもみたく交代する?」
ブロウの言い分に、イレイスは驚いたのか数度その場で瞬きをする。そのまま、『まあ恐らく珍しいもの』を見る目でブロウを見つめていた。
「……な、何だよ。」
「いや別に。何時ものお前なら『そんなことするような奴にはみえなかった』だのなんだの言うからな。
 これは厳戒態勢をしいておけということで良いのか?」
イレイスの言葉が、ブロウに突き刺さる。何故ならブロウは底抜けに人が良いので他人をすぐに信用する。
そして裏切られたり騙されたりしたこともあるのだが、元々の性分なのかそのスタンスを一向に止めようとはしない。
最も、そのたびにイレイスには呆れられているのだが。
「何もそこまでしなくても……いや、ちょっとさ、さっきの女の子が気になって。」
暗闇に浮かんだ、緑の相貌。普通の女の子が持つそれには相応しく無いほど輝いていたのが、ブロウのどこかに引っかかっていた。
「ふむ……では何時ものように2時間づつで見張りしつつ仮眠をとるか。一応火はつけたままにしておくが、それでいいな。」
「ああ。」
イレイスの提案に、ブロウはうなずく。というか、何時もやってる事なのでお互いに確認をとっただけだ。
イレイスはブロウとさほど離れて無い場所に転がる。
「では、二時間後。」
「了解。」
ブロウは返事をすると自分の上着に入れたままの懐中時計をひっぱりだし、時間を確認するのであった。

そのまま、きっかり二時間ごとに交代をしながら見張りを続けたが、結局何時間立っても誰かが取って食いにくることはなく、無事に朝を迎えたのだった。

「ある意味拍子抜けするな。」
イレイスが魔法陣の上に宿ったままの炎を消しながら呟いた。消えた炎の後は床が焦げるわけでもなく、魔法陣が残るわけでもなく綺麗に消えていた。
「拍子抜けって……何も無いのはいいことだろ。」
ブロウは腕を伸ばして体をほぐし、上着を羽織る。昨日一晩炎の近くにおいていたお陰で、既に乾いていた。
「それはそうなんだがね。では、行こうか。」
扉を開き、階段を下りていく。今にも抜けそうなほど大きな軋み音が立つが、どうしようもないので仕方ない。
「……おや、もう発たれるのかね?」
いつの間にか起きて一階の廊下にいたらしい老人が、二人の姿を見て声を掛けてきた。
「あ、はい。タオルありがとうございました。」
ブロウがお礼を述べて、昨日借りたタオルを老人に返す。
「いやいや……あんたらは旅人だったなぁ……一つ、頼まれごとをしてくれんかの?」
「……ええっと、内容によるんだけど……」
ブロウが歯切れ悪く答える。イレイスは後ろから目で、面倒ごとになりそうだったら逃げるぞ。と合図をしていた。
「いやいや。そんな難しいことじゃないんじゃ。この森の奥にな、村があるんじゃが………その村に、手紙を渡してくれんかの?」
自分達の行く方向だった方を指す老人に、ブロウはちらとイレイスを見る。イレイスは憮然とした表情をしていたが、異は唱えない。
「まあ、それくらいなら。」
「……コレを村長に届けといてくれ。」
そういって、老人は懐から封をされた封筒を取り出し、ブロウに渡す。ブロウはそれを受け取り、懐にしまう。
「わかりました。では、見つけられたらお届けしておきます。」
そういうと、再びブロウは軽く頭を下げる。イレイスは話が終わったとみたのでさっさと家の外に出たのだった。



