多分パーティ組んでちょっと経ったくらいの話
「……不味い」
イレイスが顔をしっかりと歪めながら吐き捨てるように言い放つ。
彼の手には軽くて丈夫な銅製の器と、木製のスプーンが握られている。
ちなみにその器の中身は熱いと主張するかのように湯気を立ち上らせていた。
「そっか?俺は別に嫌いじゃないんだけどな」
そうあっけらかんと答えたのはブロウ。
その手にはイレイスとまったく同じ器とスプーンを持っている。
「文化の違いという奴ではありませんかね。あまり理解したくない文化ですが」
セツナは至極落ち着いた口調だが、どことなく言い分には棘がある様に見える。
「そうだねー。せっちゃんには二度と食べさせたくない味っていうのは、確か」
その隣に座るルートは、口を尖らせながら前の3人と同じように器の中の感想を述べる。
此処まで読み進めて解った方もいるかもしれないが、あえて説明しておこう。
イレイスをはじめ、先ほどの会話に出てきたもの達は円陣を組んで座っていた。
真ん中にはそれなりの規模のたき火があり、やはりそれなりの規模の鍋が火にかかっている。
更に言うなれば、鍋の中はスープ。勿論それぞれの器に入っている物と同じだ。
つまりこれは、外でキャンプよろしくご飯を食べている状況なわけで。
「結論から言おう、家畜の餌だな」
イレイスはそれだけ言うと、手に持っていた器をことんと地面に置いた。
中身は殆ど減っていない。よっぽど食べ進めるのが苦痛だったのだろう。
「兄貴さぁ、作った人に失礼だとか思わないのか?」
その隣でスプーンから口を離しながら、ブロウがツッコミを入れる。
彼が作ったわけでもないのだが、あくまでも失礼な態度を取り続ける兄に黙っていられなかったのだろう。
「申し訳ありません。その件に関してはイレイスと同じ意見ですね」
「そだね、こんなの食べるくらいならカエル捌いて焼くよ」
その近くに座っていたセツナとルートも同じように地面に置いた。
二人とも、ほぼイレイスと同じようにまるっと中身を残していた。
「……うーん、そうかなぁ?」
ブロウは一人でスープを食べながら首を傾げている。
――さて。
これまで会話に出てきたものはこの料理を作った者ではない、という事にお気づきだろうか。各々がそれぞれ勝手に感想を述べただけである。
もちろん嘘ではないが。総合的に言うと、鍋の中身は出来が良くないにも程がある料理だ。三流とかそういうレベルの。
まぁ、慣れない人か腕が悪い人が作ってしまった、そういう料理である。そしてその腕の料理人とやらは先ほどから一切会話に参加していないのだ。
それが誰かというと――……
「俺の料理の腕が悪いのは認めるが、貴様だけにはバカにされたくないッ!」
音が立ちそうなほど勢いよくイレイスの方に指を指すのは三流料理人、もといシンヤ。
イレイスはそんな彼に一つため息をつくと、至極冷静に口を開くのだった。
「馬鹿にした覚えはないが?」
「不味い不味いと連呼するなというんだ!あとルート、お前もだ!」
「えぇー、そんな事言われても、事実だから仕方ないじゃん」
二次被害的に激を飛ばされ、ルートは頬を膨らませる。
それを見苦しい、とばかりにイレイスはやれやれと肩をすくめるのだった。
「そうだな。私もお前も事実を口にしただけの事。
不味いモノを不味いといって何が悪い」
「だったら食うなッ!」
「言われなくとも、一口でやめた」
これまでの罵倒にも似た感想に色々募っていたのか、イレイスに対し怒鳴りつけるシンヤ。
しかしイレイスは悪びれるわけでもなく謝るわけでもなく、シンヤから向けられた言葉を的確にさばいている。
これでもシンヤのほうが年上なのだから、世の中どうかしているというものだ。
「まぁまぁ、兄貴、次は俺の番なんだし……それでいいだろ?」
