犬も食わなかった話
「助けて!!」
静寂に包まれている筈の森の仲、年端もいかない少女の叫び声が響き渡る。
声を上げた彼女の喉元にはナイフが突きつけられており、少女が抱く恐怖は計り知れない。
「さあお前ら、それ以上近づくとどうなるかわかってるんだろうな!?」
目の前にいる5人ばかりの人間にそうタンカを切って見せるのは、とても悪人顔をしているある意味ではとても解りやすい男だった。
それに対面している5人の人間――……もとい、冒険者パーティの面々。
「解りやすい方ですね……どうします?」
そのうちの一人、セツナが少し困ったように視線を向ける。
今回の依頼は単純明快、少々お転婆な貴族のお嬢様の子もりの『冒険者ごっこ』であった。
安全な道中に、そこそこ有名な冒険者を連れて歩く、考えうる限りで危険などなかったのだが、たまたまならず者とエンカウントしてしまい――……
そしてこれまたお嬢様がたまたま不用心に近寄ってしまったので、あっさりと人質にとられてしまったのだ。
「どうするって……うーん、頭一発ならギリなんとか……」
ルートが隠し武器をちらつかせながら困った風に言ってみせる。
盗賊として確かな彼の腕前なら、言葉通り男の頭にそれを投擲して見事命中させることができる。
しかし、それでは問題があるのだ。
「……くれぐれも血生臭い所は見せるな、だろう。忘れたのか、ルート」
「覚えてるもん。覚えてるから聞いたんじゃない」
そう。幼気の無い女の子に精神的ショッキング映像を見せる事は絶対にするなと言われていた。
シンヤの忠告に、ルートがむ、と小さく眉をひそめる。
「……茶番だな」
はあ、と実に面倒くさそうに深くため息を吐いたのはイレイス。
そして、小さな声で何かを呟きだす――……それはまごうこと無き、魔法の詠唱であった。
「ちょ、ちょっと兄貴!?」
慌ててブロウが止めようとするが、時すでに遅し。
イレイスがぱちん、と一つ指を鳴らすと男を中心として小規模な竜巻が起こったのだ。
「ぶわっ……うおおおおお!?」
「きゃああああああー!!!」
ものすごい風に男と少女の悲鳴が同時に上がる。
「――ああもう!!」
仕方がないと言ったようにブロウが駆ける。
風が収まるか収まらないかのその刹那。完璧なタイミングで少女とならず者の間に割って入り、颯爽と彼女を救ったのだった。
* - * - *
「――……で、あとはその人を軽くボコって終わり」
「すっっっげー!!!」
冒険者が滞在しているといわれている通称『冒険者の宿』にて。
大体どの施設でも1Fは食堂兼酒場として運営している。そこもまた、そうだった。
食堂ではあぶれた冒険者たちが各々時間を過ごしていたりするのが大体よくある光景である。
今日は自分達がやりたいと思う依頼のなかったブロウは、できそうな依頼のなかったダコワーズにせっつかれ、先日の依頼のあらましを語っていたのだった。
ダコワーズはまだ冒険者として初心者マークが輝く程レベルが低いからから、こういった『お戯れ』な依頼の話でも目を輝かせて聞いている。
そもそも、彼自身ブロウに憧れて冒険者になったという経歴があるので、余計にそうなのかもしれないのだが。
「いや、そんなに凄くないよ。結局何時もどおり兄貴が適当に好き勝手やっただけだしさ」
「酷い言い分だな。しかし決して否定はしない。むしろそこが私の正義であると胸を張ろう」
「張るな、えばんな、開きなおんなッ!」
それをそばでぼんやりと聞いていたらしいイレイスの言葉に、ブロウが突っ込みをいれる。
別のテーブルで本を読んでいるセツナはちらりと視線をむけるだけで別に何かを口に出すわけではない。
まあ、よくある光景で、何時もどおりの日常だ。
「やっぱブロウさんはかっけーよなー……」
うんうんと頷くダコワーズ。一体どこにそうさせる何があるのか、誰もたぶんわからない。
その時、入り口の扉が開き、カランコロンとドアチャイムが鳴り響く。
「ただいまー!いっぱいオマケしてもらっちゃったー♪」
そう言いながら上機嫌に宿に入ってきたのはルート。後ろにシンヤもいる。
二人は道具の買出しに行っていたようで、大きな紙袋をどちらも抱えていた。
「お疲れ様、二人とも。……それにしても、えらく買い込んだな」
