友達
「よーし、こんなものでどうだろう?」
Dクラスの教室。大体の生徒は各々のことをするのだが、それでも一部の人間はまだ室内に残っている。
ジェイもそのうちの一人で、今は出された課題の問題を解いていた。
「なんでお前魔法式書けって言われてるのにそんなことになるわけ?」
一緒に問題をやっているらしいミゼルがジェイのノートを見て呆れる。
それもそのはず、彼が書いていたのは魔法式と呼ばれるものではなくプログラムン魔術のソースコードらしき何かだったからだ。
例えるならば、「1+1=2」と書くところを「いち たす いち わ に」と書いているようなものだ。
「しまった!僕としたことが理性よりも先に本能が動いてしまったよ!!」
すぐにジェイも間違いに気がついたのか、頭を抱えて叫ぶ。
「……本能ってねぇ……」
緻密な文字の羅列をみて、ミゼルはため息を吐く。ちなみに自分がかいた答えよりも書く時間は三倍以上もかかるだろう。
それを自分と同じ時間でやってのけたのだから、頭が良いのか悪いのかわからない。
「ジェイ、居るー?」
ガラリと教室の扉が開かれる。クラスメイトの女生徒が、ジェイの名前を呼んだ。
「ん、何だい?」
「よかったー。もう、いきなりBクラスの人が来て『手品師』さんは居るって聞いてくるもんだからさ。
もう寿命縮むかと思ったよー。とりあえず、速く廊下に来てー。」
「うん、わかったよ。」
ジェイはその場に筆記用具を置き、立ち上がる。
「Bクラスの人間がジェイに?一体何だってんだろうな?」
ミゼルも気になったらしく、ともに立ち上がる。
二人が廊下に出ると、そのBクラスの生徒はこちらを見つけると軽く手を上げて歩み寄ってきた。
「始めまして。僕の名前はセルクル―…まあ、ウルスラ君と主として学んでいる部門が同じ、ていうと関係はわかるかな。」
「うん。それはわかるよ。僕に何か用事かい?」
ミゼルがひじでジェイを突っつく。ジェイがそちらをちらりと見ると、口パクで『敬語』と伝えてきた。
どうやらタメ口は失礼に値するらしい。それを見て、セルクルはクスリと笑ったが、それも一瞬。すぐに真面目な顔つきになり、話を切り出した。
「固くならなくて良い。単刀直入に言う。ウルスラ君、Dクラスの人に捕まった。」
「おい、それってッ!」
ミゼルが叫ぶと同時に、ジェイの顔も厳しいものになっていた。セルクルの言葉の意味がわからないという事はない。
何故なら何となくウルスラが過去に他生徒から目をつけられていたのを見たこともあるからだ。
「場所は第三旧実験室。……君は、どうするのかな?」
セルクルが、じっとジェイを見つめる。
ウルスラを助けに行く―…それは、今のクラスメイトと争うということだ。もちろん、成功しても失敗しても後々何が響いてくるかは解らない。
「そんなの決まってる、僕は行く。大事な友達が酷い目にあうかもしれないのに何もしないなんて、僕のポリシーに反するよ。」
「そう……」
セルクルはジェイの『答え』に小さくため息をついた。肩をひょいとすくめて、憂いを帯びた表情になる。
「ごめんね、僕は卑怯者で。でも聞かせてもらうよ。
君、結構ウルスラ君から冷たくされてたんじゃない?それでも、行くの?それでも、友達だって言える?」
ジェイは真っ直ぐな瞳で、セルクルを見つめる。
「最近はそうかもしれないね。でもウルスラは、正直者で嘘がつけないから。
僕は彼がそうであるかぎり、例え絶交だって言われても、僕は彼の友であり続ける。」
セルクルもジェイを見つめ―…降参、とばかりに視線を下に落とした。
「いいな―…そう言ってくれる人間がいるって。彼はきっと幸せ者だ。
傍で見てたのに、君たちに話して全ての責任を押し付けるようなマネをする僕には、きっと未来永劫手に入らないのかも、ね。」
