四つ巴
「さて、貴方の実力がよくわからないんで、適当に時間稼ぎしてください。」
同時刻。
残されたセツナとカルクの二人は亀裂の入った遺跡の行き止まりを見つめていた。
もともと、火晶石で無理やり作り上げたそれは、その辺の壁よりも遥かにもろい。
壊れるまで、残り数秒といったところか。カルクはセツナに返答の変わりに武器を構えなおして答える。
片手に一本ずつ持った、二振りの剣。腰に引っさげたランタンの光を反射して、わずかに煌いていた。
「…あと、3秒ですね。」
セツナがぽつりとつぶやく。彼の手は、わずかな光でも全く反射しない漆黒のクオータースタッフを握り締めていた。
一呼吸、つく。
3秒前
2秒前
1秒前―…
ドゴンッ!
脳内時計がゼロを知らせると共に、壁が吹っ飛ぶ。
瓦礫が二人のほうへ飛んでいく前、セツナが手にしたスタッフを地面にトン、とつく。
別に6感どこかで感じられるような変化は起こらない。しかし、まるで目の前に壁があるかのように、岩が、砂が、全て二人を避けていく。
立ち上る砂煙。
その奥に聞こえたのは、ターゲットのうなり声。
カルクは視界が完全に晴れる前には既に駆け出していた。
直後、金属と金属のような拳のぶつかる音。セツナはスタッフを手の中で回し、縦に持っていたのを横に持ち直し、詠唱。
ようやく、相手のランタンが確認できる程度まで煙が晴れる。サイクロプスが剣とぶつかりあっていない片方の拳を後ろに引いた。
カルクはいち早くそのモーション、二撃目に繋がる行動に気が付く。
両方の剣を片方に使ってしまった彼は、このまま留まっていることが危険と判断。拳を受け流し、間合いを開ける。
「―駆けぬける疾風!その速さで一陣の刃となれッ!」
そのとき、セツナの魔法『風の刃』が完成。
健全な肉体を持つものならば、大ダメージを与えることも可能な魔法だ。
大気中のエネルギーが彼の前で凝縮。スタッフを風切り音と共に振るうと、不可視の刃がサイクロプスに向けて飛来していく。
「…だが―…」
サイクロプスが、体を襲ったいくつもの刃に声を上げる
切り刻まれた体は、幾重もの赤い色で彩られていた。効果的な魔法の選択。そこはカルクもわかっていた。
恐らく、同じメンバーの魔術師ならば同じ魔法の選択をしただろうから。その中でたった一つ、彼女とセツナの違いがあった。
「威力が低い、のでしょう?」
セツナはカルクの言葉を継ぐ。そう、彼女ならば今の魔法でサイクロプスの四肢のうち、どれかは確実に持っていけた。
しかし今のセツナの威力では、せいぜい浅い切り傷を与えるのがやっと、そう取れたのだ。
その証拠に、サイクロプスは切り傷を負いながらも今だ戦闘意欲が衰えておらず、むしろ怒りの声と共に二人のほうへ突進していく。
「あぁ、じっとしておいてくださいね。でないと、巻き込まれますよ。」
今にもかけだしそうなカルクに、釘をさす。カルクは無言のまま、それに倣った。
何に、と聞きたかったが、それは数秒と立たずにわかることだ。
セツナがスタッフを三度ふるう。彼の口が、小さく何かの言霊を紡ぐ。
よく聞こえなかったが、それは先ほどのような精霊を使役する『命令』や『お願い』ではない。
もっと禍々しいもの―…『呪い』のようだと、カルクは感じた。
刹那。
目の前のサイクロプスが異様なほどに苦しみだした。
その数秒と立たず、血肉を切り裂く湿った音を魔物が奏ではじめる。
まるで何度も何度も太く鋭い針で体を貫通させたような、音が響き渡った。
巨体のサイクロプスが口から血泡を吹きつつ、一歩踏み出すごとに血しぶきが飛び散り、ついには血液とともに地面に倒れこんだ。
ランタンが照らしているとはいえやや暗い洞窟の中では光景がわずかにしか窺えないが、完全に絶命していることだけはわかった。
「一体―…」
その体に近づいてみて、初めて『異質』に気がつく。
風の刃でできた傷口から、幾本もの太い針が生えるようにしてあらわれていた。
体を貫いた真っ赤な針は、体内に流れているそれと全く同じような色をしている。つまり、この針は血液が凝固したもの、と考えていいだろう。
魔法にも、さまざまな種類があることをカルクは知っている。しかし、このような魔法、体内から貫く呪文などは全く聞いたこともなかった。
「…今のは、自然の理でも、奇跡でもありません。ただの、厄ですよ。」
思考をぐるぐる巡らすカルクに対し、自虐的に笑うセツナ。