「半分くらいは『オマケ』だ。全く……」
シンヤが軽い疲労感からか息を吐いて、テーブルの上に紙袋を置く。
ルートに付き合わされて様々な場所に連れて行かれただろう事は、想像にたやすい。
「あっ、そうそう。お菓子もいっぱいもらったよ、ほらほら!」
ルートが抱えていた紙袋をひっくり返す。
すると、その中からはキャンディーやクッキー、チョコレートといった様々なお菓子がテーブルいっぱいに広がった。
「……またえらく大量ですね」
その光景に、離れた場所にいたセツナも寄ってきて眉をひそめる。
ルートが一体どれだけの相手に『おねだり』を行使したのか考えたくもないのだろう。
「えへへ、いいじゃんいいじゃん。もらえるものは貰っとけ、ってねー。
いっちー、ぶろりん、チョコチップクッキーと紅茶のクッキーもあるよー、 どっちがいい?」
ルートが並んで座るイレイスとブロウに個別包装された大きなチョコチップクッキーと紅茶のクッキーを差し出す。
「じゃあ……俺、チョコチ「チョコチップを頂こう」
ブロウが手を伸ばすよりも先に、イレイスが颯爽とルートの手からチョコチップクッキーを奪い取った。
そして袋を開けて、有無を言わさずもぐもぐと食べる。
「……俺が食べたかったんだけど」
「こういうのは早い者勝ち、とよく言うだろう?」
「だったら、明らかに俺が先に言っただろ!」
「はっ、口より行動で示さなければ意味はないという事実を知らないのかお前は」
二人の間に走る、険悪な空気。
たしかに軽口の応酬は日頃よくやっている。
しかし、今やっているそれは今までのどんな事よりも、何かよくないものの前触れのようだった。
「そうやって動きまくって周囲に迷惑を撒き散らすのが兄貴ですってか。 ……やっぱ性格悪ぃっつの」
「ふん。その性格の悪さに助けられてきた愚弟が。どのような文句をつけたとしても妄言にしか聞こえんがね」
「……えっ、えーっと……ええー……?」
二人の間に走る火花。その間にサンドイッチされたルートはおどおどと二人を見比べながら立ち尽くすばかりだ。
その手には残った紅茶のクッキーが所在無さげに握られている。
もちろん戸惑っているのはルートだけでない。セツナも、シンヤも、ダコワーズまでも。
イレイスとブロウの喧嘩を固唾を呑んで見守るしか出来なかったのだ。
「大体からそうやって何時も何時も俺の言う事成す事文句つけやがって。その頭は不満しか言えないってか?」
「不満?正当な意見といってもらおうか。
アホ馬鹿間抜けを体現し、そのまま行動を起こす愚者は理解という二文字すらも与えられないとはな」
「理解しねーのは兄貴の方だろうが! 危ない橋ばっか渡りやがって!!後で謝るの俺なんだぞ!!」
「ハッ、謝る機会を与えられることに感謝するべきだろう!
私が居なければ二桁単位、いや三桁の大台に乗るくらいに命を落としているだろうからな!」
「ふ、二人とも、お、落ち着いてっ……どうどう、ど、どうど……」
『黙れ異常性愛者!』『人モドキが、鎖に繋いで保健所送りにしてやろうか狂犬ッ!』
ドルビーサウンドシステムで罵声をとばされ、ぴゃっと肩を震わせ、逃げだすルート。
それが程よく水を差したらしく、イレイスとブロウはお互いにぷい、とそっぽを向くのだった。
「う、うわぁーん!!酷い言われようだよー!!せっちゃーん!!」
「よしよし、今回だけは同情します」
抱きついてくるルートをいつもは冷たく突き放すセツナだが、流石にイレイスだけではなくブロウからも罵声が飛んできた事を気の毒に思ったらしい。
涙目のルートの頭をぽんぽんと叩いて慰めさえしてみせた。明日の天気は槍だろうか。
「……なんだこれ……」
呆然とシンヤが口にする。
それなりに冒険者として共に行動しているが、このような喧嘩は始めてみる。
何時も確かに軽い言い合いこそしているが、いつもどちらかが簡単に折れるからこのようなことにはならなかったのだが。
「ねえ、僕なんか悪い事しちゃった感じ……?」
何時ものルートからは考えられないほどおどおどと戸惑ったように問いかける。
確かに発端はクッキーだった。クッキーだったがクッキーの取り合いごときでこんな風になるなんて誰が予想しただろうか。
