『Panic Candy!』
「うー……ん……」
朝。それは一日の始まり。
太陽が昇り、小鳥はさえずり、閉められたカーテンからうっすらと日光が入ってくる。
そのまぶしさに、思わず眼の覚めた、とある冒険者の一人。彼の名はセツナ。リューンのあげ・ダッシュという宿のくいだおれというパーティのメンバーだ。
「……おや、今日はオレが一番最後ですか。」
半分寝ぼけた眼をこすりながら、周囲を見渡す。そこには、空のベッドが4つぽつんと存在しているだけだった。
時間もそんなに遅くないところを見ると、おおよそ面々は別の用事でもあるのだろう。
ゆっくりと体を起こすと―…『それ』は、あった。
部屋に申し訳程度に備え付けられた小さな小さなテーブルの上。透明な瓶に、かわいらしく『Candy』とかかれたラベルが張ってある
「……ルートのものでしょうか?」
手にとって見ると、オレンジ色のまぁるい透明な塊がころころと入っている。
特に甘いものが食べたいわけでもなかったのだが、セツナはそれを取り出してみた。手の上にちょこんとのる、小さな飴玉。
セツナは一瞬考えたが、それを口の中にぽんと放り込んだ。
こんな子供っぽいものを好むのは少年しか居ないし、その少年は自分をいたく気に入っており、つまみ食いをしたところで怒るわけがないだろう、と思ったからだ。ただ、なぜか口の中で溶かすそれは、全くといっていいほど甘みを感じない。セツナが首をかしげていると、不意にドアがこんこん、とノックされた。
「起きていますよ。」
セツナがそう答えると、かちゃりとノブが開く。
「おっはよー、せっちゃん。今日はとりすんと遊ぶんだよね?」
そういって入ってきたのは、ルート。何処かに出かけるつもりなのか既に背中には何時ものリュックサックを背負っている。
「ええ。久しぶりに彼も依頼がないようなので。」
ルートの問いに、セツナは淡々と答えた。
ちなみに、とりすんとは、前に共に依頼をこなした縁で仲良くなった冒険者、『トリス』のこと。
彼もセツナを気に入っているせいか、こうしてスケジュールが会うときは共に時間を過ごす事もある。
「ああ。ところでルート、そこのキャンディー頂きましたよ。」
「……キャンディー?」
セツナの言葉に、ルートは首をかしげた。セツナの指した方向にある小瓶を見つけると、さらに傾げる角度は深くなる。
「あなたのものではないのですか?」
「うーん……この瓶に見覚えはあるけど、たしかその時の中身はラズベリー味だったし……」
瓶を手に取り、くるくると手の中で回すルート。本当に思い当たる節が無いのか、終始頭の上でクエスチョンマークが出っ放しだ。
「貴方のものではないのでしたら……一体誰のものでしょうか。」
ルートのものではないとすると、次に考えられるのはブロウだが……正直彼がこんなところに物を出しっぱなしにする性格とは考えられない。
なら、残るは二人なのだがシンヤは甘い物をあまり好まない傾向にあるし、それならば消去法でイレイスのものということになる。
「……思い出した!」
セツナが考えていると、ルートがぽんと手を叩いた。
「その小瓶、前はラズベリー味で、食べた後捨てようと思ったらいっちーが入れ物にするから欲しいって言ってきたから、あげたんだった!」
「なら、この飴はイレイスのものになるということですね。」
セツナの言葉に、うんとうなづくルート。
「ちょっと待ってください。入れ物?ということは、あの人の性格からして中身は飴ではないのでは……」
セツナは、口にして事の重大さに気がついた。
そう。ルートの言葉どおりならばこの瓶はあくまでも『入れ物』つまり中身は全く別の何かである。
そういえば、先ほど口にしたこれは味がなく、不思議な味をしていたように思う。たとえるのならば、何かの薬のような―……
「……せっちゃん?顔色悪いよ?」
まだそのことに気がついていないルートがセツナの顔を覗き込む。
「いえ……何かいやな予感がしてならないだけですから……ッ!?」
言いかけて、ドクンとセツナの体が脈打った。
体から響き渡った一瞬の不協和音に、がくりと膝をついてしまう。
「せ、せっちゃん!?」
ルートがセツナの異変に気がつき、駆け寄る。
「な…なん、です、か、これは……ッ……」
胸が苦しい。
体が熱い。