その表情は、誰に向けられたものなのか。すくなくとも、カルク自身ではないだろう。
「せっちゃーん、終わったー?こっちはバカ3匹ケリついたよー?」
ルートの声が奥から響き渡る。
大きな生き物の音がしないことから、向こうも終わったのだろう。向こうが3匹に対し、こちらは一匹しか倒していないのでなんとなく悪い気がしたが、セツナは体を半分病めているようなものなので丁度いいのかもしれない。
「…4匹。」
セツナは歩きながら、呟く。最大で5匹。数は減っていても何の不思議もない。
しかし、どこか引っかかるのだ。ただの飼育施設ならば、それでよかったかもしれない。
ここは、改造施設なのだ。よく考えてみると、いくつか疑問が出てくる。
何故、サイクロプスはこの列悪環境で何年も生き残っているのか。
何故、鎖は千切れているのに外に出ようとはしなかったのだろうか。
―…実験は、成功したのだろうか?
「……少し、考え事です。」
ふと、目線をあげると、隣に立っていたカルクがセツナの行動に対し、不振そうな瞳を向けていた。
セツナはそうとだけ答え、二人のほうへ進んでいく。
「さーて、後は首だけ切り落として持っていくだけだな。」
ランタンの光でも姿が確認できるほど二人が近づくのをまってから、トリスが口を開く。
一匹少ないが、確認できなかったわけだからいいだろう。というのが彼の見解だった。
「そうだねー。微妙にしんどかったけど、お疲れ様、ってねー。」
ルートがリュックサックにむりやりバットを押し込むと、そこから金定規を取り出す。
「…なんで、定規なんだ?」
トリスがその必要性がまったくわからず、首をかしげる。
サイクロプスの大きさでも測ろうというのか。しかし、ルートが持っているそれはせいぜい30センチ程度。
「ぇ、これで戦ってたじゃん。よく切れるよ?」
ルートはそういうと、足元に落ちていたサイクロプスの遺体の腕に金定規を走らせる。
すると、肉が切れる音とともに、腕が支えをなくしてごろりと落ちた。そしてその腕を、トリスに見せ付けるように前へ突き出す。
「…ネ♪」
自慢げな笑顔を向けるルートに、トリスは何故か力が抜けていくのを感じた。
そういえば、今まで『短剣のようなもの』って表現ぼやかしてあったな、と思った。
「おや、お二人方も結構相性いいんではないですか?」
セツナがそのやり取りの一部始終をみて、感想を述べる。
「そっりゃぁ、志を同じくしてるものだからね、とーりすん!」
そういってルートはトリスの体におもいっきり抱きつく。トリスはすぐにルートをひっぺがしにかかるが、がっしり掴んでいるのでなかなか離れない。
「誰がだッ!だーもー、くっつくなッ!!」
「ぇーそんな、照れちゃってー。」
ルートはニコニコ笑いながらも、ぱっとトリスの体から離れる。
「せっちゃん、せっちゃんも、ぎゅーってしたいな、ダメ?」
きらきらとおねだりするような瞳で見つめるルート。
これで駄菓子屋のおばちゃんやお菓子売り場のお姉さま達を数々誘惑し、オマケをしたりしてもらっているのだが、それは僕と君だけの秘密だ。
「…あのですね、やるべき事やって全部終わってからにしなさい。」
しかしセツナには効果が無いのか、それとも単純に見慣れているだけなのか。
ルートはセツナのおあずけ宣言に残念さは微塵も感じられないような元気のよさで返事をすると、トリスのほうにぱっと振り向いた。
「じゃ、とりすん、生首回収しにいこっかー。すぐそこだけど。」
リュックサックから大きめの麻袋を取り出し、奥へ指さすルート。
「わぁったよー。」
トリスがそれについて歩き出す。二人の姿が少し離れる。
お互いにつけた腰元のランタンだけが、二人の存在を示していた。
「……おかしい。」
ぽつり、と今までしゃべらなかったカルクが口を開く。その手には大きめの何かが入った袋を下げていた。
おそらく、3人が会話している間に、自分たちで倒したサイクロプスの首が入っているのだろう。
「何が、ですか?」
考え込むような表情をしているカルクに、セツナが問う。
「本当に、これだけなのか?」
「…と、いいますと?」
自分の眼光が自然と鋭くなるのを、セツナは感じていた。
思い当たる節があるだけ、カルクの返答によっては何かしらの行動を起こさなければならないだろう。
「まだ、気配は、する。」
そしてじっと見つめる、奥の道。
二つのランタンがぼんやりと輝くそのさらに奥。