……誰も出来ないだろう。
「と、ともかくあのままじゃ不味いですし…… 仲を取り持つ必要があると思うんですけど……」
「……?イレイスさんとブロウさんって兄弟ッスよね? 兄弟喧嘩ならそのうち勝手に仲直りするから大丈夫!」
セツナの言葉に、ダコワーズが自信満々に心配要らないといってみせるものの、正直当てにならない気がした。
「……。だっこーって何人兄弟だっけ?」
「え?俺5人兄弟の末っ子だけど……。あっ、ウチけっこーそういうのあったんで。
メイドさんや執事さんが悲鳴上げて逃げ出したり、避難させられたりとか 偶にあったんスよ」
「思った以上に危険地域だな……」
ダコワーズの言い分に、シンヤが引きつったような笑いを浮かべる。
彼はとある街の領主の領主というかなりの良家出身だという事は本人の口から聞いた事があったが、それなりに苦労する事もあったようだ。
「んー、でも、あれほっとこう、って気には中々ならないよね……」
ちらり、とルートがイレイスとブロウに視線を配る。
二人は既に完全に別行動をとっている。酒場の空気も、何となく重たい気がする。
その時、再びドアが勢いよく開かれて、ドアチャイムが場違いな程涼しげな音をたてたのだった。
「こ、ここは冒険者の宿ですよね!!」
そうして駆け込んできたのは、どこにでもいそうな村人Aといった風貌の青年だった。
いかにも急ぎだというような様相で、肩でぜえぜえと息をしている。
「そうですが……。飛び込みの依頼ですか?」
普段、冒険者の宿に『依頼』を出すには亭主に張り紙として必要事項を記入した紙を出さなくてはならない。
しかし、時折こういってそんな事をしているヒマのない緊急性の高い依頼というのは時々ある。
そう言った場合、その場で話を聞き、依頼を受けるというのは咎められるどころかむしろ推奨される程であった。
「あっ、はい、そうなんです!!実は、直ぐ近くの山にでっけぇモンスターがでて! 急遽冒険者さんに依頼したいんです」
「……大きなモンスター、ですか」
青年の話を聞いて、セツナが実に渋い顔をする。
普段ならば一つ返事で後ろに居るブロウが受けると言っただろう。困ってる人間は見過ごせないタイプだし。
そもそも、フルメンバーがそろっている今では大体の敵――……ドラゴンのようによっぽどの敵でさえなければ、難なく打ち倒せると自身を持っていえる。
しかし、だ。リーダーのブロウと参謀のイレイスが喧嘩中、パーティの要が殆ど麻痺しているといっていい今ではそれがどこまで通用するのだろうか。
「わかった。ちょっと詳しい話、聞かせてくれるかな?」
「は、はい!!」
そんな事をセツナが思案するが、ブロウは関係ないといったばかりに村人に話を聞こうと試みる。
どうせ『請ける』といってしまうのだろう。その展開は読めたので諦めて椅子に座るのだった。
「え、ええと、何から話したものか……」
「そうだな――…… 村の移置と、でっかいモンスターについて詳しく教えてくれないか?」
ブロウが話を促すと、青年は所々詰まりながらも依頼内容を口にしたのだった。
まず、彼の村は左程遠くない場所にあるということ。
そして、直ぐ近くに山があり、そこにモンスターが居る事。
そのモンスターは、二メートルは超えるかという大きい物だという事だった。
「……うーん、それってトロルじゃないの?」
スティックキャンディーをぼりぼりと音を立ててかじりながら、話を大人しく聞いていたルートが見解を口にした。
トロル。巨体がウリのモンスター。
大きい物で三メートルを超えた個体が居るという報告さえある。
攻撃力、防御力、さらには再生能力が高く、駆け出しの冒険者なら逃げるしかないし、並みの冒険者でも下手をすれば全滅するだろうという手ごわい相手だ。
「――リーダー、それでも請けるんでしょう?」
「ああ、当然だ。皆、今すぐ準備しよう!」
「了解ッス!!」
ブロウの掛け声に、ダコワーズが元気よく声を上げる。 しかしそれをすぐさまシンヤが手で制す。
「いや、ダコワーズ、お前は残っていろ」
「えーっ……俺も一緒に行きたいのに」
「お前はまだ駆け出しだろうが……。 ゴブリン退治でも苦労するんだから、怪我じゃすまない」