何かが壊れて形作られていくように、体中が書き換えられていく感覚に、息しか出来ずにただうめく。
「どうしたのさ、せっちゃんっ!しっかりしてッ!!」
「ぁ……ぁ…ぅ…っ……」
ルートが、顔色を青を通り越して白になっていくセツナの体を支える。
いきなり起こった異変に、どう対応していいのかわからず、彼の傍を離れるわけにも行かない。
「せっちゃん、せっちゃーん!!」
ルートは、呼ぶことしか出来なかった。だがすぐに、その混乱も終わりを迎える。
「……は、ぁ……大丈夫です。もう、収まりましたから……」
そういって、セツナは深く息をつく。収まったとはいえ、急激に『何か』が起こった体は辛いのか顔色がまだ悪い。
「ほ、ほんとに?立てる?」
「ええ。今日は約束していますし……でも、一体なんだったんでしょうか。」
セツナはルートを支えにしながら、ゆっくりと立ち上がりつつ今の状況について考える。
なんだったのかわからないが、声が少しだけ高くなっている気がする。
胸の辺りに重みも感じるが、それも多分先ほどの現象による副作用かもしれない。特に変わった点はないような、そんな気がした。
「…………え、えーっと……」
セツナの心のうちを否定するようにルートは、呆気にとられたような視線をセツナに向けていた。
「どうしたんですか、ルート。」
「……せっちゃん、ちょっと見ない間に可愛くなったね?」
「……は?」
ルートの言葉は、セツナにとって意味がわからないものだった。
ルートもルートでなんと表現すればいいのか迷っているせいか、珍しく戸惑いの顔を浮かべていた。
いつもなら大概たたっ切るように感じた事を言うのだが、相手がセツナだからだろうか。
「いや、だから―…あのね、胸。」
「胸……?」
胸、といわれてセツナはそこに手をやる。
ぷにょり。
「……は…………は?」
ありえない感触が、手に伝わる。胸が苦しい、というわけではない。重いと感じるのは、重力のせいなのだろうか。
確認するようにもう一度触る。だが、相変わらず妙な感触が、其処にはあった。おそるおそる、衣類の隙間から自身の胸を見る。
胸は、自分ではありえないものが突起していた。
「……は、はぁっ!?」
叫ぶように疑問視を口にするセツナ。また彼も何時もの表情が消えており、若干というかかなりあせっている。
「ま、まさかまさかそんなはずはッ!?」
だっと部屋を出て、トイレに駆け込むセツナ。ルートはただ何もいえずに、それを見つめる事しか出来なかった。
何故なら彼も、どうすればいいのかわからなかったからだ。すぐにセツナはトイレからこちらへと舞い戻ってきた。
「せ、せっちゃん……ど、どうだったの……」
深刻な顔をしているセツナに、ルートが聞くが、セツナはゆるゆると首を泣きそうな顔で振るばかり。
「ぁ…ッ……の、……やろッ……」
普段使わないことばがセツナの口から漏れ出る。ぷるぷると拳は震えており、顔は怒りで赤くなっていた。
そして、セツナはキッとドアの出口をにらみつけた後、何時もからは考えられないスピードで駆け出した。
「ちょ、っちょっとせっちゃん、何処に行くのさー!!」
急いでルートも後を追う。
あげ・ダッシュの宿は一階は食堂兼酒場になっている。冒険者の宿によくあるつくりだ。
そのテーブル席の一角、くいだおれの残りのメンバー、イレイスとブロウとシンヤが比較的和やかに話していた。
「じゃ、兄貴も今日は出かけるのか。俺もどっか行こうかな。」
「やめとけ。後で探すのが面倒だ。」
「……色々言いたい事があるけど、シンヤと行くからいいよもう。」
はぁ、とため息をつくブロウ。シンヤは黙ってコーヒーをすすっていた。その時、どたどたと激しい音を立てて階段を下りる音が響き渡る。
くいだおれのメンバーをはじめ、カウンターにいた宿の亭主、あまつさえその娘までもが何事かとそちらに眼を向けた。
そこから現れたのは、鬼神のような表情を浮かべたセツナ。
「……セツナ!?」
ブロウが驚いたような声を上げるが、その間にもセツナは迷い無く、イレイスのテーブルへと駆けてくる。
「ッレ、イスぅぅううううううッ!!」
しかもイレイス名指しだ。はて、なにかしたかと首を傾げるイレイス。
セツナは別テーブル席のイスを引っつかむと、思いっきり振り上げた。
SMAAAAAAASH!