そう、セルクルは自嘲めいて笑う。
「―…僕はそれでも貴方に感謝するよ。だって貴方が話してくれなければ、僕は知りえなかったから。」
そういって、ジェイは傍の窓を開ける。ひょいっと窓枠に上り、体を窓の外に出す。
「じゃあそういうことで僕は愛しのジュリエットを助けに行ってくるよ!」
び、とミゼルに向けて敬礼。ミゼルはぽかんと口を開けてその様子を見ていた。
ジェイは窓枠を蹴り、空へと舞う。そのまま重力に逆らわずして落ちるかと思いきや、ジェイはそのまま水平に飛んだ。
マントが広がり大きくはためいて何の魔法が働いているのかは見当もつかないが―…ともかく、滑空のように空を滑っていったのだ。
「……すごいね、彼。」
窓の向こうを、セルクルは見ていた。
「無理無茶無謀を形にしたような奴ですから……はは……」
ミゼルは乾いた笑みを浮かべていた。あれ、地上から見てもまるわかりじゃないか、と思ったとか。
「そうじゃない。この学校で、ああいうふうに他者と関係を持つ人間なんていないよ。皆、自分の身が一番可愛いのにね。」
「……先輩は―……いや、先輩もCクラスに上がったとき、何かあったクチですか?」
ミゼルは思わず聞いていた。DからCクラスに上がったとき、トラブルが起きる生徒は結構居る。
妬みの強い奴からいじめをうけたり、酷いときには集団で暴行され魔法使いとして生きていけないような体にされる人間も、たまに居る……らしいのだ。
学園としては犯人を探し出して処分をするのだが、集団相手なので最悪な時はまるまる1クラス処分しなければならなかった、という話があるとかないとか。
「うん―…僕は簡単だよ。仲の良い友達が一人居たんだけどね、僕がCクラスになる時も喜んでくれたんだ。
……僕がCクラスになってからも、一緒に勉強したり、色々したんだよ。僕は友達だと思っていた。でも、向こうはそうじゃなかった。」
セルクルは、笑う。それはミゼルが見たことの無い、哀しい笑い方だった。
「ある日、呼び出されてね―…僕がそこに行くと、集団で待ち構えられてたよ。
そして彼は言ったんだ。『そんなに自分が偉いのが嬉しいか。ずっと付きまとってそんなに優越感をえたいのか』ってね。僕は―…ショックだったよ。」
「……その場は、どうしたんですか?」
ミゼルの問いに、覚えてないとセルクルは首を横に振った。
「気がついたら茫然自失で医療室に運ばれててね。先生がなにやら小難しい話をしていたけど、僕には何も聞こえて無かったよ。」
たぶん、魔法が暴走したんだろうね、とセルクルは言った。
「だから、彼が羨ましいのかもしれない。過ちを犯しても、寛大に許してくれる友達がいるなんて。」
「そう、ですか……」
セルクルは視線をミゼルに向ける。『君はどうするの?』と言葉こそ無いが聞いていた。
ミゼルはジェイのようにウルスラを許せるか、と聞かれると首を振ってしまう。まるで人が変わったように逃げた彼を、許せないところがある。
それに、自分の身が一番可愛くないわけでもない。下手すれば、この学園に居られなくなってしまうかもしれない。
でも。
「俺は……自分の寮に戻ります。」
「そう。」
「薬を取りに行くんです。俺は薬学だからケンカは苦手です。けれど、怪我してもあいつら二人は治療する術がありませんから。」
にやりと、不敵に笑ってみせる。
セルクルは一瞬呆気にとられたような顔をしたが……すぐに笑顔に戻った。
「羨ましいな、本当……。僕も、あのときに謝っておけば―…君達のように笑えたのかな。
こうして、僕は全てを見ていたのに何もする事も無く全て任せてしまう卑怯者だから、本当の友達なんて出来やしない。」
「……たとえ他の人から見てそうだとしても、ジェイは言葉通り話した貴方に恩人だと感謝しますよ。」
ミゼルはそういうと、一度礼をして廊下の奥へと駆け抜けていく。
