叶わない想い
『やれやれ―…ようやくお前も我のいうロマンがわかってきたのではないのか?』
とある深い森の中、相棒が、俺の後ろでそう言った。
太陽は深い木々にその身を沈め、今はただ星明りが照らすばかり。
雲は出ていないが月が見えないところを見ると、今日は新月なのだろう。
「……うるせぇ。お前のロマンはただの『他人(俺)の不幸でメシが美味い』だろうが。理解したくねぇよ。」
俺は、背中に背負った相棒に言葉を返す。もちろん、そいつがそう言うのは十中八九俺のせいだ。
っつーか、槍である相棒に俺の行く先の決定権なんかあってたまるか。
そう、これは。タダの向こう見ずで無鉄砲な行動でしかなくて。
俺だって背負った奴がいたとしても御免被りたいことだ。
―……滝のほとりに住み着いた大蛇のような悪魔を倒すだなんて。
時間は、今日の午前中くらいまで戻る。
何時なのかわかればよかったんだが、携帯用のコンパクトな時計なんてぶっちゃけ高価で手に入らない。
それに最も、太陽が見えれば大体の時間がわかるんだし。懐中時計なんてクソ食らえ。
それはさて置き―……冒険者のオランジェットこと俺は村に居た。
でも、ただ村に居たんじゃない。一昨日地図をうっかり風に飛ばされてそれからというもの歩き詰めで死ぬかと思った。
というか、実際空腹と疲労で死にそうだった。
「あー……む、村……だ………」
よろよろと相棒―…ファフニール、通称「ファー」を杖代わりにしながら、俺は目の前に広がる光景に希望を見えた。ファーは伝説の槍らしいが、杖なんぞに使われてさぞ不快だろうと思いやってやったら、俺のあんまりな状況に心から楽しんでいやがったので迷わず続行した。
『…ふむ、流石悪運だけは天下一品。いざというときの星回りには度々感心させられるな。』
倒れそうな俺をせせら笑うファー。
俺が死んだらお前も好きに旅が出来ないだろう、と道中で愚痴交じりに言ったら、
『空腹で行き倒れは中々に酔狂だ。しかも、地図を風に飛ばされるというその課程も素晴らしい。』
と、一人で納得していた。正直、折ってやろうかと思った。8つくらいに。
「る…せぇ……俺、は、天下のオランジェット、様だぞ……行き倒れ……とか、ありえん………」
いいかけて、足の力が抜けた。手からファーがすっぽ抜ける。崩れ落ちる体。
あ、地面が意外にあったかい……。
あ、うそ、俺、村が見えた事に安心して……入り口付近で行き倒れか!?
冷静に頭が分析するが、体がもう頭の指令に対して完全にストライキを起こしてやがる。
暗転する視界の中、ファーが俺に対して一言。
『希望を見出しながら絶望へと垂直落下していくとは……さすが、我が主。いつまでもロマンを感じさせてくれる男よの。』
何か言い返したかったが、意識が朦朧としていたので、目が覚めてからにすることにした。
いや、覚めない可能性も捨てきれないけど……そうなったら、化けて出てやる!
