あなすと! 薬師サモンの物語
本来は魔法に関連する問題をかたずける何でも屋のようなまねごと初めてみたら、それだけじゃ食っていけなかった。
咄嗟に始めた副業――……薬師として改めて店を始めたら、其方ばかりが軌道に乗った。
そして今日も、『薬師サモン』の店に客が来るのだろうと思ったら、俺は少しだけ憂鬱になってしまう。
最も、飯が食えてなおかつそれなりに生活に余裕が出来るのはありがたいのだが。
「――惚れ薬を作ってほしいんです」
今日の客である一人の青年は、いきなりそう言いだした。
お世辞にも鍛えたとは言い難い肉体に地味な服装から、近場の村人だろうと俺は察する。
しかしその言葉はどうにも穏やかな内容には見えない。小さな子供が言うのとでは訳が違うのだ。
「お金は勿論あります!ですから、お願いします!!」
俺が返答に詰まっていると、ばっと頭を勢いよく下げた。
余程何かあるのか、切羽つまっているらしい。
「悪いが、そういう類の物は扱っていない」
「じゃあ作ってください!!材料費だって準備します!!」
悲鳴のような声を上げながら、がし、とやや乱暴に肩を掴まれる。
俺は少しだけ眉をひそめただろう。
「残念ながら。作れないんだ」
この言葉は嘘である。作れないことは無い、が、とんでもなく面倒なのだ。
材料調達のそれもあるが、何より精神関与の薬品を安易に他者に売りつけると、その後始末に終われたりもする。
だから俺はこういう時はてっとり早く嘘をつくことにしていた。
「嘘だ!だってあなたここら辺で一番の薬師様じゃないですか!!作れないなんてわけないでしょう!」
「……本当だ。何の事情があるか知らんがそういった事まで薬に辞めておけ。取り返しがつかなくなるぞ」
あくまで感情的にどなりつけてくる青年に、俺は冷静に返す。
こういったことは淡々と受け流していくことが何より大事なのだ。此方まで感情的になってしまえば、泥沼にしかならない。
青年は諦められないのだろう。俺から手を離すことなく虚ろな目をしながらぶつぶつと呟きだしたのだ。
「どうして、どうしてそんな嘘つくんだ、俺にそこまで邪魔したいのか、金はあるって言ってるだろう。
っていうか金さえあれば何でもいいだろうあんたらはそれなのにそれなのに」
俺の顔を覗き込んで呪詛の様に言葉を紡ぎ続けるその顔が、俺が知っているこの世の何よりも醜悪な魔物に見えた。
「手を離さないか」
そう言ってみるが、青年は手を離さない。
ずっとよくわからない妄言を呟いているだけだ。埒が明かない。
仕方がない。頭を少し冷やしてもらおう。俺は魔法の呪文を紡ぐ。魔力が空間に集結していく。
数瞬おいて、水流が青年に襲い掛かったのだった。
「…………すいませんでした」
頭にバケツの水をぶっかけられたようにびしょ濡れになってしまった青年が、此方に向かって頭を下げた。
どうやら頭は程よく冷えたようだ。床も些か濡れたが、まあ後で拭けばいいだけの事だ。
「で、一体何故またそんな事を頼みに来たんだ」
目の前でこれでもかという程縮こまってしまった青年に、そう話しかけていた。
惚れ薬、と言っているのだから目的なんぞ火を見るよりも明らかというものだが。
要するに、俺は薬を求めた理由が知りたい訳じゃない。
「…………」
ほら案の定。青年は口にこそしなかったが聞かなくてもわかるだろう、と目が雄弁に語っている。
俺は椅子に座りなおす。ぎぃ、と気が軋むような音が静寂の中に響き渡った。
「話を聞いてやらんこともない、と言っている」
とてつもなく、なりふり構っていない様に見えた。
それこそ考えうる限りで最悪の手段を取ってしまいそうなほどに。
強く激しい恋情はそこまで人を拐かすのか、と此方が呆気にとられるほどにだ。
「……!」
俺の言葉に、青年の表情が変わる。
今まで誰にも相談できていなかったのだろうという事がよくわかった。
何も告げず一人で思いつめる程どうしようもない行動は無いという事は俺自身が皮肉にも知っている。
だからなんとなく、話を聞いてやろうかと思ったのだ。
「ええと、そのう……」
俺の言葉に最初とはうって変わって恐縮している青年。