しばらくして、森の中を再び二人は歩いていた。
「……何者だったんだろうなー、あのおじいさん。」
うーん、とブロウは首をかしげながら進む。
住んでいるところこそ辺鄙な場所で、家も崩れそうだったが、どうみてもちょっと気の良い人、程度にしか思えなかった。
少女の一件がなければ、夜に警戒などしなかっただろう。
「さてね。いらない詮索はしても無駄を通り越して面倒だ。」
大概良い事にはならないからな、とイレイスは続ける。
「兄貴らしいな。それにしても―…何なんだろうな、この手紙。」
懐から預かった手紙をブロウは取り出す。その手紙は紙自体が古いのか、端のほうが少し黄ばんでいた。
宛名などはまったく書いておらず、紙が新しければ全くの無地であっただろう。
「―…横から見た時は魔力の類は感じなかった。」
「つまり、只の手紙だった、って事でいいのか?」
もし、ブロウが手にしているものが只の手紙でなかった場合―…
よくあるのは魔法を掛けておいてあらかじめ用意しておいた罠の起爆剤にする、などが考えられるが―…そうであればイレイスが直ぐ察知して止めに入っただろう。だが、そうしなかったということは、やはり只の手紙であった、ということなのだ。
「手紙自体はな。だが。」
イレイスはすっと足を止める。そして周囲を見渡すようにくるりと首を向ける。
だが、そうしても周りには木と葉と枝しか視界に移らず、下を見てもたどってきた獣道も随分と薄れている事しかわからない。
「『村に行かせる』事が―…いや、大きく捕らえると私達をこちらの方向に行かせる事自体が仕掛けだったかもしれないがね。」
「……どういうことだよ?」
ブロウもイレイスにそって周囲を見渡してみる。しかし、日の光があまり入らない薄暗い森であるという事しかわからない。
「先ほどから異変を感じて魔法でこっそりと目印をつけながら歩いてみた。どうも、私達は先ほどから同じような場所を歩いている。」
「それって、ぐるぐる回ってるって事か?」
イレイスの言葉にブロウも事の重大性がわかり、顔が険しくなる。今の状況は森に閉じ込められた、という表現が正しい。
下手をすれば餓死―…もしかしたら捕らえられて何かの実験に使われるかもしれない。
「いや違う。かなり大掛かりな遠回りをさせられている。目的地は在ると仮定すべきだ。」
「えーっと……?」
「時間稼ぎをされている、ということになる。」
イレイスの結論になるほど、とブロウはうなずく。と、同時に別の疑問が沸いて出てきた。
「なんで?」
そう、目的。全く自分にはわからなかったので素直に口に出す。イレイスがその瞬間呆れたような顔になり、ため息をついた。
「あのな。一応言っておくが私は他人の心が読めるわけでもないぞ。」
「……いや、兄貴なら読めそうだな―…なんて……」
実際、ブロウの考えは簡単にイレイスに読まれてしまうことが多々ある。しかしそれはあくまでもブロウの思考が単純だからこそ簡単に読めるのだ。
そして残念ながらそのことを本人は自分が単純すぎる事を気づいていないのだろう。
「一応考察だけ述べてやる。恐らく準備が不十分か、あとは時間が引き金になっているかどちらかだ。
 ……まあ、どちらにしても歩かされるか待たされるだろうな。」
それだけ言うと、イレイスはひときわ大きな木にもたれるようにして座り込んだ。
「わざわざ動き回って疲弊するのもアホらしい。此処は一つゆっくりしていくかね。」
「……ゆっくりって……」
イレイスの言葉に今度はブロウが呆れる番だった。どこか肝がすわっているというか、破天荒な兄の行動にはたまについていけなくなる。
「それに、あの家を出てから、おかしいとは思わなかったか?」
なにが、と再びブロウは言いかけて―…ふとあることに気がつく。
そう、此処はうっそうと茂った森の中。日の光もあまり入らない。人の手が入っておらず、野生動物がいるはずなのだ。
それなのに、森は物音どころか自分以外の気配もしない。
「……静か、過ぎる……」
気づくや否や、奇妙とも不愉快ともとれる感覚に襲われる。ブロウの戸惑いにイレイスはにやりと笑いを浮かべた。
「そう。この道がすでに言うなれば奴のテリトリー。じっとしておく以外ないだろう?」
イレイスの提案に、ブロウはうなずき、同じ木にもたれかかるように傍に座った。下手に動いて何かに襲われるより、ここでじっとして待ち構えていたほうが得策だろう。何故なら周囲に気を配りながら進むより、止まった状態のほうが色々気がつけるというものだ。そもそも、周囲が静か過ぎるのに気づくのもこうして立ち止まってからだったのだから。



