友達
「逃げるために使うんじゃなくてパフォーマンス用なんだけどな。」
シンプルな木製の椅子に座ってジェイがぼやいた。派手にやられたせいか、服もそうだが、体も結構傷だらけである。
「そういう事気にしてる場合じゃないだろ。ほら、腕出せ。」
二人で逃げた先は、ミゼルの家。
ミゼルは薬学を主として学んでいるため、傷薬やそういった類のものも作れる。
学園内に怪我を治療する施設「医療室」もあるにはあるのだが、状況を根堀り葉堀り聞かれるのであまり学園に関係ない怪我で行きたくはない。
「気にするよ。僕は奇術士だからね。盗賊じゃない。」
ジェイは長いマントを脱ぎ、腕をまくる。
そこにはあちこちに打撲跡と大小さまざまな傷が出来ていて、ミゼルは思わず顔をしかめた。
「……いや、お前さあ、痛くねーの?」
とりあえず消毒液と包帯と軟膏をテーブルの上に揃え、対面するように椅子に座る。
薬類は全部ミゼルのお手製だ。消毒液を傷口に脱脂綿を使い当てていくが、ジェイは眉一つ動かさない。
「そりゃ痛いよ。でもね、奇術士っていうのは些細な事で笑顔以外の表情をあらわにするものじゃないんだよ?」
「もうそこまで来るといっそすげぇよ、お前。」
ミゼルがくるくると包帯を綺麗に巻きながらため息をつく。
もう片腕、とジェスチャーをすると、ジェイは片方の腕も服をまくる。
やっぱりそちらも傷と痣があり、痛そうだ、とミゼルは正直に思った。
「今日はツイてないなぁ。ウルスラも不機嫌だし、通行人に苛められるしね。
でも、どちらもあまり無いことだからそう考えるとツイてるのかもしれないけど。」
ジェイの口からウルスラの名前が出た。その瞬間ミゼルは、大通りでの一件を思い出しなんともいえない不快な気分になる。
ジェイとウルスラの関係は、一番近くで自分が見てきた。
仲が良いのか悪いのかよくわからない事が多々あったが、それでもウルスラは一番ジェイとつるんでいた。
その、はずなのに。
「……ミスティ、腕がふたまわりほど大きいよ?」
ジェイに声を掛けられ、ミゼルは動きを止める。気がつけば腕を不必要なほど包帯でぐるぐる巻きにしていた。
「う……悪ぃ。」
「別に僕は責めて無いよ。只ちょっと不思議に思っただけでね。このアンバランス加減もなかなか面白いけど、服が入らないのは不便だ。」
まんざらでもない表情をジェイは浮かべていたが、ミゼルはさっさと包帯を巻きなおす。
「……なぁ、ジェイ。お前が吹っ飛ばされてるとき、大通りでウルスラを見たんだ。」
「へぇ。ウルスラが?散歩中だったかな。」
「俺が呼んで―…あいつ、お前が厄介ごとに巻き込まれてるのを確認した瞬間、逃げた。」
DランクとCランクの隔たりは大きい。エリートと凡人の分け目だから当然なのかもしれない。
仲が良かった親友も、愛し合った恋人も、急によそよそしくなり関わりも持たなくなる……と、一概には言われている。
それはたぶん目の前の友人にも適用される事を理解できる。理解できるが、納得はできるはずがない。
ミゼルはジェイの顔をちらとみる。ジェイは別に怒りもしないし笑ってもいなかった。
「仕方ないよ。」
「仕方、ない……?」
仕方ない。そう仕方ない。
どうしようもない。自分達が上に行く以外は。
もどかしい気持ちがミゼルを襲う中、ジェイの言葉が続いていく。
「だって彼は5人以上の視線を受けると思考が停止する上がり性なんだもの。あの場合たくさんの人がいたし、ミスティは名前を呼んだからね。」
発表会も大変だったの覚えてるでしょ、とジェイは話を締めくくった。ジェイの言い分に、ミゼルは再び大きくやれやれとため息をついた。
そうだった。と、自分にミゼルは言い聞かす。
ジェイという人間は、その辺のものさしでは計れないほど変な奴だということを。
「何時も思うんだけど、君は何時も何時もため息をついてるね。ため息をつくと幸せが逃げるらしいけど、大丈夫かい?」
「誰のせいだと思ってるんだ、誰の。」
そういって、ミゼルは苦笑を浮かべたのだった。
「ほら、治療終わったぞ。貸し一個だからな。」
処置した場所は両腕と両足、それと体。
足も両腕と同じようなことになっていたが、体は目立った傷が少なかったので軽く傷薬を塗る程度だった。
「うん、ありがとうミスティ。今度君の好きなレモンのパウンドケーキを焼くよ。」