「……ちぇー……」
自分の実力はわかっているらしく、しぶしぶと言ったように椅子に座りなおす。
実際、ダコワーズは同じパーティを組んでいるフィナンシェ、グラッセの3人がかりでようやくゴブリンの一団を撃退できる程だ。
しかしブロウたちであればそれくらいなら一人で難なくできるわけで。
……言うまでもなく、物凄い壁があるのだ。
「…………えーっと、いっちー……?」
イレイスは椅子に座ったまま、立ち上がったブロウをガン見――…いや、睨みつけると言った方が正しいか。
ブロウはそれをちらりと一瞥して見せただけだったので、ルートが代わりに恐る恐るといったように声を掛けた。
「……何だ?」
その声色は特別冷たい事もなく、気持ちが悪いほど普段通りであった。
「いっ、いかないの、かなぁって……」
「何だ、来てほしいのか?」
その言葉の裏を、ルートは解らない程子供じゃなかった。
お互い喧嘩してどうしようもないもやもやとした感情を抱いている事を受け入れているのだろう。
要するに自分が行った所で空気が悪くなるだけだ、とイレイスは割り切ってしまっているのだ。
「ほっとけ、ルート。来たくなけりゃ来たくないでいい」
「大きく出たな。困った時は『おにいちゃ〜ん』と私に泣き事を抜かす奴の分際で」
「泣かしにかかってる張本人が何を言ってるんだよ。 言っとくが泣き言の殆どの原因はお前自身にあるんだからな」
むっ、とお互い眉をひそめた状態での言い合い。
対シンヤの時はイレイス自身おちょくってるような雰囲気があるので、左程空気は悪くならないのだが、今回はガチだ。
凍りついたような空気が周囲にさぁっと広がっていく。
「わーわーわーわ!兎に角さ、村人Aさん困ってるから行こうよ!!
せっちゃんが魔法使えるつってもちょっとだけなんだから!!いっちーいないと困るのはせっちゃんなんだからね!!」
「……まあ確かに困らないこともないですけど」
その間を取り持つようにしてルートが再び入りつつ、イレイスを無理やり引っ張り立たせて引きずる。
引き合いに出されたセツナはどこか他人事のように変な返答を返すばかりだ。
「ええ、と、だ、大丈夫ですか?」
「……ちょっと今日は……特殊なだけだ」
その一部始終を見ていたらしい青年が実に心配そうな顔つきになる。
シンヤはその気持ちが存分に理解できたので、小さく首を横に振りつつもあいまいな言葉でお茶を濁す事しかできなかった。
* - * - *
青年を先頭にして歩いてしばらく。村へは、簡単にたどり着くことができた。
最も、何時もならどこか和やかな空気が漂って冗談の一つや二つもでるのだが、今日にいたってはひたすら険悪ムードだったのは言うまでもないだろう。
「――……戻ったか!」
誰かの名前を呼んだかと思ったら、此方へとかけてくる一つの影。
壮年の男性、といった所だろうか。待ちきれなかった様子で、青年に近寄る。
「村長!冒険者さんたちをお連れしました!」
「そうか、よくやってくれた……ありがとう」
壮年の男性は青年に礼を言うと、此方へと向き直った。
「話は聞いていると思う。私は村長のデカルトというんだ。 早速、依頼に向かって欲しい」
「ああ、わか――……」
「ちょっと待て。報酬の話を全くしていないのだが?」
ブロウが一つ返事で了承しようとしていた所、イレイスが話を割り込ませる。
「そんな話、後でもいいだろ」
「黙れ。後回しにして面倒事にならなかったことの方が珍しいだろう」
イレイスの言葉に、ブロウが噛みつく。ブロウの言葉に、イレイスが噛みつく。
今までは全く見られなかったこの光景だが、これまでの流れで残りの三人も慣れなかったわけじゃない。
「そこまでにしてください。依頼として受ける以上、報酬の確認はやっておくべきことでしょう?」
セツナにはブロウ自身がイレイスに突っかかりたいだけのように思えたのだ。
案の定、軽くとりなすとブロウは押し黙った。
最も、仕方がないと口にはしなかったものの少々不満そうな態度がありありと見て取れたが、それこそ仕方がないのだろう。
「……ええと、その」
「ちょっとあの二人の事はそっとしておいてあげて。 それで?報酬いくらもらえるー?」
