Read me!
「じゃあ、今日は此処までだ。」
キールが言うと、ティルクがペンを置く。そしてパタンと教科書を閉じて、教材を片付ける。
文字が読めないと知って、教えだしてから一月ほど経った。
まだまだ難しい慣用句は手が届かないが、ひらがなや簡単な単語は読めるようになっていた。
「ありがとうございました。」
ぺこりとティルクが頭を下げる。
「……そろそろ一つ課題を出しておこうと思ったんだ。」
キールの言葉に、ティルクは首をかしげた。キールはごそごそと机を漁り、一枚の便箋と封筒を取り出す。
元々大学でも使えるものを選んでいるのか、白地無地のそれはいたってシンプルだ。
「手紙は知ってるだろ?」
こくり、ティルクはうなずく。
「お前にそれを書いてもらう。ああ、出すのは誰でも良い。お前が考えて、書いたものを誰かに見せて感想か返事を貰って来い。いいな。」
もう一度、ティルクはうなずこうとして、動きが止まった。
「手紙は、何を書くものですか?」
「何でも良い。まあ、お前だから何を書いても大丈夫だろ。わからなかったら、他の人にでも聞いてみるんだな。」
こくり、とティルクはうなずいた。そして便箋と封筒を丸めてしまわないように持つと、部屋を後にするのだった。
先ずティルクが見つけたのは甲板で洗濯物をしまっていたカノンノだった。
カノンノも直ぐにティルクを見つけたらしく、ぱっとこちらに駆けて来る。
「ティルク、どうしたの?」
「カノンノ、手紙はどうやって書けば良いですか?」
ティルクの質問に、カノンノはうーんとその場で悩む。そして、ぽんと一つ手をたたいた。
「手紙はね、出す人のことを思って書けば良いと思うの。何を伝えたいか、その人を思えばきっと出てくると思うよ!」
「出す人のことを、思うですか……」
ふむふむ、と納得したようにティルクはうなずく。
カノンノは頑張ってね、とティルクに言うと洗濯物と格闘を再開した。
次にティルクが見つけたのは、廊下の角に立っていたクラトス。
クラトスもこちらを見つけたらしく、顔を向ける。
「どうした、ティルク。」
「クラトスさん、手紙はどうやって書けばいいですか?」
ティルクの質問にクラトスは訝しげな顔をする。
しかしティルクの手にしているシンプルな便箋と封筒を見て、内心で納得したようだった。
「文面は、あまり多くのことを書くべきではない。本当に伝えたいことを簡潔に書けば良いと……私は思うがね。」
「……簡潔に、ですか……」
ふむふむ、と納得したようにティルクはうなずく。
クラトスはぽんと肩を叩くと、廊下の奥へと歩いていった。
次にティルクが見つけたのは、ショップの中で商品を見比べているゼロス。
ゼロスもこちらを見つけたらしく、よう、と手を軽く上げた。
「ティールク、どうしたんだよ〜?」
「ゼロスさん、手紙はどうやって書けばいいですか?」
ティルクの質問にゼロスは『ははあ』と声を上げた。そしてにやりと何か面白いものを見つけたかのように笑う。
「そりゃー、お前。相手が好きだーって書くにきまってるだろー?どれだけ多くの愛を伝えられるかで手紙っつーのは決まるんだからよー!」
「……愛を伝える、ですか……」
ふむふむと、納得したようにティルクはうなずく。
ゼロスは『お前もスミにおけねぇなぁ』と軽口を言った。
「ええと、手紙は、基本的に何を書いても良いけど、相手を想いながら簡潔に愛を伝えたほうがいいんですね。」
キールと、カノンノと、クラトスと、ゼロスの意見をまとめるティルク。
すでにその方向性は間違いに走っているような気がしないでもないが、突っ込む人間は誰もいない。
ティルクは自分の部屋に帰ろうとして、はたと止まる。そう、誰に出せばいいのかが解らない。
「おやー?どうしたんですか?こんな所で立ち止まって。」
声を掛けられたので後ろを振り返ると、ジェイドが立っていた。
そうだ。とティルクは思う。何でも解っちゃうジェイドならば、自分の悩みも解決してくれるかもしれない。
「ジェイドさん、手紙を出すなら誰に出せばいいですか?」
「……手紙、ですか。」