どうどう、と言う風に間に入って醜い言い争いを止めるブロウ。
イレイスと二人旅をしていた頃は彼のほうが料理を作っていたので、好みは熟知しているのだろう。
「……というかそもそも、料理を順番制にしたのが間違いではありませんかね?」
「うん、それは僕も思ってた。初日にぶろりんの料理食べたけど、すっごい美味しかったもん。あとすっごい手慣れてたし」
セツナの言葉に、ルートがブロウの方を見ながらうんうんとうなづく。
パーティを組んで動いて一か月。こうして時折野営する事もあった。
初対面どうしである人間が多かったため、全体の得手不得手を把握するのに一旦の様子見として、あらゆることを順番制にすることに決めていたのだ。
そして今日、シンヤが食事当番だった。そこから微妙なもめごとが始まったのである。
「う、うーん、ありがとう?……いや、でも、ルートはもうちょっと料理、勉強しような?」
ルートの褒め言葉にブロウがあいまいに笑う。
「美味しかったでしょー。とれたて新鮮!野ウサギの3枚おろし」
「それは後でブロウがシチューにしてくれたからでしょうに」
軽く呆れた様な息を吐くセツナ。なんてことはない、ルートの作って見せた料理もまた、問題があったのだ。
「ははは……うん、セツナの料理は美味かったよな?」
「ありがとうございます。干し肉と野草のスープしか作れませんが」
ブロウの言葉をにこやかに躱すセツナ。
その内容に思わずルートの方に視線を向けるが、ルートはただニコニコと笑っていただけなので、ああこれは本当なのだな、とブロウは結論を出した。
こんなことで嘘をつくわけがないと思ったものの、単なる冗談だとは思ったのだ。
「……あれ?そういえば、何で明日ぶろりんなの?いっちーじゃなくって?」
ルートがふと気づいたかのように指折りながら声を上げる。
先程、ブロウがイレイスとシンヤの喧嘩を止めた時の文言を覚えていたのだろう。
「ああ、それは兄貴が――……」
「待て、ブロウ」
それを聞き落とさなかったシンヤが説明をしようとしたブロウを遮る。
そしてじろりとイレイスの方を睨みつけるのだった。そこには相当な殺気が込められている筈なのだが、イレイスは悠然と受け流している。
「どうせお前の事だ、無茶を言われて変わっているだけだろう。
そこまで言うなら、お前が作れ、イレイス」
「えっ、ちょっ、違うって!?それだけはマジで止めておいた方が……」
「もう俺は我慢できん!馬鹿にされたまま終われるかッ!」
そうとう頭に来ていたらしく、ブロウの言葉を再度遮るシンヤ。
自分が料理はあまり得意ではないのは自覚していたようだが、そういうことを嫌いなやつに言われると三十倍頭にくるらしい。
しょうがないのよ、これって人間心理なのよね。
「いやほんっとにやめとけって!絶対後悔する!」
「このままのほうが後悔する!貴様の料理を食べて味見してやるから作れ!」
繰り返すシンヤにブロウが日頃見ないような勢いでとめようとするが、全くの無駄のようだ。
というか、そこまで彼が止めに走るのだからイレイスの料理は嫌な方向で相当なものであると想像がつきそうなものだが、完全に頭に血が上ってしまっているシンヤにはそこまで思考が至らないらしい。
「ブロウ、そいつが望んでいるんだ。この私が腕を振るってやろうではないか」
二人が微妙な攻防戦をやっている間、ずっと黙っていたイレイスがようやく口を開く。
その表情はどこか面白そうな事が起こりそうだとばかりににやりと口元をゆがませている。
「……兄貴……いや、でも……」
ブロウは戸惑うような声をあげつつ、じり、と後ずさりをする。
まるでイレイスの笑顔に恐ろしいモノを見つけたかのようだが――……
