仕えるもの。

レネシー山脈くらいのはなし。

「―…今日はそろそろ、キャンプにしましょうか。」
先頭を進んでいたデュランが足を止め、そう言った。
もう、あと数刻も経たないうちに日が落ちる時間帯なので、誰も反対の声は上がらなかった。

王国軍は、険しい山の中を行軍していた。
つい数日前まで山賊とやりあったせいか、軍内に口数はほとんど無く、どこか疲れきった様子が見える。
ここ数日全く休みを取らずに前進しているから当然なのだが。
それでも、不平不満が出ないのは自分達が置かれている状況があまりにもギリギリで、後に引くことができないということがわかりきっているからだろう。


「やっぱ士気が下がってんなー…」
キャンプの準備が8割ほど済んだ頃、周囲を見回しミラノが呟いた。
自称盗賊王は多数の手下を従えた経験が活きているのか、今の状況に問題あるということがわかっている。
その表情は何時もの皆を励ますためのものではなく、少し真剣みが帯びている。
「ええ。やはり山脈という厳しい場所ですからね。」
ごつごつとした地形では夜の休息も十分に取れはしない。
おまけに、明朝は早くただ歩き続ける日々だ。終わりがあるとはいえ、長くは持たないだろう。
「いっそ休みでも取っちまうか?」
「この場所で、ですか?」
ミラノの提案に、デュランはわずかに顔をしかめる。
確かに、翌日行軍をやめて一日停止してもなんの問題も無い。
排除すべき山賊は消したし、他の敵が現れる気配は今のところ無いのだから、止める理由は1つのみ。
だが、その一つが問題なのだ。
「でも、私はそうするべきかと思います。」
何時から話を聞いていたのだろう。ユグドラが二人の話に割り込むように言った。
「皆さん、疲れていますし……それに、この場所ならミラノの子分さんが少し見張りをするだけで大丈夫だと思うんです。」
ふむ、とデュランがユグドラの意見に考え込む。
もちろん、騎士である自分に姫の意見を反対するなど考えられないのだが。
「ユグドラが言ったんなら、それで決まりだろ。で、アイツは何処行った?」
ミラノが、きょろきょろと周囲に視線を這わせる。
此処に足りない、もう一人の人物を探しているのだ。
「ロズウェル殿ならば、ご自身のキャンプ地におらっしゃるかと思いますが。」
2,3週間ほど前、ヴァーレンヒルズで新しく仲間になった死霊使い。
アンク、という魔動機をめぐって色々ごたごたがあり、結局帝国に盗られたのでそれを取り戻すために、王国軍に同行している人物だ。
彼は敵は同じだけども、目的は違うからなのか、王国軍とはすぐ傍なものの分かれてキャンプをとっていた。
「では、デュラン、ロズウェルさんに連絡お願いできますか?」
ユグドラが、デュランに命をだす。デュランは一つうなづくと、黒薔薇軍のキャンプに走り出した。



「まあ、懸命な判断だな。」
全ての顛末を聞いて、目の前に立つ男―…ロズウェルはそう言った。
「ええ、質問はありますか?」
「いや、ない。」
短く答えて、ロズウェルは息を吐いた。
「―…ひどいものだろう。」
立ち去ろうかと考えたとき、むこうが再び会話を切り出した。
デュランは一体何のことだかわからず、返答に困っていると、ロズウェルは再び口を開いた。
「我が軍の事だ。」
そうはっきりと明言して、デュランはようやくああ、と心の中でうなづいた。
というのも、ロズウェル引きいる黒薔薇軍は、死霊使いという職業上の特性か、全員が疲弊していた。
行軍途中、疲労で意識が飛んでいる人間も珍しくないほどだった。
それでも、総帥たる彼には疲れの色が一片たりとも見えないのがさすがと言ったところだろうか。
「仕方がありませんよ。デスクワーク専門がいきなり山越えですから。不慣れなんでしょう。」
「そうだ、な……そうなるだろうとわかっていて、連れて来てしまったから私の責任だ。」
自身を嘲笑するように、ロズウェルが言ったので、デュランは少し目を丸くした。
なぜなら、プライドが天より高そうな印象を受けていたので、自分で自分を辱めるなどしないと、自身の心の中で決め付けていたからだ。
「……いかんな。どうにも愚痴っぽくなってしまった。すまない。」
デュランが何一つとして言葉を発しなかったのでロズウェルは早々に会話を切り上げた。
そうして、踵を返しロズウェルは複数あるうちの一つのテントの中に入っていく。
デュランはその背中に、自分だからこそ言える何かを言わなければいけないような使命感を感じたが、
すぐにその使命感は自分の中で疑問符をもって戻ってきたので、立ち尽くすしかなかった。
だが、そうしている暇は無いことに気がつく。まだ自身の軍のキャンプの様子も見ていないし、何より姫様に報告しなければならない。
うっすらと糸のような細さの月明かりの下、デュランは頭を働かせながら歩く。