それから、どれくらいの時間がたっただろうか。
体内時計では一眠り程度。
実際の時間では、全くの不明。
『主よ、意識は戻っておるのだろう?』
ファーが離しかけてくるところをみると、俺はまだ生きているらしい。
ファーは伝説の槍らしく、所有者である俺に対してはどれだけ距離が離れていようと、テレパシーだとかで直接話しかけることが出来るらしい。
最も、あくまでそれは一方的な物で、俺が『答える』には口に出してファーに話しかけるしかないのだが。
「……ん、あ……」
俺はなんともいえない呟きを漏らしながら、目を開ける。一番初めに目に入ったのは、質素な色をした天井だった。
体を起こすと、カーテンのない窓から日光が漏れ入るのが見えた。どうやら―…誰かが此処に連れてきてくれたようだ。
俺の体は白く清潔なベッドの上に横たわらせてあったらしく、体の疲れは思ったより感じない。
此処は何処なのかと部屋をぐるりと見回すと、質素なベッドの傍に、椅子とテーブルが見えた。
少し広めの部屋だが、それだけしかない。寝室ならば、もう少し家具が置いてあってもいいと思うんだがなぁ……ランプとか。
『……垂直落下しながらも蜘蛛の糸に助けられるのは、我が主としてすさまじいほどの素質を我は今感じている。』
俺が考え事をしているなど露知らず、すぐ傍の壁に立てかけられたファーは、口調でもわかるほどに興奮していた。
コイツは基本、永い時を経て性格があらん限りのほうに捻じ曲がっているので俺はそれを華麗にスルー。
「おい、ファー。お前どーせ『見てた』んだろうが。どういう状況か手短に―……」
いいかけて、口をつむぐ。何でかっつーと、こんこんと控えめに目の前のドアをノックする音が響いたからだ。
槍の姿であるファーの声は所有者にしか聞こえない仕様になっている。つまり、やり取りするところを傍目から見られると完全に変人変態の烙印が押される。
というか、実際に押され、主人がドン引きされるのを誰でもないファーが一番楽しんでやがるから厄介極まりない。
「あ、あの……お、お早うございます。ご気分は、いかがですか?」
そう遠慮がちに言いながら部屋に入ってきたのは、一人の女の子だった。
年は……多分、俺よりちょっと下くらい。
「あ、えっと……その、まあ……で、アンタが、俺を?」
「は、はい……村の入り口で倒れられていたので……悪いかと思いましたけど、少し無理やりに運ばせていただきました。」
そういって、目の前の女の子はすまなさそうにぺこりと礼をした。
確かに、男の俺をこんなところまで運ぶのは辛かったみたいで、服のあちこちにちょっと引きずったような後がある。
苦労して運んでくれた―…その行為に感謝こそするが、非難する気は全く無い。
「いやぁ、いいよ。こっちこそ変なところで倒れてて悪かったっつーか、なんつーか……」
たはは、と笑いを浮かべるしかない俺。情けないことこの上なし。
「いえ……でも、良かったです。」
「何が?」
「こうして、元気になられたので……私、安心しました。」
そういって、女の子はにこりと微笑んで見せた。開かれた扉から風がわずかに入り、ふわりとセミロングの髪が揺れる。
俺は、その光景に不意を突かれる様にして、どきりと胸が高鳴るのがわかってしまった。
コレがどういう感情か、俺は知っている。……いわゆる『レンアイカンジョウ』。
別に惚れっぽいとかそーいうワケでは、ない。ちょっと女性の魅力に気がつきすぎる節があるだけだ。
瞬間。
俺の腹が3日3晩の酷使に限界を訴え、大きく自己主張をしたのだった。
「……お腹、空いてらっしゃるんですね。」
真っ赤になる俺に、くすくすと女の子は笑った。
「昨日の残りで悪いんですけど―…シチュー持ってきますね。そこで楽にしててください。」
笑顔のまま、女の子は部屋から出て行く。俺は何もいえなくなって、ただパタパタと軽やかな足音だけが部屋の中に響いていった。
『流石……』
ファーがわざと俺に聞こえるように呟やきやがったので、とりあえず壁に立てかけられていたのを足で倒しておいた。
八つ当たり?違う。口は災いの元……の、その後を実践してやっただけ。
ほんの数分後、女の子は大きめの皿を持って戻ってきた。
其処からは湯気がほくほくと立ち込めると同時に美味しそう匂いが部屋に広がって、思わず喉がゴクリと鳴る。
「お待たせしました。此方にどうぞ。」
そういって、女の子はベッドの傍にあった机にそれを静かに置いてくれた。椅子を引いて、再び此方に微笑みかける。
「あ、なんか悪ぃな。」
「いえ……私は出来る事をやっているだけですから。」
そういった女の子の微笑みは、どこか儚さを含んでいた。
多分、なにかしらの事がこの村で起こってるのだろうと、的確率3割5分を持つ冒険者のカンが働く。
俺は椅子に座って、皿の中身と向き合った。大きく切られたジャガイモと、ニンジン。それと少量の鶏肉が入ったクリームシチュー。
久しぶりのまともなメシに、俺は思わず嬉しくなった。
「量が多かったらすいません。ちょっと、さらえたかったんで……」
たしかに、盛られたそれはゆうに1.5人前を誇っている。だが、今の俺に少なくても多すぎる、ということはない。負ける気は全く無い。
「いや、大丈夫。ほんと、3日くらい食べてないから。―…じゃ、いただき、ますッ!」
俺は片手にスプーンを持って、それを口に運ぶ。うん……これは、美味いッ!