いや実際、イレイスという人間自体にぶっちゃけ恐ろしいものがあるのだが、それはそっと横に置いておこう。
「いいだろう。シンヤ、私も本気で作ってやる。だが、言い出したからには一口は食えよ。……約束だからな」
「当然だ、約束などなくともわかっている」
売り言葉に買い言葉のシンヤの答えを聞いて、イレイスの笑みは増々もってダークになっていく。
ブロウはただそれを口出しするでもなくハラハラとした面持ちで見守るしかできなかった。
そもそも、下手に口出ししてみてもイレイスに丸め込まれてしまうだろうし。
「大丈夫……じゃないだろうなぁ……」
これから起こりうりそうなことを何となく把握しているブロウはその場で深く深くため息をつく。
その時、背後で話を聞いていたセツナがブロウの肩をとんとん、と軽く叩いた。
「ブロウ、えらくイレイスの料理に対して警戒しているようですが、あの人の腕前はどのくらいなんですか?」
「食ったら死ぬ」
えらくはっきりと、そして明確にかつ即答であった。
不穏な空気漂う彼の声色に、きょとんとルートが首を傾げる。
「うっかり一服盛っちゃうって事?」
「いや、もはや食べ物じゃない」
ルートの推測も酷いが、それ以上にブロウも酷い言い様である。
そもそもブロウは性分というか、人柄上あまり他人の事を悪く言ったりはしない。
余程嫌っている相手なら別なのかもしれないが、そもそも彼が嫌っている人物が思いつかない。
そんなブロウがここまで他人の作品?について悪い評価をつけるのだ。
「……ふむ、それはなかなか、立派なようですね……」
それがどういう事を指しているのかを理解したセツナが苦笑する。
つまり、イレイスの料理は想像しているよりもはるか上をいくものなのだろう。言うまでもないが、悪い意味で。
「そこまで言われると、ちょっとだけ食べてみたい気がするよね。もちろん、せっちゃんはダメだけどさ」
危ないとわかっていても、いや、わかっているからこそ。時折回っている洗濯機に手を突っ込みたくなる心理のごとく、ルートも軽い調子で冗談半分で言ってみただけだった。
それだけなのにもかかわらず、瞬間、ブロウの顔色がさっと青くなる。
「やめとけ!ルートはまだ子供だろ!?この世の絶望を味わうには早すぎるッ!」
「いやいやいや、意味わかんないしぶろりん目がマジだよ!?
落ち着いて、冗談だってば!!」
がっしと肩をつかまれ、見た事の無いほどの気迫で押しめにかかってくるブロウにすぐさまルートはぶんぶんと首を横に振って否定する。
若干混沌漂う雰囲気だが、その隣にいるセツナは落ち着いていた。
「……そこまで言うという事は、貴方は食べたことがあるんですよね?」
セツナの問いかけに、ブロウはふっと全てを諦めたかのような儚げな表情をする。
「……。死んだ父さんに出会えた」
それ以上何も聞く気になれなくて、セツナとルートはその場で閉口する。
これは人の踏み入っていい領域ではないと察したからだ。
そしてそれと同時に、ある事に気が付く。――そう、彼は言ってしまったのだ。
シンヤは一口は、食べると。
― * ― * ― * ―
空は赤く染まり、太陽は山に隠れていく。
漆黒の夜がやってくる、その前兆。
イレイスは少し開けたところで『何か』を黙々と作っていた。
地面には念密な魔方陣が描かれ、その上に木がくまれ火がともっており、火にかかるように鍋が金具に支えられてつるされていた。
その鍋の前にいるイレイスは、歌っているかのように常に口を小さく動かして音を紡いでいた。
しかし、それは鼻歌等という和やかなものでは決してない。魔法を詠唱するそれと同じものだからだ。
「……ふ、流石私。完璧だ」
イレイスは呟くと鍋の蓋を僅かにずらし、中身を覗き込んで満足そうに頷く。その表情からは、その中身に失敗やミス等と言った事はないのだろう。
