--イシュネー王国-- 4話

翌早朝、馬車はついにイシュネー王国の王都、イシュラントに到着したのだった……



イシュネー王国王都、イシュラント。
高等魔法専門学校(アカデミア)に魔法使い倫理委員会本部など世界的にも重要な施設が集まる、イシュネー王国最大の都市。
この町のシンボルは白亜の尖塔が美しい王城だろうか、それとも重厚な煉瓦造りの魔法使い倫理委員会本部だろうか。
リズの知っている町の中では一番大きな都市である。もっとも、イシュラントは他の国に比べても大きい町だ。そして特徴的なのは、
周囲の町に比べると人口に占める異国人の割合が多い。
そしてまた、イシュラントには魔法使いも多数在籍する。金を払えば護衛をしてくれたり、代わりに魔法を使ってくれたりする。
今日もいい天気だ。ようやく朝日が昇り始め、世界が金色に染まる。リズは体を伸ばし、すがすがしい空気を胸いっぱいに吸う。
こころなしか、イシュラントの空気は都会の匂いがした。
「さーて。あたしは職場に顔出してきますかー。リズはどうする?」
「うーん……イストが言ってた“ボレロ取得を応援する制度”ってのをたずねてみようと思うんだ。実は王都に行ってから先のことは何にも考えてなかったし」
はははは…とリズは苦笑する。鉄砲玉は勢いが削げると後は地に落ちるだけ。ここで落ちたら待っているのは落第だけである。
「そっか。じゃあ王城に行くと詳しい話が聞けるよ。ちなみに王城は9時開門だから。うまくいくといいね」
イストは大きく手を振ると、荷物を肩にかけて太陽が顔を見せた方向へ駆け出した。リズもイストに手を振り返し、尖塔が見える方へと歩き始めた。
リズは過去にイシュラントを訪れたとき、王城の見学をしたことがある。かなり前の記憶だが、王城までは迷わずにたどり着くことができた。



さて、待つことかなり。ようやく開門の時間になった。
リズは入り口でボレロ取得に関する業務を担当している部署を教えてもらった。その場所はどうやら王城の中でもかなり奥の方…
ついでに言うなればあまり繁盛していない部署らしい。大きな荷物を引きながら王城を歩く姿はいい笑いものだったのだが…それはさておくとしよう。
 王城の中にしてはいささか古びて弱そうな木でできたドアを開くと、中には簡単な応接セットとその奥には大きなデスク。デスクの奥には椅子があって、
眼鏡をかけたおじいさんが座って新聞を広げていた。
「あーのー……すいません。ここでボレロ取得の支援のこと聞かせてもらえる。って聞いたんですけど……」
「ん?あぁーそうだよー」
おじいさんは新聞を置いてこちらを見た。…どうしたものか。このおじいさんからはやる気のかけらも見受けられない。
いやいや、ここで不信感を見せてはいけない。リズは思いつくかぎりの営業スマイルを浮かべて頭を下げた。
「アタシ、ボレロ取得に挑戦したくってー、でもお金とかないから支援してほしいなー。って思ってぇー」
「ほほー、そうかそうかー。そんなに若いのに偉いねぇー。じゃ、階級章と免状見せてくれるかぃ?」
「かいきゅうしょ?めんじょ?」
無気力の塊みたいなおじいさんからリズの聞いたことのない単語がでてきた。リズはこけ、と首をかしげて立ち尽くした。
「そうだよ。魔法使いの階級章と免状。忘れてきたの?」
「え?え?えっと……」
忘れてくるも何も、リズはもともとそんなもの持っちゃいない。
ちなみに、この世界の人間は簡単な魔法を生活の一部に使用しているくらいであるが、報酬を得て魔法を行使しようと思うと試験を受けて資格を得なければならない。そして資格は三つの階級がある。取得した国や町でのみ有効な銅の級、取得した大陸でのみ有効な銀の級、世界的に通用する金の級である。
階級章とは資格持ちであることを証明できるバッヂ、免状はいつ、どこの試験に合格したか証明する紙。
そのどちらにも魔法がかけられていて、取得者本人でないとそれらは意味を成さないようになっている。
そんな資格試験の実施元は魔法使い倫理委員会で、銅の級と銀の級は半年に1度、金の級は1年に1度試験が行われる。
言うまでもないが、イシュネーの資格試験は他の場所に比べてかなり難しい。落ちこぼれのリズがそんなものもっているはずがない。
(イストのバカー!そんなのいるなんてひとっことも言わなかったわよー!!)
リズが心の中で今ここにいないイストを罵っている間におじいさんは大変なことをさらっと言った。
「そうそう言うの忘れるところだったけどねぇ、この制度の対象は魔法使い金の級を持っているイシュネー人に限られてるからねぇ。
 金の級持ちがそもそもそんなにいないし、第一金の級を持つような実力者なら自分で旅費も稼いじまうし、金の級持ちがみんなボレロ目指すわけじゃないしねぇ。ちなみに嘘ついたりしたら国家詐称罪で即投獄だからねぇ」
「あ…そ、そうなんですかあ……おじゃましましたーーっ!」
リズは慌ててきびすを返し、その部屋を出た。