とろけるようなコクのある味わいッ!加えて大きく切られた具材がそのギャップを引き立てる!!
『三流の感想だな。』
俺が久方のメシに感動していると、ファーが不機嫌そうに口を出してきた。
床に転がったままというのもあるだろうが、俺が素直に美味しいシチューに舌鼓を打っているのが気に食わないだけだろう。
もし、コレが文化の違いというものを見せ付けられるような代物だったら、アイツは上機嫌になる。
「―…ふぅ、ごちそうさま。サンキュ、すっげぇうまかったよ。」
とん、とスプーンと皿を置くと、女の子は少しだけ驚いたような顔になった。本人量が多いといっていたし、まさか短時間で食べ切れられるとは思ってなかったんだろう。
「いえ……どういたしまして。ところで、貴方はどうしてあんなところで倒れてらっしゃったのですか?」
感謝の返し言葉と共に向けられた彼女の質問は、至極まっとうなものだ。それだけに、俺は少し言葉を詰まらせる。
……地図をなくして3日3晩さ迷いまくった挙句色々な物がピークに達して倒れた、なんて情けなくていえるわけが無い。
しかも、まだ初心者ならともかく、俺のようなベテランがそんなドジを踏んでいただなんて……
「あ、言えないのならいいんです。そうですよね、色々理由がありますよね……」
俺がさてどういったもんかと考えていたら、先に女の子の方が話を切り替えてきた。
「あ、あぁ……そ、そんなところだ。」
まぁ、言えない事には変わりないので、否定はしないでおく。
「てっきり、タダの迷子かと思ったんですけども、違いますよね。」
ぐさり、と彼女の言葉が俺に突き刺さる。えーえーそうですよ。迷子ですよ。外れてませんよ。
「持ってらっしゃった槍も何だか見た事ないほど綺麗ですし……どこから来たんですか?」
そういって、女の子は床に転がされたままのファーをちらりとみる。
確かに、ファーは非実用的でないほどの美しい形状をしていると俺も認める。美術品として博物館に飾ってあったとしてもなんら不思議ではないほどに。
「出身か?俺もこんな感じの辺鄙な場所でさ。あんまりにも退屈だったから冒険者として出てきたんだよ。そこの槍は、俺の成果にしていまんところの相棒だ。」
『唯一の、な。』
「まぁ……こんな凄そうなものを見つけるなんて……」
「へへっ。まぁな。」
俺の嘘偽りの無い言葉に対してファーが余計な茶々をいれてくるが、どーせ目の前の女の子には聞こえはしまい。
此方が反応さえしなければ、何の問題は起こらないのだ!……あまりにも的確すぎて、ちょっと負けた気になるのはこの際無視する。
「……私も、そうやって自由な暮らし、してみたかったな。」
ぽつりと、物悲しそうな表情で、告げた。
けど、すぐに自分の漏らしてしまった発言に気がついたのか、一瞬だけハッと我に返った表情を作るとすぐにごまかすように笑顔に変わる。
「あ、いえ、えっと、ウチ、親とか、そういうのに厳しくって…あはは……」
俺はおもわず腕組みをし、ふむと考えた。少し前から気になっていた、この部屋の不自然な点。
それは、モノが少なすぎるという事。少し大きめの窓にはカーテンすら引いてあらず、まるで引越しでもするのかといった風に。
客人だから、あえてそういう部屋を選んでくれた、とも考えられるが……それでも、多少の生活臭はするだろうが、ここにはない。
ゴミや埃、チリ一つ無い不自然なほど清潔な部屋。
……ちなみに、一応勘違いが無いように言っておくが、こんな小姑のような眼は冒険者にとって必要不可欠だからだぞ。
一見レンガのひび割れに見せた弓矢が飛んでくるトラップとか、埃の積もった床の先に落とし穴のスイッチとかあるわけだし。