この、どう見ても魔法関連の何かを作っているようにしか見えない光景。
昨日、シンヤに言われた通り作ってしまった『料理』だったりするから大変だ。更に、当の本人はノリノリだったために苦痛でも面倒でもなかっただろう。
「さて、アレも驚くだろう。ふふふふふ……」
ダークサイドに完落ちしたような笑みを浮かべながら、魔法で火の威力を押さえていく。
もちろん、そこにある驚きの方向というのは――……言うまでもないだろう。
そして、誰とも。
「……兄貴さあ、勘弁してやってくんね?今からだったら俺も作れるし……」
瘴気さえもうっすら見えそうな兄の後ろから、ブロウが声をかける。彼の『料理』を数回とはいえ見たことがあるからこその懇願だった。
「だが断る。『一口食べる』と確かに言った。なんならお前が代わりに始末するか?」
イレイスはブロウに近づきながら鍋の方を指さしてみれば、ブロウは珍しく何も言えずに顔を曇らせる。
それほどまでに兄の料理を堪能することが嫌なのだ。
「えっ、い、いや、それは……」
「なら黙っていろ。元々あのアホが身も弁えずに私に命令してきた事が発端だ。
それにお前は危険性を考慮したフォローもいれた。……さあ、それを無視した悪人は誰だろうな?」
ククッと小さく喉を鳴らして、イレイスは楽しそうに嗤ってみせる。
その表情からは『たっぷり後悔させてやる』と加虐に満ちた感情が確かに読み取れた。
ブロウとしてはこのまま事が進むことに納得は行かないが、かといってここまで乗り気の兄を止められる方法など存在していない事をよく知っている。
……だから結局黙って見守るしかできなかったのだった。
太陽が沈み、空に宵闇が満ちて月はうかぶ。
星たちは自らを誇示するかのように輝き、瞬いていた。
昨日とまったく同じように円になって座る者たちには各々思う所があるらしく、その表情は色々だ。
「……所で、何故魔方陣を敷いてあるのです?」
セツナが先ず、火元にある地面を指していた。
マキさえなければ魔法を使って火を灯しているのだろう、と思ったのだが、そうではない。
火元ごと中央に位置するように書かれているため鍋全体に効果を表したいのだろうな、という事は理解できたが、料理に魔方陣など言うまでもなく不要だ。
「ただの趣味だ」
「趣味って何ですか」
「……ただの趣味だ」
納得いかなかったらしいセツナが繰り返し問いかけてみるが、ただの趣味の一点張り。何か言えない理由でもあるのだろうか。
それとも言葉にするのは難しい事なのだろうか。もしかしなくても知ってはいけない何かであるのかもしれないが……そこにルートが待ったをかける。
「ちょっとちょっと。せっかくせっちゃんが聞いてやってるのにそれを無視するってどういうことさ。
理由と返答によればいっちーを蛇腹切りにすることもいとわないよ?」
リュックサックから二振りのダガーのような物をつきつけながら、ルートはじっとイレイスを見る。
イレイスはやれやれとばかりに肩をすくめて見せると、再び口を開くのだった。
「そう言うがね、本当にただの趣味だ。私の趣味は人をいじり倒してせせら笑う事であるが故に――……」
「とんでもない趣味ですね」
「そう褒めるな。これもまた趣味の一環だということだ。そこに私は嘘をついていると言えるか?」
イレイスの返答に、ルートはむう、とその場で考え出す。人の趣味趣向にはセツナが関わらない限り口にはしないルートだ。
しかもイレイスの言葉に嘘はあるかどうかと聞かれると、その可能性は限りなく低い、というかゼロのように思えたのだ。
気に入らないとは思いつつも、納得はしたようで少し不満そうな表情は残したままであるものの、凶器をしまう。