話すのをためらっているというよりも、単純に照れているのだろう。顔が少しだけ赤い。
「そこに立って話すのもないだろう?椅子に座れ」
「あ、はい」
対面するように置いてある椅子に青年が腰かける。
ぎし、と気が軋む音が響く静寂はまた始めっていた。
青年はうつむいたまま黙りこくる。俺は何もそれから口にしなかった。
十秒くらいかもしれないし、数分かもしれないし。適当に時間がたったころ、意を決したように青年が口を開いたのだった。
「じ、実は、恋をしてしまったんです」
知ってる、と口にしたかったが黙っておいた。
代わりに続きを促す様に『それで?』という当たり障りのない一言を返しておく。
「同じ村の人で、リアン、っていうんですが、笑顔が素敵な子で、明るくて、可愛くて……兎に角、好きになってしまったんです」
リアン。
俺はその名前を知っていた。
母親がずっとある病に伏しているらしく、薬を時折こちらに買い求めてくる。
一応俺が診たが、医者の知識が特別あるわけでもない自分が解る事はあまりなかったので、対症療法をするしかない。
1度くらいは症状を誰かにきちんと診てもらった方が良いのではないかと進言したことがあるのだが、お金が、と言葉を濁されてしまった。
「それで、その、俺、こんな姿じゃないですか。
顔はパッとしないし、ひょろいし、地味だし、根暗だし、蓄えが特別あるわけでもないし、魔法が使えるわけでもないし、頭がいいわけでもないし……」
「……そこまで自分を悲観するか?」
「そ、その。兎に角、絶対に自分じゃ、彼女は振り向いてもらえないって思って……」
その次の句は、出てこなかった。
そこで薬に頼ろうと思ったのだろう。惚れ薬の存在なんて、童話や物語の中でも簡単にその名を眼にすることができる。
そしてそういったものの中の物なのだから、大体は上手くいかないみたい形で綴られているだろうに。
「だからと言っていきなりあるのかないのかよくわからない物に手を出すか?普通に話しかければいいだろうに」
俺が正論を言ってやると、言葉に詰まったようでよくわからないうめき声をあげていた。
大体話す勇気すら持ち合わせていないだろうというのは察せていたので、その反応も予想済だ。
「会話なんて何でもいいだろう。天気の話でもなんでも。すれ違っても挨拶しないのが普通の街じゃあるまいし」
「……そうなんです、けども」
「自分で無理だ出来ないと決めつけるな。行動を起こす前に全てに絶望するなんて阿呆らしいにも程がある」
その感想は俺が抱いた混じりっけなしの本音だった。
知り合いが行動を起こして問題があって初めて考える質の人間が多いからだろうか。
いや、それとも同族嫌悪という奴かもしれない。俺の深い心情はさておき、杞憂に押しつぶされる青年の姿は非常に苛ついたのだ。
「…………」
正論というある意味では暴力を振りかざす俺に、そいつは何も言い返してこなかった。
間違っているのは、重々承知していたのだろう。腐りきった人間でなかった事に俺は小さく安堵するのだった。
「せめて顔見知り程度にはなれ。そこがスタートラインだ」
青年は沈黙する。しばしの間考えるようなそぶりを見せていたが、ひとつ首を縦に振る。
「……わ、わかりました……。何日かかるかわかりませんが、やってみます」
そして立ち上がったかとおもいきや、此方に頭を下げてきた。本日二回目だ。
「あ、ありがとうございました。その、薬師様直々に相談に乗ってもらって……お、お代は……」
「好きにやったことだ、いらん」
「!は、はい。それでは、失礼します!!」
くるりと180度回転し、脱兎のごとく駆け抜けていく。
その様子に途中転ばないだろうかと、何となく心配しながら俺はため息を吐いた。
彼には恐らく感情を整理する機会が必要だったのだ。
流石にカウンセラーもどきまでやる事になるとは思っていなかったが、クレイスもこういう気持ちなのだろうか。
いや、アイツは全く見知らぬ人間の話を聞いたりはしないだろうから、もう少しだけ事情が違うかもしれない。
「――すいません、失礼します」
ドアを開ける音と聞きなれた声が耳に入り、俺は現実へと意識を戻す。
玄関には、噂の当人ことリアンが立っていた。薬を入れるための籠を手から下げている。