つーか、実際引っかかったことのある俺が言うんだから間違いない。
「……なぁ、アンタ。なんか困ってることでもあんのか?」
カマをかける様に、切り出してみる。すると、女の子はわかりやすく一瞬うろたえた。
「な、ないですよ。そんなことなんて。第一、冒険者さんに私のことは関係ないでしょう?」
「でも、アンタも関係ないながらも助けてくれたわけだし。メシまでくわせてもらったんだし、このまんまハイさようならってどうかなってな。」
それに、アンタみたいに可愛い女の子がそうやって悲しそうな顔をしてんのは見ているこっちも辛い。
などと、思ったけど安っぽい口説き文句そのものだったので黙っておいた。フラれるたびに成長する俺万歳。
「でも、これは冒険者さんで何とかできる範囲の話ではありませんから。」
「でも、聞いて見なけりゃわからんだろ。」
「……それは、そうですけど。」
女の子は、俺の言葉にしばらく悩んでいるようだった。この場合、とても恋愛相談のような個人的な話か―……本当に、手も負えないような話の2択だろう。
俺としては前者も後者も願い下げだったけど、言っちまったのは、仕方が無いわけで。
「……えと、あの、では……聞いてくれるだけで、いいんです。聞いていただけますか?」
「もちろん。」
そういって、女の子は喋りだした。それは自分の感情が入っているせいか、とても長い話になっていた。
最後には、うっすらと涙さえ浮かべ言い終えたそれは、本当に俺でさえても終えるかどうかわからないモノだった。
「要するに、村のそばにある大きな泉のほとりに大蛇の形をした悪魔が住み着いて―…村を襲わない代わりに1年に1人若い女性を捧げろ、ってことだな。」
いまさら絵本でも聞かねぇぞ、そんな話。この場合本当に悪魔なのか、悪魔のような何かなのかは判断がつかないが。でもまぁ、十数年と続けられているという話なのだから、大蛇の形はしているのだろう。
「はい。そして今年は村のおきてに従い、私なのです。
親はもう、その事について諦めていました。仕方のない事です。でも、でも。私は―……」
そういって、女の子はぼろぼろと泣き出した。そりゃ、村のためだから死んでくれ、と言われたのだから、ショックな事には違いない。
第一、この子は『生きたい』と思っているのだから、辛さも倍増というところだろう。
「……なぁ、その泉って、何処にあるんだ?」
俺はできるだけ優しく、告げる。
『悪魔のような何かだった場合勝率は6〜9割。悪魔そのものの場合勝率は3割。ただし主の悪運補正は入れてない。』
「……は、い?」
女の子よりもいち早くファーが俺の思考に気がつき、冷静な判断を下してくる。悪魔っつぅのは、この世のモノではないもの。
破壊衝動と己の欲望に忠実に動く正にモンスター。そんな悪魔にサシでタメをはれる人間など、この世界中調べつくしたって4・5人いるかいないか。
そして、それなりの一国軍隊すべてを使ったとしても、ファーが下した勝率をわずかに上回るかというところだからだ。
「退治してやるよ。その―…悪魔ってやつ。」
「な、何を言い出すんですか!?そんなの…そんなの、無理ですよ!!」
「いやさー、話を聞いてる限りだと、自分で動かず生贄を要求してくるだけなんだろ。
悪魔だとしても下級だろーし、ただのでかくてちょっと賢いヘビだってこともある。」
この辺は誰でもないファーからの入れ知恵だ。
アイツは本当にいろんな奴と『契約』したらしく本当に色々な敵と戦ってきたようで、自らの経験談を気分がいいと語ってくれる。
総じて『その時の主がどう面白かったか』に話が尽きるのだが、ごくまれーに、貴重な知識が入る事もある。