セツナは少しだけ考える。
完全に読むことの出来なかったあの日誌。一部読めなかった箇所もあったが、確かに5匹のサイクロプスを手にかけていた。
1匹死んだとか減らしたとか、そういう記述はどこにもなかった。
初めこそ、こんな環境で生きていけるものなのか、と考えていたものの。
もし、これが『実験の結果』だとしたら。外部からエネルギーを取り込まなくても生きていけることが可能となっていたら。
「………!」
カルクがいち早く何かに気づき、視線を奥へと向かわせる。
直後、奥から大きい割には早すぎる足音が響いた。
それだけではなく、もっと別の変化を 与えることが出来ていたのだとしたら―…?
セツナが走り出す。嫌な予感がしたのだ。
口は、勝手に歌をつむいでいた。自分は大丈夫だから、と内心で言い聞かせて。
「んー、これで回収、かんりょー。」
ルートが一番奥に倒れていたサイクロプスの首を持っていた麻袋に押し込む。
もちろん血が付かないように丁寧に油紙で包んでいる。
「…それ、重くないのか?」
トリスがルートの麻袋を指差した。
というのも、いくら首だけとはいえサイクロプス。元々図体の大きいそれは、首だけになっても存在感は変わらない。
ごろごろと一つの麻袋にそんなものが3つ入っている状況はな微妙に不釣合いだ。
しかもルートという子供が手にしていることで、その不釣合いさは増すばかり。まぁ、単純に重そうだ。
「んー、そうでもないよ?あ、でも、絶対にせっちゃんには持たせたくない重さ。」
「何だそれ…」
「ぇー、とりすんならわかってくれると思ったのにな。」
そういいながらルートは麻袋を肩に担ぐ。中身がごろんと揺れるそれを見て、トリスはなんとなくルートの言いたいことがわかる、気がした。
それを口に出したらルートがはしゃぎそうなので言わないが。
「さーて愛しのせっちゃんの所にもーどろーっ!」
ぱっと、背を向ける。
「…風?」
トリスは、異変を感じて立ち止まる。ほんのかすかにだが、洞窟の更に奥のほうに風の吹き込むような音が聞こえたのだ。
何かの生き物のうなり声とも聞き間違えてしまいそうな、風の音が。
だが、ここは地下でそんなことはありえない。気のせいだったのかも知れない。
しかし、そうではないと本能が告げていて、トリスは思わず一人、首をかしげていた。
「どしたのさ、一人でキツネにつままれたような顔してさ。」
ルートが立ち止まり、動かないトリスを不思議そうな目で見る。
「いや、なんか、風のおとが…」
したような、と言おうとした時、異変は起こった。何かの大きな足音。比べるのならば、先程までのサイクロプスと似ている。
―…異様に向かってくる足音が早い、という点を除けば全く同じだっただろう。
「ぇ、嘘ぉ!?」
ルートが驚きの声を上げつつもしっかり麻袋を放り投げてくるりと振り返る。
だが、いささか気が付くのに遅すぎた。
もうサイクロプスらしきものは目の前に立っていたのだ。しかも、既に拳をルートのほうへ降りぬいていた状態で。
「きゃぁあーっ!?」
避ける暇も防御する暇も無かった。
ルートは全くの無抵抗の状態でサイクロプスの一撃を受け、トリスの真横を風に吹かれ舞い落ちるよう葉のように吹っ飛んでいく。
「ルートッ!?」
続いて、地面に転がる音、そしてランタンが割れる音。声がしないところを見ると、ダメージは決して低くなかったのだろう。
後ろから前へ視線を戻す。そこには、一匹のサイクロプスが鼻息荒くして立っていたのだ。
おそらく、五匹目。
先程までのサイクロプスと形状に変化は見られない。
唯一つわかるのは、早い、ということ。兎にも角にもやらなければ、ならない。
トリスはパニックで真っ白になっていく知能を追い出し、本能だけで構える。
しかし、彼が完全に銭湯体制を整え切るそのまえに、サイクロプスは襲い掛かってきた。
その、驚異的とも取れるスピードで。トリスは、剣を手にしたものの、棒立ちとも取れる体制のままだった。
拳が振りぬかれる。
(やばい、やばいやばいヤバイ―…)
死の直前。
動きたくても、足がまるで蜘蛛の糸に絡められたように動けない。
全体が、スローモーションになっていく。
いろんなことが思い浮かんでは消え、これが走馬灯なのだと、どこか場違いながらも思った。
覚悟を決めて、目を、つぶった。
直前、聞こえてきたのは、聞き覚えのある声の、旋律。
(―…歌。なんで、こんな時に―………歌ぁ!?)