そういえばそんな時期だったな、と俺はようやく彼女の母に使用している薬が切れかかっているだろうことを思い出したのだった。
「リアン、久しぶりだな。母親は変わりないか?」
大体2週間ぶりだろうか。病状も今は安定しているから、いくつか発作を抑えるための薬を与えるだけで済んでいる。
最も何時悪くなるかわかったものではない。当然、この事はリアンに口にはしていないが。
「はい、とてもサモン様が良くしてらっしゃるから」
「その『様』で呼ぶのは止めろ。というか、この辺の人間にずっと言っているが一向に改善されないのはどういう事だ」
俺は解りやすいほどに渋い顔をしていただろう。
別に人様から褒められるような事はしていない。仕事として、自分が生活できるようにやっている事だ。
確かに城下町に行かなければ手に入らない薬も取り扱っているが、だからと言って偉人になったつもりは全くない。
「皆、感謝してるんです。街に行ったら高くてとても買えないお薬も、サモン様は安値で譲ってくれますから」
「……適正価格を付けているだけに過ぎないんだが」
城下町に置いてある薬は確かに高い。勿論住んでいる者の足元を見ている値段―……というわけではない。
店によってはそんなことをしている場所もあるだろうが、そんな詐欺まがいの店は当然潰れるだろう。
そもそも材料は全て別の店から多量に購入する上、店を開くためのショバ代もある。税金も多少なりともかかってくる。
しかし俺は時間を見つけては材料の殆どを自分の足で集めているし、郊外に住んでいるから税金も安い。ショバ代なんかあるわけもない。
――だから必然的に安価になる。その分、材料が手に入らなければ作れないという制約はあるのだが。
「ふふ。そうやって謙遜ばかりするから余計にありがたがってしまうんですよ?」
リアンがくすくすと笑う。
俺は薬を準備しながら、やはり渋い顔をしていただろう。
上手くいっているのが副業だからか。それとも、もっと別の理由があるのか。兎も角俺はそう呼ばれるのが好ましくないのだ。
「……これで二週間分だ。粉薬は毎日朝起きた後に。それで錠剤が――……」
「この白い方が毎食後。そして、緑の方が発作が出た時に、ですよね。大丈夫です、覚えています。
前に頂いた緑の分の余りはきちんと捨てていますから」
「なら、いい。二週間分合計で80Gだ」
「ありがとうございます」
リアンは俺の手の上にきっちり値段分の硬貨を置いたので、薬を手渡す。
この薬も、城下町に行けば普通に処方してもらえる。前述の理由で値段は3倍程変わってしまうかもしれないが。
「……あの、サモン様、お腹空いてらっしゃいません?」
薬を手提げ籠の中に仕舞い込んだリアンがそう唐突に切り出した。
俺はふと時計を見てみると、針はちょうど12時をさしている。言われてみれば、何となく空腹を感じるような気がする。
「うーむ……多分減ったかもしれん」
採取に調合、時々研究などをしていたら昼飯をうっかり食いそびれる事も珍しくない。
そのせいかは知らないが、昼の感覚はとても曖昧だ。リアンが俺の返答にぷ、と小さく噴き出す。
「何ですか、その返答」
「仕方がないだろう。昼はよく抜けるんだ」
頭から、という言葉は隠しておいた。余計に笑われるだろうことが目に見えていた。
「じゃ、じゃあ、サモン様にお弁当作ったんです!一緒に食べませんか!」
どん、と籠の中から出てきたのは少し大きめの包み。
俺は素直にその申し出を受け取ることにした。昼飯を作るのが若干面倒な事もあったし。
それに、差し入れと称して夕飯のおかずや村で出来たらしい野菜を貰ったりすることがよくある。断ると面倒なのも知っている。
「――ああ、ありがとう。茶を入れてくる」
俺が立ち上がりかけると、何故かリアンまで慌てた様子で立ち上がった。
「わわ、そんなことをしなくっていいです、私がいれます!」
「いや、俺の家だから。食器のある場所はあまり触られたくない」
「はい!ですよね!すみません!」
立ち上っていたリアンだが、すとんと大人しく椅子に座る。
実際、食器と調合器具をいっしょに置いてあるので、割られるとちょっと、というか本格的に困る。