「ですが……」
「俺を信じろって。それに、アンタだって何もせずにこのまま生贄にされたくなんかないんだろ?」
俺の一言は、女の子にとって大きな衝撃を与えたようだ。驚いたかのように口を閉ざしたかと思うと、思いつめた顔をしたままこくりと首を縦に振ったのだった。
「……泉の場所は、村の秘密にされています。村長と1年に1度選ばれた生贄が、当日に教えられるのです。
今日は、我が身を大蛇に捧げる日。日暮れと共に向かいますので、その後ろについてくだされば、きっと―……」
そして、今に至るわけだ。日暮れと同時に女の子は村を出、歩き出していた。
俺は決して誰にも姿を見られないように着いて行くわけだから、女の子がひどく心細そうな様子で進んでいくのが良心に辛かった。
『それにしても主よ。』
「あんだよ。」
『……本当に、やる気なのか?』
今までの道中、口出しはしてきたものの、反対の声を上げなかったファーが珍しくそう切り出した。
語尾は疑問符だが、その声色には否定の色を含んでいる。
「るせー。悪魔だろうがなんだろうが、一度惚れた女を守り抜くのは男として当然だろうが。」
きっぱりすっぱり言い切ってやると、ファーは深い深いため息をついた。毎度の事ながらテレパシーで話しているとはいえ、槍のクセに芸の細かい奴だ。
『……そうか。そうならば我は止めぬ。……だが、そのせいで主が死んだら……我はどうすれば良いのだ?』
それは今まで聴いたことの無い、伝説の槍の焦燥を含んだ声だった。
「……ファー?どうした?悪いモンでも食ったか?」
俺は思わず態度の変わりように愚問を口に出していた。ファーは一切モノなんか食わねぇっていうのに。
『今まで散々笑わせてもらい、歴代ベスト3には確定済みの主が……女性を庇って死ぬなど……
そんな偉大な最期を見せられたりすれば、我は人間不信に陥りそうだ…………』
ガタガタと恐れるように背中のファーが震える。武者震いでもなんでもない、単純な恐怖だ。
その内容にあまりにも感動しすぎて、今すぐコイツを森の奥に投擲したくなるのはきっと俺だけではないはず。
『そうだ主、庇う前にその場で転倒し石に頭をぶつけて死ぬというのはどうだろう。』
これは名案とばかりにファーが言い出す。よし、重りかなんかにくくり付けてヘビを倒した後その泉に沈めてやろう。
理由は封印だとかなんだとか言えばそれっぽいだろう。
「それ確か12代目か13代目かの持ち主の散り様と一緒だろーが。しかも祖国では死に様含めて教科書にされてたっていう。」
『ああそうだ、どこかで見た事があると思えばそうだったな。さすが我が主。他人の死因も己の知識として吸収するとは、どこまでもあなどれん。』
「……あれが、泉か?」
俺はまだ喋り続けているファーの独り言を無視して、なるべくそれに近づく。
明かりを点けていないので周囲が見えづらく泉の存在に気がつかないが、確かにそれはあった。広さとしては、さっきまで居た村の半分くらいか。泉としては巨大だ。
女の子は道を真っ直ぐ歩き、泉の傍でひざを突いた。
そして、祈るように頭をたれたかと思うと、泉の中心から大きく波打ち始めた!大きな水しぶきを上げ、その泉の中に居たと思われる姿をあらわにする。
それは、大きな体に3つの頭を持った大蛇のモンスター。ヒドラだった。……よし、思ったとおり悪魔の類じゃないな。
「……ほぅ。今宵はお主か。中々に旨そうな奴よのぅ。」
低く野太い声で、ヒドラの頭の一つが告げる。話す事が出来る知能を持つ、ということは中々に厄介な相手。
だが、ここで何時までも様子を見ているわけにはいかない。俺は背中のファーを抜くと、勢いよく隠れていた森から飛び出す!