イスの足が木っ端微塵に折れた。
ひぃ、と宿の亭主が小さな悲鳴を上げる。
それはセツナに対してかそれともイスを壊された事についての悲鳴かわからない。
直後、どさりとイスに強打された人間が倒れる。
「ぶ……ブロウー!!!」
数秒置いて、シンヤの悲鳴が響き渡った。というのも、倒れていたのはイレイスではなくブロウだった。
なぜならば、椅子が襲い掛かるその直前に神業とまで呼ばれそうなテクニックでイレイスがブロウの体を寄せたからだ。
頭から特に出血はしていないが、こぶがぷっくりと膨らんでいて、痛そう。
「はぁ……はぁっ……貴方……どういうつもりですか!!」
しかしセツナはそんなことを一切気にせず、イレイスに詰め寄る。
ブロウの体をちょっと踏んでいるが、それさえも気づかないようだ。シンヤは後ろで悲鳴を上げていたが。
「どういうつもりといわれても、お前に今のところ外傷を与えた覚えが無いのだが。」
「あの、キャンディですッ!!どういうことですか!なんなんですか、アレは!!」
「……キャンディ……?」
ふむ、と本当に覚えが無いのかしばらく考えるイレイス。
足を組んだ先でブロウを踏みつけていたのだが、そんな事も気がつかないようだ。……やっぱりシンヤは後ろで彼の悲劇を嘆いていたが。
そして、イレイスはああ、と声を上げた。
「アレは確か朝に……そういえば仕舞った覚えが無いな。もしかして、服用したのか?」
イレイスの言葉ににらみつけるだけのセツナ。図星らしい。
ちょっとしたつまみ食いが自分の災難になってしまったのだから決してイレイスだけが悪いわけではないのだが、
今のセツナは冷静さをかなり欠いており、そこまで頭がまわらいのだろう。
「お前が怒り出すような事にはならないはずだが。アレは単純に自分のもつ光か闇の力を一時的に増幅させるだけの代物―……」
其処まで考えて、イレイスはピンとくるものがあったらしい。とたんにその表情はいつもの楽しそうな笑みに変わった。
「そうか。なるほど。いいんじゃないのか。私も今気がついた。」
「……ふざけないでください。これはどーいうことなんですかッ!」
バァン、と破壊しそうな勢いで机を叩くと同時に叫ぶセツナの声は、いつもより声が高い。
背はもともと小柄なほうであまり変化はないが、胸に妙なふくらみがある。
「先ほど言っただろう。自分のもつ力を一時的に増幅させると。お前は極端に闇の才能がある。」
「ですからそれがどう関係して……」
言いかけたセツナに、黙るようにぴっとイレイスは指を突き出した。
「陽は男。陰は女。恐らく、体内に巡る闇が急激に増えて、陰である女性の形を体がとってしまったのだろうさ。」
「じゃあ、どうすればいいんですか!」
再び机を殴打するセツナ。
亭主は机が壊れないかと冷や冷やしているが、今のセツナにそんなことをいうと声も立てずに惨殺されそうだったので黙っておく。
「効果は半日程度。ま、今日中には治るだろう。」
ひょいと肩をすくめてイレイスは椅子から立ち上がる。
「ちょ……ど、何処に行くんですかッ!」
「今日は残念ながら人と会う約束をしていてね。本当はお前を観察したいのだが、怒らせると怖い相手でな。……残念だ。」
そういって、イレイスは悠々と歩いて宿から出て行く。
セツナはどうしようもなく腕を伸ばしては見るが彼を捕まえる事が出来ずに呆然とたたずんでいた。
「……せ、せっちゃん……どうするの?」
事態をいち早く察知し、気配を消しつつ潜んでいたらしいルートが聞く。
セツナは階段に振り返る。
「外に出ないに決まってるじゃありませんか。」
「……でも、僕、いまのせっちゃんもすっごい素敵だと思うんだけどな。」
そうルートがフォローにならないようなフォローを入れる。セツナはルートを一瞬睨み付けて黙らせる。そうとう嫌らしい。
元々女に間違われるような容姿をしているのだからなおさらだろうか。