器具が高価とかもあるが、城下町まで行くのが面倒だ。物によってはオーダーになるから時間が掛かる。
……等というどうでもいい事を考えながら俺は湯を沸かし、ポットに茶葉を入れ、蒸らしてからカップに注いだ。
背後から突き刺すような視線を感じるのは、気のせいだと思い込んでおく。
「熱いからな、気をつけろよ」
「は、はい!」
茶を置いて、対面に座る。それを見計らってリアンが包みをほどいた。
少し大きめの箱に収まったその中身は、シンプルなサンドイッチにポテトフライが添えてあった。
確かに一人分にしては多すぎる。
「ど、どうぞ」
「ああ。いただきます」
適当に一つ手に取り、勧められるがままに食べてみる。
うん、至って普通の卵サンドだ。どっかで良く聞くケミカルなクッキングでは決してなく、むしろ卵がふわふわで美味い。
「――中々美味いな」
「ありがとうございます!」
素直な感想を漏らしただけなのにもかかわらず、何故か礼を言われる。
だから、そこまで偉い人間じゃないんだと俺は思った。
……。そういえば、クレイスの上司の奥さん、ハーピーといったか。はものすごく料理が下手らしい。
何でも夫であるドラゴンさえも屠る殺人料理だとか。
しかし当人はそれに気付かず料理をふるまい続け、家族だけではなく軍全体から恐れられているという話をふと思い出した。
「……お前を嫁に迎える人間は、幸せ者だろうな」
だから、ふとそんな事を口にしていた。飯が不味い事による家庭内不和。
家庭内どころかそのしわ寄せが若干こっちに来てて軽く死にかけた――のは、クレイスの弁。
「え!?私なんか、そんな、い、いや、料理しかできませんし」
わたわたと不思議なほどに慌てるリアンを傍目に俺は二つ目に手を伸ばした。
「友人が愚痴っていったんだ。知り合いの嫁が作る料理が余りにも不味くてこっちにまで被害が及んでくると」
「……そうなんですか」
……一般的な料理の不味さを外れているらしい作る人物に『不味い』と一言言ってしまえばいいのに。
それに、毎日がデッドオアアライブならばきっと薬を作ったり治療したりとケア的な事もやってるのだろう。
そしてクレイスは優しいからそういう他人を傷つけるような事も言わないし、見捨てるように突き放したりもしないだろう。
いや、もしかしたら試食とかさせられて――……だから『こっちにしわ寄せがくる』なのか!?
「突っ込めよ……不味いって突っ込めよ……ていうか気づけよ相手……だからアイツ仕事増えるんだろ……」
「えーっと、その……サモン様、どうしました?」
リアンの言葉に、俺は我に返る。
其方に改めて視線を向けると、何か困ったようなどうしようもないような表情を浮かべていた。
「……こ、声に出ていたか」
「え、ええ……あと表情もくるくる変わってたんで……」
面白いものを見たかのように小さく笑われてしまう。
一人の時はなるべく気にしないようにしていたが目撃者がいると流石に恥ずかしい。
俺はごまかす様に茶を一気に飲み干しておくのだった。
「その、サモン様……、お友達、というのは女性の方なんですか?男性の方なんですか?」
「男だ。俺の一つ年上でな、何でも小器用にこなす奴だ」
あまりクレイスの事について言及するといつまた余計な思考に捕らわれてしまうかわかった物じゃない。
アイツを知っている人間の前ならまだしも、知らない相手―…しかもそこらの村人なのだから、簡単に流そう。
魔王軍だと知られたら、また別の火種が生まれるかもしれない。
「……へえ、そうなんですか」
そう答えたリアンの声と表情は明らかに何かに対して安堵していた。
不安にさせるような不審な態度はとっていなかったと問われれば自信を持って首を横に振れる。
だから俺は自分の迂闊さを呪いながらも、食事を続けるのであった。
「――ご馳走様」
「はい、お粗末さまでした」
リアンは空になった箱を包んで、籠の中に入れる。
「あ、あの、サモン様」
ポットとカップをかたずける俺の背後から、リアンの遠慮がちな声が響いてくる。
「……何だ?」
「その、もし、よろしければ……ま、またお弁当を作ってきてもいいですか?」
振り返ると、リアンはじっと俺を見つめていた。