「……兎に角、御託は良いからさっさと出来具合を見せてもらおうか」
シンヤはイレイスが中々鍋を開けない事に苛ついたのだろう。
まともな物じゃないという事を状況がとんでもなく明確に表しているにも関わらず、その危険性を全く持って感知していないようだ。
その件に関して『……バカだ!』とセツナが思ったとか思わなかったとか。
「まあそう急かすな。今回はちょっと私も自慢の作品だからな、驚くなよ」
「何が出てこようとも、俺は自分の味覚で判断するだけだ」
『作品』という言葉は、料理に対してあまり使うような言葉ではない。
シンヤはそれがどのような事を指しているのか気づいていないのか、食べる姿勢を全く崩していない。
イレイスはその答えを聞いて満足そうに口を吊りあげながら鍋の方にゆっくりと近づいていく。
セツナが先ほどから黙りこくっているブロウの方に視線を向けてみれば、まるで恐ろしい物を見るかのように無言で震えていた。
「……ブロウ、如何いたしましたか。顔色が最悪ですよ」
「いや、大丈夫……ちょっと、うん」
心身ともに怯えているのだ、イレイスの『料理』と呼ぶ何かに。
そう理解できた時、セツナにも戦慄が走る。そのセツナの感情のブレにいち早く気づいたルートが素早く立ち上がったのだった。
「……せっちゃん、止める?」
ルートがそうセツナに声をかけると同時に、ブロウがきつくルートの服を引っ掴んで止める。
「近づかない方が良い!食われるぞ!」
――……一体、何に。
3人の間に走る緊迫した空気。
どれだけイレイスの作る料理が危険なのか、彼は知りすぎてしまったのだ。
「……ねぇ、だからそれって……」
つまり一体どういうものなのか、とルートが問おうとしたその時であった。
イレイスはとっくに鍋の蓋を掴んでおり、そのまま引き上げると、場違いな程軽い音とともに鍋の蓋が開く。
ぎゃしゃああああああっ!
周囲に響く高らかな咆哮と共に、鍋から出てくる黒く細長い八本の『何か』。
細長いといっても、一本の太さは直径10センチを優に超える。
無理矢理既存の食物で例えるならば饂飩とか素麺とか麺類だろうか。
だが、そのカテゴリに含むにしては太すぎるし、そして何より焦げとは別の意味で影のように黒い上に――……
「……生きてるううううう!?」
どこからかともなく驚きの声があがる。
無理もない、びっちらびっちらととてつもなく活きが良く蠢いていたのだから。
周りが呆気にとられる中、イレイスは何でもない事のようにぱたんと鍋の蓋を閉じた。
鍋の中には『料理』がいる訳だが、意外と大人しいのか鍋の中からは出てこようとはしない。
予想外過ぎた状況に呆気にとられた周囲が沈黙に包まれる中、イレイスはにっこりと笑いながら、死に至る宣告を放つ。
「さぁ、食え」
無 理 だ 。
確かにスパイスの効いた美味しそうな匂いは広がっていたのだが、びっくりするくらいに食欲がそそらない。
というか、これでそそってしまえば色々人間として終わってしまっているような気さえする。
「貴様、その料理は何だッ!」
シンヤが悲鳴交じりの声を上げながらイレイスに指を突きつける。
そうだ、料理なのだ。腐っても、生命が宿っていたとしても、本人がそう言いきっている以上料理なのだ。
イレイスはしばらく考える様に黙り込むと、かくん、と首を横に傾げる。
「……私は、クリームシチューを作っていたはずだが」
「筈とは何だ!しかも周囲に漂う匂いはシチューとは程遠いものだろう!」
「はっはっは、世の中は不思議で溢れているなあ」
「そんな言葉で済ませて言い訳が無いだろう!!」
イレイスのあまりにも無責任っぷりに思わず突っ込むシンヤ。
多分これは弟たるブロウの役目だったのかもしれないが、彼は彼で半ば死んだ魚のような目、もとい、心底諦めきった瞳で鍋を呆然と見つめているばかりだ。