ふむ、とジェイドは考える。直後、眼鏡が怪しくきらりと煌いたのだが、それはティルクにはわからない。
「そうですねー、普段あまり言葉を交わさない人はどうですか?あまり喋りたがらない人とか、ちょっと素直じゃない人とか沢山いらっしゃるでしょう。
そういう方に手紙を出してみるのも面白いかもしれませんね。」
「喋りたがらなくて、素直じゃない人……ですか。」
ふむふむとティルクはうなずく。
ジェイドはええ、と楽しそうにうなずいた。
夕暮れ。
ティルクは自分の部屋から出てきた。手紙を渡さなくてはならないからだ。
手にはきちんと封をした手紙。とことこと目的の人物を探しながら歩いて、見つける。
「アッシュ。」
名前を呼ぶ。不機嫌そうな顔が、くるりと振り返った。
「……何だ。」
「手紙を書きました。」
す、とティルクはアッシュに手紙を差し出す。アッシュは眉間にしわを寄せながらも、それを受け取る。
そしてその場でびり、と封を切り便箋を広げる。
―…世界は止まる。少なくとも、彼の中で。
「……アッシュ、感想か返事をください。」
きらきらさせながら、ティルクはアッシュを見る。
アッシュは口を開いて―…閉じて。開いて―…閉じる。そして、わなわなと肩を震わせ、息を大きく吸い込んだ。
夜。
甲板の上、ティルクはひとりしょげるようにして海を見つめていた。
ざん、ざざん、と波は静かに音を奏でている。
「……ティルク?どうしたんだ?」
ティルクの様子がおかしいと思ったガイは、声を掛けていた。
「今日、キールに言われて手紙を書きました。感想貰って来いって言われました。」
「ほぉ、なるほど。」
上手い事考えたな、とガイは普通に感心する。かれこれ一月弱ほどティルクはキールの元で学んでいる。
そろそろ何かしらの結果がティルクにも欲しいだろう。そこで、手紙。
自分で考えたことを書かせて、誰かに感想を貰う。確かに今後の学ぶ力にはなりそうだ。
「手紙、書いた事無かったから皆に聞いて、それから書きました。」
「ふんふん。それで?」
「アッシュに出したら、しこたま怒られました。」
どんなふうに怒られたのかわからないが、少し頭が緩めのティルクが本気でへこむほどだ。……相当、こってりしぼられたのだろう。
「……何を書いたんだ、一体……」
となると気になるのはそこだ。
生まれたてのディセンダーにそこまで本気出して切れたアッシュもどうかと思うが、
ティルクがコレでもかというくらい罵詈雑言でも書いていたのかもしれない。
「聞いたとおり、相手を想って、簡潔に、愛の言葉を伝えました。」
「……待て。どこをどうやったらそういうものになったんだ?」
ティルクの言葉に、ガイの思考は追いつかなかった。おもわず手をティルクに向けて、ちょっととまってもらう。
ええと、とティルクはその場で思い出すように首をひねり―…ことのあらましを簡単に語ってみせた。
キールに課題を出されてカノンノに話を聞いて、クラトスに聞いて、ゼロスに聞いて、最後にジェイドに話を聞いて、自分なりにまとめた……ようだ。
そこはかとなく『人選ミス』という言葉がガイの脳裏によぎったが、そこまで考えて行動できるディセンダーじゃない。
「うーん……まあ、簡単に言うと手紙って言うのも色々あるんだよ。」
ガイは全ての話を聞いて、そう切り出した。誰の答えが間違ってるとは言わない。むしろ全員正解だ。
カノンノは友達に出すような手紙の話をして。
クラトスは用件を伝える手紙の話をして。
ゼロスはラブレターの書き方を伝授して。
ジェイドの考え方は見知らぬ人のコミュニケーションとしての一歩としての提案だ。
要するに、全員考え方がバラバラだったのだ。
「でも、キールは基本的に何を書いても良いって言いました。」
そりゃ、ティルクが初心者で、余計なことを考えず書くことに意味を見いだせたかったからの言葉だろう。
よほどのことを書かない限り、そしてよほどの相手でもない限り、精神年齢10歳未満のお子様救世主にぶちきれるというギルド員はいない、はずだった。
「絶対旦那のせいだよなー……うん。」
こうなると解っていての提案に違いない、とガイは乾いた笑いを浮かべる。
