約束とさよなら

「―…約束するよ」
夕暮れで赤い空、けして立派とはいえない城の天辺に小さな子供の影が二つ。
一人は女の子で、もう一人はその子よりも3つほど年上の男の子だった。
「ボクは必ず皆が豊かに暮らせる国を作って―…キミを迎えに行くよ」
男の子が、女の子に小指を立てて差し出す。
「ほんとう?」
女の子が顔を上げる。その瞳は今まで泣いていたのか、真っ赤になっていた。
「うん、だから。これが、約束の証にしよう」
男の子がペンダントを少女にかける。
そのペンダントトップには夕焼けのように綺麗な赤色の宝石が嵌っていた―…



「―…その国は貧しく、自分の娘を隣国に嫁がせることによって援助を受けたらしい。まあ、ここがその嫁いだ先らしいのだが」
賑やかな町並みが広がるとあるカフェテラスの店先でお茶をしている男の影二つ。
日の光を返す綺麗な銀髪で、上から下まで真っ白な衣服に身を包み、本を読みながら対面に座る人物に話しかけているのがイレイスといい、
日の光全てを吸い込むような漆黒の髪に上から下まで真っ黒な衣装で身を包み、ぼんやりとその話を聞いているのがブロウといった。
「ようするに、政略結婚って奴だよな」
「…………」
ブロウの言葉に、イレイスがぴしりと固まる。その表情は今まで見たことが無いほど驚愕の色に染まっている。
「え、ど、どうしたんだよいきなり!?」
ブロウが慌てて話しかけてイレイスはようやくハッと我に返る。
「いや……お前が難しい言葉を知っていてかつ意味まであっていたことに対して驚きを隠しえなかっただけだ」
「……ぶん殴るぞ?」
イレイスがいまだ鳴り止まない心臓を押さえているところに、ブロウは引きつった笑いを浮かべながら拳を握る。

……まあ、何時もの日常風景である。

「ていうか、なんで今そんな話をするんだよ」
仕切りなおし、とばかりにブロウが椅子に座る姿勢を正す。
「いや、なんでもその国に興味深い噂が漂っているものだから気になって」
「はぁ?」
「『古き王が盟約の時より生み出した力』なる財宝があるんだそうだ。なんでも手にしたものの望みをそれなりにかなえてくれる代物らしいぞ」
イレイスが楽しそうに説明するのを傍目に、ブロウは深くため息をついた。
イレイスとブロウは旅人で、お互いにそれなり実力のある魔術師と剣士だ。旅人といえば根無し草であちこち見て回るのを主としている者のイメージが大半だが、二人には目的が―…いや、厳密にはイレイスだけのものなのだが、があった。
「また兄貴の悪い癖だ……」
ブロウが頭をかかえる。
「癖ではない、大儀だ。興味深いものがあれば調べたくなる。そしてあわよくば現物を目にしたくなる。私達はいつだってそうだろう」
「俺まで含むな」
やけに演技かかったイレイスの態度に、うんざりだとばかりにブロウは渋い顔を作った。
そう、二人は噂レベルから現存が確実といわれるもの関係無しに『なにやらすごそうな魔法』やら『ものすごい伝説にまつわるお宝』等、そういう怪しいものを追いかけるのを主としている。もちろん、何を追いかけるかはその時々イレイスの独断と偏見のみで決定する適当ぶり。
「良いではないか、私とお前はもはや一蓮托生だ」
「んで?そこまで言うならなんかあんのか?」
「いや全然。とにかく隣国まで行って見ないことには何も始まらん」
イレイスの言葉にブロウは呆れる事も驚くこともなく適当に返事をする。いきあたりばったりなのは、今に始まったことではないのだろう。
「出発は明日の朝。まあ道中徒歩で二日程度だから普通につくだろう」
「りょーかい。んじゃあ、今日の宿でも探しますか」
ブロウがぐっと伸びをし、椅子から立ち上がる。
イレイスが歩き出したのを確認しながら横につくように歩き出して―…ふと、視線を感じたので振り返ってみる。
「……?」
しかしそこには変わったものなど無く、数人の客がお茶とお菓子をつまんだり、読書したり、談笑していたりとおのおの楽しんでいる光景が広がるばかりだ。
「どうしたブロウ。ボーっとしていると今夜は怪しい宿泊所になるぞ?」
「……どういう場所かは具体的に聞かねぇぞ。うん」
気のせいだろう―…そう自分に言って、すぐにイレイスの横に着く。
宿が取れなくて野宿は嫌だが、兄チョイスの妙な宿に止まる嵌めになるのはもっと嫌だったからだ。
だが、ブロウのその感覚は決して気のせいではなかった。
何故ならば、一人の女性がその顔を半分を本に生めながら彼ら二人を険しい表情で見ていたからだ。
「……あの、人たちなら……」
小さく、女性が呟く。しかしというかやはりというか、その怪しい呟きは二人に届く事は無く、空気中に霧散したのだった。