セルクルは、ミゼルの姿が完全に消えてしまうまでじっと見つめていた。そして、その場で息を吐く。
「ジェイ・マグイア……古代魔術プログラムンの唯一の使い手。
でもそれを決して奢る事は無いし、その力を振りまくわけでもない。優しい奇術士。……そんな魔法使いこそ、世が望んだ者かもしれない、ね。」
第三旧実験室。今は使われていない学園の済みにある教室だ。
8年ほど前、一人の生徒がこの中で大きな魔法を使った時、実験室に張られた魔法防御の結界が修復不可能なほど破壊されたので打ち捨てられている。
場所も学園内から遠いので、放置されているのが現状だ。
「ったく、調子こいてんじゃねぇぞ、エルフごときがッ!」
一人の生徒が語尾を荒げて、床に伏したウルスラを蹴り上げる。
「―がッ!」
靴がみぞおちに命中し、体が衝撃で少し宙に浮かされ、勢いで転がる。ウルスラは体を丸くしながらも数回その場で咳き込んだ。
―…どのくらい、こうして暴力を受けてきただろうか。
恐らく1時間と経っていないだろうか、酷く長い時間のように感じられる。
体は既に満足に動かせず、力も入らない。最初こそ抵抗したが、今ではそんな余力も無い。せいぜい意識を保っておくのが精一杯だ。
「―…オイ、そろそろやっちまおうぜ。あんまり長引くと先生が来る。」
まるで汚物でも見るような目でウルスラを見ていた一人の生徒がそう切り出した。
「えぇ?もうやっちまうのか?……ま、いいけどよ。」
そういって、何人かの生徒がウルスラの周囲に集まった。各々まるで標本を作るように腕と足を広げた状態で拘束する。
「何を、するつもりだ……?」
荒い息をしながら、ウルスラは睨み付ける。良い予感は当然しない。
「おい、知ってるか?腕は切り取ったくらいじゃ医療室に走れば何とか治せる。足も一緒だ。」
最後にぐ、と首を固定され、天井から目が離せなくなる。
ウルスラは、すぐにこいつ等が何をしようとしているのか想像がついた。
「でもよ、目は違う。精巧で緻密な作りだから今の魔法じゃ治せはしないそうだぜ?」
動かない首でも視線を這わせると皆一様に、酷く歪んだ笑いを浮かべていた。その光景に悪寒が走る。
盲目では、魔法使いどころか普通の生活も危うい。
「……最悪だな。お前ら。」
ウルスラに出来ることは、せいぜい向こうが思うとおりの感情を見せないだけだろう。
誰も助けに来てくれるような人物など、居やしない。
何故なら、自分の身が危うくなるのにわざわざ首を突っ込んだりする人間はこの学園には居ないからだ。
それは、自分が一番良く知っていて―…そういう行動をつい最近、とったばかりだからだ。
「言ってろ。おい、動くなよ。命の保障は出来ねぇからよぉ!!」
男が小さく詠唱する。ウルスラは目をつぶるしかない。
自分の魔術師を目指す生活も此処までか―…そう、覚悟を決めたとき、轟音が部屋に轟いた。
「な、なんだぁ!?」
一同、そちらに目を向ける。当然、ウルスラも。
まず目に入ったのはどういう開け方をしたのかよくわからないが、蝶番ごと吹っ飛んだ丈夫な扉。
見張り番に立っていた生徒の一人が、その扉の上で気絶している。
そして。
「―…ウルスラッ!」
ウルスラの良く知った声が、部屋の中に響いた。
立ち込める砂埃の中から姿を現したのは、シルクハットにタキシードの格好をした何処からどう見ても手品師―…こと、奇術士ジェイ・マグイア。
すぐに彼の目線は拘束されているウルスラのほうに向けられる。
「……君たち、一体何をしているんだい?」
クラスメイトに、ジェイは聞く。いつもの腑抜けたような顔ではなく、その相貌は鋭い。
「手品師か……見りゃわかるだろ。なんなら、混ざるか?お前もコイツに良い様に扱われてたんじゃないのかよ?」