その異様さはやはり相手方に伝わったらしい。
村長も青年同様戸惑ったような顔になるが、ルートがすぐさま話の続きを促すと、ひとつ咳払いをしてから再び口を開いた。
「……こちらでは、600程用意しております」
「安いな」
イレイスの率直な感想に対して村長の表情が苦いものに変わる。
相手にもよるが、大体ゴブリンの様な下級モンスターに対して600で相場より少し足りないかどうか、といった程度だ。
中級、いや上級モンスターであるトロル相手となると、その二倍は頂かなければ割に合わない。
「ですが……この村は……」
「いいよ、それで。皆も異論は無いだろ?」
重々しく言葉を吐き出す村長よりも先に、ブロウが声を上げた。
「……私は、リーダーの意見に反対しません」
「僕はせっちゃんにさーんせー!」
「俺も異論は無い」
セツナが賛同し、ルートがセツナの意見に賛同する。何時もの光景だ。
ただ、イレイスだけは軽く視線を向けるだけで何も口にしない。
どのような言葉を向けたとしても意味がないという事を知っているのだろう。
「あああ……ありがとうございます……」
「それで、一体どの辺りで発見したんだ?」
「はい……あの山の中腹、狩人が動く巨体を見た、と……。いまの所、村に被害はありませんが……」
それも何時何が起こるかわからない、といったところだろう。
苦渋に満ちたため息を村長が吐いたとき、村の奥から此方へと駆け抜けてくる音が響き渡った。
「村長ー!!大変だ、村長!!」
「何があった!?」
「じ、実は……うちの息子が勝手に山に入っちまったみたいで……」
「何だって!?」
その村人の言葉に、村長だけではなく、ブロウ達にも緊張が走る。
「うっはー、救助者が増えたー……仕事が増えるぅ……」
ただ、ルートだけは実に嫌な顔をしているのだが。
「大丈夫、その息子さんってのも探して来ればいいんだろ」
「ああ、お願いします。まだ10歳くらいなのに……」
「成程――……事は一刻を争いそうだな。急ごう」
ブロウは安心させるように駆け抜けてきた村人に笑うと、山の方にへと進んでいくのだった。
村よりしばらく歩くと、山についた。
木々は青々と茂っているが、村の人の出入りはそれなりにあったようで、所々木が打ち倒されていたり、しっかり踏みならされていたようで道がのびている。
この道より逸れなければ、迷う事もなさそうであった。
「えーっと……、どうする?」
ルートが躊躇いがちにブロウに視線を向ける。
いつもなら真っ先にイレイスが依頼内容と周囲の状態から彼の頭で思い描ける最良の提案をしてくるのだが、それが期待できない。
「とりあえず、いつも通りやろう。ルート、周囲を調査してみてくれるか?」
「おっけー、まっかせといて♪」
ブロウの要請を受けて、ルートが周囲を調査する。
綿密とは程遠いノリであったが、こんな森の中でしかも足跡の痕跡調査ならばそれで十分なのだろう。
遺跡に存在する罠のように、引っかかって面倒な事になったりするわけではないのだから。
「――……どうですか?」
「んー、新しい子供の足跡がずっとそっちに伸びてるね。トロルのものは無いかな」
「わかった。ありがとう。じゃあそっちに行こう。ルート、先導は頼んだ」
「おっけーおっけー。……いちおー確認しとくけど、子供の足跡優先って事でいいんだよね?」
「ああ。先にそっちを優先しよう。獣が出ないとも限らないからな」
そうして、ルートを先導にして山の中を歩く、歩く。
普段ならば他のメンバーから軽口の一つや二つや三つ後ろから飛んでくるのだが、それが今日は無い。
静まり返った中、風の音と鳥の泣き声だけが響いていた。
(……ううう、盗賊的にはやりやすいっちゃあやりやすいけど……正直、別ベクトルでやりにくいよぉ……)
老人の首肩腰よりもこり固まった空気は、正直少年の心には苦痛でしかなかった。
何時も半分ふざけた様な態度ばかり取っているから、なおさらである。
「……やれやれ」
セツナはそんなルートの内心を読み取ったらしく、一人小さく息を吐く。
イレイスはあれから黙ったままついてくるばかりだし、ブロウも最低限しか喋らないまま先へと進む。
こんな調子では、チームワークもへったくれもないだろう。