「さーて、それはどうかな、大蛇さんよ。」
「……旅人さん!」
女の子が、俺の姿に声を上げる。よし、俺カッコいい。……じゃなくて。
「こっから仕事だから……適当に下がっててくれないか?」
「はい。わかりました。……気をつけてください!」
女の子は俺の指示を素直に聞いてタタっと村のほうへ掛けていく。素直でよろしい。ある程度離れた事を確認すると、俺はヒドラに向き直った。
「お主、この白銀の大蛇と恐れられた我らを敵に回すか?」
瞬間、ヒドラの視線が一気に此方に向いた。全てのものを震え上がらせるようなむき出しの敵意が、俺の上にのしかかる。
が、そんな事で負ける俺ではない。なんせ、名前と性格はぶっ飛んでいるが手には『神々が授けし祝福の槍』があるんだしな。
『……主の力では、勝率7割。微妙なラインだな。』
「それだけありゃ上等だろ。俺の悪運の強さ、舐めんなよ!」
俺は槍を構えて、ヒドラに向かって走っていく。ヒドラは、よくわからない叫びと同時に3つの頭で氷の魔法を発動させる。
どうやら、その叫びは魔法の詠唱らしい。俺の頭上にいくつもの巨大ツララが発生するが、ファーをそんなもので何とかできると思ったら大間違いだ。
「うるぉぉおおおッ!」
俺は叫んで、高く地面を蹴り、直線状にあるツララを全て貫く。ファーの基本作用で高まった俺の身体能力は、軽々とヒドラの頭上を越える跳躍をも可能だ。
「まずは、一体ッ!」
人間がいきなりこんな動きをするだろうと思っていなかったらしいヒドラが、若干戸惑いの顔をしていた。
半端に知識があるから余計な事を考えるらしい。……そうなると、こっちに利はある。俺は落下の勢いで、一体の首を縦半分に割る。
「そうら、次ッ!」
首元半分まで裂けたヒドラの頭を足場にして、すぐ隣の首に向かってファーを凪ぐ。
だが、入りが甘かったらしい。3割くらいは切れたが、息の根を止めるとこまではいかなかった。
「こノ、人間の分際でぇエえッ!」
切りつけた方が、首を思いっきりこっちに向かって振ってきた。
「当たんねぇよ!」
だが、怒りが優先されたせいか若干動きが大雑把なおかげで、回避するのは楽だ。
しかしすぐに、一番初めの妙な叫び声が響き渡る。
『主、右斜め上。首を蹴って下がれ。』
ファーが的確に指示をだす。というか、それを持って戦うのは俺なので、まるで引き寄せられるかのように体が勝手に動いた。
ヒドラの首を、足が蹴って後ろに飛ぶ。直後、その上から細かく鋭利な氷の破片が降り注ぎ、割られたヒドラの首はさらに無残なモノへと変わり果てた。
俺は軽やかに地面に着地して、眼下の敵を見据える。
「うっへ。一体倒してて良かったと思う瞬間。」
『そうだな。魔法を使うときに若干のズレが生じる。2体ならば上手く畳み掛けられるぞ。』
「へいへい、了解。」
悲しい事に、俺はあんまり戦いという事が得意ではない。正直、別に誰かに教えてもらったわけでもないし、自分の身を守るのにも力不足のところがあるからだ。
その点、ファーの存在には助かっている。所有者の体をある程度動かせるし、なにより場数を踏んでいるからアドバイスもくれる。
さらに、俺は悲しいのか喜ばしい事かよくわからんが彼に気に入られており、戦闘時もかなり協力的だ。
…と、考え事をしてる場合でもなかったな。切りつけられても元気なようで、2体はまたよくわからない叫びを上げ始めた。
『……主、走れ!』
ファーが叫ぶ。
俺は言葉どおりにヒドラに向かって駆け出した。直後、背後で次々と地面に氷の刃が突き刺さる音がした。
あんなもんに刺さったら即死だわ、と考えると背中に冷たいものが走る。
しかし、俺はまだまだ死にたくないわけで。ファーを携え、先程きりつけたヒドラにとどめの一撃とばかりに貫く。
どうやら、ファーの言っていた多少のズレというのは、魔法の効果が切れる数瞬の間を指すようだ。
魔法を発動する時彼らは大きな口を使うので、それが秒単位まで長くなるというわけ。人はそれを隙と呼ぶのだけれども。
「人間メ、ニンげんめ、にンげンめェぇえッ!!」