卑下た笑いを、一人の生徒が浮かべる。こいつらは知っているのだ、とウルスラは直感した。
ジェイを最近冷たくあしらっている事を。
「そうだ。昨日お前コイツに見捨てられたじゃん。その仕返しにでも来たのかよ?」
別の生徒がそう言ったのに対して、ウルスラは息が詰まる。
昨日のことを、見られた。ミゼルが名前を呼んだものだから、気づいた者が居たのだろう。
「違うね。僕はウルスラを助けに来たんだよ。」
そうジェイが答えると―…生徒達に、殺気がこもる。
「はぁ??お前、何言ってんだよ。」
「僕はね、珍しく怒ってるんだよ。僕はウルスラが好きだ。
だってウルスラは、たとえ前に優れた人が居ても、ウルスラは努力でその人を超えてきた。決してその人を貶めたりせず、自分の力を使って。」
だからジェイはウルスラを正直者だという。人を決して騙さず、自分の力だけで何とかしていく彼を。
「……何が言いたいんだよ、お前は。」
「人の努力を見ないで、何もしてこなかった君達にウルスラが引きずりおろされる権利は何処にもありはしないって言いたいんだよ、僕は!」
ジェイが怒鳴りつける。
生徒がゆっくりとウルスラから離れ、ジェイを睨み付け始めた。
「へぇ、喧嘩を売りに来たって事で良いんだな?……お前一人で何が出来る。」
「何でも出来るよ。奇術士だからね。」
そういって、ジェイはすっとその場にかがみこみ、部屋の床に手を着く。
「本当は、僕だってこんな魔法はしたくないよ。僕のポリシーに反するから。
……でも、このジェイ・マグイア。大事な友人を守るために、手段を選ぶ人間じゃない!」
ジェイの口が聞き取れないほど素早く動き出す。
ウルスラは遠目でも、彼が古代魔術言語プログラムンを使っている事は、容易にわかった。
彼は、精霊魔法を主にそれっぽく見せる事に力を徹する。彼が直接それを使って魔法を使う事は、手品の小技以外には滅多にしない。
何故なら―それが出来て当たり前の魔法だからだ。それを彼は何となく卑怯だからやらないと自分で枷を作っていた。
「お前も一緒に潰してやる!行くぞ!」
生徒達が各々詠唱しながらいっせいにジェイに向かう。ジェイが何をしようとしているのか解らないが、詠唱は間に合わないんじゃないか。
そう、ウルスラは心配したが、全て杞憂に終わる。
何故なら。地鳴りのような音とともに、床が揺れはじめたのだ。
「な―……」
何だ、という声が上がるその前だった。
床がまるで生きているかのようにグネリと突起物を生やす。うごめく太い植物のつたのようにも見えるが、だが、それはあくまでも硬い石だ。
ジェイが一言、何かを呟く。
それが合図だったのか。そのつたの様な動きさえもする突起物は襲い掛かる生徒を跳ね飛ばす。
それも無差別に。逃げる奴も居たが、同様に跳ね飛ばす。……全員が気絶してしまうまで、一分と掛からなかった。
「……何でも出来るよ。僕は―…奇術士だからね。」
ジェイが呟くと、全てのものは、まるで何事も無かったかのように床にへと戻った。
プログラムン言語により、本質から変えられた物。それは優れた術者ならば、手足のように意のままに操れる。
「ウルスラー!結構酷くやられてるみたいだけど、大丈夫かい?」
たっとジェイが駆けて来て、目の前でしゃがみこむ。その優しさが、ウルスラには痛かった。
「五月蝿い。何で、何で来たんだマグイア。」
床に伏せたままでは流石にかっこ悪いので、ウルスラはゆっくりとその場に座り込む。
じろりとジェイをにらみつけると、ジェイはにっこりと笑ってさえみせた。
「君が酷い目に会ってるよ、って聞いたから。他に理由ある?」
その答えに、ウルスラは絶句する。自分でも珍しく酷い事をしたものだと思った。嫌われるのを狙ってやったのだから当たり前なのだが。
それでも、ジェイは変わらなかった。それに言ったのだ、ジェイは自分の事を『大事な友人』と。