申し出は嬉しいのだが、リアンは病に伏しかけている母の面倒を見なければならない。
何せリアンはしっかりした女性だ。
俺がその好意に胡坐をかけば、始まりは多少の負担で済んだこともいつか彼女にとって重荷になるだろう。
「……そうだな、次に薬が切れた時にでも。無理しない程度で済むのなら」
だから、適当にお茶を濁すような返答をしたつもりだった。
――それなのに。
「は、はい!はりきってつくります!」
俺の返答にぱあっと顔を輝かせる。それにしても自分に親切にすることが、何か名誉なことだと勘違いしていないだろうか。
そういった雰囲気は前々から感じていたが、ここまで来られるとなんとも言えない気分だ。
「それでは、私、お母さんの薬の時間になっちゃいますから、帰りますね」
「ああ、気を付けて帰れよ」
「サモン様、今日もありがとうございました」
深々と頭を下げて、俺の店から出る。
確かにリアンは女性の中では愛嬌があるし、料理どころかきっと家事もできるのだろう。
明るくてしっかり者。正に理想の恋人――になるのだろうな、と俺は朝訪ねてきた青年の事を想いだすのだった。
- * - * - * -
そんなことがあってから、7日ほど経ったのだろうか。
正確な日付があいまいになってきたころ、そいつは店に再び姿を現したのだった。
「――こんにちは、薬師様」
「……お前は」
いきなり襲い掛かってきたいつかの青年であった。
その表情は前程悲壮めいた暗いものではなく、どこか穏やかな風に見えた。
「……どうした?特に調子が悪いようには見えないが」
「いえ、薬ではなく……その、礼を申し上げに。あの日から少しずつですが、リアンとも話ができるようになって……。
最初は挨拶だけだったんですけど、2、3ですけど、言葉を交わせるくらいにはなれたんです」
その言葉に俺は少しだけ驚いた。
『絶望』していたわけではないが、『期待』もしていなかった。
ただあのまま放っておけば、また自分の感情のままよくない行動を起こしそうだと漠然と感じただけだ。
「そうか、良かったな」
「はい、薬師様のおかげです」
「俺は何もしていない。話を聞いただけだろう」
「……それでも、あの時薬師様にお話を頂けなければずっと黙ったままでした。だから、俺にとっての恩人です」
そういってみせた青年の顔は、どこまでも朗らかだった。
つい先日の挙動不審で過激な行為をやった姿からはとても想像できない。
「恩人、ね。……上手くいけばいいな」
「はい!でもやっとスタートラインに届いたところなんで、これから頑張ります!」
また変にありがたがられるかもしれないが、清々しい表情の青年を見ているとそこまで悪くない事だと思う。
これが他人の悩みを解決するという事なのだろうか。クレイスも、同じような感情を抱いているのだろうか。
「そうか。今日は、それだけか?」
ふと壁にかけた時計をみると、中々頃合いの時間だった。
今日は珍しく予定があったのだ。その、本業である『魔術関連の問題請負人』として。
といっても、キャロルに要請されてとある魔術研究所の手伝いに赴くだけなのだが。
「あ、はい。何となく、報告だけ……と思って……迷惑でしたか?」
「いや、そろそろ『仕事』に行くんでな。鍵をかけようと思って」
「お仕事、ですか?」
青年がきょとんとした顔で首を傾げた。
そういえば、薬師をやっているのはあくまでも副業である事を言った事は無かったように思える。
だがしかし、一から説明すると時間が掛かるだろうし、何より面倒くさい。
「……出張サービスだ」
「ああ!成程そうでしたか!」
なので、当たらずとも遠からずな答えを出しておいて、適当にその場をごまかすことにしておく。
何せ、キャロルを待たせてしまったとあれば後が怖い。
「じゃ、じゃあ俺は邪魔にならないうちに帰ります。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げてから、言葉通りに去っていく青年……なのだが、その足並みは最早尻尾を巻いて逃げ去る、という表現が正しいように見えるほどだった。