「……見つからない……」
二人は延々と路地を歩いていた。日は既に暮れ、周囲は夜の帳が完全に落ちて闇が広がるばかりだ。
まだ月が照らしているのならばいざ知らず、その光は雲に隠れてしまっている。
「まあ、手持ちがあまり多くないから宿を結構吟味しているからだろうがね」
がっくりと肩を落とすブロウに、イレイスは冷静に今の状況を把握していた。
ぶっちゃけ金が無いのにもかかわらずそれなりの宿をさがしているだけなのだが、そういう場所は観光シーズンでもなくてもいっぱいであることが多い。
この国は結構人口も多いのだから尚更だ。
「やっぱりグレード落とすしかないんじゃねぇの?」
「嫌だ。それをやるくらいならばお前と連れ込み宿に入ったほうがまだ笑えるだけマシ
「それは俺が嫌だ」
ブロウの提案をイレイスが一蹴し、イレイスの提案もブロウによって一蹴する。
「我侭だな、お前は」
「どっちがだよこんちくしょう」
お互いがお互いに辟易する、という不毛な会話を続けていた。
それでも二人は決して止まることなく歩き続ける。
「じゃあわかった、酒場で夜明かしとはどうだろう」
「明日の朝動けなくなるだろーが……最低二日ほど野宿だろ?ここはなんとか宿にだなあ……」
「泊まる金が微妙に無いと言っている。お前が身売りするのはどうだろう」
「断固拒否だッ!」
お互いに目配せしながら、歩むスピードを上げながら声のボリュームを落とし、どんどん人気の無いほうへと選んで進んでいく。
「……そもそもこの状況でまともな宿に入れないだろう」
「じゃあどうするんだよ」
まるで何かから逃げるかのように二人は歩き続ける。
「仕方が無い。ここいらで観念してやるか。撒けるような相手でもないらしいしな」
そこそこに広い場所まで出たところで、二人は足を止めた。
周囲には街灯のようなものがいくつか着いており、まだ幾分か周囲が把握できる。
二人で目で合図をし、同時に後ろを振り返り―…丁度家と家の間、人が一人ほど身を隠せそうなところを凝視する。
「で、結構前からつけてたみたいだけど、兄貴がなんかした?」
ブロウがその一点を見つめながら、剣を構える。すると、その場所から女性の声が響いてきた。
「恨みは、ありません。ただ―…貴方達を試したい、それだけです」
「……試す?」
ブロウが訝しげな声をあげた瞬間、ひゅ、と風を切る音が鳴り響いた。
直後、金属が何かに刺さる音が響く。
経験上、それが、ものすごく良く切れる投擲武器である事を後ろを向かなくても二人にはわかっていた。
「……はいおめでとう面倒ごと。御願いだからブロウだけを苛めますように」
小さな声でかつ棒読みでイレイスが祈るような動きをする。
それをブロウは軽くにらみつけてから、武器が投げつけられた場所のほうに駆け出した。
また幾つかの風を切る音―…ブロウは腰にさした剣を振るい、煌く刃を叩き落す。
「……針?」
叩き落したものにちらりと視線を向けると、太い針のようなものが転がっていた。
「しむらー、うしろうしろ」
「誰だよ、しむらって!?」
イレイスの間延びした声が届く。ブロウは振り返りながら剣を一閃。
後ろに居たのは、どうみても庶民のような格好をした女性。
彼女はそのままブロウの剣を針のような武器で受け止めると、滑るようにして距離をとる。
「―…ふッ!」
女性はどこから出してきたのか針を投擲する。その数は一本や二本などという可愛いものではなく、数十本という量でいっせいにブロウのほうへ襲い掛かる。ブロウは驚くことも無ければ避けるモーションもしようとはしない。
「なかなか器用だな」
イレイスは呟きながらブロウに針が届く前にぱちり、と指をひとつ鳴らす。
すると、ブロウの前に不可視の盾が展開され、針という針をすべて受け止めてみせた。
その針は床に落ちることなく空中でとどまっており、もう一度イレイスが指を鳴らすとすべて女性のほうへと飛来していく。
「ちょ―…兄貴やりすぎだッ!!」
その行動に驚いたのは女性ではなくブロウ。対する女性は同じ量だけの針をすぐさま投げつけ、全てを相殺したのだった。
「……なるほど」
小さく、女性が呟いた。
「今の行為で、私は死んでいましたね。貴方が―…本気であれば」
女性は言葉を続けた。その視線の先には、剣を持ったまま立ち尽くしているブロウに向けられている。
「……へ?えーと……」
いきなり話を振られたブロウは自分を指差しながら困ったように後ろのイレイスに視線を向ける。
イレイスはひょいと肩をすくめると、片手の中に宿っていた光の塊を握りつぶす。
「打ち落とすのは利口じゃないな。避けてもまあ無駄だったが」
「それは理解していました。盾の魔法で受け止め風の魔法で弾き飛ばす―…とても、合理的です」
先ほどまでの敵意は消えうせ、なおも二人の前に立ち続ける女性に対し、ブロウは首をかしげた。
「……どうなってんの?」
「試しとやらは終わり、ということだ。で、目的は?」
「貴方達は旅人ですね。……ひとつ、『仕事』をしてみる気はありませんか?」
旅人は時折、そこに住んでいる人では解決しづらいような事を頼まれる事がある。なぜなら旅をしているぶん、ある程度の力があるからだ。
国や街の兵士が頼みに来ることもあれば、個人で頼む事もある。基本的にどうするかは自分で決める事なのだが、そうして身銭を稼ぐものも旅人の中では結構いたりする。
「仕事、ね。報酬は?」
「あまり準備できませんが―…ですがきっと貴方達には引き受けるといいたくなるものです」
「ほう?」
「『古き王が盟約の時より生み出した力』その宝を、追いかけていると聞き存じております」
「―……なるほど」
女性の言葉に、イレイスがにやりと笑う。その笑みは、ブロウにとっては酷く嫌な予感がしたものだから、その場でため息をひとつついたのだった。
「いいだろう、その仕事、請けてやろう」
「その返事をいただけると信じておりました。とりあえず私についてきてください。あわせたい方がいます」
そういうと、女性は道を先導し始めたのだった。