「さあ、シンヤ。一口は食うって言っただろう」
みたこともないような爽やかな笑顔を浮かべる白い悪魔。シンヤは瞬間、びしりと体を固まらせて……顔は、完全に引きつっている。
そりゃあそうだ。明らかに食べ物じゃない代物を口に放り込むだけではなく、飲み込めと言っているのだから。
「く、食える代物じゃないだろう。そもそも材料に難がある場合、料理とは言えん!」
シンヤが常識的な範疇の考えを持っている人間として、全員の意見をまとめたような言葉を放つ。
「生憎だが、材料はすべて食用だ。だからいける!」
対するイレイスは非常識にも程がある行動を起こした張本人としてシンヤの言葉を華麗なスマッシュで返す。
この場合、むしろいけるというよりも逝けるというものではないだろうか。
「貴様……味見はしたのか?」
この場合、味見というよりも毒見と言った方がいいかもしれない。
毒があるのかどうかを見るのではなく、実際毒だと解りきっているので、どんな毒かと言う毒見。
「していないに決まっているだろう。だから、味見はぜひともシンヤにやって貰おうと思ってな」
それが何かとばかりに開き直られる。
性質が悪い――……いや、一か月過ごして大体解っていた、彼はシンヤの人生で一、二を争う程たちの悪い人間であると。
「先ずは自分が食べろ!それで大丈夫だったら考える」
なら、こう言ってしまえば流石のイレイスも返せない。その筈だ。もしかしたら、無理だと言って簡単に折れてくれるかもしれない甘い期待。
だが、イレイスはふむ、と一つ声を上げてから、唐突にある話題を振ってきたのだった。
「……シンヤ、少し此方で調べさせてもらったが……。お前、冒険者になる前はそこそこの立場だったらしいな」
その言葉で、びくりとシンヤの体が震え――そして、イレイスに対して殺気の籠った視線を向ける。
誰にも告げていない筈だったのだ、自分が元々騎士だったことを。
なんてことない、戦争に負けたから仕える国を失い、冒険者に身をやつした。
もっとも、その負けた背景には紆余曲折どころか千万無量に渡る話になるのだが――……それはさておき。
「それがどうした」
あきらかに不機嫌な声をシンヤは返す。自分の中で決別がつききれていないのだ。
セツナは別にシンヤがどうなろうと関係なかったが、それでも丸め込まれるだろうなあ、とこの時確信したのだった。
「何、お前は言っただろう、一口食べる事を約束すると。
お前は簡単に約束を放棄するような人間だったのかね」
「……それとこれとは関係ないだろう。何故、その二つを混同させる」
「解らないのか?約束を違えるという事は、裏切るのと同意だ。それを無視し、またお前だけがのうのうと安全圏に居るつもりか、なぁ、シンヤ?」
「貴様ッ……何を知っている!」
イレイスの言葉に、シンヤの顔が怒りで満ちていく。
もしも二人の間に料理と言う名の危険物さえなければ、今にも殴り掛かってしまいそうな雰囲気であった。
まあ、その料理を食べさせるためにイレイスは挑発をぶっこいているのだが。
シリアスなのは空気だけ、やってることは唯のコントだ。
「知っていないさ……推測を掛けただけでね。……なあ、『唯一の生き残り様』?」
「……くっ」
イレイスの言葉が的確に痛い所をついたのか、シンヤが視線をそらす。話がちんぷんかんぷんなセツナとルートはお互いに顔を見合わせるしか無い訳で。
「ねぇ、せっちゃん、あれどういう話なの?」
「ルート、首を突っ込まないほうが得策です。オレ、あの人に対してそこまで価値を見出していないので……」
シンヤを見ながらてれっと笑うセツナに、ルートはそれもそうだね、とうなづく。