……やはり転んでしまわないだろうか、などという心配が頭をよぎりかけたので、俺も大概心配性だな、と小さく心中でため息を着くのだった。
キャロルから直々に頼まれた仕事は、実に簡単だった。
その内容は、魔力を一定に長時間保つだけというもので、高い実力が求められる割にはかなり地味な作業。
―…たしかに、これは他の人物には任せられないしキャロルがやるには向いていない。
賃金は相応に貰えたが、ただひたすらに無意味に疲れた。
長い時間拘束され、すっかり暗くなってしまった道を歩きながら俺は肩をほぐす様に回す。
長年愛用してきていつもは手になじむ杖も、どことなく重い。
「……ふぅ」
もう少し歩けば家だが、そういえばこの辺りはリアンが住んでいるらしい村に近かったな。
たしかそこの分かれ道を東に進んでしばらく歩けばついたはずだ。今は関係ない話だが。
俺はそんな事を考えながら分かれ道を北西の方へ進もうとした。
――その時だった。
「ウァアアアああああああああアアああああアアアアアア!!!!」
人の声の様でいて獣のものにも似ていたなにかよくわからない大きな大きな叫び声が響き渡った。
俺は驚いてそちらを見る。方向としては分かれ道の向こう。
何かのモンスターだろうか。この辺りにそんなもの居たか。……いや、「はぐれ」ならありうる。
俺の脚は勝手にそっちに向かっていた。当然、あまりいい予感はしない。
道の先、開けた視界に見えたものはぐちゃぐちゃと音を立てて『何か』を貪り食っている狼を一回りほど大きくしたような魔物。
そして、眼下に広がる光景に腰が抜けてしまったのかへたり込んでいる『誰か』がいた。
「――アイスVッ!」
俺は自分が咄嗟に制御できる魔力を宿して迷わず杖を魔物に向けて振るっていた。
直後、触れるものを全て凍りつかせる魔法が魔物へと襲い掛かる。食事に夢中になっていたらしい魔物は避けようともしなかった。
その魔法は肉体だけでなく細胞の一片に至るまで凍りつかせる。当然、生物が生きていられるわけがない。
断末魔さえも上げる間もなく魔物は絶命し、ごとんと重い塊が落ちるような音を立てて魔物はこと切れた。
「……大丈夫か」
雲が途切れて、月明かりが辺りを照らす。
呆気にとられたように座り込んでいた姿は、意外にも見覚えがあった人物であった。
「……さ、サモン様」
そうたどたどしく自分を呼ぶのは、リアンだった。
何故こんな時間にこんな場所に居るのか、と問いかけたかったが、それよりも確認しなければならないことがある。
ゆっくりと、視線を『人であったもの』に向ける。
肉体の損傷が激しいが、地味な色の衣服を始め微かに残っている面影が確かに『彼』であった。
「ありがとうございます、助けていただいて」
余程恐ろしかったのだろう。とてつもなく強張った笑みが、此方に向けられていた。
「いや……たまたま通りがかっただけだ。それより、彼は」
あれではいくらデイジーの使うレイズといえど復活できないだろう。
リアンは一瞬だけ視線を彼に向けたが、気持ちが悪かったのかすぐに外した。
「さあ、知りません」
その言葉は、俺にとって衝撃的であった。だから思わず口をついて出ていたのだ。
「知らないという事は無いだろう。同じ村に住んでいると聞いたが」
「……ああ、知っていたんですね」
リアンの口元が僅かにゆがんだ。
そして座ったまま俺から視線をそらさず少しだけ困った風に笑って見せた。
「私、困ってたんです」
「は?」
「いつもおどおどしてて、気持ち悪い程ずっとこっちばっかり見てきて、それだけで嫌だったのに。
最近じゃ変に話しかけるようになってきて、関わりたくもなかったんです、気持ち悪い。
……でも、冷たくして恨まれたりしたら面倒じゃないですか、だから最低限の愛想だけしてあげてたんですけど」
ふう、と長い息を吐くリアン。しかしその表情は、どこかつきものが落ちたかのように晴れ晴れとしていた。
とても数分前まで恐ろしい魔物に脅かされていた人間だとは思えない程に。
「でも、こうなってくれて――……」
その先の言葉は、リアンは口にしなかった。息とともに音もなく闇夜に溶けていく。
でも、そうして浮かべていた笑顔に、俺はデジャヴを覚えていた。
一週間ほど前に、彼が浮かべた狂気の表情。