「リューンの、大通りの噴水。トリスに風邪とか適当に理由つけて断ってきてくれませんか。」
「え、え、うん、もちろん、行くよ。」
「では、オレはもう寝ますんで。」
階段を上りながら告げるその声は、どこまでも低くて冷たかった。
ルートは一瞬逡巡したが、セツナの言葉に対して反抗する事など出来ないので、さっと宿から出て行く。
しぃん、と台風が去った後のように静かになる宿。
「……親父さん、一人部屋貸してくれませんか。」
シンヤが、倒れたまま放置されたブロウを担ぎながら言った。
「ああ……もちろん。椅子の代金でちゃらにしといてやるよ。流石に可哀相だからな。」
「すみません、なんか……」
可哀相なのはブロウだ。せっかくの休みなのに椅子で殴打された挙句二人の人間に踏みつけられていたのだから。
シンヤはせめて今日中に意識がもどればいいな、と考えながら言われた空き部屋へと向かっていった。
セツナは一人カーテンを閉めた部屋のベッドの上、布団に包まっていた。眠気なんかさっきまで寝ていたのでくるはずも無い。
覚醒しきった頭で、自身の体のことを全否定するので精一杯だった。
「あああ、ありえないありえないありえない……」
と、小さくぶつぶつと呟くその姿は、怪しい事この上ない。
イレイスの言葉が本当ならば、一日の悪夢として受け取る事も出来るが、彼の性格上あまり信用ならない。もしかしたらこのままかもしれない、と思うだけで言いようの無い不安に襲われそうになる。いままで男として生きてきたのだ。16年全てを否定されて受け入れられるほど、セツナは柔軟でもない。
そしてまた、女になったんだからと希望を見出せるほどのポジティブでもない。だから、丸まってため息をつくことしか出来なかった。
どのくらいそうしていただろうか。不意に、下が騒がしくなってきた。
「だーかーらぁー、せっちゃんは風邪なの!病気なのーっ!!」
何時ものルートの声。
「風邪っつったって一昨日元気そうだったじゃねぇかッ!!」
そして、付随してきたのは、トリスの声。確実に此方へと接近してくる二つの足音にセツナは軽く絶望を覚えた。
こんな状態になっている自分は、一人でも多くの人に見せたくないのが心情だ。
なので、思わずドアのほうに布団で包まったまま駆け寄り、回るノブを押さえた。
「誰かがドアを押さえつけ―……」
「ドアの中の人が帰れって言ってるんだよ!!」
ドアの向こうで、二人の間の抜けたやり取りが聞こえる。
「んなわけねぇだろ。なんだよドアの中の人って。」
トリスが突っ込みを入れながらもドアを引く力を強める。さて、前回の読者さんはわかっているかもしれないが、トリスは剣士として主に前線で活躍している。それに対して、セツナは魔術師のような僧侶のような絶妙なポジションで、後衛だ。どちらが力が強いかなど比べるまでも無く、間違いなく前者。
トリスが力強くぐいっとドアを引っ張ると、セツナごと引きずられていくように少しだけ開いた。
「…………。」
眼が合う両者。ルートが後ろでわずかに引きつった笑みを浮かべている。
「……か、帰ってください!」
数秒の沈黙の後、セツナはそう言った。その声は何時もよりもどこか不自然を感じるトリス。
やはり風邪かと思うが、風邪ならばどうしてここでドアを開けないようにする必要があるのだろうか。
「セツナ、やっぱなんかあったのか?」
「なんでもないです。タダの風邪です。誰にもうつしたくないんで帰ってください。」
トリスの質問に、まくしたてるように言うセツナ。やはり何時もの彼らしくないとトリスは思った。
何故なら、セツナはたとえどんなときでも自然なのか意識なのかはわからないがいつも余裕があるように動くからだ。
そんな彼が、あせっている。コレは何か大変なことでも起きたのかと、そう結論に至った。