「喋れないほど元気ない感じ?やっぱり日ごろの無理がたたってるんじゃないのかい?」
「違う、馬鹿。」
にへら、と先ほどまでの気迫は何処へやら。腑抜けた顔で喋るジェイ。
「お前があんまり馬鹿だから、呆れて物が言えなくなってただけだ。」
口では悪態をつくが、心中ではどうするべきか。ウルスラは迷っていた。色々な事を謝らなくてはいけない。
そう考えはするものの、何といえば良いのか言葉は出ない。
「それくらい言えるなら元気そうで何よりだよ。」
「はあ……お前、怒ってないのか?」
「何を?」
ウルスラの問いに、きょとんとジェイは首を傾げる。
ウルスラは相変わらず解っていないようだから内容を言おうとしたが―…口を閉ざす。
別に、彼が気にしていないのならば、良いのだろう。
「……別に……良いなら良い。」
「そう。」
ジェイはそういうと、立ち上がる。そして破壊したドアのほうを向こうとして―…その動きが止まった。
「マグイ―…「ウルスラッ!!」
どうしたと聞こうとしたら、ジェイは座ったウルスラを突撃するように跳ね飛ばした。
ウルスラはその場から転がるように跳ね飛ばされる。
「っ、何だ、一体!?」
何が起こったのかいまいち良くわからずウルスラが、がばりとすぐさま体を起こすと、そこには床に転がったジェイ。
そしてその更に先には、まだ意識が合ったらしい生徒の一人がこちらに手を向けていた。
「へへ……何がプログラムン言語だ、クソ手品師ッ……死ね……お前なんか、死ねば良いッ……」
相変わらず嫌な笑みを浮かべて―…力を使い果たしたように、がくりと体を床に預ける。
今度こそ本当に気絶したのだろう。
だが、それよりも―…
「あは―…奇術士にあるまじき格好悪さだね、僕。」
床に転がったジェイから、赤の液体がじわりと広がっていた。
どうやら何かしらの魔法を使われて、とっさに気づいたジェイはウルスラを庇ったのだ。
「馬鹿…………ッ、お前!本当に馬鹿ッ!!何してんだッ!!」
叫んでいた。
叫ばずにはいられなかった。
「大見得切ったのに、最後は普通に魔法に当たっちゃうなんてね……本当、格好悪いね。」
えへ、と弱弱しく笑う。その姿が居た堪れなくなって、ウルスラは地面に視線を落とす。
「格好悪いとか言ってる場合か……」
残念ながら、ウルスラに治癒魔法は使えない。医療室に運べばとりあえず治療はしてもらえそうだが、ここから医療室は結構距離がある。
ウルスラは手早く自分の服を破くと、とりあえずの応急処置としてジェイの傷口の止血を行う。
「ウルスラ……自分の服やぶいちゃっていいの?」
「黙ってろ。医務室……行けるか?」
ウルスラの言葉に、ジェイはゆるゆると首を振る。
「ゴメン、ちょっと……力入らないかな……君一人だけでも行っておいでよ。」
実際、ジェイは身じろぎ一つしない。相当当たり所が悪かったのだろう。包帯代わりに使った服もすぐにじんわりと赤い染みが広がっていく。
「阿呆、これで一人で行けるわけが無いだろ。」
一人で走って先生でも呼んでくれば良いのかもしれない。しかし、周囲に転がる生徒まで見られば流石に騒ぎになる。
そうなれば流石に処分されるだろう。自分だけではなく、当然ジェイも。
「……ジェイ。」
「どう、したの?君が、僕を家名で、よばないなんて……どういう風の吹き回し?」
「今更過ぎて自分でも馬鹿だと思うが……本当に、すまなかった。」
今言わなければ、駄目な気がした。ジェイは少しだけ驚いたような顔を作ったが、にっこりと嬉しそうに笑う。
「……いいよ。僕は、好きでやっただけ……。結果が、このザマ、だけどね。」
ジェイの息が、少しずつ乱れていく。そうとう苦しいはずだが、そんな表情を全く見せない。
『奇術士っていうのは些細な事で笑顔以外の表情をあらわにするものじゃない』