ヴァーレンヒルズの一見、彼が総帥としてどのような人物なのかとういうことをデュランは少し知りたかった。
下に居るものとして、上の人間は大きく分けて二つに分かれるだろう、と騎士としての自分は思う。
『命を掛けるにとる人物か否か』ということ。
正直、自分の中ではあまりロズウェルのポジションは高くなく、前者の問いかけをされると否と答える。
上に立つものとしては高慢がすぎるのではないか、そう感じていたことは肯定する。
だからこそ、今回ぽつりともらしたロズウェルの愚痴は、衝撃的だった。


「……デュラン、どうしたんですか?」
声を掛けられ、意識が現実に戻る。
すこしだけ視線を落とすとユグドラが心配そうな顔つきでコチラを見つめていた。
「どうしたと申されましても、どうもしておりませんが……」
まあ、確かに少しだけ考え込んでいたのは否定しない。
それでも、ユグドラ自ら声を掛けられるほど顔に出ていたのかと思うと、少しだけ恥ずかしい。
「なら、いいのですが……で、ロズウェルさんはなんておっしゃられていましたか?」
「はい。了解したと一言。」
「そうですか、ありがとう。もう皆は先に休んだから、デュランもちゃんと休んでね。」
その言葉に、大分時間がたっていたことに気がつく。
そういえば、ロズウェルのところに言ったときは夜の帳が落ち始めた頃だった。
長話をしたつもりはないが、考え込みながら歩いていくうちに意外にも時は過ぎていたようだ。
「はい、心得ております。」
自分も十分に疲れていることなく、弱音をはかない目の前の少女。
その小さな両肩にはありえないほどのさまざまな重圧があるのにもかかわらず、和らげに微笑む。
その姿に、先程ロズウェルが浮かべた笑みとどこか重なって見えたのは、何故だろうか。
「それでは、姫様もお休みになられてくださいね。」
そういって、デュランは奇妙な違和感から逃げるようにユグドラのテントから離れる。
周囲には、2,3人の護衛もついているので、目くじら立てて見張ることもないだろう。
それに、今は敵戦地の真っ只中ではなく、険しいとはいえ穏やかな山の中なのだから。



翌日。
本日は休息をとるということで、周囲は和やかな空気が流れていた。
王国軍や盗賊の人間達が互いに会話を交わしている。
その中にはミラノやユグドラの姿も、もちろん見受けられたのだがそこに彼の姿は無かった。

夜、少しだけ考えてみた。
何故、彼は自分達と少しだけ離れた場所で行動するのか。
何故、彼はあまり自分達の前に表れようとしないのだろうか。
初めは自分が言うのもなんだが、高い塀のようなくだらない誇りのせいだと思っていたが、少し違う。