「確かに声はちょっとおかしいけど、風邪ならそんだけの体力ねぇだろ!」
「風邪なんです。風邪といったら風邪なんです。だから早急にお帰り願い申し上げます。」
どんな理論だよ、と思いながらトリスはドアを引く手を止めない。もちろん、セツナもドアを支える手を止めない。
ぎりぎりぎり、と二人の力が拮抗している。
ルートは止めるかどうかで迷っていた。このままトリスを妨害してとめることは出来る。だが、今二人は本気でドアを使っての押し相撲だ。
トリスの力をなくしてしまったら、反対側にいるセツナはドアごとすっころんでしまうのではないかと考えると、むやみに手が出せない。
「いい加減、に、し、ろぉっ!」
だがその拮抗はすぐに破られる。トリスが流石に本気を出せば、セツナの力など焼け石に水。
しかもセツナはメンバー一力も弱く小柄なのだから、なおさらだ。思いっきり足を踏ん張り、ドアを開くトリス。
「わぁっ!?」
引っぱられるようにしてセツナが包まっていた布団といっしょに横なぎに宙を舞う。
その先にいるのはトリス。セツナの全体重の乗っかった突撃に、トリスは避けることもできずにそのまま追突した。
どすん、と響き渡る音。
ルートが次に視線を向けたのは、下。そこには案の定大の字になって転がっているトリスと、その上に乗っかっているセツナ。
数秒遅れて降ってきた布団は、ルートがぽすんと受け止めた。
「ってー……」
「……では、そういうことで。」
頭から床に打ちつけたので痛がるトリスを尻目に、セツナはぱっと体を起こす。
「だから、ちょっと待てって!!」
トリスは少しだけ痛む頭を気にせず、セツナに腕を伸ばした。
だが、ワンテンポのズレと、いまいちとっさに動いた事なので距離感がつかめていなかったらしい。
腕を掴むはずだったトリスの行動は、勢いあまってセツナの胸に当たっていた。
そう、妙に膨らんだ其処を、押しつぶすようにして。
「……は、なんd「きゃあぁーッ!!!」
セツナは悲鳴と共に空間からマジックウェポンであるクォータースタッフを呼び出すと、亜高速でトリスを横なぎにぶん殴った!
こうかは ばつぐんだ!!
胴体はセツナが乗っかっているため吹っ飛ぶ事は無く、頭だけを直接打ち据えられたトリスは首が嫌な音と共にひん曲がる。
「う、うわぁ……」
傍では与えられた痛みを想像するルートが感嘆の声を上げる。ぜえぜえ、とセツナは荒い息を繰り返しつつ、ぐったりとして動かないトリスを見つめていた。
「……は。…………う、埋めた方がいいでしょうか……」
ぴくりともしないトリスに、セツナが結構本気の眼で告げる。
「せっちゃん、とりあえず珍しく深呼吸して落ち着いて。あと、とりすんまだ生きてるよ。」
そういいながらもルートは布団を部屋に戻していた。
―…待つ事しばし。
セツナの応急処置で奇跡的にも命を取り留めたらしいトリスは、5分と立たずに意識を取り戻した。といっても、原因はセツナ自身にあってその諸悪の根源もセツナだが。
「……なんか……本当に、すみません……」
「いや、いいけど……」
二人はあげ・だっしゅのくいだおれ名義で使っている部屋にいる。ルートは先ほどのセツナの叫びを聞いて集まってきだしたほかの冒険者達に適当な言い訳をしに行ったので、部屋には二人きりだ。しかも空気はいつもの和やかな雰囲気ではなく、どこか気まずい。
「……で、今、どうなってんだ、それ……」
それ、とトリスはセツナの膨らんだ胸を指すと、セツナは瞬間苦虫を噛み潰したような顔になる。トリスは聞かなきゃよかったと思った。
「端的に言うと、一時的に女になりました。」
「あ、ああ……うん……そっか……」
このことについては一言も触れないで欲しい、とありありのオーラが見える。若干押しかけてしまったトリスとしては、悪い気しかしない。
「……ていうか、なんで来たんですか。」