しばらく歩いて、たどり着いたのは一軒の小さな小さな家であった。
女性は数回扉を叩いて、家の中に入る。
「只今戻りました、マーガリン様」
お世辞にも広いとはいえない質素な部屋の中央に、テーブルとそれを囲むかのように4つの椅子があり、そのうちのひとつにクリーム色をした髪の長い女性が座っていた。
「おかえりなさい、バター。……その、後ろの方達は?」
「私達に協力してくれる旅人です。……お茶を入れますので、どうぞ」
「……お、お邪魔します」
バター、と呼ばれた女性が二人に椅子を進める。
ブロウが座るとその隣に位置する椅子に、イレイスも座る。
「とりあえず、自己紹介から始めておくか。私はイレイス。で、そっちの黒いのがブロウだ」
そっちの、のところでイレイスはおもいっきりブロウに指をさす。
「はじめまして。私の名前はマーガリン。そっちでお茶を入れてくれているのがバター。よろしく御願いします」
ぺこり、と丁寧にマーガリンはお辞儀をする。格好こそ庶民と違いは無い。しかしそこには洗練された雰囲気が漂い、只の街の人ではないということがどことなく感じられる。
「よろしく―……っていっても、俺らなーんにも話聞いて無いんだけど……」
「それは今から説明させていただきます」
お茶を作り終えたバターがカップを置く。カップの中は綺麗な琥珀色をしており、湯気がたっていた。
「この国の隣に、貧しい国があるというのは知っていますね」
「ああ。娘を此方に嫁がせて援助を受けた国……そう、理解しているが」
「そうです。それで、その国に古くから存在している秘宝―…『古き王が盟約の時より生み出した力』
 手にしたものはそれなりに願いをかなえてくれるといわれています」
「……え、そこまでが伝説なの?」
バターの説明に、ブロウは素っ頓狂な声をあげる。
それなりに、というのはてっきり兄の例えだとばかり思っていたのだが、そうでもないらしい。
「ええ。初代国王がその力を使い、国を作りあげたと。
 長らくその力を国王は代々使っていましたが、12代目の国王はその力の恐ろしさに気づき、封印を施したのですが―…それが、解かれてしまったのです」
イレイスは何時もどこかに持っている手帳を取り出し、バターの話を聞きながら大まかな情報をメモしていく。バターもマーガリンも視線こそ向けたがその行為をとがめるような事はしなかった。
「封印、ね。確か今の国王が24代目だろう。もっと早く封印など解こうとした者が多そうだが」
「それは最もな疑問です。12代目が作り上げた封印はとても強固だったので今まで誰も解く事が出来なかった」
「……それが今になって急に解けた、とでも言いたいような話だな」
「そうなんです」
「「は?」」
バターの答えに、イレイスとブロウの声が珍しく見事にハモる。
「王がかけた封印は、自動的に解除されていたというくらいにあっさりと消えうせていたのです」
バターが俯き加減で説明すると、ああ―…なるほど、とイレイスは納得したようで深くうなづいた。
魔法に疎い相変わらずブロウはその端で腑に落ちない顔をしていたが。
「聞いた事があるぞ、そんな魔法。一人の魔術師がお遊びで作った下らない魔法だな……たしか呪文の名前は、『タイムカプセル』
 己の魔力と一緒に入れ物に仕掛けを施す魔法で、効果は大体5〜10年程度しか持たない」
「なんだそりゃ……」
「一部で流行ったらしいぞ?未来に向けた手紙を書いて封印が解けてから開けるんだと。
 効果は自分の魔力の切り取った量に比例するから、私は使おうとは思わなかったが」
無意味だし、とイレイスは続ける。確かにあまりそういうことをしそうにない兄にブロウはなんとなく納得したのであった。
「でも、10年くらいしか持たないんだろ?話を聞いてれば何百年も持ったように聞こえるけど……」
「自分の魔力を切り取った分だけ年月は持つ。10年というのは失っても痛手ではない目安だ。
 それを何百年というレベルなのだから、おそらくその王は自身が持つ魔力の全部かもしくはそれに近い量をつぎ込んだはずだ」
ブロウの疑問にイレイスが答えていると、バターとマーガリンがどことなく驚いたような表情になっていた。
「……何か?」
イレイスが訝しげな顔を作ると、マーガリンがゆるゆると首を振る。
「いえ……魔法にとてもお詳しいのですね。私達は封印が解けたとき、疑問しか抱けずに混乱してばかりでした。
 あの人は……凄く魔法が使えたわけじゃないのにどうして、って……」
「あの人、って……今の王様と知り合いなのか?」
ブロウの問いに、マーガリンは考え込むように少し黙る。
バターも心配そうにマーガリンを見るだけで、自分で口を開こうとはせず、彼女の意思を待っているようだった。

「……貴方達は、その嫁がされた娘がどうなったかご存知ですか?」

しばらくの静寂の後、マーガリンが話を切り出した。
「娘が婚約したのは第一王子。しかし王子は病に伏し亡くなった。その後娘は城を追い出されたと聞く―…そうか。なるほど」
「貴方の考えている通り。私は、マーガリンはその娘にして元王ラードの妹です」
「王様の妹!?なんでこんな所にいるんだ?追い出されたなら、帰ればいいのに」
ブロウが至極もっともな事を言うが、マーガリンは小さく俯くだけだった。それを見たイレイスはブロウの背中を叩く。
「いっ、てぇ!?」
「何か理由があるとみた。そしてそれが恐らく『仕事』と深く関わるように見えるが」
結構強くいったらしく、ブロウが顔をゆがめる端でイレイスは話を続けるように促した。
「はい。私は確かに最初こそ嫌でした―……けれど、決して不幸な話ではなかったのです。
 第一王子は頑なだった私を愛してくれましたし、城を出るといったのも、他でもない私からの申し出でしたから……」
「マーガリン様」
「いいの、バター。私に説明させて」
思い出すのも辛いのだろう。マーガリンはいまにも泣きそうな顔をしており、バターの申し出を断りつつ、話を続けていく。
「私は、身の振り方を考えて帰ると決めた時、城の方もお止めにはなりませんでした。しかし、その10年の間に兄がすっかり変わってしまったのです。
 兄はこの国を憎むようになってしまい、秘宝を手にした今ではすぐにでも攻め込もうとしている事を、迎えに来てくださったバターから聞きました」
「まあ、妹をとられて用済みになったらさっさと追い出したというのが一般の見解……というか実際そういう噂しか流れていなかったからな」
「私は、兄を止めたいのです。もちろん此方の国の王にも申し上げましたが、秘宝の事など信じてくれず、それどころか弱小国と完全に侮っています。
 このままでは、確実にこの辺りが戦場と化してしまう!」
「それで―…何か手はあるのか?」
「私が、兄を説得します」
マーガリンの眼には強い意志が宿っており、誰も止める事ができないだろう。例えそれが傍にいるバターでさえも、だ。
イレイスとブロウはお互いに目配せをし、ひとつうなづいた。
「殆ど策無しか。まあいい。そういう相手には心理戦が結構効いたりするしな。それなりに願いを叶える秘宝、拝んでみようではないか」
「相変わらず兄貴はなんだかなあ……俺も協力するよ。アンタの気持ち、わからなくもないからさ」
「お二人とも……ありがとうございます」
感極まる、というのはこういうときを表すのだろうか。マーガリンは潤んだ瞳を数度こすると、再び頭を深々と下げるのであった。
「……ところで、マーガリンはお姫様ってのはわかったけど、バター、アンタは一体?」
「私は、ラード様の元護衛です。1年に1度だけマーガリン様とラード様、お互いの書を届けておりました。
 そしてこの度、ラード様の現状をマーガリン様にお伝えしたのも私です」
「いわゆる伝書鳩みたいなものか。確かに二人に直接会うのだから異変は感じやすいだろうな」
バターの言葉にふむ、と納得する。
「はい。ラード様とマーガリン様は大層仲の良いご兄弟でした。私は、お二人の関係を取り戻したいのです」
「そっか……それなら、出発は早いほうが良いよな。明日の朝で良いかな?」
ブロウの問いかけに、バターとマーガリンがこくんとひとつうなづいた。
「よし、仕事の確認をするぞ。私とブロウでお前たちをそのラードとかいう王様の下へ護衛をしながら連れて行けばいい―……それだけだな」
「いえ―…できれば、説得が成功するまでお付き合い願いたいのですが……」
マーガリンが申し訳なさそうに告げる。確かに連れて行くだけでは意味が無いということはイレイスにもわかっている。
「ああ、承知した。私もその秘宝とやらを拝みたいからな。―…で、報酬は?」
「成功した暁には、私の持っているコレをお渡ししたいと思っています」
マーガリンは自分の首に掛かっていたペンダントを外す。そのペンダントトップには夕焼けの様な真っ赤な宝石が僅かな光を浴びて美しく光り輝いていた。
「マーガリン様、それは……」
「ええ、兄が嫁ぐ私に、と下さった大切な物……しかし、兄が目を覚まして私がもどることになればもはや不要の品物です」
「……見せて貰っても?」
マーガリンは頷くとそのペンダントをイレイスに手渡す。イレイスはそれを手に取ると、小さく何かの呪文を紡いだ。
「兄貴、なんかわかったか?」
ブロウにはイレイスが彼が非常に楽しそうな顔をしているのがわかった。
まるで子供が新しいおもちゃを手に入れたような―…そんな嬉々としたものだ。
「ほう……これはまた面白い。純度の高い魔力を生み出す鉱石を精製したものだ。今ではほぼ手に入らないと言われている物だがな……」
「……あの、それでたりますか?」
少し心配そうな顔を作るマーガリンを、イレイスは鼻で笑う。
「いや、お釣りがくるほどだ。秘宝は見れるわ面白いものは手に入るわ……今回は結構ワリにあいそうだ」
イレイスはそう言いながら、そのペンダントをマーガリンに返す。
マーガリンはペンダントを首にかけると、二人に向き直った。
「では、明日から御願いする事になると思うんですけど……本日はどうするんですか?」
「どこでもいいから一部屋貸してくれ。この時間だと流石にもう宿がみつからん」
「かしこまりました。それでは、上の部屋をひとつお貸しします。元は私の部屋ですが、殆ど私物もありませんので」
それで、この場は一時解散となった。
イレイスとブロウはバターに案内された部屋に入ると、体を休める事にしたのだった。