 そして、振り出しに戻る。



 「うー……あーーーー…………」
リズは通りの片隅に荷物と共にしゃがみこみ、呪いの言葉のようなものを吐き出していた。
鉄砲玉は今にも地面に落ちてしまいそうである。
今まで「王都に行く。行けばどうにかなる」と思っていたのが全くどうにもならなくなってしまった。そして路銀も少ないし情報もなさすぎる。
このままでは連れ戻されなくても行き倒れ確定である。華やかな場所だけに、いつも以上に自分がみじめなような気がしてきた。
とりあえずイストを訪ねてみるのがいいだろうか。などと考えていると……
 通りの向こうからイスト=ディンブラ当の本人がやってきた。
リズは一瞬目を疑った。思うだけでその通りになるなんて、まるでボレロのようではないか。
イストはリズの期待通り、こちらを目指して真っ直ぐに歩いてくる。
「イストー!ひどいじゃないのすっごい大事なこと抜けてたんだから!」
「ごめんなさい…でもどういうこと?」
「ボレロ挑戦の支援のことだよー。魔法使い金の級持ってないとだめなんてイスト一言も言わなかったでしょー。アタシ危うく投獄されるとこだったんだからー」
リズはイストに対してありったけの文句を言った。
リズの態度は条件のことを無視すれば有益な情報を与えてくれたイストに対して失礼にあたるものだったのだが、
イストは苦笑を浮かべながら、何度か「ごめんなさい」と繰り返しながらリズの文句に相槌を打っていた。
 「あーあ。だけどこれからどうしようかなー。思ったよりボレロ取得って大変そうだし、ここまで空振りだとヤケになっちゃいそうだよー」
「…だったら、家に戻った方がいいと思うけれど?」
「あー、イストひどいなー。昨日はアタシのこと応援してくれたのに……?」
 リズはそう言って…首を傾げた。目の前に居るのは2日ほど一緒だった娘、イストのはずだ。それなのに、まるで言うことが別人のようだ。
「……ちょっと待って、あんた誰?」
「い、いやだな…イスト…だよ?」
「いいや違う!イストはもっとテンションが高い!」
リズはイストに指を突きつけた。するとイストは苦笑した。
「さすがに、ちょっと見ただけの人のふりをするのは難しかったみたい……だけど…リズさん…ですよね?
 あなたの行方が知れないことで心配してる人はたくさん居るんです。戻った方がいいです」
イストは厳しい表情になった。しかしリズはいくら行き詰っているからと言っても、
「戻りなさい」と言われて「わかりました」と素直に従うほどやわな決意でここまで来たわけではない。
両親のことを出されたおかげで、折れそうだったリズの心は持ち直した。ここで帰ってたまるか。リズはいちかばちかの賭けに出ることにした。
今この場所で、リズができること…
リズはうつむき、できるだけ小さな声でしかも口の中にこめるように呪文を唱える。
「万物の根源たる陽、我、照らす白き元素に請い願う。視覚を奪う強き光、フラッシュライト!」
「きゃ……!」
イストはまさか保護する対象に攻撃されるとは思っていなかったようだ。
リズの手のひらから発せられた強い光に一瞬身を引く。リズが使ったのは陽元素の初歩呪文、強烈な光でしばらくの間相手の視覚を奪う魔法だ。
その隙を見て、リズはトランクを置いて逃げ出した。トランクを持ったまま逃げ切るのは不利である…すぐ戻ってくれば多分大丈夫だろう。
という例のポジティブシンキングでそう判断した。
ちなみにリズがもう少しその場にとどまっていたのなら、その場にしりもちをついたイストの体が淡い光に包まれ、
それが消えたときには蜂蜜色の髪の女性が居たのがわかっただろう。