知ってて厄介な人間に手紙が行くように手配した、としか考えられない。
「……ガイ。アッシュ、間違ったから怒ってました。」
などと考えていると、ティルクがこちらを見つめていた。その瞳は、珍しく落ち込んでいた。
「……謝ったら、アッシュ、許してくれますか?」
その頭を、わしわしとなでる。
ティルクは一瞬びっくりしたように眼を瞑るが、本当に一瞬だけだった。ガイは心配そうに顔を上げるティルクに、にっこりと微笑む。
「アッシュも口ではそう言ったけど其処まで怒ってないさ。」
そう、少なくともティルク相手には。
ガイが頭から手を離し、ティルクはこくんとうなずく。
「……うん、謝ります。ごめんなさいって、言ってきます。ガイ、ありがとう。」
ぺこ、とティルクが頭を下げる。
そして、甲板から船内へと降りていった。
「……謝るっていうか……誤り……だよ、なぁ……」
見えなくなった影に、ぽつりと呟く。
そして同時にガイは心配する。その、教育係のことを。
同時刻。ガイの心配は、的を得ていた。
キールが静かになった部屋でひとり本と格闘する。
相手は絶対なる知識、こちらは紙とペンと頭脳で戦う。どれだけ理解できて、自分のものに出来るか。
「さて―…」
戦闘開始の合図に一つ伸びをしたとき、後ろのドアが開いた。
またリッドか、とキールは苛立つ。ティルクは教え込んだら忘れないし、ファラはちゃんと一声かける。
「―…入るなら、」
キールは振り返りノックをしろといつも言ってるだろうが、と言いかけた。
だが、それは出来なかった。何故か。
「おい、教育係……」
そこに立っていたのはアッシュだったからだ。
しかもそれだけではない。絶対的な怒り―…所謂殺気を視覚的に訴えられそうなほど沸き立たせていたのだ。
例えるならば―…お湯に付けたドライアイスから沸き立つ二酸化炭素。ずっしりと重いその空気は、下へ下へと流れていく。
「アイツにどういう教育してんだぁあッ!!」
大また三歩でキールに近づき、椅子を蹴飛ばし、胸倉を掴んで経たせるアッシュ。
キールは小さく悲鳴を上げて、びくりと体を震わした。
「ま、待った、暴力は反対だぞ!?僕は普通に教えていただけだ!!」
「五月蝿い黙れ屑がッ!!変な事吹き込みやがって!!」
まさに取り付く島もない。今のアッシュの怒りは頂点ぶっちぎって成層圏まで突入している。
キールにゃ止められるどころかぶちのめされそうだ。というか現に、アッシュは思いっきり拳を握り締めてるわけだし。
「そもそも僕が一体何をしたんだ!ティルクには手紙を書くようにしか言ってないぞ!」
「―…!やっぱり手前ェのせいじゃねぇか!!」
キールが理由を述べるが、火に油を注ぐ―…いやむしろ炎に火薬を巻いたようなものだ。
溜まらずアッシュは握った拳を引く。キールはどうされるか一瞬にしてわかったらしく、ぎゅ、と眼をつぶった。
―その、瞬間。
「―…あ、っしゅ。」
何処か幼さを垣間見せる場違いな声が、部屋に響いた。
くるりと振り返るアッシュ。
其処に居たのはディセンダー。その表情は、驚きで彩られていた。
「……ティルク。」
気まずそうに、アッシュがディセンダーの名前を呼ぶ。
その光景は、何も知らないものが見たら―…いや、一部始終を知っていても、アッシュのやっている事は只の八つ当たり。
キールの胸倉を掴んで今にも殴りかかり―…いやいや殴ろうとしてました今現在進行形で。
「ご、ごめんなさい、アッシュ。」
ティルクが始めに、そう切り出した。
どんどんどんどん、その表情は驚きから悲しみへと変わっていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい、間違ったから、間違ったから、怒ってる、……ごめんなさい、アッシュ、ごめんなさい……」
涙を浮かべながらアッシュの引いた拳を掴み、切々と謝るティルク。
「だから、キール悪くないです。キールに痛い事しないでください。こっち、殴って良いから、だから、ごめんなさい……」
その場で滂沱し始めたティルク。おおっとアッシュ、流石の暴君でも動きが完全停止だ!!