案内された部屋は、こざっぱりとしたところであった。最低限の調度品とひとつのベッドという質素なもの。
「ブロウ、ベッドはひとつだな」
「俺は床で寝る」
わくわくとどこか楽しそうに告げるイレイスの視線を合わさずブロウはすぐさま床に転がった。
イレイスは少しだけつまらなそうな顔をしたが、ベッドの上で座り込む。
「最近お前冷たくないか?昔はもっとこう、ムキになったりしていたのに」
「……嬉しくないけど、兄貴の行動に慣れてきたんだよ」
「ふむ、私の教育の賜物、という奴か」
「ちげぇよ!何一つとして教育なんか無かったしされたくもねぇよ!」
うんうん、と感慨深くうなづくイレイスに対し、思わず体を起こしてブロウは突っ込みを居れる。
「ははは、照れるな照れるな」
等と、イレイスが楽しそうにニヤリと笑うものだから遊ばれただけだと理解し、再び床に体を横たえる。
「全く……早く寝っぞ」
「やれやれ、仕方ないな」
これ以上からかっても面白い反応が無いとわかっているイレイスはそういうと毛布をかぶり、睡眠をとることにしたのだった。
……の、だが。

「寝れねぇ……」

ブロウは床でごろごろと転がりながら一人呟く。
ベッドの上からはムカツクほどに健やかな寝息が聞こえてくることをみると、イレイスはぐっすり夢の中なのだろう。
野宿経験だってあれば雑魚寝だってしたことがあるのだが、いかんせんなんだか胸騒ぎがするのだ。
「はぁ。一度起きよう……」
頭をぼりぼり掻きながら体を起こし、音をなるべく立てないようにして部屋の外に出る。
幸いにも月は雲の間から姿を現し、小さな窓から光を落としてくれているお陰で壁にぶつかったりするような事にはならなさそうだ。
「妙な気配も無いし、なんもないと思うんだけどなぁ……」
そう口にしながら、ゆっくりと階段を下りていく。
すると、自分達が一番初めに案内された部屋の明りがついていることに気がついた。
「……ん?」
気になったブロウはゆっくりとその扉を開く。
するとそこには、マーガリンが深刻そうな顔で椅子に座って何かを思い巡らすように俯いていたのだった。
「マーガリンさん?」
名前を呼ぶとハッとした様な顔になり、すぐにブロウのほうへ顔を向けた。
「あ、ブロウさん……どう、なされたのですか?」
「いや、よくわかんないけどなんか眠れなくてさ……アンタは?」
「私も似たようなものです。いざ、明日だと思うとなんだか怖くなってしまって……」
きゅ、と手を握り口を閉ざすマーガリンの表情は、暗く重い。
「大丈夫だって!」
ブロウはすっかり沈んでしまっているマーガリンを励ますように努めて明るく言う。
「マーガリンはお兄さんの事、大切に思ってるんだろ?」
「たった一人の兄ですし……何より、私にとても優しかったから……」
「だったら、何とかなるって。きっと向こうもわかってくれるさ」
にっこりと笑顔を浮かべて、ブロウは他人の事だというのにも関わらず自身たっぷりに答える。
「それにさ、無理だって考えながらやったって上手く行かないことのほうが多いだろ」
「……ブロウさんは、とても前向きな方なのですね」
たはは、と苦笑しながら続けるブロウに、マーガリンは小さく微笑んだ。
「マーガリンさんが難しく考えてるだけだって。出来る出来ないじゃなくて、結局のところやるかやらないか、なんだしさ」
「やるか、やらないか……?」
「そう、結果はあとからついてくる。考えるよりも先に行動あるのみ、ってな」
まあ、そのせいでよく兄貴に怒られるんだけど、とブロウが付け加えると、マーガリンは小さく微笑む。
「……そうですね、やります。私は―…そのために、バターの手を取りここまで来たのですから」
マーガリンは力強くうなづく。その表情は、何かを決意した者の顔つきであった。
ブロウは、その手を取るとぎゅ、と軽く握る。
「それがいい。アンタから見て俺達はただの雇われ者かもしれないけどさ。俺だって、最後まで守るから」
「はい、ありがとうございます!」
マーガリンの声がようやく明るいものに変化した。その事を感じ取ったブロウは安心するのであった。
何事も思いつめすぎると上手くいかない。それはよくブロウは実感したことがあるからだ。
そのまましばらく二人で二・三言葉を交わしていると、落ち着いてきたマーガリンが眠くなってきたようなのでブロウは部屋に戻ることにしたのであった。