リズは複雑な路地をめちゃくちゃに逃げた。
逃げて逃げて……どうやら、あの女性からは逃げられたようだ。リズはふう、と息を吐く。
よし、当面の危機は回避した。
…が、めちゃくちゃに逃げたおかげで元いた場所もわからなくなった。
(あああ、アタシのバカー…!)
リズは頭を抱えた。
トランクも全てかなぐり捨てて逃げ出してきたものだから、財布こそ所持しているものの、逆に言うとそれしかない。
中身も大した金額ではないので、路頭に迷うことは逃れようがなさそうだ。
せめて此処が首都のどの辺りなのかわかればいいのだが、路地裏に来てしまったようで人っ子一人とおりゃしない。
「……ぇー、っと、どう、しよう…」
しぃん、と沈黙が痛いほど静まり返っていて、余計に不安感をあおる。冷たい空気がほほをなでるたび、まるで華やかな首都とは別世界のように感じた。
周囲に家らしきものはあるのだが、生活の臭いはあまりしない。
「何かの本で読んだことあるけど、こういう場所にいるのって…あんまり良くなかったりするよね…」
華やかな街のひっそりとした路地裏には盗賊やらなんやらがいたりするのは、どこの世界でも良くある話だ。
さらに、そういうのに絡まれると、もう二度と同じ足で地を踏めなくなったりしちゃう、というのも良くある話だ。
「…………よ、よし、こっから離れよっと。」
頭に湧き上がるのは嫌な想像ばかり。それを打ち消すためにリズはカンで第一歩を踏み出そうとして―…
「あれ?アンタ、どうしたんだこんなところで。」
ふと、後ろからぽんと肩を叩かれた。

きゃぁーッ?!

瞬間、リズは考えるよりも先に、体が動いていた。叫び声と共に振り向きざまに、左足で中段蹴りを肩を叩いた人物にぶちかましたのだ。
やはり素人のそれとは思えない動きは、確実に相手のみぞおちにクリーンヒットする。
ひでぶぅッ!?
相手は、リズの蹴りをモロにくらい、たまらずうめき声と共にうずくまった。
「な、何なになにナニよーッ!」
ば、っと後ろに本能的にバックステップで下がり、ろれつの回らない舌と舌以上に回らない頭を駆使して、リズは二人いる相手を睨みつける。
一人はまだうずくまっていて、しばらくは動けそうに無いだろう。
もう一人はそんなリズをみて、意外にも笑顔でぱちぱちと拍手を送ってきたのだった。
「ははっ……ナイスハイキック♪」
意味がわからず目を白黒させるリズに、ぐっじょぶ、とばかりに親指を立ててくるのは白い服を着ていて、銀色の髪をした青い瞳の青年。
その人物は拍手する手をとめ、コチラに2・3歩ほど歩み寄ってくる。
「うむ、聞いていた通り中々のおてんば娘のようだな、リズ=ファシル。」
「な、なー!?」
近づいてくる青年に対して、意味不明の叫びを上げながらリズはじりじりと後ろに下がる。

なんでこの人は自分の名前を知っているのか。
聞いていた通りって、誰に?もしかして、新たな…追っ手なのだろうか?