数瞬遅れて、誰のもののこえであるかを理解したとき。大きな爆発音のようなものがすぐ近く、目の前で響いた。
「あ…っ…」
目を開く。何が起こったかはわからない。
ただ、サイクロプスが横なぎに倒れていて、体からは煙が上がっていたことが事実だった。
「全く。ひやひやさせないでくださいよ?」
トリスを現実に戻すようなセツナの声。
彼は、トリスの後ろに立ち、手を先程までたっていたサイクロプスのほうへと向けていた。
その顔は、どこか満足げな笑顔を浮かべていて。
「ぁ、う、悪い―…
トリスが謝ろうとしたとき、セツナの体がぐらりと揺れた。まるで糸の切れた操り人形のように。
「……せつ、な?」
―…そのまま、どさりと地面に崩れ落ちた。
「せっちゃんッ!?」
トリスが手を伸ばすその前に、吹っ飛んだはずのルートがいち早くセツナに駆け寄った。
そして、泥だらけの体のまま、セツナの上半身を抱える。
「ルート!大丈夫なのか?」
「魔法の使いすぎだよ。命に別状は無いけど、早く休ませて上げないと、後ひいちゃうかも…」
ルートが意識を失ったセツナの様子を見て、的確に答えた。トリスは意外にもまともな返答が帰ってきたことに一瞬面食らう。
本当はルートの体調を聞いたつもりだったのだが、あの調子ならば大丈夫なのだろう。
ぎゅ、と抱きしめられたセツナのほうが、むしろ危険な状態にある。荒い息を繰り返し、苦しいのか胸を自身で押さえつけていた。
命に別状は無いというのはどうなのかわからないが、早く休ませる必要があるのはわかった。
「…依頼を達成できたのなら、さっさと帰るべきだろう。」
カルクが、後ろから至極まっとうな意見。手には、ちゃっかり先程のサイクロプスの首まで手にしている。
「わ、わかってる…セツナ、おぶるよ。」
「うん…」
ルートが力なく答え、抱えていた手を離す。トリスは、カルクに手伝ってもらいながらもセツナをその背中に乗っけた。
「せっちゃん、大丈夫。すぐ、ちゃんと寝れるとこ連れてくから…」
トリスの背中から垂れたセツナの手を祈るように握る。
実際に、ルートは祈っていたのかもしれない。そして誰一人口を開くことなく、進みだした。
背中に負ぶったセツナの体は驚くほど軽かった。
儚げな見た目から、ある程度は予測できたのだがそれでも軽すぎた。
普段何食べて生きてるんだ、コイツ。と思えるほどに。
背中から、ただただ喘ぐような呼吸を繰り返すセツナの存在は、トリス自身の罪悪感と無力感を呼び起こすのには十分すぎて、おつりがくるほど。
無理をさせてしまったのは、誰でもない。自分、自身なのだと。
しばらく歩いて、『遺跡調査解析地点 リューン南東支部』に、到着した。始めはトリスの持っていたサイクロプスの首の数に驚いていたようだったが、セツナのことを話すと、すぐに部屋の一室をしばらく貸してくれるという話になった。
そんな与えられた一室。ルートが、普段からは思えないほど元気の無い様子で、セツナの傍に座っていた。
「せっちゃん…」
名前を呼ぶが、当然返事は帰ってこない。一連の報告はトリスとカルクに任せたので、今は二人きりだ。
何時ものメンバーならば、傍に励ましてくれる人が居て。
そもそも、わりとなんとかしちゃう人もいるのだけど、そんな人も居ない。
様態はある程度落ち着き、たまにあることなのだが、やはり心配で心配で仕方なくって。
はぁ、と誰か何時もの少年を知っているものがいれば、発狂しそうな落ち込みっぷりのため息を一つついたとき、扉が不意に開いた。
「ルート。お前のほうの報告も一応聞いときたいってアチラさんが。」
変わるよ、とトリスは続けた。ルートは一瞬、ためらうようにセツナのほうに視線を向けて。