「―…感謝します」
廊下には、彼女の護衛をしていたのだろう。バターが立っていた。
ブロウが通り過ぎる時、深々とお辞儀をしてきたのである。
「別に俺は、何もしてないよ」
「いいえ。それでも、私はあの人を励ませなかった。
 貴方たちを選んだのは、本当に偶然でしたが……優しい方で、よかった」
「だから、俺は本当に何もしてないよ。あのお姫様だって、夜に怖くなっちまっただけ。
 昼に見せた気迫は、本物だったし。アンタの行動力があったから、今こうしているんだろ」
何があったのかはよくわからない。けれど、使えるべき人間が権力に狂い、それを指をくわえてみてるんじゃなくて実際に行動を起こしたバターを、ブロウは感心していた。そこに虚偽など彼にあろうはずがない。
バターはブロウの言葉に何も言わず、ただ微笑んで―…そして、もう一度深く頭を下げるのであった。



翌日。
バターとマーガリンを連れて、二人は目的の国へと足を進めていたのであった。
道中は別に獣の類が襲ってくるわけでもなく、また、追手などが来るわけでもなく、ただただ穏やかな道であった。
「意外になんにもおこらねぇな」
もしかしたらいろいろトラブルに見舞われるんじゃなかろうか、と心配していたブロウが声を上げる。
「元々、マーガリン様に迎えを寄越すように申したのはラード様でしたから」
「ああなるほど。お前が手ぶらで戻ったりしない限りは向こうも必死にならなくても良いのか」
はい、とバターがうなづく。獣の類が出ないのも、それなりに整備された街道を歩いているからだろう。
「だったら、馬借りた方が良かったかもしれないな」
一応、急ぎでもないし、何かあったときの落馬が怖かったので借りずに徒歩を選んだのだ。
「お前馬乗れたのか?」
「う……乗ったことねぇけど。そういう兄貴は乗れんのかよ?」
「ふ、馬になど乗れずとも私は彼らよりも早く飛べるぞ」
お互いにそう言葉を交わしあって、借りなかった事を改めて良き判断とする。未経験だって、しかたない。乗れなくったっていいじゃない。
「あら、だったらバターしか乗れませんね」
どうやらマーガリンも乗れなかったらしい。そのやりとりをバターが実に渋い顔を浮かべて聞いていた。
「……ともかく、先に進みましょう。馬を使えば1日で走れる距離ですが、徒歩だと3倍かかりますから」
「そうだな。この嵐の前の静けさをたっぷり満喫しようじゃないか」
「……兄貴、縁起悪い」
にこやかなセリフを吐くイレイスに、ブロウはどこかうんざりしたような表情を浮かべる。
彼がそういう風に言うのは慣れているし、そして大概そのセリフが当てはまる展開が広がるのがわかっているからだ。

そして3日後、無事に何事もなく目的地にたどり着くのであった。

「もともとこの国は、農業でなんとか食べている国なんです」
マーガリンが到着すると同時にそういう。言葉通り全体的にやや広い農村といった雰囲気がうかがえる。
「うーん、あの城が無かったら町……っていうか、村、だよな」
ブロウが指を指した方向には、少々小さな城が見えた。城下町もあるようだがそれほど発展していないので、遠い場所からもよく見える。
確かに、これでは財宝とやらの力も借りたくもなるし、マーガリンが嫁いだ国も弱小国と侮りたくもなりそうだ。
「バター、一応聞いておくが……ここの兵士は一体何人くらいなんだ?」
「そうですね……150名程度と言ったところでしょうか」
「一国が持つ軍隊の力としては、最低レベルだな」
最も、この程度の国であればそれで事足りてしまうのだろう。
それでも、いくら財宝の力があっても他国に喧嘩を売るのは自殺行為ではないか、とイレイスはぼんやりとおもうのであった。
「あら……姫様!姫様だわ!」
この辺りに住んでいるのだろうか。通りすがりの中年の女性がマーガリンの姿を確認するや否や、駆け寄ってきたのである。
「こんにちは」
マーガリンは慣れた様子で軽いお辞儀をして見せる。
「隣国の王子が亡くなられて追い出されたとお聞きしましたが……無事でしたのね!」
やはり、そういう風に噂は広まっているらしい。マーガリンはその事実を見せつけられ、少しだけ表情を硬くする。だが、次にはゆるゆると首を振っていた。
「いいえ、違います。私は、私の意思で此処に戻ってきたのです」
「……姫様?」
マーガリンの言葉に、女性はきょとんと首を傾げている。彼らの中ではそれが『事実』なのだから今こうやって当人から否定されても、反応に困るのだろう。
「姫様」
ともすれば躍起になってしまいそうなマーガリンをバターが小さな声でたしなめる。
「わかっております。……兄様に会いに来たのですが、お変わりはありませんか?」
「ああ、王様は……ここの所姿が見られないわねぇ。城も、なんだか妙に静かな気がするし……気のせいかしら」
女性はそういって、背後にそびえたつ城を見る。
晴れた天気に良く似合う至って普通の光景で、違和感は何処にも感じられないように思える。
「そうですか……ともかく、会いに行ってみますね」
「ええ。いってらっしゃい」
女性は深々と頭を下げると、その場から去っていく。
黙ってそれを眺めていたイレイスがふむ、と一つ声を上げた。
「変化には微妙に気が付いているようだな……バター、お前はどのくらい城を離れていたんだ?」
「2ヶ月程度でしょうか……それが何か?」
「王が宝を手に入れたのは?」
「半年前です」
「……そうか」
バターの問いかけの意味を答えず、イレイスは城を見てにやりと楽しそうに笑う。
「今ぜってぇなんか嫌なこと考えたろ」
ブロウがすぐさま突っ込みを入れるが、イレイスはにやにやと笑うばかりで答えないのであった。