結局、何時間も森は沈黙を保ったままだった。最低限の警戒をしながら座っていると、日が傾き始める。
そのころになってようやくイレイスがすっと立ち上がった。
「そろそろだな。つけてきた目印に異変があった。相手も準備が出来たんだろう。」
「何か罠ってわかってるのに行くの嫌だなぁ……」
ブロウもたちあがり、これから起こるらしい騒動を想像してため息をつく。心の準備は出来るだろうが、逆に言うとそれくらいしか出来ない。
「仕方ないだろう。逃げても道を戻されるだろうしな。ま、私達に喧嘩を売ったんだ。それなりに楽しもうじゃないか。」
にやり、とイレイスが嫌な笑いを浮かべる。
ブロウは兄がそういう風に笑うのはわりと日常茶飯事で、そしてそれを浮かべると大抵嫌な事しか起こらないことを経験上知っている。
「はぁ。せめてあんまし痛い目には遭いませんように……」
祈るように呟くと、イレイスがぽんと肩を軽く叩く。
「安心しろ、ブロウ。もしお前に何かがあっても事によっては助けてやるから。」
「事によっては、って。事にそぐわなかった場合はどうするんだよ。」
決まっているだろう。その場で腹を抱えて笑う。
だからむしろ面白おかしいことになれ、とイレイスのすがすがしい笑顔が語っていた。
ブロウはそんなイレイスに何時もの事とはいえますます不安になったのだとか。



二人は森の中を進んでいく。いつしか日は暮れ、月の光が木々の間からわずかに落ちる。
「―…あ。」
不意に前を歩いていたブロウが声を上げ、足を止めた。前方に延々と広がっていた森が開けていたからだ。
「……村か。」
イレイスが足を止めたブロウの横で、前方を見渡す。暗闇で殆どわかりはしないが、集落のようなものがある、というところまでは見えた。
「とりあえず、行ってみよう。何があるかわからないけどさ。」
「ああ。そうだな。多分仕掛けてくるなら村の内部だろう。……油断するなよ。」
イレイスの警告に、ブロウは一つうなずくと村の中へ進んでいく。朽ち果てかけた木の門をくぐって、広がる光景は一言で述べるなら―…『廃墟』
あちこちにある木造の家は殆どが朽ち果て、果てには風化しているものさえもあった。
「五十年物の廃村―…といった感じだな。」
小さな村の中央で、イレイスが目に入った家を見ながら告げた。
「うーん……そういえば、コレ誰に渡すつもりだったんだろ?」
ブロウは思い出したように手紙を取り出す。
手紙を渡してくるのならば誰かしら居るものだと思っていたのだが、この状態では人は居ないだろう。
獣くらいなら、その辺の家に潜んでいそうだが、相変わらず周辺は静寂に包まれている。
「開けてみるか?」
「え?でもそれはどうかなって思うけど……ま、今は人道的な話をしてる場合じゃないかな。俺も気になるし。」
ブロウはそういうとぴりぴりと封筒の上部を切り開く。中からやはりどこか黄ばんだ一枚の紙をとりだし、ぴらりと開く。
しかし其処には―…
「無地?」
何も書かれていない。
首をかしげていると、イレイスがこちらに手を差し出していた。貸せということなのだろう。ブロウはイレイスにその手紙を手渡す。
「……ふむ。どうやら本当に無地だな。感知できないような魔法陣の一つや二つでも書いてあるかと思ったが。」
イレイスは小さく言葉をつむぎながら、手紙をふわりと放り投げる。手紙は地面に着く前に突然発火し、あっという間に燃え尽きた。
イレイスが魔法を使って燃やしたのだ。
「てことは、あのおじいさんは村がこうなってるってわかってたのか。」
「だろうな。」
寂れた村を再びぐるりと見回す。
もし昼間であったとしてもどこか寒々しい雰囲気をあたえるだろうが、夜なのでさらにその雰囲気は暗く重くみえる。
どうしたものかと二人で考えていると、遠くのほうで何か音がした。
「……何か居るのか?」
ブロウがその音を察知して、眼を音がしたほうに向ける。しかしそこには何も無く、茶色の地面が広がるばかりだ。
「どうした?」
動きが止まったブロウに疑問を覚えたのか、イレイスが声を掛ける。
「いや、変な音が。」
ここで、とブロウはあまり離れてない場所の地面に指を刺す。イレイスは始めに聞こえなかったのか怪訝な顔をして刺したほうに顔を向けた。
「……ああ。」
ブロウとは違いすぐにイレイスは納得したように声をあげる。と、同時にブロウの刺した場所の地面がもこもこと盛り上がっている。
そして―…ぼこん、という音と共に地面から生えてきたのは一本の手。
「……お、おお、こ、これって……」
ブロウが引きつりながら地面に指を刺したままわずかに後ずさりした。
その間も地中から生えてきた手は二本に増え、肘まで露出し、土が人一人下に隠れているかと思えるほど大きく盛り上がり、その全貌を明らかにする。
どろりと半分溶けたような体。つんと鼻を刺激する嫌な腐臭。人型こそしているが、月の光の下でも人で無いとわかるほど動作の不自然さが目立つ。
「ゾンビだな。」
「んな冷静に言ってる場合かよ!」
ゾンビ。人が一度死んで魔法によりかりそめの命を与えられたもの。動きこそ鈍いが、一度切ったくらいでは動きを止めないやっかいな相手だ。
ブロウは悠長に構えているイレイスをよそに、すぐさま腰に挿している剣を抜くと、目の前のゾンビに切りかかる。
はぁッ!
胴体を袈裟切りするように一閃―…したのだが。