一応サポートに回るつもりでいるが、それもどこまで通用するかわからない。
「シンヤ、何か異変はあります?」
「無い」
周囲に気を配っているシンヤに話しかけてみたが、直ぐに会話は途切れた。
セツナはもう一度、今度は改めて長いため息を吐く。
「私は、貴方の事はつまらない人間だと思うんですよね」
「……面白いと言われる方が不快だ」
「そうですか」
八つ当たり、というわけではない。 ちょっとイレイスのようにからかってみたかっただけであった。
しかし進んで他者と会話をしたがらないシンヤは、
仲の悪いイレイスだけでなくセツナに対しても突き放すような言い方しかしないので、やはり会話は再び簡単に途切れるのであった。
「……あっ!」
前を歩いていたルートが短い声を上げる。
「どうしたんだ、ルート」
「トロルの足跡があったよ〜」
そうして、ルートが指をさした先には深くはないがちょっと面積は広いくぼみのようなものがあった。
たしかに、ずんずんとそのまま道の先をいったようで、奥へと続いている。
さらに困った事に、子供の足跡も同様に奥へと続いていたのだった。
「……追われてるのか?」
「ううん。その可能性はないよ。トロルの足跡のほうが先についてるからね。 その子、足跡を追って行っちゃったんじゃないのかな?」
「きっとその子供とやらはトロルを見に行ったんでしょうね。 好奇心、猫も殺すと言いますし、原型を留めていればいいんですが」
そうして、セツナが軽くグロテスクな事を口にしてみる。
しかし、いつも誰かしらから入る突っ込みも、ネタに乗っかった発言も出てくることもなかった。
(……けっこー、重症なんじゃない?)
(それはオレも思いました)
お互い目で会話するセツナとルート。
前途多難ともいえる状況に、二人して疲れと呆れの入り混じった視線を張本人であるブロウとイレイスに向けるしかできなかった。
「急ごう。その子が心配だ」
「そだねー。倒せたけど助けられませんでしたー、じゃ、寝覚めわるいもんね」
ルートはなるべく明るい声を出して、さらに先へと進んでいく。
「――うーん……」
どのくらい歩いただろうか。 不意にルートが唸り声をあげて、足を止めた。
「トロルの足跡は続いてるんだけどー……子供の足跡が途切れてる」
「この辺りで潜んでる、ってことですか?」
「そうかもしれないし、そーじゃないかもしれない……僕にはわかんないよー」
ルートが困った、というように手を上げる。
答えは簡単。そういう事を考えるのはイレイスの仕事だったからだ。
ブロウはちらりとイレイスを見るが、イレイスは相変わらず冷めきったような目をしている。
お互い何かしら思う事があったのか、一言も発することなく、ふいとほぼ同じタイミングで視線を逸らしたのだった。
「とりあえず、近くにいるかもしれない。呼んでみよう」
ブロウはルートに向きなおると、そう提案した。
イレイスならばもっと的確な助言をくれるかもしれないが、いまはとてもじゃないがそれを貰えない。
結局の所、方法はそれしかないのだ。
「うん、わかった。僕がやってみるよー」
すうっとルートは大きく息を吐く。
そして両手を縦にして口元に持って行き、音が広がるようにする。
「おーい!!ねー、いるんでしょー!?たーすーけーに、きーたーよぉー!!」
ルートの声が、山の中に響き渡る。
しぃん、と余韻で静まり返るばかり――……やはり、誰も居なかったのだろうか。
一同にそんな思考がよぎる中、ルートがぴくりと何かに反応した。
「声がする」
「何処からですか?オレには聞こえませんが……」
「んーとね……こっち!!」
たっとルートが駆けだす。その先には、立派な木があった。
ルートがその木の下から上を見上げる。そこでようやく、セツナにも解った。
その木のかなり上の方だろうか。少年が幹に捕まって此方を見下ろしていたのだ。
「だーいじょーぶー!?けがとかしてるー!?」
「だいじょうぶ、だけど、おりれなくなっちゃったんだ!!」
少年は必死に叫んで此方に状態を伝える。
――その時だった。ずぅん、ずぅん、とやたら重みのある足音が響き渡ったのは。
「うわっ!?タイミング悪ぅ!?」
ルートが叫ぶと同時に、シンヤとブロウが剣を抜き、やってくるであろうモンスターに備える。