「これが城かぁー……」
さらにしばらく歩くと、普通に城まで来れた。
途中衛兵がいたことにはいたが、バターとマーガリンの口添えがあったので二つ返事ですんなり通れたのである。
遠くから見ても城として小さな方だと思っていたが、近づいてみてもやはり自分の記憶のなかにあるものの中では一番小さいくらいだろうか。
「……あまり立派ではないでしょう?」
「え!?い、いや、そんなこと、ないけど!」
そんなブロウの内心を読んだかのように、マーガリンが自虐的に笑いかける。
ブロウは焦って取り繕うとしてみるが、隣国の城も見た彼女には無駄だろう。
「……私は嫁いだ者のなかでも、幸せでした」
城を見て、マーガリンは遠い目をする。いくら距離が近いとはいえ、おいそれと行けない身分だったのだ。
故郷に戻ってきたことで、沸き上がる感情があるのだろう。
「それは、向こうの待遇が良かったからか」
「いいえ。……だって、とても……距離が近かったんですもの。
 離れていても、季節は同じようにめぐってくる……自国のものが、簡単に手に入る……これ以上の幸せは、きっとありません」
マーガリンの自白に、ブロウとイレイスは肯定も否定もできなかった。
一か所にとどまらない旅人とそうでない人の間にはただでさえ壁があるのだ。
それが、比べる相手が王族までランクアップしてしまえば壁を10枚並べたって計れやしない。
「姫様、行きましょう。王を止めるのが先決です」
「……そうですね。考えるのはいくらでもできますから……あら?」
バターとマーガリンが歩き出すと、イレイスが歩く。ブロウだけが、城を見たまま足を止めっぱなしであった。
その事に一番初めに気づいたのはマーガリンであった。振り返ってブロウを不思議そうな顔で見ている。
「幽霊でも見えたか?」
「……いや、なんつーか、入るんだよな、これ」
にやりと笑いを深めて聞くイレイスに、ブロウが嫌なものを見る目で城を指す。
「それが……どうかなさいました?」
当たり前のことを聞かれたので、マーガリンが小首をかしげる。
「いいや!……腹括るぞ、俺!……という気合を入れるだけだ!」
ぐっと拳を握るブロウに、イレイスは冷ややかな目を向ける。
「隣人の下手な演技はとにかくとして、私たちは後ろに着いたほうがいいだろう。あくまでも私たちは御付きの者、としたほうがよさそうだ」
「それはそうですね。では、しっかりついてきてください」
「わかった」
イレイスの提案にバターは了承し、マーガリンの手を取り歩き出す。
二人は3歩程度の距離をとり、極力目立たないように静かに歩く。
「……改めて聞く、何が見えた」
イレイスはブロウの隣に歩幅を合わせつつ、小声でブロウに話しかける。
「見えたわけじゃない、ただ……もやがかかってるっていうか、すげぇ、嫌な感じ……」
ブロウはわずかに眉をひそめる。彼は魔法が使えないが、内なる魔力はイレイスとほぼ同じ。
そのせいか魔力の異変が異常なほど感じやすく、端的に言うと危機察知能力が獣並みの性能をもっているのだ。
「そう、か……中の人は無事なのだろうかねぇ」
「……怖い事言うなよ」
最近静かであった。その言葉に嘘はないだろう。いまこうして歩いている城内も、しんと静まり返っている。
マーガリンもバターもそれに気が付いているようで、どことなく緊張しているのが前から感じ取れた。
すこし歩くと、大きな扉にあたる。バターは一歩前に出ると、扉を開いた。
「ラード王。ただ今マーガリン姫をお連れしてお戻りいたしました」
「……そうか、よくやった。して、妹はどこに?」
扉の向こうで、国の王様でありマーガリンの実の兄であるラードがいるのだろう。
声は『王様』にしては少し若いような雰囲気があるが、妙な威圧感を持っている。
「すぐ後ろに」
バターが扉を開き、マーガリンを招き入れる。それと同時に、イレイスとブロウも後についてそっと入るのであった。
中は、よくある謁見室と行った様な雰囲気で、長い部屋の端に王座があり、そこにラードは座っていたようだ。ラードと思われる人間は王座から立ち、その手には深い琥珀色をした大きな水晶が着いた黄金色のステッキを手にしていた。
「……後ろの者は?」
向こうから見ればイレイスとブロウはいきなりやってきた不審者なので警戒心を抱くのも当然だろう。ラードは二人に対して冷たい視線を送る。
「彼らは、私に協力していただいる方たちです」
「……協力、だと?」
ラードの相貌が険しく光る。マーガリンはそんなラードをキッと睨みつけていた。
「はい。兄様、私はバターからすべてを聞きました。そんな兄を私は許しません!
 この国に伝わる、それなりに願いをかなえる財宝を手にしたこと、そして……それを使って、他国に攻め入ろうとしている事も!」
マーガリンが叫ぶ。ラードは驚くことなく、ただ長く息をひとつ吐いただけであった。
「それがどうした?マーガリン、お前だって前王子が居なくなり、あの国に追放されたいわば被害者だ。なぜ今、そうやって否定する?」
「兄様それは間違いなのです!私は自分で選んで此処に戻ったのです!私は決してかの国を憎んでいません!」
マーガリンの言葉を最後に、会話が途切れる。ラードはマーガリンの事をじっと見つめて動かない。イレイスとブロウもまた、ラードの事を見つめていた。
沈黙だけが場を支配する中、バターが口を開く。
「お言葉ですが、王様。姫様の仰っていることは、全くの事実でございます。
 王子がなくなられても、姫様は姫様であられました。国民も誰も責めることなく―…」
「そうか」
バターの発言は、ラードによって止められる。ラードは全くの無表情であった。
先ほどまであった警戒心に二人を見てくるような感情はみられず、逆にうすら寒いものを感じるほどであった。
「そうか、わかった。妹は、私を気遣っているのだな。確かに策を練らずかの国に攻め入ればこちらも無事ではすむまい。
 財宝の力とて、その眼で見ていぬのだから心配になってしまうのも、うなずけよう」
「ラード王!違いま―……」
「貴様、誰に物を言っている!跪け!」
バターが言い切るその前にラードの針の用な鋭い声が響き渡る。
「――ッ!?」
直後、ブロウはしゃがみこんでいた。いや―…彼の言葉通り跪かされたのだ。自分だけではない。バターも、マーガリンも、そして、イレイスでさえも。
何が起こったのかまったくわからない。立ち上がろうとしても、体がそれを拒否するのだ。
「ほら、マーガリン見てごらん?これがその財宝。『願いをそれなりに叶える』ものだよ。
 今は『それなり』だけど、マーガリンが協力してくれたらもっと素晴らしいものになる」