若干シンヤに対して二人からの扱いが酷いのだが、突っ込み役どころか当の本人さえも気づいていないので誰も突っ込まない。
「で、どうする?お前は私との約束を違い、裏切り者の名をほしいままにしても良いんだぞ?」
「裏切るつもりなど毛頭ない!」
等と喋っている間に、イレイスが完全にシンヤを手の平に乗せていた。
元々真面目で融通が利かないうえ、若干騙されやすい気もあった彼に、イレイスの巧みな話術に惑わされるなと言う方が酷な話と言うものかもしれない。
いや、不可能と言っても良いだろう。最も、年下に翻弄される年上というのもどうかと思うが。
「ほほう、なら、どうするというのだね。シンヤ……聞かせろ。誰でもない、お前の口からな」
そうして――シンヤは完全に言葉に詰まってしまう。
フラグは既に立ってしまっていたのだ、所謂死亡フラグというやつが。
ブロウが止めに入ってくれた時に素直に止めていれば、回避できただろうフラグ。
「……わかった。味見をしてやろう……」
シンヤは苦虫をガロン単位で噛み潰したような顔を作り、声を絞り出す。
その瞬間、イレイスが何時もより当社比五割増しの邪悪な笑みを浮かべた。
それはさながら、対峙する正義のヒーローと悪の組織のようだ。
嗚呼哀れ、ヒーローは頭が少々足りてなかったばかりに騙され、悪の組織に一杯食わされるのだ。……比喩ではなく。
「ふっ、その勇気に敬意は称してやるさ」
イレイスは彼の覚悟に感心の声を上げる。それは皮肉なのか、それとも心からの声なのかは、少なくともシンヤにはわからなかった。
イレイスは鍋を少しだけ開けると、すかさず飛び出した一匹を目にも留まらぬ早業で根元から狩った。そしてそれを皿の上に「盛る」。
シンヤの目の前に手渡されたとき、その料理は、動かなくなっていた。
そもそも、料理が動くという事例自体アンビリーバブルなのだが、もう誰もそこには突っ込まない。むしろ、突っ込めない。
今この現状は異空間過ぎて、どこから手を出せばよいのか文殊さえもわからないのだから。
「言っておくが、吐きだすなよ」
「……解っている」
改めてみて、シンヤは再び覚悟を強いられる。
過去の経験で黒焦げの物体を食してみたことはあったが、目の前の光景はあれの比じゃない。あれはまだ動いていなかったし、そもそも正常に焦げ臭かった。
昔の事を思い出しながら、シンヤはナイフとフォークを取る。もしかしたらそれは、少し早い走馬灯だったのかもしれない。
そっと黒い物体にフォークを突き刺した瞬間、それは最後の抵抗とばかりにビクンと動く。
「……………」
最早何も口にすることはできなかった。
今なら解る、ブロウがあんなにも必死に止めてきてくれた理由を。
そして頭に血が上っていて正常な判断が出来なかった自分が物凄く愚かであったという事を。
どこまでも他人の為に思いやって行動することを信じ切れていなかった代償がこれだ。
やがて覚悟を決め、手に持ったナイフで、黒いものを一口サイズより一回り小さく切り分けようとするが、途中で手がピタリと止まった。
何故なら、切った所から見事な程鮮やかな蛍光緑の液体が体液を思わせるほどどろりと溢れてきたわけで。
「……料理とは一体、なんだったんでしょうね……」
生命を生み出しちゃってる気しかしない光景に、セツナがぽつりとつぶやく。
そこにシンヤは一瞬ひるんだものの、恐る恐るフォークを口に運ぶ。
妙な使命感でも抱いてしまっているのかもしれないが、捨ててしまっても良いという事に、やはり彼は気づかないのだろう。
誰も止めない、いや止められなかった。
止めたら自身が理解するには早すぎる冒涜的な料理と名のついてしまった何かをイレイスの口八丁で食べさせられるような気がしたのだ。
やはり可愛いのは、わが身と言う事だ。
ぱくん、とシンヤが黒い物体を口内に収める。