ぬちゃり。

嫌に湿った音と共に剣がゾンビの胴体の半分ほどで止まる。
腐った体内の中で微妙に残っていた固いものに当たったか、あまりにも摩擦が大きすぎて勢いがとまったか―…まあ恐らくは後者だろう。
う、うわわああっ!気持ち悪ィ!!
「阿呆だろお前。」
そのまま手前に勢いよく引っ張るとゾンビの体から剣は抜けたが、どろりとした何かがべったりと付着していた。
その匂いは夏場のメタボ中年からきつく香る芳しき体臭よりもきっつい。それを見て涙目になるブロウにイレイスは非常に冷ややかな目を向けていた。
「それ貸せ阿呆。全く、不浄な存在に打撃が効くわけ無いだろう。阿呆が。」
「に、二回も言うなよ!!」
「最初と合わせれば三回だ。」
イレイスはブロウの突っ込みに的確な返答をしつつ小さく言葉を紡ぎ、ブロウから拝借した剣の柄に指を当てる。すると、剣の刃の部分―…今はゾンビさんのぬったりとした何かに包まれて非常に汚いが、その部分が淡く輝きだし、ぬったりとした何かも同時に音を立てず蒸発する。
「ゾンビとかそういう奴には、こうやって戦うものだぞ。」
そしてそのまま淡く輝いた剣をゾンビの体に走らせる。それは力も入っておらず撫でるように触れさせただけのような攻撃だったが、ゾンビは切り口から真っ白な煙を沸き立たせ、断末魔の声を上げながら蒸発していく。
「……んなこと言われても、俺は魔法が使えないだろ。」
どこか馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、イレイスは剣をブロウに差し出す。
ブロウはそれを少し乱暴に受け取ると、むっとした顔でイレイスを見た。
「うん知ってるぞ。頭悪いしな。」
「うるさい!」
ひょいとイレイスは肩をすくめる。
一般的に双子は普通その体質というか魔法の資質もほぼ同一である。
では何故ブロウには魔法が使えないか。答えは至極簡単だ。魔法が使える兄に比べると、ブロウは途方も無く頭が悪かったのだ。
「……ま、そんなコントをしている場合では無いか。」
イレイスがブロウから目を離し、くるりと周囲を見る。
それと同時にさほど離れて無い場所から、湿った足音が聞こえてきた。それも一つではなく、幾つも。
「さっきのは、時間稼ぎだったってわけか?」
す、とブロウが剣を構える。剣はまだ魔法の効果があるからか、刀身が淡く輝いている。
「……な、なあ。」
「ああ。」
ブロウが引きつった顔でイレイスを見る。イレイスはこくんとひとつうなずき、魔法の詠唱である何かの言葉を小さくつむぐ。
その間にもゾンビが地上に出ようとしているらしく、先ず初めに出すらしい腐った手が、二人の視界一面に入ってきたからである。
「う、うわー……一体何体いるんだろー…」
その異様な光景に思わずイレイスのほうに後ずさりするブロウ。もちろん、十数体くらいなら彼は切りかかるが、今そんなことをしても自殺行為だ。
せいぜいゾンビに囲まれて脱出不可能に陥り……後は言うまでも無いだろう。
ゾンビが這い出そうとしている間にも魔法の詠唱をしていたイレイスは完成した魔法を発動させるためにぱちん、と一つ指を鳴らした。
空中で形成された燃え盛る数本の炎の矢がゾンビに襲い掛かる。
「……焼き払うより逃げたほうが得策だな。」
爆音と衝撃で何体かのゾンビは吹き飛ぶものの―…数が多すぎて手ごたえが無い。
すぐさま撃退するという行為を無駄だと判断したイレイスはすぐさま別の呪文を唱える。
「舌噛むなよ。」
「え、ちょ……」
イレイスは再び指をぱちりと一つ鳴らす。それと同時にブロウの首根っこを掴み、軽やかに地面を蹴った。
ひゅぅ、っと風を切り体は重力に逆らい月が浮かんだ空を舞う。だがそれは飛ぶ―…というよりも、高く高く跳躍しているようだった。