ラードは跪いたままのマーガリンの傍で膝を折り、手にしているステッキを見せる。
マーガリンはまるで恐ろしいものを見るかのように、そのステッキを手にしていた。
「兄様……おやめください。民も、私も争いなど望んでいません」
「……だったら、またこのようなことを繰り返せと?他国の援助を受けなければ民を守れない。
 私やマーガリンがまた結婚して子供が出来たとしよう、マーガリンは、将来来たる息子や娘を再び私たちのような目にあわせてよいと?」
「それ……は……」
マーガリンはラードの言葉に否定できなかった。
ステッキの持つ力ではない。自分が他国に嫁がなくてはいけないと知ったとき、自分もまた深く悲しんだのだ。今でこそ幸せだと言えるが、その前のショックは、のちに継いでゆくものではない。それを実体験してきているだけに、声を上げて否定できない。
「―…自国が貧乏だから他国の物を奪い取る、か。いや実に結構じゃないか。なんならそこらの賊でも紹介しようか?」
そう皮肉めいた言葉を発したのは、イレイスであった。立ち上がり、にやりと口角を吊り上げた不敵な笑みでラードを見つめている。
「どこの馬の骨か知らんが……不快だ。『ひれ伏せ』
ラードが冷たく言い放つと、琥珀色の水晶がわずかに煌めいた。
先程跪かせたのとまったく同じ原理なのだろう。だが、イレイスはピクリとも動かず、その笑みを絶やさない。
「お断りだ。賊もどきごときにこの私が指図できると思うなよ」
「……な、なんで兄貴無事なんだよ……」
その近くに居たブロウはモロに余波を食らったらしく五体投地で床にひれ伏していた。
傍から見ると黒いわんこが伏せているように見える。
「うわぁ……お前何寝てんの……こんな状況で……引くわー……」
「兄貴が下手に挑発するからだろうがッ!」
ドン引きする表情を浮かべるイレイスに、ブロウは体を起こして突っ込みを入れる。
「ほら、動けるだろ」
「え……あ゛」
イレイスの声に、ブロウは自分が立ち上がれたことを自覚する。
どういう事かイマイチわからず首を傾げるブロウに、ラードは二人を何の感情もなく見つめているばかりだ。
「言霊の持つ力を増幅することによって他人を従わせることができる財宝、ね。
 確かに脅威ではあるが、コツさえつかめば抵抗できる……些かパワー不足のように見えるが」
「……」
「これは私の仮定だがね。本来は、『人の願いをかなえる財宝』であったのだろう。
 恐らく「それなり」なんていう部分は後付―…十二代目の王が封印したといえる部分からその尾びれが付いたとみえる」
「なぜ、そう思う?」
「ここは元々農業で食いながら得ていた町だ。財宝が無くなったら大体どうなってもおかしくないと考えるだろう。
 大概、封印やらそういう場合は複数に分けるなりなんなりするからな。そしてそのキーアイテムは、マーガリン。お前のネックレスとみた」
イレイスが指を指した方向には、マーガリンの首にかかっている真っ赤な宝石があった。
窓から入った太陽の光に煌めいて、赤い色をきつくしながら彼女の首に大人しく収まっていた。
「私の……ネックレス……」
「ふ……ふははっ、そこまで解っているのか。そうさ。封印した王が恐れたのは、自国以外の者に財宝が手に渡る事だ。
 だから、核となりうる宝石を取り除き、媒体だけを封印した。そして宝石だけは王家に代々伝わるものとして正式な『宝』としたのだよ……」
ゆっくりと、ラードがマーガリンに近づく。
それよりも先に、ブロウがさっと剣を抜きラードへと駆け寄ろうとする。しかし―…
「バター。要らぬ者が侵入している。始末しておけ」
「なっ!」
ラードがそういうと、再び琥珀色の水晶が煌めき、ブロウの前にバターが立ちはだかる。
その両手には、幾本もの針が握られていた。
「申し訳ありません、ブロウ様―…」
その表情には張り付いたような申し訳なさが見えた。感情さえも操られてしまうのだろうか。
そして数瞬のうちに、握られていた針がすべてブロウの方へと投げられる。
「くそっ!!」
ブロウは咄嗟にその場から後退していく。進行方向に添うように針が床に刺さっていく。
そうしている間にも、ラードはマーガリンとの距離を詰めていた。
「兄貴!なんとか――」
「しちゃっていいのか?」
ばっとブロウが振り返った先には、満面の笑みを浮かべるイレイス。
その瞬間、ブロウの背筋に冷たいものが走ったのだ。これはとてもいけないことを頼んだ気がするぞと。そして次の瞬間に、
「やっぱナシで!」
と声を荒げてバターに挑むしかなかったのであった。
「っていうか、『抵抗』って誰にでもできるんじゃないのかよ!?」
「……私達がノリでできるのは相手に『反抗心』しかないからだ。バターのように忠誠を多少なりとも誓っている人間には不可能だろうな」
イレイスはそういいながら、小さく呪文を詠唱していく。
「お前はそっちを頼んだ」
「……は?」
イレイスの視線は真っ直ぐに向けられている。その先は、マーガリンとラードが対面していた。
「さあ、マーガリン、いい子だ。『そのネックレスを渡しなさい』」
「――ッ!!」
びくり、とマーガリンの肩が震えたかと思うとゆっくりとネックレスを首から外していく。
「わ、私は……」
うわごとのように繰り返しながら、首を振りながらもその手は意志とは逆にネックレスを兄の方へと差し出していく。
「ふふ、ありがとう」
ついにラードの手に、ネックレスが渡る。
「さあ、見たまえ――王の宝の、完成だ!」
「駄目、お兄様!!」
『動くな』
立ち上がりかけたマーガリンを、ラードの言葉がしばりつける。
ラードは不敵に笑いながら、ネックレスから石を外し、そして宝玉のくぼみにはめたのだった。
「止めたいのなら――飛び掛かれッ!」
鋭い声があげたのは、イレイス。
マーガリンはそれに反応するかのように、ラードに飛び掛かる。
驚いたのは、襲い掛かったマーガリンと、そして彼女が動けるはずがないと思ったラード、さらにはバターまでもがその光景に一瞬目を奪われた。
「ゴメンっ!」
ブロウが始めにそのスキを狙ってバターに思いっきり体当たりをかました。バターは吹き飛ばされるように転がっていく。
そしてほぼ同時、イレイスの詠唱が完了したようで指がパチリとならされる。
その瞬間、彼の指から稲妻が生まれ、ラードに襲い掛かったのだった。
「な――ッ!?」
腕を射抜かれた彼の手から、ステッキが零れ落ちる。
マーガリンとラードが、同時に手を伸ばす。
「マーガリン!望みを叫ぶんだ!」
何故かそうしなければいけないような気がして、ブロウが声を張り上げた。
ステッキにわずかにマーガリンの指が触れるのと彼女が願いを叫ぶのはほぼ同時だった。