めちゃくちゃ不機嫌なセツナの声。静かな部屋だけに、響き渡ってさらに空気の悪さをいっそう深める。
「そりゃ……その……えっと……」
「風邪ってルートが言いましたよね。」
「あ。うん。それは聞いた。」
「だからなんで来たんですか。ルートは信頼無いんですか。それともオレですか。」
「そういうわけじゃ……ねーよ……」
本当は、セツナがまた前みたく何かの拍子で倒れたのかと気が気じゃなかっただけだった。
疑い、という気持ちよりも心配という気持ちのほうがトリスには大きかった。だから、カーテンの引かれた薄暗い部屋で真っ赤な顔をしてうつむく。
「…………だった、んだよ……」
「なんですか?言いたい事があったらきっぱりおっしゃってください。」
小さく声にならない呟きだったが、しっかりとセツナは聞いていたらしい。といっても聞こえていたのはほんの一部だったようだが。
「心配、だったんだよ!お前、いつもふらふらふらふらしてるし、まーた今回も倒れたのかと思ったら、その……えーっと……」
言いかけて、再び口ごもる。次に続く言葉が思いつかずに―…いや、自分が今口走ってしまった事を自己嫌悪してしまう。
ちらり、とセツナのほうを見ると、セツナは少しだけあっけにとられた表情を作っていたものの、そこに先ほどまでの不機嫌な色は無かった。
「と、とにかく!!大丈夫なんだよな!」
「ええ。まあ、今日中に治るらしいですし。」
「だったら帰る!もう、どーせ外に出たくも無いんだよな。俺、帰るわ。うん。」
恥ずかしいのをごまかすように、トリスは立ち上がる。そして、部屋の出入り口のほうへと歩き出した。
「……トリス、今日はすいませんでした。少しオレも気が立ってました。」
「いいよもう。でも、絶対埋め合わせはしてもらうからな!」
「ええ、もちろん。」
トリスの言葉に、セツナはくすりと微笑む。トリスはセツナに軽く手を振ると、ドアノブを握る。
その時、だった。再びセツナに朝と同じような異変が起こったのだ。
「―ッ!こ、れは……っ……」
ぐるり、と回る視界。おそらく薬の効き目が切れてきたのだと直感したが、自分にはどうしようもない。
「セツナ?……!おい、セツナ!」
トリスがドアから手を離し、いきなりその場にうずくまったセツナにトリスが慌てて駆け寄る。
「だ……いじょうぶ、で……す…っ、すぐに……おさまりますから……っ……」
がくがくと震える体を押さえつけるように自分の体を抱きしめるセツナの手は、力が込められすぎて白くなっていた。
「収まるっつったって……」
そういうセツナの顔色は死人ギリギリの色だ。いくらなんでも大丈夫じゃないのではないか、と思ったときひときわ大きくセツナが息を吐いた。
「……は、ぁ……恐らく、これで……」
そういって、セツナは確認する様に自分の服の首元を少しだけ広げる。だが―…その動きは途中でぴしりと緊急停止した。
「……せ、セツナ……?」
トリスの声が、わずかに上ずる。
というのも、彼(今は彼女なのかもしれないが)の胸のふくらみは、服越しでさえも目視する事が出来るほどになっていた。
所謂、メロンサイズ。
「……ど……どういうことですか!!これはっ!!」
再び絶叫交じりの声を上げるセツナ。その声色は変わらないものの、顔つきはさらに女性に近づいたように見える。
「せっちゃん、どーかしたの?」
と、軽い騒ぎを聞きつけたルートが部屋に入ってくる。そして、さらに色っぽくなってしまったセツナを見つけ、その表情から笑みが消えた。
「……わお。ナイスバディ。」
驚きを通り越して素の声で言ったルートにセツナのクォータースタッフが火を噴くのは想像するのは簡単なことだった。
その後。
イレイスから失敗作だったということが証明され、セツナは薬が完全に切れるまで一切外出はおろか部屋の外からすらも出てきませんでしたとさ。
Panic Cyandy! fin!