事あるごとにそういうが、そこまで徹底するのはいっそ感心さえも覚える。
「違う。僕が謝りたいのは……」
「あのね、ウル、スラ。僕、怒ってない、し、気にして無い。……謝られても、困っちゃう、よ?」
「ジェイ……」
「僕、ね、嬉しいんだよね、初め、て、ウルスラ、が僕の、名前、呼んで、くれたから。やっと、そこま、での仲に、なれ……」
ジェイの言葉は―…ぷつりと途切れた。
「ジェイ……おい!ジェイ!!しっかりしろッ!!」
腹部に手を当てて、感じる出血。恐らく―…血が流れすぎたのだろう。顔色も、血の気が無い。
何度か軽く頬を叩くが、身じろぎすらしない。
「―…うぉ、すっげぇ事になってんなぁ……」
その時、場違いのように、感嘆の声が室内に響く。
ば、とウルスラがそちらに向くと、ミゼルがひょいと入り口付近に倒れていた生徒を飛び越えていた。
「クランブル―…ッ、速くコッチに来い!ジェイが!」
「お、おう!って、お前ジェイの名前……」
「良いから来いってるだろ馬鹿!!」
ウルスラのただならぬ気配にミゼルはびくりと体を震わし、そのまま真っ直ぐそちらに駆け抜ける。
そこには、ジェイがぐったりとした様子で倒れていた。
「ジェイ!?うわ、何やってんだよお前!!」
口ではそう文句はいいつつ、止血に使われていた布をとり、傷口を明らかにするために服をまくる。
「やべぇな―…くそ、出し惜しみしてる場合でもない、か。」
ミゼルは愚痴るように言いながら、まず懐から消毒液をとりだし、布に含ませる。
傷口の周りをゆっくりと拭うと、止血の効果があるのか出血は殆ど収まっていく。
「……見たことが無い消毒液だな。」
「何時も使ってる奴じゃねぇからな。言っとくけど、手間も掛かるし原価もむちゃ高いんだぞ。……んで、後は、これと、これと……」
軟膏を取り出し、湿布のようなものに塗りこむ。それを傷口に貼り付け、後は白い包帯でくるくると覆っていく。
最後に、ジェイの口を少しあけさせて液体の薬を飲ませた。
「いよし。こんなもんだな……あとはちょっとしたら目が覚めるだろ。」
「最後の薬は何だったんだ?」
「ん、俺特製の気付け薬。……んで、一体何があったんだ?」
ミゼルは周囲を見渡す。完全に伸びている十人程の生徒。一様に壁に叩きつけられたような形は、異様だった。
ウルスラは、ミゼルの質問に答えず押し黙ったままだ。
「……別に、答えられないならいーけどよ。
ジェイがそんなになってる理由くらい教えろよ。俺は、お前を信じているわけじゃない。コイツが困るだろうから来てやっただけだ。」
ミゼルは横に座り込み、腕を組む。ウルスラはしばらく黙ったままだったが―…やがて、口を開いた。
「僕が愚かだった。……それだけだ。」
ウルスラはぽつりと呟く。その表情は、後悔の念が宿っていて、少し前に見たような顔だとミゼルは思った。
信じていた友人に裏切られ、衝撃の中今だ悔いながら生活しているセルクルにどこか被る。それが何となく、見ていて苛々する。
「お前どーすんの。ジェイの事。」
何となく、聞いていた。
「……僕が聞きたい。」
「は?」
「馬鹿な、奴。僕は結局関わると自分の身が危うかったから勝手にコッチから壁を作って距離を置いたんだ。
それなのに、今だに友達だとか抜かすし、挙句の果てには自分の身まで犠牲にして助けに来て……」
そこまで言いかけて、ウルスラは深くため息をついた。地面に視線を落としたまま、ぎり、と拳を握っていた。
「僕は、どうすればいい。どう、償うべきなんだ?感謝はしている。心から―……今更だが、彼を心から信じられる。
でも僕は、自分の保身のために、利用してしまった……ッ……」
「お前……」
ジェイの言葉が、今ならわかる。ウルスラは、どうしたらいいのかわからないだけだということが。