「―…ふむ。やはりこちらのほうが得策か。しかし、相手の目的は何だ?」
イレイスは空からゾンビの大群を見下ろしながらひとりごちる。いくら月夜とはいえ、蠢いているのが目視できるほど大量に居た。
その中心にいたというだけでぞっとする。ゾンビをけしかけた主犯はあの老人で間違いない。しかし、今ひとつ掴めない。
考えるポイントは二つだ。一つは、わざわざ村に行かせたのに森へと追い込んだ理由。
もう一つは、自分達を襲って得られるもの。
「―…前者は―…村に行かせるのはあくまでも『手段』であって目的で無いことを考えれば理由になる。
 しかし、森の中でさ迷わせる理由が同時に不明になる。後者は―…まあ、色々あるから打ち立てるだけ無駄だな。」
旅人というのは、何者からも守られていないものだ。しがらみもなければ、恨む人物にあう事も早々無い。
あれだけの使い手ならば実験体として一人や二人欲しくなっても不思議では無いだろう。自分もたまにそういう物が欲しくなる。今の所、弟で我慢しているが。イレイスは思考に耽りながらも、魔法を調節して体をゆっくりと地面に近づける。
ちなみにブロウが先ほどから一句として喋らないのは、首根っこを捕まれて衣服に首を絞められており、呼吸困難という難敵に立ち向かっていたからである。
「振り切ったか。」
とん、とイレイスは華麗に着地。同時に首根っこに掴んでいたブロウを投げ捨てる。
森はうっそうと茂っているが、ゾンビのうめき声は聞こえない。あの足では此処まで来るには十分や二十分では無理だろう。
「ゲホッ……ゲホゲホ……ッ……跳ぶのはいい!!けど、運ぶ方法を考えろよ!」
ブロウはその場で激しく咳き込み、涼しい顔をして状況を判断するイレイスを睨み付ける。
ちなみに投げ出されたままの格好なので、ちょっと情け無い上に涙目だ。
「いやあ、私はアレが一番だと思ったんだがねぇ。それともなんだ。お前はお姫様抱っこの方がよかったのかね。
イレイスはそれはそれは楽しそうに答える。
「あ、いや……それは、どうだろう……」
イレイスの返答に、ブロウはどもる。頭の中で光景を一瞬だったが鮮明に想像してしまい、頭をその場でブンブンと振る。
「雰囲気エロいぞー。顔近いぞー。そこら辺の方々がいらぬ妄想を抱いて「もういいッ!」
イレイスが依然として楽しそうに言葉を続けるが、ブロウに怒られたのでひょいと肩をすくめて口を止める。
「それよりコレからどうするかが問題だろ。」
一応森の中へと戻ったとはいえ、いまだ虫の声ひとつ響かない。まだ影響範囲内に居るという事なのだ。
何度か跳べば出るには出れるだろうが―…その先で迷子になってしまえば意味が無いだろう。
「ああー…それなら。そんなに難しく考えなくても良いとは思うのだがね。」
ブロウの提案に、イレイスは不敵に笑う。
「―…ッ!?」
感じたのは、異常なほどの殺気。ブロウははじかれたように振り返ると同時に、手にもったままだった剣を構える。
直後、そこに『何か』が飛び掛ってきたが、上手くブロウは剣ではじきとばす。
「な、何だッ!?」
先ほどのゾンビにしては早すぎる動きに、ブロウは戸惑いの声を上げる。
対してブロウの後ろに立っていたイレイスは眉一つ動かさず、視線で森の奥を指した。
「何、至極簡単なことだ。主犯が腰を上げた。」
「―…ほ、ほ、ほ。流石はわが子が目をつけた人。アレくらいの奇襲では弾かれるかの。」