それは確かに、俺が知っているこの世の何よりも醜悪な魔物に見えたのだった。
「……余り、死んだ者を悪く言うんじゃない」
やっとの思いで口に出来たのは、一般的な良心に乗っ取った言葉だけだった。
……彼はきっと俺に対して何一つ嘘などついていなかったのだろう。
ただ、あまりにも独りよがりだったのだ。
「そ、そうですよね。ごめんなさい」
リアンは全く悪びれた風もなく、ゆっくりを立ち上がった。
ぱんぱんとスカートについた土埃をかるく払う。そこにはすでに日常が見えていた。
「……村まで送ろう」
それでもこんな時間だ。流石に放っていくわけにはいかない。
魔物が凶暴化したなんて話は一切耳にしていないが、何が起こるかわかったものじゃないだろう。
「い、いいんですか!?でも迷惑じゃ……」
「もう何も起こらないとは限らないだろう。流石にこの先で何かがあれば、目覚めが悪い」
「そうですか……、じゃあお言葉に甘えさせていただきます」
俺はリアンを連れて、二人で村の方へと歩き出した。
道の先の魔物と人間の死体のそばを通り過ぎていく。青年の恐怖と痛みに見開かれた眼は、どこまでも空虚だった。
「……ところで、何故こんな時間に出歩いているんだ?」
「今日はたまたまです。私、街にある有名なプリン屋でバイトしてるんですけど、色々重なっちゃって、こんな時間に」
有名なプリン屋、というときっとあそこの事だろうか。
勝手な言い分かもしれないが、あまりあのプリンにはいい思い出が無かったりする。
何となく、クレイスによく似たあの人が頭によぎってしまう。テンションの高すぎるあの男が。
「そうしたら目の前に魔物が居て。でも、あの人が丁度村から出てきてたみたいで、勝手にあっちに襲い掛かったんです」
勝手に、というわけはないだろう流石に。
きっと、何らかのアクションを試みたに違いない。そうしたら、自分に襲い掛かってきてしまったのだろう。
いや、そこまで見抜いていたのだろう、あの青年は。自分の命と愛した人の命を天秤にかけた結果がこれだ。
「……ならば彼に感謝するべきかもしれないな。その時にたまたま通りがからなければ、襲われていたのはお前だったろう」
「そうかもしれませんね。でも……今まで散々嫌な想いさせられたんだから、当然ですよ」
そう答えたリアンの顔は、本気だった。
俺は多分、あいまいに笑っていたかもしれない。どんな顔をしていたか自信が無かった。
* - * - *
帰り道、泊まって行ってください!と何故か引き留められたが丁重に断った。
通り道の死体は転がったままだった。そのままにしておけば、朝には獣に食べられているだろうか。
足を止めて、名前すら打ち明けてもらえなかった青年に黙祷する。
不運でしかなかった彼を、俺は嫌いになれなかった。
何故こんな事をしているんだろう。
ただほんの少しだけ、言葉を交わしただけの相手であるはずなのに。
一方的な想いを抱いて、挨拶を交わすことができたと喜んでいた彼が、誰かに重なった。
――……ああそうさ、俺自身だ。
近づく事すら許されないと思う気持ちを未練がましくずるずる引きずって。
ほんの少し縁の結ばれただけにも関わらずその事を手放しで喜んで。
相手の感情を察せず、自分だけで全てが帰結する。
俺だ。
彼と俺、たった一つだけ違うのは、感情を向けた相手に多少なりとも好まれているかそうでないか。
俺は幸運なのだ。とてつもなく。
ローブが、服が、手袋が、土で汚れたが構わなかった。それくらい後でどうにでもなるのだ。
ただ一歩間違えた未来をありありと見せつけられて、確かに恐怖を覚えてしまった。
これは優しさじゃない。自己満足ですらない。
子供がそうするように、自分にとって都合の悪いものを消しているだけだ。
――小さな名もなき塚が、道端に出来ていた。
手向けの花もなにもなく、少しだけ土が盛り上がっただけの簡易にも程がある小さな小さな生の証。
「――すまない」
口からこぼれた謝罪の言葉は、何にあてたのだろう。
月が雲に隠れていく。辺りがあっという間に暗くなっていく。
雲間から月が現れるそれまで。
俺はもう一度だけ彼に向かって黙祷をささげるのであった。