ウルスラという人間はコミュニケーション能力が最悪を通り越して底辺だった。
エルフという人種から嫌われていたこともあるだろうが、それでも周囲に溶け込もうとしなかった。
だけど、ジェイは違った。彼だけは、ウルスラに好意を持っていた。
もしかしたら、こうしてジェイと一緒につるむことも多い自分もそうかもしれないな、とミゼルは思う。
ランクが上がり、ウルスラは孤立してしまった。それが彼を『暴走』させた原因なのだろう。
「コイツは昔からそうだ。エルフでも区別せず、同一に接して……それなのに、僕は―……
……おかしな話だ。心の中のどこかでは、一番大切な友人だったのに、それを認めようとしなかった……だから……ッ」
「今は?今はどうなんだい?」
「決まってる、今なら認められる―…僕の、一番の友人としてー……って、待て!!」
ば、とウルスラがジェイに目を向ける。ジェイは、ニコニコと心底嬉しそうに、笑っていた。
ゆっくりと体を起こし、ウルスラの隣に座る。
「お、おま……いつから……ッ……」
あのこっ恥ずかしい吐露を当の本人に聞かれていたかと思うと、ウルスラは耳まで真っ赤になる。
ジェイは少しだけ悩み、口を開く。
「お前どーすんの、コイツの事、あたりかな?」
「殆ど始めっからじゃないか!!気がついてるなら言え馬鹿ッ!!」
ウルスラはばしん、と恥ずかしさのあまり思いっきりミゼルの背中を叩く。
「痛ぇ!?つか何で俺!?」
思いっきり八つ当たりをされたミゼルは思いっきり不服を口にする。
「だって、意識が戻って直ぐ動けっていくらなんでも無理じゃないかい?」
「くそ……お前の分際でマトモなことをいう……ッ……」
「それ、若干馬鹿にしてないかい?」
ぷ、と軽く頬を膨らまして、ジェイは笑った。
その様子がおかしくて、ミゼルも笑う。
やがてウルスラも―…同じように声を上げて笑った。
「……さてと、そろそろずらかろうぜ。立てるか、ジェイ?」
ミゼルが立ち上がり、その場で伸びをする。その辺で寝ている生徒はほっとけば夜になればおきるだろう。
「僕は大丈夫だよ。ミスティの的確な治療のお陰でね。」
すっとジェイは立ち上がり、その場で数歩軽くステップを踏んで見せる。そしてぐっと親指をミゼルに向けた。
だけど、その足は少しふらついており、顔色も良いとはお世辞にもいえない。
「馬鹿。ふらつきながら言うな。」
ウルスラはそういうと、ジェイの腕を自身の肩に回す。
「……はは、お前もなー。」
ミゼルは笑いながら、ウルスラの肩を取った。
「あは、3人で並んで帰るって言うのも素敵だね。」
ジェイが笑う。二人ほど満身創痍だが、傍から見れば仲良く肩を並べて歩いているように見えるだろう。
「そーだな。このままウルスラの部屋まで帰るか。」
「なっ!なんでそこで僕の部屋になる!!」
ミゼルの提案に、ウルスラは異議を出す。しかし、ミゼルは悪戯っぽく笑いながら切り替えした。
「だってお前の部屋学園から一番近いし。それに、ふらふらのジェイをそのまま帰れって言うのかこの人でなし。」
「……う……」
そこを突かれると痛いのか、ウルスラは黙る。
「それに、お前の治療もまだだし。……せっかく持ってきたんだし、使わせろよ。」
ミゼルの言葉に、ぽんとジェイは手を叩く。そして名案とばかりに言うのだった。
「わぁ、じゃあ今日はウルスラのお部屋でお泊りだね。僕、頑張って晩御飯作っちゃおうかな。」
「「お前はじっとしてろッ!」」
まるで示し合わせたかのように、二人の声が合わさる。
そしてお互い顔を気まずいように合わせるのだが、そこまでの行動が全く同じタイミングだった。
それがおかしかったのか、ジェイが声を上げて笑う。
その声は、夕暮れ沈む学園の端っこで、少しの間響いていたのだった―……
友達 おしまい