それに、何故あの時。

自分は姫様の笑みに彼の影が見えたのか。

次々と沸く疑問。
気になりだしたら止まらないのは、おそらく性分で。
気がついたら、少しだけ離れた黒薔薇軍のキャンプ地まで来ていた。


「静か、だな……」
がらりと変わった空気に、思わずデュランは呟いていた。
ほんの数メートルしか離れていないのに、風が吹く音が聞こえるほど静寂に包まれていた。
テントの入り口はすべてぴったりと閉じられており、開く気配は全く無い。
確かにまだ朝は早いし、何時もの時間とくらべると1〜2時間ほどしか変わらないのだから、まだ夢の中なのかもしれない。
まるでゴーストタウンさながらの雰囲気に、身震いしかけたその時だった。
「ええっと、デュランさん、でしたよね?」
くるりと振り返ると、黒薔薇軍の死霊使いの一人が立っていた。
もちろん、デュランは彼の名前は知らない。ただ、男の衣装からそうであるということが漠然とわかっただけだ。
「総帥になにかご用事でしょうか?」
戸惑いの視線を浮かべながら、男はデュランを見つめている。
「あ……いえ。少しお時間よろしければお話でもと、歩みを進めてきただけですから。」
嘘は無い。
彼に聞いたところで全ての疑問が解決するなど到底思えない――
最も、彼に聞くことが失礼に値するような気がするので、問いかけることすら自分にはままないだろうが。
それでも、もっと多くの言葉を交わしてみたいというのは、本音だった。
「そうですか……でも、残念ながら総帥はお休みになられているようなので、また次の機会にしていただけませんか?」
「……そう、ですか。」
死霊使いの言葉に出た言葉は、自分でもわかるほど落胆していた。
多分、これは顔に出ている。そう、自分でも直感できるほどに。
視線を前に向けると、死霊使いは先程よりも戸惑いの色が大きくなっていた。
「あっ、あ……すいません、ほ、本当、わた、私一人で決定していいとは思っておりませんが、
 総帥がこの時間までお休みになられているのは珍しくて、その、えっと、すいません……」
もともと、あまり他人とのコミュニケーションを得意としていないのだろう。
言葉もままならずぺこぺこと頭を下げる死霊使い。
語尾もなんだか、小さくなっている。
しかしデュランは、彼の言葉の中に少しだけ気になる点があった。
「いえ、こちらこそ勝手に足を運んできただけですのでどうかお気になさらないでください。それより、無礼を承知でお聞きしますが、珍しい、とは……?」
「あ、っはい、ええと、総帥は、本当は王国軍に入るときも軍勢をつけるつもりはなくて……自分の積だと……
 たったお一人で敵地に向かおうとしていらっしゃったんです……流石にそれは立場がなくなるんじゃないかって、
 一部は付けさせていただくようにご説得いたしたんで すけれども……そ、それで、総帥はすこしでもこちらの負担を減らそうと、
 誰よりも早く起きてキャンプの片づけを行ったり、行軍中も時折魔法で皆の体力を回復させ たり、ずっと働きっぱなしでして、その……ぅ……」
聞かれたことと、関係の無い、いや、それよりもたくさんの事を答えていることに死霊使いは気がついたのか、
語尾がどんどんと小さくなっていき、最終的には黙り込んでしまった。
デュランも、同時に黙り込む。
二人の間に、しばしの静寂が流れた。
「……そうですか。貴重なご意見、ありがとうございます。」
そう、頭を軽く下げたのはデュランだった。
そして、その話が本当ならば彼のテントの前でこれ以上立ち話していると彼らの心意気が無駄になってしまうだろう。
静寂につつまれていたのは、きっと一分一秒でも長く休ませるため。
デュランは礼をいって、王国軍に戻ろうとしたとき、死霊使いが再び声を上げた。
「あ、あのぅ、すいません、今夜も、総帥に伝言とか、しますよね?」
「……はい、おそらくは。明日の日程を話し合うかと思いますけれども。」
「で、では、お、お伝い願えませんでしょうか?『もう少しご自身も顧みてくださいませんか』と。」
デュランは、その死霊使いが―…いや、死霊使い全員がだろう。
総帥のことを、どれだけ心から慕っているのかがわかった気がして、思わず顔がほころんだ。
「あっ、あっ、えっと、総帥は、どれだけ私達がそういっても、はぐらかすばかりでして、その……」
死霊使いは、あわてて自分の行動に理由を話し出す。
デュランには、それがとてもすばらしく見えた。
同じような立場の者として、上の者を純粋に慕えるというのは、見ていてとても気持ちの良いものだから。
「わかりました。確かにお伝えいたします。」
そうして、再び王国軍へのキャンプへと戻る。
何一つとして、疑問は解決しなかった。
しかしそれよりも、もっと根本的にあるところが垣間見えたような気がして、デュランの心は思いのほかすっきりとしていた。