それでも、やらなければいけないことだと、わかっているので立ち上がる。
冒険者家業を、伊達にやってきたわけではないのだ。
彼が動けないのならば、いや、動けないからこそ、自分がやるしかないのだから。傍に付いておきたい。けど、そんな我侭を言っていても、仕方が無い。
「じゃ、頼む、ね?」
ルートは笑顔を浮かべずに、素の顔のまま、出て行った。
かちゃり、と閉じるドア。開けられた窓にかかったカーテンが、風の行き場を一瞬失ったので、ふわりとゆれた。
規則正しい寝息。しかし、顔色は真っ白だった。
死んでいるようにも、みえなくもない。けれど、無防備に投げ出された手に触れてみると、確かに暖かい。
生きている。その事実になぜだか、安心してしまう。息をしているということで、既に証明されているはずなのに。
「…ルートが心配するのも、よくわかる気がするな…」
かたん、と傍に置いてあった椅子に腰掛ける。
どこかすぐに消えていってしまいそうだから。見張っていないと何かに連れて行かれそうなほど、か弱い存在にさえ思える。
それはまるで、道の隅に咲いた花と似ていたのかもしれない。
誰かが庇護していないと、いつの間にか折られたり摘まれてしまったりする、小さな花。
トリス自身、そういう周囲の風景に思いをはせることなど無かったのだが、セツナを見ていると、不思議にそう感じることが自然なようになってくるのだ。
「本当、ワケわかんね…」
貴族という立場上、知り合いは多数居た。そして、カルクとよく外へ赴いていたので、そこにも知り合いは多数居た。
友人、それ以上、それ以下。たくさんの人間を見てきて、触れてきた。
けれど、セツナのような、自分のペースがぽろぽろと崩されていく人間は初めてだった。
不快でも、嫌でもない。むしろ、どこか当たり前のように受け入れてしまっていて。
ほんの少しだけ、一緒に仕事をしてすごしただけなのに。どうしてこう、ベッドに伏している彼を見ていると、心が痛んでしまうのだろう―…
「…ん、」
ベッドの中で、小さなうめき声と共に、布が擦れる。
トリスがそのことに気が付くよりも早く、セツナはうっすらと黒の瞳を開いていた。
「…とり、す?」
ぽつり、一番初めに見つけた知っているものの、名前をつぶやく。生まれたての雛が、そうするのと同じように。
「セツナ、気が付いたのか!?」
自分の名前を呼ばれて、視線を合わせる。まだどこかぼんやりと虚ろな瞳と、交差した。
しばらく、見詰め合う。
セツナは完全に意識が戻っていないのか、どこかきょとんとしているし、トリスは、なんと声をかければいいのか、迷っていたのだ。
「あぁ、あってました。よかった。」
そして少しだけ嬉しそうに、口をほころばせる。
「あってました、って…」
「いえ、ルートが見ない間に成長したのかと。髪の色は一緒ですから。」
そういえば、ルートも自分も金色の髪をしていたように思う。だからといって、自分はルートみたいなバカ笑顔を浮かべることはしない。
間違えようなど無いと思うのだが、セツナの考えていることはいま一つわからない。
「逆に、接点はそこだけだろ?それより、大丈夫なのか?」
「えぇ。結構慣れっこですから。」
「……いや、慣れんなよ。」
あんなふうに倒れられてしまっては、いくら向こうが慣れっこだろうがなんだろうが、見ているこちらとしては寿命が縮みそうだ。
「ですから、わりと大丈夫ですよ…っ、」
セツナは、寝たままの体を起こそうと、腕に力を入れ、体を持ち上げる。
しかし、体がやはりまだ復活していないのか、顔をしかめ、小さくうめき声を上げた。