森の奥から響いた声は二人には聞き覚えがあった。なぜならば、森の途中にあった家に住んでいた老人のものだったからだ。
その前に老人を守るようにして、目だけがやたらに輝いた少女が立っていた。
「奇襲、か。一つだけ質問させてもらおう。お前の目的は、何だ?」
「目的?お前さんならわかるじゃろう?―…儂が死霊術士と言えば、のぅ。」
老人の答えに、イレイスはああ、と納得したようだった。もちろんブロウにはワケがわからず、ちらりとイレイスを見やる。
「魔術の中でも死霊術は禁忌だ。肉体はおろか魂まで操るからな。簡単に言うと、私達は魔術の素材にされかかっている。」
「……うへ。それは流石に嫌だなー……」
日ごろから結構イレイスの『実験』につき合わされているブロウは身を震わせる。
「あのゾンビ達からさっさと逃げ出したお主じゃ。ここも一つ手を引いてくれんかの?」
「手を引くだと?」
イレイスが疑問の声を上げる。何から手を引けというのかが、解らなかったからだ。
「ああ―…そこの黒いのから手を引け、と申しておる。大人しく従うならば、元の場所に戻してやるし命もとらん。―…どうかの?」
「お、俺ぇ!?」
黒いの、といわれてブロウはとっさに自身を指差す。イレイスは後ろで何も言わず、ただ驚きもせず老人を見ていた。
「魔力も潜在的に備わっておるし、力も反応速度も高い。何より、わが子が初めて自ら体を欲しがっておってのぉ……」
うっとりと悦の入った表情で、老人はブロウを見つめる。
少女もブロウに釘付けだった。もちろんそれは狩人が求めていた獲物を射抜くような視線であり、少なくとも良い意味には捉えられそうに無い。
その二人の狂気じみた視線を一身に受けるブロウは嫌悪感を抱き、眉をひそめる。
「……ふ、何を言い出すかと思えば。弟はまだ十八な上、残念ながら女性経験皆無だぞ。
残念言うな!お、俺だって、そ、その……」
鼻で笑うイレイスに何か言い返したいブロウだがその先を告げる勇気は彼には無い。
ああ純情少年よ。そこらのティーンエイジャーよりも君は初々しい。
「よって―…交換日記からなら許す。ただしそれ以上をお望みなら叩き潰すぞ?」
にやり、とイレイスが不敵に笑う。
「そうか。なら、お主も村のものと同じようにゾンビにしてやろうぞ!」
老人が手に持っていた質素な宝玉のついた杖を掲げる。イレイスはブロウをその場から自分の体を使い前に押し倒す。
勢いがついた二人の体はやや前方に滑り込む。直後、先ほどまで立っていた場所に黒く大きな槍が幾本も突き刺さっていた。
「お前、片方頼んだぞ。」
イレイスはそれだけ言うとすぐさま体制を立て直しながら何かを紡ぐ。指を一つ鳴らすと、一本の光り輝く矢が老人に飛来する。
「ほう。あの詠唱時間にしては中々速度も精度も高いのぉ。」
老人が杖を振りかざすと、矢は高らかな音を立てて霧散した。イレイスはそれにひるむことなく、再び魔法の詠唱を行う。
「―…うおわッ!」
その端では、ブロウが少女に飛び掛られていた。何とかごろごろ転がって避けると、その勢いで立ち上がり、剣を構える。
少女はまるで格闘技のような構えを見せ、ブロウと対面する。その手の先は鋭く長い獣のような爪が生えていた。
だが、剣を構えるブロウに一向に飛び掛っては来ない。
「……ああ。そっか。」
剣を構えるブロウは、納得したように声を上げる。というのも、ブロウの剣にはイレイスの魔法がまだ切れていなかったのだ。
青白い刀身に警戒しているのか、獣じみた呼吸をしつつ様子を伺っているようだ。