ジェイは服を着て、マントをはおる。包帯のせいで所々大きくなってしまったせいか、ちょっと服もきつそうだ。
「……で、お前、ウルスラのことどうするんだよ?」
「何が?」
ミゼルの問いに、ジェイはきょとんとしている。
「だから、アイツCランクになってから態度がまるきり変わったじゃねぇか。
何時もお前が勝手に家に上がりこんでもたたき出すようなマネはしなかったんだろ?」
なんだかんだ言って、いつもジェイのトラブルに巻き込まれても嫌な顔こそ浮かべても、今回のように露骨に逃げたりはしなかった。
ある意味、悪友だったのかもしれない。
「変わってないよ。」
「は?」
今度はミゼルが頭をクエスチョンマークを浮かべる番だった。
「変わってないよ。何もかも。彼はいつもどおり、ちょっと機嫌が悪いんだ。」
ジェイの言葉に、ミゼルは言葉を失う。
ウルスラを信じてるのか、それとももっと他の理由があるのか。
ジェイは学園の中でも異端な存在なのは、何も魔力有無だけではない。
プライドに縛られず、柔和すぎる思考回路を持ち、やたら行動力が高い性分のほうが要因かもしれない。
「僕はね、思うんだ。ウルスラは、どうしたらいいのかわかんないだけじゃないかってね。」
翌日。ウルスラは学園内を一人の生徒と歩いていた。彼の名前はセルクル。
その人は、たまたまウルスラと同じく精霊魔法を主として学ぶ人だった。
あまり人付き合いが好きでない彼だが、相手は先輩でしかもランクが一つ上。
適当に無下に扱うわけにも行かず、たまにこうして移動教室が一緒ならば歩調をあわせることもある。
「……どう、ウルスラ君。第一位クラスには慣れたかな?」
セルクルが、指し当たっては人当たりの良い笑みを浮かべて話しかけてくる。
「……とりあえずは。」
第二位から第一位クラスに変わったとき住居から何から変えなくていけなかったのは不便だった。
いくら様々な施設から近くなるとはいえ、結構気に入っていた部屋を手放すのは不満を覚えたものだった。
が、いざ変わってみると対して差異はないし、引越しも学園が大幅にサポートしてくれたおかげですんなりと作業も片付けもおわってしまった。
「そう。それはよかった。」
セルクルは再び口を閉ざす。移動先は、確か第三魔術実習室。
自分達のクラスからは結構遠く、昼休みを前倒ししてまで移動時間に当てる必要があった。
通路上にある薬草を育てている中庭を通る。視線をそちらに向けると、薬学を主として学んでいる人間がちらほらといる。
中庭で育てている薬草の世話をしているのだろう。
別に珍しい事でも無いので視線を前に戻そうとすると、人影の中に目立つ影を見つけた。
黒いシルクハットを被り、黒いマントを羽織って何故か服装は常にタキシード。
誰かの手伝いをしているらしい彼は如雨露片手にせこせこと動き回っていた。
どうやら昨日の怪我はそんなにたいした物じゃなかったらしい。そう、少し安心してしまう自分にウルスラは心中で馬鹿馬鹿しい、と思う。
「何か、珍しいものでもあった?」
声をかけられたので、顔を上げる。セルクルが少しだけ不思議そうに、ウルスラを見つめていた。
二人の間には不自然に距離が開いていた。何時の間にか、足を止めてしまっていたようだ。
「別に……なんでもありません。」
「嘘。手、振られてるよ。友達?」
顔を向けずに視線だけで中庭に目をやる。
そこではジェイが何が楽しいのかこちらにむかって手を思いっきり振っていた。
「もう、僕には関係ない人です。」
「彼、確か―…そう、道化の手品師さんだよね?」
ジェイが上のクラスの人間にまで名前が知られてることに素直にウルスラは驚いた。ジェイの使う魔法の特殊性と彼自身の体質、そして奇行は有名なのは知っていたとはいえ、まさか第一位クラスの人間が気にするほどだとは思わなかったからだ。
「古代魔法プログラムン。今のところ学園内で唯一の使い手だからね。……むしろ、僕らの方が気にならない理由がない。」
ウルスラの感情をよみとったように、セルクルが答える。
「そうですか。」
ウルスラは話を切り上げるように答え、さっさと歩を進める。
もしかしなくてもジェイがこちらに駆けて来る様な気がして、速くこの場から去りたかった。
「ウルスラ、友達は大事にするものだよ。君がそっけなくしても関係を持とうとするような人物は特にね。」
「うっとおしいだけですよ。僕はもう、彼とは関係ないんです。」