…けど、そんなリズの思案は、次の瞬間全て杞憂に終わることになる。

「…おいこら、兄貴。何してんだよ。」
白い青年の腕をつかんで、制止の声をかけたのは、上から下まで黒尽くめの青年。
まだ、みぞおちが痛むのか、開いた手で軽くさすっている。彼は―…リズも知っている人物。
「ブ…ブロウ!?」
そう、つい昨日まで一緒に居た人物だ。先程リズに声をかけたのも、恐らくブロウだろう。
そしてついでに、思いっきり中段蹴りをかました相手も、ブロウだったのだろう。
「なんだ、ブロウ。立ち直りが早いな。つまらん。」
イレイスは引っつかまれた腕を見て、面白くなさそうな声をだした。
「な…なーんだ…、ブロウだったんだぁ……」
思わず息を吐いて、安心感からかその場にへたり込むリズ。
「うん、俺だよ。それより、なんでリズはこんな所に一人で居るんだ?この辺あんまり良い噂流れてないし、女の子一人ってあんまり感心しないけど。」
ブロウはリズに近づいて、その場にしゃがみこんで質問を投げかける。
「ぇ、えへへー…ちょっと色々あってねぇー…」
本当は、教会から追っ手が来たから振り切って逃げてきただけなのだが。
それを喋ると自分の経緯から喋らなければならないので、なんとかごまかそうと試みる。
「色々って…そういえば、トランクはどうしたんだ?」
「ぇ、ぇーっと……それは、そのぅー…… 」
指をつつき合わせ、困ったような笑顔を浮かべることしか出来ない。ブロウの後ろで、白尽くめの青年が、口を開いた。
「…大方。首都まで着てみたがいいものの、特にボレロに対する情報もなかったんだろう。
 で、当てもなくさ迷ってたら教会側の人間に連れ戻されかけたんで全力疾走してきた。―・・・間違っているか、家出少女?」
あまりにも的確すぎて、リズは驚きのあまり自分の表情が凍りつくのを感じた。
さらに、ブロウがコチラを真偽を問うような目で見てくる。そのとき、リズは悟った。もう、誤魔化せない、と。
「うぅ…おっしゃる通りです…だって、此処まで此処に何も無いってわかんなかったんだもん!」
半分自棄で、叫んでみる。もちろんそれでどうにかなったためしなど無い。
落第取り消しもなるわけが無いし、ボレロが手に入るわけでもなんでもない。
「―…ま、若さゆえの過ちだな。」
白い青年はやれやれと肩をすくめて、結論づけるようにそう述べる。
そして、リズのほうに数歩近づき、上から見下ろすようにして、更に言葉を続けた。
「…でも、そこで終わりはつまらない。そうだろう?お前がもしも、望むならば―…アテの一つや二つ回ってみないことも無いが。」
「兄貴……」
にやり、と白い青年は笑う。それは決して爽やかな笑顔でもなく、むしろ、悪魔とか悪人が浮かべるような『裏のある』笑みそのものだった。
リズは黙ったままブロウのほうに視線を向ける。
「…俺は、アンタの好きにすればいいと思う。兄貴は、今回も気まぐれだろうし。」
そう答えるブロウのほうがよっぽど、良い笑顔を浮かべていた。
―…もちろんなんと言われようと、リズに断る気は、さらさらない。
ようやく、手がかりらしい手がかりがありそうなのだ。
そのチャンスを逃せば、たぶん一生無理な気がして。

「―…ちょっと、ちょっと待ってください!」

いきなり響いた女性の声に、リズは顔を上げる。
そこには、ご丁寧にリズのトランクを引いた蜂蜜色の髪の女性が立っていた。

 「うわあもう見つかった!!」
リズはとっさに逃げようとした…が、
「……誰?」
場にそぐわない質問に、なぜかブロウがコケた。
「い、一応さっきまであなたと話をしていて、魔法をかけられた者ですけど……」
「あー!あのイストじゃないイスト!!なによアタシは戻らないんだからね!」
と、リズが言うと、蜂蜜色の髪の女性はひどく悲しそうな表情をした。そして、リズに歩み寄るとトランクを渡した。
「そうやって息巻くのは好き好きですけれど…心配してくれる人が居ることがどれだけ幸せなことかだけはどうか忘れないでください。それでは…」
女性はそのまま去ろうとしたのだが…なぜか、イレイスがそれを止めた。