「なら―…若干悪い気もすっけど、コッチから行くぜ!」
ブロウは勢い良く駆け出す。少女もつられるようにして、びゅ、と地面を蹴ると爪を向けて突進してきた。
近距離型が戦うその隣では、遠距離型による魔法の打ち合いが行われていた。
老人が一つ杖を振るうと、夜にまぎれて影の刃がイレイスを打ち抜かんと襲い掛かる。それをイレイスは魔力の流れを確実に読み取り紙一重で避けていく。
「ほれほれ、もっと打ってこないとやられてしまうぞ?」
老人が再び杖を振るいながらイレイスを嘲笑する。イレイスは右の方向から現れた刃を左に跳んで避ける。
「それはどっちの台詞だか。」
宙より襲い掛かる槍を左手の指を一つ鳴らして弾く。そして右手の指をすぐさま鳴らし、光り輝く矢を顔を狙って一本放つ。
初めと同じように老人に無効化される。先ほどから―…いや、戦闘が始まってからその繰り返しだった。
隙を狙って、一本の矢をイレイスは老人に打つ。様々な場所を狙って。
「―…お主、何を狙っておる?」
ふいに、ぴたりと老人の動きが止まった。
「恐らく、お前が思っている通りさ。」
指を鳴らす。同じような矢が放たれる。今度は老人の足をめがけて。当然、これも老人に無効化される。
「……なるほどのう。儂の―…いや、死霊術士の弱点を知っておるのか。」
「まあな。死霊術士は、禁忌に手を染め不死を会得したもの―…殺すには、自らの魔力を注ぎ込んで作った核を叩き壊す。
 いや―…傷一つつけただけでも瀕死に値するんだろう?」
余裕の笑みを浮かべるイレイスに、老人は年恰好にそぐわない獰猛な表情を見せていた。
「ほっほっほ……だがな、おぬしにそれを見つけられるかな。」
老人が再び杖を振る。イレイスの周囲には先ほどとは比べられないほどの闇の牙が向く。
「はッ……残念ながら、もう大体予想はついている。」
だが、イレイスは数多の牙に囲まれながらも、その余裕の表情を崩す事は無く、そのまま小さく詠唱をしながら、指を一度鳴らした。
瞬間、眩しいほどの光がイレイスの周囲から広がるように発生する。
「―…なッ!?」
その爆発で驚きの声を上げたのは、少女と打ち合っていたブロウ。
まさかイレイスの身に何かがあったのかとそちらを向くと、そこには大量の煙が立ち上っていた。
直後、隙とみた少女が爪を向けるが、それを何とか剣で弾く。
「あぶね―……ん?」
ブロウ違和感を覚えて剣を見ると、剣の光がだんだんと弱まってきていた。恐らく、イレイスのかけた魔法が切れ掛かっているのだろう。
そういえば少女も始めのほうはあまりかかってこなかったはずなのに、先ほどからえらく好戦的なのもそのせいか。
「くそ、時間がない!」
あともって30秒程度。だが、意外に素早く力も強いこの少女と決着をつけるには現状では難しすぎる。
舌打ちすると、風がイレイスのいる方から向こうからこちらへと凪いだ。もちろん、向こうには煙が立ち上っているのだから、それらも流れてくる。
しかも良く見ると煙は爆音に対して多すぎるほど立ち上っていた。すぐさま一面が真っ白に彩られるが、不思議と煙たくも無ければ咳き込む事も無い。
きょろきょろと爛々と輝く瞳を動かしている事が、少女も戸惑っている事を表していた。
―…眼だ!
だが、現状を整理している暇は無いといわんばかりに鋭い声が上がる。それは間違いなくイレイスの物。
ブロウはわずかにのみ輝きを残した剣を戸惑うことなく構え、少女の瞳に打ち立てる。