木々の間からでも捕えられる巨体。間違いない、トロルだ。 恐らくルートの声で引き寄せてしまったのだろう。
『―――ルオオオオオオオーーー!!!』
トロルが獲物を発見した喜びに、大きな声を張り上げ叫ぶ。
それだけでそんじょそこらの冒険者なら足を竦めてしまいそうなものだが、それなりに場数を踏んでいるブロウたちに恐れはない。
…・・・そう、ブロウたちには、だ。
トロルがどすどすと音を立てて此方に向かいながら拳を振りかぶる。
「っ、わ、わあああああああー!?!?」
その後ろで少年の悲鳴。怖れを成して足を滑らせてしまったらしい。
「うわっ!?まっず!?」
回避行動をとってしまえば少年はどうなってしまうかわからない。
かといって、少年を助けに走ろうものならトロルの拳で打ち抜かれるだろう。巨体から繰り出される攻撃をまともに防御するものではない。
ルートが指示を出すはずのブロウに視線を向けた時、ブロウは一人迷いなくトロルに向かって飛び掛かっていた。
「ぶろりん!?」
「あの子はどうする――……」
ルートに続いてブロウのその行為に戸惑ったセツナが問いかけようとして振り返る。
すると、彼には見えたのだ。
いつの間にか呪文を唱え終わっていたらしいイレイスが背中に薄い紙の集合体の様な羽を構築し、地面を蹴り空に羽ばたいていた所を。
「たぁ――ッ!!!」
ブロウの剣がひらめく。その太刀筋には一切の迷いもなかった。
その数瞬後に、ごとんと何か重いものが落ちる音が響く。
『ウグオオオーーッ!?』
トロルが苦痛の声を上げる。振り上げかけた右腕は、二の腕より先が消失していた。
地面には、ブロウによって切り落とされた腕がごろんと転がっていた。
「セツナ、ルートはサポートに回ってくれ!シンヤ、後は頼んだ!」
「――っ、わかりましたッ!」
「ほいほいほーい!!」
セツナがブロウの声に反応し、クォータースタッフをくるんと手の中で旋回させる。
それと同時に言葉を紡ぐ。自分が得意としている、呪術の詠唱であった。
「そーれっ!」
ルートがその横から駆け抜け、トロルに向かって短剣のようなものを投射する。
それはトロルの体に数本突き刺さり、相手の動きを一瞬だけ止める。
「――……影よ、縛れッ!」
それと同時にセツナの呪文の詠唱が終了。トロル自身が生み出していた影がぐにゃりとまがり、その体にまとわりつく。
それだけで、充分であった。
すぐさまシンヤがその前に立ちふさがり、身の丈ほどもある大剣で一閃してしまえば、トロルの胴体は真っ二つになり、そのまま動かなくなるのだった。
「……ふう」
ぱちん、と剣を鞘に納めたシンヤが息を吐く。
こうして前触れなく始まった戦闘は、あっという間に終わったのだった。
「おおおお!!すっげー、すっげーじゃん!!」
イレイスに抱えられた少年が一連の光景に声を上げる。
「おい下ろすぞ」
「おう!!兄ちゃん、ありがとーな!!」
「っていうか、君は何でこんなとこに居るのかな」
イレイスに礼を言う少年に、ルートがじとっと睨みつける。
「そ、その、ちょっとだけ……トロルってどんなやつなのかな、って思って……」
「……今回は運が良かったから生きているが。下手をすれば死んでいたぞ」
「う……、今度からもうやらないよ……」
シンヤの言葉に反省したのか、少年はしょんぼりと眉を下げる。
(……喧嘩しても息は合っているんですよね)
セツナはいまだ互いに言葉の無いイレイスとブロウに視線を向ける。
あの少年が落ちた時、ブロウは真っ先にトロルに向かったのは、イレイスが助けると踏んだのだろう。
そしてイレイスもまた、あのタイミングで呪文の詠唱が終えていたという事は、ブロウがそういう行動をすると見越していたからに違いない。
「ブロウ……イレイスと早く仲直りしませんか?」
「そうやって今まで俺が何回折れてきたと思ってるんだよ。今回は流石に堪忍袋の緒が切れたんだ」
セツナが苦笑いを浮かべながら進言してみるが、すぐさま否定される。
どうにもこれは根が深そうだ。仲直りできるのはまだまだ先の話かもしれない。
「兎に角かえろっか。その子の親も心配してるだろうしね」
「……ああ、そうだな。依頼も終わったしな」