そして丸呑みするかのように喉が動いて――……
彼の体は、ゆっくりとスローモーに……地面に崩れ落ちたのだった。
「しっ……しんやあああああー!!!!」
直後、ようやく我に返ったらしいブロウの悲鳴が静かな空間に響き渡る。
驚いて鳥が飛び立つような音が響いたが、そんなもん誰も気にしない。
「しっぱいしちゃった、てへぺろ★」
イレイスが超棒読みで舌をぺろっと出しながら頭を右手でこつんと叩く。
さながら少女漫画の一コマのようだが、やっているのはイレイスなので非常に気持ちが悪い。
「言ってる場合じゃないだろ!治療しないと……セツナ、治療魔法を……」
「うわ……痙攣して泡吹いてますよ、気持ち悪いんで諦めません?」
「リーダー命令ッ!」
びくんびくんと体を痙攣させて口からカニのように泡を吹いている大の大人にセツナは嫌な顔をするが、ブロウのリーダー命令とあっては逆らえないのか、
しぶしぶといったように治療呪文を施していく。
そのすぐそばで、イレイスがそっと彼に寄ると、目の前で手を組むのであった。
「あーあ、シンヤ。『旅の途中帰らない人になる』か……」
「黙祷してんじゃねぇよクソ兄貴ッ!
いいからさっさと解毒剤か中和剤か出しやがれえーっ!!」
ブロウの絶叫が再度響き渡る。
これ以上彼を怒らせてしまっては何かしらの罰が与えられない、と思ったらしいイレイスは、セツナと同じような顔をしながら持ち歩いているいくつかの薬を懐から取り出すのであった。
― * ― * ― * ―
――――後日談。
「うん、やっぱり僕、この味好きだよ」
ルートが小さく息を吐きながら、満足そうに笑う。
その手には軽くて丈夫な銅製の器と、木製のスプーンが握られている。
ちなみに、器の中身は中に入っている物が熱いと主張するかのように、湯気がうっすらと出ていた。
「……アイツが奇怪すぎたんだ」
シンヤはそう言いながらイレイスをじとーっとした顔で睨みつける。
どうやら死の淵からは無事生還したらしい。
「そう思うなら、次からアホみたいな喧嘩売らないでくださいね。治療とか面倒なんで」
セツナはそれだけ言うと、スープをちまちまと食べ進めていく。
シンヤは一つだけ鼻をふんと鳴らすと、それ以上は口にしなかった。あれだけの目に遭ったのだ、多少は学習したのだろう。
「流石私の弟、と言った所か」
ははっ、と軽い調子で明るく言うイレイス。そして、どこかのほほんとした空気がながれる。
おいしいだけで、こんなにも場の雰囲気が違うのだから料理って偉大だ。そもそもこの前が異質すぎるとかは言ってはいけない。
「……もう、初めから俺が作った方が早かったかもしれないよなぁ……」
しみじみとうなづきながらブロウは言う。
その片手には、お玉がしっかりと握られている事から、彼が今回の料理を手掛けたのだろう。彼の発言にぽん、とセツナが手を叩く。
「ああ、それは賛成ですね。今度から、ご飯は貴方が作るという事で」
「えっ……マジ?」
「僕もそれがいいや、せっちゃんにさーんせー!」
セツナの提案に、ルートが両手を上げて賛同の意を示す。
そもそもブロウとしては交代制のほうがありがたかったのだ。得意とはいえ、毎日作るのは少し大変なのだから。
助けを求める様にちらりとシンヤの方に目を向けてみれば、シンヤも口でこそ何も言わないが、目が雄弁に賛同であることを語っていた。
あれだけ貶されたのだから当然なのかもしれない。
更にブロウはイレイスの方に向ける。イレイスは何かを察したように一つうなずく。
「わかった、なら私と当番制に――……」
「喜んで作らせて頂きますッ!やったー!俺料理大好きーッ!!」
何はともあれ。
こうして、このパーティの大事な役割がまた一つ決定づけられたのだった。
めでってぇ!