結局、彼ともう一度会うことになるのは、その日の夕方だった。
今後の日程を軽く打ち合わせるので、長話になるだろうと、少し大きなテントの中に招き入れられた。
簡易テーブルを囲み、お互いに対面して座る。
「日程については異存はない。他に何か伝言はあるのか?」
何時もと変わらぬ口調で、ロズウェルが告げる。
「はい。死霊使いさんから伝言です。『もう少しご自分も顧みてくださいませんか』と。」
「……は?」
笑顔でそう『伝言』すると、めずらしくロズウェルの顔が一瞬呆気にとられたものになった。
思いのほかそれがおかしくって、デュランは笑い声を上げそうになるのを必死で止める。
「いえ、本日少し話をさせていただく機会があったものですから。その時に伝えるよう頼まれたものです。」
「……それは何時の話だ?」
ロズウェルの口から出た言葉は若干冷たい響きがあったが、怒りの色は無い。
「今朝ですけれども。」
そうきっぱりと答えたデュランに、ロズウェルの顔は引きつり、やがてため息をひとつ吐いた。
デュランは、言葉を続けていく。
「死霊使いの方からお聞きしました。ずいぶん良き総帥だったのですね。」
「……人の寝ている間に噂話とは……結構なご身分だな、騎士というものも。」
ロズウェルの顔には、次第に苦笑めいたものが浮かんでいて。
すこしだけ、声を上げて二人で笑った。
「今朝、いや、朝ではないな。起きたら昼も半ば過ぎていた。」
そう、ロズウェルは独白するように言葉をつむいでいく。
「それなりに物音が立っているはずなのに、最低限立てないように過ごされていた。迂闊だった。」
そうして、椅子に座ったまま天を仰ぐ。
もちろんテントの中なので、夜の空が見えるわけでもなく、つるされたランプが目に入るばかりなのだが。
「……ロズウェル殿、疑問だったことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
今なら聞ける、そうデュランは確信していた。
ロズウェルは視線を彼に戻し、言ってみるように促す。
「どうして王国軍とは少しだけ距離を置かれるのですか?」
行軍中も少し後ろを歩き、休憩中も決して交わることが無い。
まだ1月もたっていないのだから親交などなくて不思議ではないと思うが、これはいくらなんでも歩まなさ過ぎではないだろうか。
そんな杞憂が、デュランにはあった。
ロズウェルは、周囲の空気を変えるように息を吐く。そして、答える。
「死霊使いは―…確かに呼び出すのはスケルトンだが―…それは確かに、人であった者だ。
 ただの浮浪者ならまだしも、それが誰かにとっては友人、家族、愛するものなど大切な者かもしれない。
 その事に誰かが気づき、恐れぬとも限らぬだろう?そうなってしまえば、黒薔薇軍は終わりだ。
 私だけが罰せられるのならまだいい。だが、彼らは。国を賭して戦った結果がそれでは―…むごすぎるだろう?」
その言葉は、ある種の衝撃をデュランに与えた。
よもや、ここまで下々のことを考える統帥者が居たのだろうかと、考えさせるほどに。
初めから距離をとっていれば、その事実には気がつかない。傍目にはただどこからかスケルトンが現れているようにしか見えないからだ。
だが、その類は全て『不死者』という3文字でくくられてしまう。
死せることが出来ぬ者。そんな者を容易に扱うことの出来る魔術。そしてその技術の最高峰に居るのは、おそらく目の前で座っている人物だ。
「……などと、こうして容易く口にするものではないな。」
黙り込んでしまったデュランに、ロズウェルは話を切り上げる。
これでは、昨日の二の舞だ。その轍を踏まないと決めたわけではもちろんない。
しかし、こうして離してくれたということは、少なからずとも自分に多少の信頼は置いてくれている、その証ではないかと思った。
「いえ……本当に、良き総帥かと思われます。」
穏やかに、デュランは口にする。
思ったことを本心のまま、言葉にする。
ロズウェルは、2,3度目をしばたかせた後に、彼と同じような笑みを浮かべた。
「そういって貰えると助かる。第三者の意見は、常に必要だからな。」
「しかし、取り入れてくれなくては意味が無いでしょう?」
少しだけ皮肉めいたデュランの口調に、ロズウェルは笑った。


それから、数度言葉を返してから、デュランは別れの言葉もそこそこに外を歩いていた。
明日も行軍するのだし、いくら昼過ぎまで眠っていたとしても彼にはまだまだ休息が必要なのだろう。
もう、高慢だとかプライド高いだとか、その気持ちはなくなっていた。
なぜなら、彼がそういう態度をとることは、あの死霊使いを見ている限りに絶対必要なものだと思えたからだ。



微笑の影に奇妙な違和感を感じることがある。
姫様が見せたあの笑顔。先日ロズウェル自身がみせた嘲笑。
全て結びつくのは、下の者への配慮や心遣い。己を消してまでも―…いや、一番に己を犠牲にするからこそ、ついてくるのだろう。
だからこそ、だろうか。だから自分は『命を掛けて守ろう』と思うのだろうか。

それは多分、『仕える者』として次第についた、察知能力みたいなものだろう。
ならば、私は未来永劫、その能力に裏切らないようにすればいいだけだ。

それが、『仕える』という事なのだから。



仕えるもの Fin




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