歩を進めるウルスラに、セルクルは同じペース歩いて横についた。
「どうして?」
「クラスが一緒だからたまたま仲良くしてただけですから。もう僕はCクラスです。自分の事で精一杯なのに下の奴まで面倒見てられません。」
「……Cクラスの人にそういわれた?」
セルクルの言葉に、ウルスラは黙る。
直接そういわれたことは無い。
だが、選民意識の強い第一位クラス内でも一番下のCクラスは、その感情がいっそう激しい。
自分より下の者と同等に相手をするわけがない、という風潮がすくなからずある。
只でさえエルフという人種のせいで好奇の目で見られることが多かったのに、これ以上目立つ行動は裂けたかった。
「お節介のようだけど、気の置けない友人は一人は居た方が良いよ。でないと、誰も信じられなくなってしまう。」
そういうセルクルの顔は、何故か悲哀の色を含んでいた。
彼の中でくすぶる大きな後悔がちらりと見えて、ウルスラは正直関わって欲しくない、と思った。
「貴方は。」
「ん?」
「貴方は何故、僕に構うんですか?」
セルクルは年上でクラスも一つ上。
あまり第一位同士でも馴れ合いはない。それなのに。
何故かセルクルは、やたら自分に話しかけてくるし、今もこうして一緒に移動している。
「それはね、僕が君と逆の立場だったからだよ。」
「意味が解りません。」
「わかるよ、そのうちきっと。でも、僕としてはあまりわかってほしくないかな。」
セルクルはそれだけ言うと、話をぷつんと切らせてしまった。
ウルスラは教室につくまで、セルクルの言葉の意味を考えてみるが、全くわからなかった。
「あのね、ウルスラ。」
教室に入る直前、再びセルクルが切り出した。
「気をつけたほうが良い。君はエルフだ。君だけがクラスを上がった事について、少なからずとも面白くないと思っている人間は結構居る。」
それは要するに、生徒に襲われる事を示唆しているのだろう。
その意味は、すぐにわかった。
でも。
「……十分承知しています、そんなこと。」
今に始まった話ではなかった。
今のところ、順調にクラスアップ試験に合格している。落ちた者から、嫉妬の目を向けられる事は常だ。
だから、セルクルの言っている事は今更、という感じだった。
セルクルは特に驚いたふうも無く、そう、とだけ答えて教室へ入った。
ウルスラも、それに続く。
結局―…自分の認識が甘かった事に気づかされたのはウルスラのほうだった。
今まで行動を起こした人間が居なかったのは、きっと第二位かそれ以下程度だったから。
第一位になって、ガラリと扱いが変わったことが此処まで影響するなどと、ウルスラの考えは及ばなかった。
「……よう、エリートさんよ、ちょっと付き合ってくれるかい?」
そう声を掛けられたのは、全ての授業が終わり、寮に帰る道を歩いている時だった。
目の前に立っているのは過去のクラスメイト。
顔くらいは見たことがあるかもしれないが、名前までは当然知らない。
ウルスラは立ち止まることなくそのまま真っ直ぐ道を進む。
無視するに限るのだ。変に構うと碌な目にならないから。
「オイ―…ちょっとふざけんじゃねぇぞ!自分の立場わかってんのか!?」
すぐ後ろから、怒鳴りつけられる。
直後、後ろから、前から、通路の脇から、同じクラスだった人間が出てくる。
所謂、囲まれた、という奴だ。
ウルスラは仕方なくその場に立ち止まる。
くるりと周囲を見渡すと一様に殺気がこもっていて、舌打ちが出そうになった。
「僕に何の用だ。」
流石に、この状況で危機感がないわけじゃない。ウルスラは背筋に冷たいものが走るのを感じながら、なるべく気丈にふるう。
「決まってるだろ。ちょっと魔法の実験台になってもらう―…それだけさ。」
一人がそう邪悪に笑った瞬間、ウルスラの体に衝撃が走る。
雷系の魔法を使われたのだと理解するが、筋肉が弛緩し、意識が薄れていくのはどうしようもとめられない。
「は、あっけねぇなー……エルフごときが調子にのりやがって」
「どうするよ、コイツ。」
「第三旧実験室でいいだろ。あそこは遠いし人通りもねぇからな。」
「りょうかーい」
一人の生徒がウルスラを抱え、運んでいく。
その怪しい集団を、建物の影からじっと見つめていた一つの影には、誰にも気がつかなかった。
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