直後、ぱきん、という固いものが砕ける音と共にこの世にあらざる絶叫が森へと響いたのだった。



「―…ええっと、要するにあのおじいさんの核?が、あの女の子の眼だった、って事?」
煙が晴れると、少女も老人も姿は無く―…ブロウの剣の先に割られた水晶玉が一つ転がっているのみだった。
ちなみに煙の半分以上はイレイスが後から魔法で作り出したものらしい。
「ま、そういうことだ。初めからお前が警戒していたからな。予想がはるかに立てやすかった。何せ、お前のカンは実に良く当たる。」
「初めって……わかってたんなら最初から言えよ。」
そういえば、少女と最初に会ったときから嫌な感じはしていたが、そこまでイレイスに予想を信じられているとはブロウは思っていなかった。
「予想で動くのは性分に合わんから少し試していただけだ。少し魔力を濃くさせた煙で覆ってやったら混乱していた所をみると、制御も甘かったみたいだな。」
「制御、ねぇ―……はぁ、それにしても疲れた……」
「そうだな。結局こちらとしては何も得られなかったわけだ。オマケに服も裂けた。」
ブロウは剣を鞘にしまうと、一つため息をつく。その隣ではイレイスが、切れたローブの端をちょいちょいとつつく。
変な老人との会合。森をすこし迷って、最終的にガチバトル。報酬も出ないのに徹夜の行動を仕方なしに決行してしまい、疲労感だけが後に残る。
「ま―…でもさ。とりあえず―…もう、あのゾンビさんたちは起こされずにすむようになったんだし。それで良いかなって、俺は思うけどな。」
ブロウはイレイスに軽く笑いかける。月が沈んでいき、遠くに見える空が少しだけ明るかった。
静かだった森も、元々生物はいたらしく時折鳥が羽ばたくような音が響き渡る。
「お前は気楽で良いな。結構今のところ危機に襲われているというのに。」
「……え?何で?」
イレイスの言葉に、ブロウは首をかしげる。自分達を狙っていた老人と少女は打ち倒したのだ。もう特に危険はないはずだ。
そう考えていたブロウに、イレイスは現実という刃を突きつける。
……実は、此処が全くどの辺りだか検討がつかん。
イレイスが懐から出したコンパスを向ける。コンパスはくるくると回り続けていた。
空を見上げると、木々の遠くのほうからわずかに光が漏れるばかり。星はおろか、太陽も殆ど見えないだろう。
足元も見てみるが、もちろん道など無く―……
「一応聞いておく。焼き払ってもいいのだがどうだろう。」
イレイスは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、手の中に燃え盛る炎を生み出す。
恐らくそれはイレイスのことだから周囲をほぼ灰にしてしまう魔法だろう。
「どうだろう。じゃねぇよ!!それ駄目!!ぜってぇ駄目ぇえええ!!!
道徳があるブロウは非情な兄を必死に止める。流石に道は開けるかもしれないが生態系を一つや二つほど破壊しそうだからだ。
罪も無い動物達を大虐殺するのは少し、いやかなり問題がある。

何とかブロウはイレイスを説得して止めてみせたものの、結局二人は、三日三晩さ迷うことになってしまったんだそうな。

「燃やすのは駄目なら、切り倒すのはどうだろう。」
「駄目だつってんだろ!頼むから普通に脱出方法を考えてくれッ!」

真面目な顔をして手の中で竜巻を起こすイレイスを、羽交い絞めにして止めるブロウ。
結局この森が本来の形を保っていられたかどうかは……ご想像にお任せします。

おしまい。


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