そして、かくん、と腕の力が抜けたのか、体がベッドにぽすんと沈む。
「ちょ、寝てろ頼むから!無理すんなって!!」
トリスはその一部始終におもいっきりうろたえる。
「…貴方も結構、心配性ですね。」
そうして、くすくすと笑い出す。馬鹿にしているわけではないその声は、なんとなく聞いているだけなのに気恥ずかしくなって。
少しだけ、顔が熱くなるのをトリスは感じていた。
「そうじゃ、ねーよ…なんか、お前見てっと…」
「見てると?」
再び視線が、交わる。少し赤い顔のまま、セツナを見つめるトリスの瞳はどこか気まずそうで。
でも、セツナは穏やかな笑顔を浮かべながらそれを受け止めていた。
「………な、んでもねぇよッ!ああもう、寝てろよ!体弱ってんだろッ!」
ぷい、と視線を外す。どうしてこんなに自分は感情が揺れ動いているのかわからなくて。
なんとなく、踏み越えてはいけない一線に尤も近しい者が出来てしまったという事実。
それだけが、トリスの中に予感としてひっかかるばかりだった。
「そうですね。俺も大分眠気が限界です。少しだけ挨拶しておきたかっただけですし。」
もそり、とセツナが布団を更に深く抱え込む音。
それから数秒と立たずに、先程と同じように規則正しい寝息が聞こえてきた。
「挨拶って…もう寝てるし…何なんだよ、一体…」
セツナとであって、何度言ったかわからない言葉をつぶやく。
ワケがわからない。理由も、それに対する自分の行動も、目の前の人間も。
らしくなく、意味のない深いため息をついた。そのとき、空気を読んだ完璧のタイミングでドアが二回、打ち鳴らされた。
「…とーりすん、かるくんが呼んでる。荷物準備して来いってさ。」
扉を開いたのは、ルート。その表情は硬いままだった。
手には、今回の報酬の入った皮袋が握り締められていた。
「あぁ。わかった…なぁ、お前らはどうするんだ?」
荷物を準備して来い、ということはすぐにでも帰る気なのだろう。
長い時間洞窟に居たような気がするが、実際の所今は昼すぎといったところだ。
今からならば、ちょうど日の落ちた頃にリューンに帰れるだろう。
「せっちゃんが復活しだい、僕らも帰るよ。向こうも今回のことかなり感謝してるみたいだからさ、しばらく部屋を無償で貸してくれるって。」
「そっか。よかったな。」
「……うん。」
実際、依頼が終わったらその瞬間にどのような状態であろうと叩き出されることも少なくない。
今回の待遇はかなり二人にとってありがたいだろう。
「じゃ、俺は行くから。また、縁があればよろしく。」
「……うん。」
す、と手を振って部屋を出るそのときまで、ルートは元気の無いままだった。
トリスにはそれが少々心残りだったが、一度セツナは目が覚めたわけだし、大丈夫だろう。
少年は、彼が回復すればムカツクほどの笑顔もすぐに取り返すだろうから。
かたかたかたかた。
馬車が揺れていた。
「トリス、どうした?」
ぼんやりと外の風景を見ていたら、カルクが不思議そうに声をかけてきた。
大人しく馬車で座って景色なんかゆっくり見ている自分がよほど不自然に見えたようだ。
「いや―…ゴメンやっぱなんでもねぇよ。」
縁があるならば、また会うこともあるだろう。
そう思って、口に出しかけた言葉を封印する。
「…気になる。」
「本当、なんでもねーよ。」
些細なことを気にする相棒を、横目で見ながら今回の報酬の入った皮袋をもてあそぶ。
リューンにつくまでは、あと数時間ほど。
こんどあの二人組みに出会ったら、なんと言葉をかけようか。
それを考えるのには十分すぎる時間だろう。
それに、未だー………
『ありがとう』
を、言っていないのだから。
「四つ巴」 fin