凍る空気。気まずい静けさ。打ち破るように響いてきたのは、地獄へと手招きする使者の声。
「―……泣ーかした、泣ーかした。」
廊下の奥から声。そこから吹く風は絶対零度の冷たさ。
「―……泣ーかした、泣ーかした。」
響く足音、地獄の其処からでも響きそうな低い声。リズムはよくあるチープなものだが、普通に怖い。
「せーんせに、いうてやろ……」
―…こつり、こつり、こつり。
不規則な足音は、おおよそ三人分。
キールも廊下の奥を見る。アッシュも見る。ティルクはアッシュを見つめたままだった。
「……アッシュ、何をしているのかなー?」
にーっこりと、笑ったのは、カノンノ。
その左右にはまるで女王が下僕を従えるかのごとく歩く、クラトスとガイ。
三つの強力な眼光に気おされて、アッシュはそれだけで地獄が見える―…気がした。
「お、俺、は……」
やっとのことで声をひねり出す。しかし。グッと首元をカノンノにつかまれ、セネルもびっくりな投げで外に引っ張り出される。
ちなみにその衝撃でキールは開放され、その場に座り込む。
「言い訳は聞いてやろう。―…ただし、夢枕でな。」
ちゃきん、とクラトスが剣を抜く音。ちょ、ま、という音のような声が聞こえた。
「―…キール。もういいというまで、ちょっとティルクを此処に置いといてくれるかな。なぁに、なるべく騒がないようにするさ。」
ガイがナイスガイな笑みを浮かべてキールに手を振る。キールはわかった、とだけ告げると扉は閉められた。多分その顔は半笑いだ。
申し訳ないような顔をしながら、ティルクはキールの傍に座った。
「……キール、」
「いいから、ちょっとじっとしてろ。」
ぐず、と鼻声のティルクの耳を、キールは押さえる。さすがに精神衛生上教育に悪そうだ。
ティルクは一瞬不思議そうな顔を浮かべたが、そのまま言われたとおりにじっとしていた。
『今を越える力になるの!刻め、ラブビート!』
『気高き紅蓮の炎よ!燃え尽くせ!鳳凰天翔駆!』
『聖なる鎖に抗ってみせろ、シャイニング・バインド!!』
その瞬間、船はまるで某日曜アニメのエンディングに出てくる家のように揺れたそうな。
「……キール、間違ったから、痛いことされそうになりました。」
耳をふさがれながら、ティルクは言う。その表情は、泣きはらした顔とあいまって、重い。
「それはもういい。僕も―…あそこまでされたら怒る気にもならない。」
扉一枚向こうで起こっている惨劇を想像しながら、キールは深くため息をついた。
そしてとりあえずはこのまま頑張らないと明日は我が身の可能性は何処にも否定できず、乾いた笑いを浮かべるしかなかったとさ。
翌日。
「……昨日は悪かった。」
アッシュはすっかり憔悴した様子だった。
「アッシュ。」
そして紙を二つ折りにしたものを、ティルクに渡す。
「返事だ。……じゃあな。」
かつかつと、アッシュは歩き出す。
ティルクはぱたぱたと走り、アッシュのマントをぎゅっと握った。
ぴん、と引っ張られる感覚にアッシュはくるりと振り返る。
「ありがとう、お返事、嬉しいです!」
ぱあっと、花が咲くようにティルクは笑う。
アッシュはああ、とだけ言うと廊下の奥へ歩いていった。
オマケ。
「おや、アッシュに返事をもらったんですね?」
ジェイドがどこから出てきたのか、ティルクに話しかける。
ティルクはこくりとうなずく。
「何て返事を?」
ティルクはジェイドの言葉に促されたのか、ぴらりと手紙をめくる。
そこに書いてあった文字は、ほんの一言。
『ありがとう』
シンプルだったが、それが嬉しかったのか。
ティルクは上機嫌のようだ。
「―…ティルクは、何て手紙を書いたんです?」
「あいしてます。」
「……ああ、なるほど。」
ティルクの答えでジェイドは全てのことがわかったのだろう。
おかしくておかしくてたまらない―…というふうにくつくつと笑ったのだった。