どうやら知能は3体あわせてだったようで、大分言葉にもカタコトが生まれてきた。俺にはそんなことはもう、関係ないのだが。
「アンタもそろそろ潮時だ。コレまで食っていったかわい子ちゃん達にあの世で謝ってきなッ!」
地面を蹴る。わけのわからない声が、また響く。
だけど―…遅い。
俺は思い切り地面を蹴りヒドラの首元に近づくと、ためらうことなくファーで一閃。
確かの手ごたえを感じてふりぬくと、ヒドラの首は根元からやや上部で輪切りになり、そこからごとりと落ちた。
ざぶん、と俺の右後ろで水面が立つ。ヒドラの首が重力のまま落ちたのだろう。
俺は、ぽっかりとういたままのヒドラの体の上に立ち、三種三様にされた首の切断面を見て、この戦闘が終わった事を実感していた。
『先程の戦いぶりはまあまあだったぞ。ただし、面白みがないのは減点対象だ。』
「……減点対象で結構。その評価で高得点なんか取りたくねぇよ。」
ぶくぶくと思い出したように沈みだす、ヒドラの体。あと首とか。
俺はそこから飛び降り、泉のほとりに着地する。ファーを背中に戻した時、こちらに向かって走ってくる人影があった。
「旅人さん!大丈夫でしたか!?」
「お、アンタも無事そうだな。ま、この俺にかかればちょちょいのちょい、ってな。」
『実際、危なげなところもあったわけだが。』
たはは、と軽い調子で笑ってみせる俺にファーが付け足す。
そりゃ、お前の力は存分に借りたけどパッと見りゃ俺の実力だ。この子に余計な事を考えさせないためには流すのがいいの。実際、無傷ですんだわけだしな。
「まぁ……!!本当に、ほんとうに、ありがとうございます!」
ちょっと涙ぐんで、俺に感謝の言葉をくれる。ああ、可愛いなぁ……うん、がんばってよかった、としみじみ感じる瞬間だ。
「いや、俺としてもこれで借りを返せたわけだし、コレでよかったってな。」
「よかった……これで、約束が……」
そう、女の子が言いかけたときだった。森から村へと戻れる道のおくから、誰かが走ってくる足音が響いた。
「マカロン、マカローン!!」
その声は、青年男性のものだった。たぶん目の前の女の子の名前を叫んでるんだろうな、あれ。
『…フラグが立ったな。』
ぼそり、とファーが俺の嫌な予感を引き立てるように呟いた。
そう、このパターンは、多分フラれる王道中の王道……!!まさか、自分が味わうハメになるとは思わなかったけど…ッ…
「その声は……ダコワーズ!」
女の子が、声の方向に駆け出す。そして、お互いを確かめ合うように抱き合う二人。
よし、嫌な予感的中!……ははは……。
「マカロン……もうお前を放さない!生贄にされるなんて、許されるべき事じゃない!!」
「ダコワーズ、もう大丈夫。ぜんぶ、あの人が……あら?」
暗い夜の中を、駆ける、駆ける。俺はダッシュで現実から逃げるように駆け抜けていた。
『……ッ…くくっ……れ、連続じゅ、17敗目だな、主っ……』
背中ではファーがカタカタと揺れるほど爆笑してやがる。
「るっせぇー!!沈めるぞ!あと俺の戦跡を数えてんじゃねぇよー!!」
あんなラブコメが実っているところ、一緒に居られるかこのやろう。
しかも、敗者だし……うう、助けられた事をお返ししたって事を考えればいいんだけど…いいんだけどさ!!
『正に、戦闘に勝って……勝負に負けた……か………実に愉快だ……』
ファーがまだ俺にとって最高ッに嫌な充実感に浸っていたが、もう自分は逃げるしかなかった。
そして、しばらくして頭が冷えた頃にある一点の間違いを犯していた事に気がつき頭を抱える羽目になるのだ。
そう、結局俺は何も得るものは無かったのだ。先行く道の方向さえも。
ああもう、何もかもがクソ食らえ。
結局俺は、どうしようもなくツイてない人生だと思わせられた話の一幕を演じただけに過ぎなかったってワケだ。
……つ、次こそはちゃぁんとめでたしめでたしで終わってやるうぅーッ!!
叶わない想い おしまい
あとがき
いかがでしたでしょうか。基本的にツイてない男オランジェットの物語。
王道っぽい話を作ったらこうなりました。っていうか、どうみてもタイトルですでに出オチしてるよね。うん。