ルートを再び先導にして、一同は村への道を辿っていく。
こうして、トロル退治の依頼はあっけなく幕を閉じるのだった。
……いや、話はもうすこしだけ続くのだけれども。
* - * - *
「皆様、本当にありがとうございました」
少年を連れて帰って開口一番、村長が深々と頭を下げる。
「俺たちは依頼の通りにやったまでだよ」
「あの子も無事助けていただいて……返す言葉もありません」
そういって、村長はちいさな袋をブロウに差し出す。
中身は銀貨がつまっており、今回の報酬だろう。
「確かに。じゃあ、帰ろうか」
「そだねー。特に見るような場所もなさそうだし」
ブロウにもろ手をあげて賛成するルート。
その内容はナチュラルに失礼だが、事実なので誰も気にしないのだろう。
「あっ、兄ちゃんたち、帰るんならちょっと待ってくれよー。3分くらい!」
「ああ、別にいいけど……」
それだけ告げると少年はどこかへと走り去っていく。
恐らく、自分の家の方だろうか。 そしてきっかり3分くらいたってから、再び此方へと戻ってきたのだった。
「ふー、またせたな。これ、俺からのお礼!」
そうして少年が差し出したのは、器の中にたくさん入ったクッキーだった。
チョコチップや紅茶がねりこまれたもの、中にはココアパウダーを練りこまれたものまであり、実に多種多様であった。
「わ、わー……クッキー……だー……」
お菓子大好きなルートは喜んでみせるが、その表情は何となく硬い。今朝の事件が脳裏によぎっているのだろう。
それはルートだけではなく、セツナやシンヤも同様であった。
「もしかして、兄ちゃんたち、クッキー嫌いなのか? かーちゃんの手作りで、うめーんだぜ!」
「いえ、頂きますよ。クッキーには並々ならぬ感情が渦巻いているだけなので……」
そういってセツナはおもむろに1枚の紅茶のクッキーを手に取る。
「ちょっと大人にはいろいろあるんだよ……。僕はせっちゃんとお揃いにしよーっと。しんやんは、チョコレートでいいよね?」
「任せる」
ルートが器から2枚とり、シンヤに一枚手渡す。
そして少年は怖いもの知らずか現状を理解していないか――……確実に後者だろうが。
イレイスとブロウにも同じように勧めるのであった。
「白い兄ちゃんと黒い兄ちゃんはどうするんだ?」
「うん、貰うよ」
ブロウがチョコチップが練りこまれたクッキーに手を伸ばそうとしたら、横からもイレイスの手が同じクッキーに伸びる。
二つの手はこれまた見事なタイミングでチョコチップのクッキーを端と端を同時につかんでいた。
「…………」「…………」
二つの視線が、交差する。
その光景を少しだけ離れてみていたセツナ、ルート、シンヤ、3人の間に緊張した空気が走る。
静寂に包まれて――……しばらく。
「………ははっ」
「………ふ……」
お互いが、小さく笑いあって。
「……半分しようぜ」
「それがいい」
ぱきん、とクッキーが半分に割れる軽い音が響き渡った。
それはまるで計ったかのように、等分だった。
「えっ……えー………えええー……」
もぐもぐと同じクッキーを食べるイレイスとブロウを、ルートが非常に納得いかない声を上げる。
「どうしたんだよルート、クッキー美味いぜ?」
「そうだな、悪くない。できれば紅茶欲しいなぁ……村長」
「は、はい、今すぐ用意します」
ちらりとイレイスが村長の方に視線をむけると、村長は颯爽と駆け抜ける。
おそらく数分もたたないうちにあったかい紅茶が用意されるだろう。
「おいこら兄貴、脅してんじゃねーよ!」
「何を言う。 報酬は安かったんだからな、これくらいしてもらって当然の権利だろう?」
「最悪だッ!!」
もうそこにあるのは何時もの二人のペース。
先程までガチ喧嘩をしていたことなど、誰も解らない程に仲が修復されていた。
「………せっちゃん、キレていい?」
「クッキー食べて落ち着きなさい。 ……はぁ、今回は珍しくダコワーズの言い分が正しかったですね」
「そう、だな……」
それとは対比するように、ぐんにゃりと疲弊したような顔つきになる三人。
その辺の実に面倒な依頼をこなしたときよりも、はるかに疲れたような顔をしていたとさ。
はいはいめでてぇ めでてぇ。