『止めて!』

パニックになった頭で彼女が叫んだのは、たった三文字。
だが、それでも、それだけでも、十分すぎる威力はあった。むしろ、シンプルだったからこそなのかもしれないが。

「……おお」
先ず声を上げたのは、イレイスだった。その体は、完全にしりもちをついて座り込んでいる。ブロウも、ラードも同様にそうなっていた。
唯ひとり、マーガリンだけがステッキを持ちその場に立ち尽くしている。
「な、なんだ……これ……」
ブロウが戸惑いの声を上げる。というのも、全く体に力が入らないのだ。
剣は手から零れ落ち、足腰に力は入らず、立つことすらままならない。
「なるほど、これが財宝の真の力というわけか」
それはイレイスも同じなのだろう。困ったように、しかしどこか満足げな笑みを浮かべていた。
「……お兄様、戦争などという考え方はおやめくださいませ」
「ああ、止めよう、今すぐやめよう。私のすべてに誓う」
マーガリンがじっと見つめて言うと、ラードはただこくこくとうなずくだけだ。誰が見ても解るように明らかに様子がおかしいのである。
「お兄様?」
「なんだマーガリン。どうした、財宝を手に入れたのだろう。お前の言うとおり戦争は止める、だからそれを寄越しなさい」
戦争を止めるという言葉には、どこか嘘が感じられなかった。
それでも、財宝を欲しがる姿は何処となく矛盾したようにさえ見えた。
「お兄様、私は!!」
「マーガリン、ストップ」
次の句を喋ろうとしたマーガリンを、座りっぱなしのイレイスが静止をかける。
「イレイスさん……」
「いいか、それ以上喋るな、私に何も願うな」
何か言おうとしたらしいマーガリンがぱっと口を押える。
「それがそれの真の力だ。『手にした者の望みをかなえてくれる財宝』のな。
 言霊の力を高め、相手の要求を確実にするアイテム。それこそ、性格を捻じ曲げるほどに」
「…………」
その意味を捕えたマーガリンの顔色がさあっと青くなった。そしてイレイスは喉の奥で笑う。とても興味深いものを見たかのように。ステッキを持つ者とは対照的ともとれるほどその表情に、怖れの色は無かった。
「お前がたった一言兄に向けて『昔の様な兄に戻れ』と言えばお前の望みは叶い、すべて終わる」
「兄貴、それは……」
イレイスの言葉にブロウが嫌な顔を浮かべる。
いくら良い事とは言えても、無理矢理中身を変えてしまうような事を許されるとはとても思わなかったからだ。
「決めるのは私たちではない。彼女だ」
マーガリンは困ったように押し黙る。表情がすっかり険しくなってしまった兄と、手にもつステッキを見比べた。
望んでしまえば一瞬で叶うのだろう。ラードはそんなマーガリンを何も言わずに見ていた。
「……お兄様」
「…………」
マーガリンは静かに目を閉じる。一度深呼吸したかと思うと、目を開けた。
その瞳は、何かを決意したようなものが宿っている。
「私が良いというまで、動かないでください」
「――っ」
ラードの体がぴしりと固まる。マーガリンは迷うことなくステッキの石に手をかけ、取り外した。
そしてイレイスに歩み寄り、座ったままの彼に視線を合わせるようにしゃがむ。
「その状態なら、喋っても大丈夫だ」
「――ありがとうございます。まず、これが報酬です」
「マーガリン!」
紅い宝石をイレイスの手に握らせるマーガリンに、顔を青くしたラードが叫ぶ。
「良いのか」
「初めからその約束でしたでしょう。私は、決めたんです」
「そうか。なら、受け取ろうか」
イレイスは口の端をゆがめて笑い、紅い宝石を受け取った。
「お兄様、あの日の事を覚えていますか」
くるりとマーガリンは振り返る。ラードは、そんな彼女をじっと見つめることしかできない。
「私が、他国に嫁ぐことになった日です」
「…………」
ラードの視線が泳ぐ。どうやら、忘れているという風ではないらしい。
「お兄様は言いましたね、『皆が豊かに暮らせる国を作って私を迎えに行く』と。その約束をお忘れになられたわけではないでしょう」
「……ああ」
「だから、作りましょう。私と。何年かかるかわからない、もしかしたら何代もかかるかもしれません。
 ですが、国という器がある限り、豊かに暮らせるように望んで前に進むことは無意味ではないのです」
マーガリンは、ラードの手を静かに握りしめる。ラードは言葉こそなかったが、確かに手を握り返していたのだった。
「ブロウ、立て」
「えっ!?お、あ、た、立てる」
イレイスの急な言葉にブロウは自分の体に力が入る事を確認した。
先程までは指先すらわずかに動かせなかったのだが、石とステッキが離れたところで効力が無くなってきたのだろうか。
「ブロウさん、イレイスさん、今一度礼を言わせていただきます。
 あなた方でなければ、きっと私はこう考えられませんでしたし、こう上手くいかなかったでしょう」
深々とマーガリンが頭を下げる。
「いや、気にするな。報酬もきっちりもらえたしな」
「そうそう、大変なのはこれからだろ」
「……そうですね。私は、お兄様とこの国をもっと良くして見せます。
 その石を、約束の証として。また、再びこの国にいらっしゃったときは、最上の御持て成しをさせていただきますよ」
「うん、期待しておくよ」
マーガリンとブロウが、固い握手をする。
イレイスはゆっくりと歩きだし、部屋の外へ出るための扉を手にかけ、出ていく。
「……すみません、マーガリン様。私としたことが、大したお力になれず……」
その後ろでようやく立ち上がったのはバターだった。従者だったから、効力が消えるのも遅かったのだろう。
「いいえ、バター。貴方にはこれからやってもらう事がたくさんありますもの。ねえ、お兄様」
「…………。ああ、そうだな」
静かな城の中、マーガリンはもう一度だけ振り返って。
「さようなら、英雄様」
小さく誰にも聞こえない声で、つぶやくのだった。


『約束とさよなら』 おしまい。


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