とりあえず、四人は和解するための話し合いを試みることにした。

「…つまり、リズ。お前は勢いだけでボレロ習得を志し、途中でブロウに会ったりしつつ王都へやってきた。
 しかしあるはずの手がかりは全くなく、途方に暮れていた」
「そうそう。でもなんか会ってもないのにアタシの行動全部知ってるってある意味キモいよね」
イレイスが進行役を買ってでたわけだが、リズがまぜっかえす。イレイスは小さく咳払いをし、リズを黙らせた。
「そしてあんたはリズの身内に依頼され、リズを追いかけてきた」
「わたしはスイレン=リュアと言います。リズさんのことは追いかけてきた…というよりもダメモトで探していたんですよ」
「まあ、わかり易い行動をしたリズが己の軽率さを恥じるべきだな」
「むー。さっきから妙にひっかかってくるんだねー」
「気のせいだろう?」
リズのふくれっつらにもイレイスは動じなかった。
「それよりリズ、ちゃんと声かけて家出してこないとうちの人が心配するだろ!」
「それ、家出って言わないよ…?」
「で、これからの話になるわけだが……私はリズがボレロ習得に向かうのであればついていってもいいと思っている」
「ホント!?じゃあアタシもうちょっとがんばってみる!」
イレイスの申し出にリズは顔を輝かせた。ブロウとイレイスの実力のほどはわからないが、
ブロウには何かと世話になったし迷惑もかけたし、イレイスはなんとなくだがデキる人のような気がする。
「ってなると、必然的に俺も一緒に行く…ってことになるんだが。それはでも…マズくないか?」
ブロウが心配しているのは、リズの置かれた状況である。スイレンとイレイスの話を総合すると、リズの行方のことを街ぐるみで心配して探しているのである。ここで消息も告げずにどんどん遠くへ行ってしまうのはいかがなものかとブロウは思っているのだ。
「うう…でもぉ」
リズはしゅんとうなだれた。ここで旅を終わりたくない。なんとなくだが、ここまでなんとかなった。でもここで帰ってしまったら、リズには何も残らないと思う。
「だけど、アタシはボレロに挑戦したい。
 お父さんやお母さんに相談しないで出てきたのは悪いって思ってる。けど、もうちょっとがんばってみたいんだよ!」
「ですが、事が大きくなりすぎています。せめてお手紙でも書いて、無事であることを知らせてあげないと……」
「うう……わかったよ。そうする」
オラトリオ教の通信の魔法ならリアルタイムだが、手紙であればタイムラグが生じる。そうなれば、追っ手が来たとしてもかわすことは容易になりそうだ。
 「さて、改めてこれからのこと…になるわけだが。ボレロについての情報は…」
イレイスがそう切り出した。
「確か、ボレロを習得するためには“五聖”とかいう仲間を集める必要があるんだっけ?」
「その通り。そしてリズの“五聖”は一体誰なのかは全くわからない。こればかりはどうしようもないのだが……ボレロのコンパスの役割を果たす家系がここから北、ラゼラル王国にあるという。あとは南の大陸にもそういうのがあったか……」
イレイスが情報を提示してくれた。
さて、どちらを選ぶべきか……
「―…あぁ、もう、面倒くさいっ!」
リズは、うなっていたかと思うと虚空に向かって吼えるように叫んだ。
「二択でウジウジ悩むなんて、アタシらしくないっつーの!」
そういって、リズは一枚の500ノート銀貨を取り出した。
大きく銀色に光るそれは、製造年月日もきっと新しいものなのだろう。
「…コイントス、か。博打の船出にはもってこいの選択方法だな。」
イレイスが、リズの行動に対し、口を少しだけゆがめた。
その傍で座り込んだままリズは真剣な表情で、コインの裏表を見ながら高らかに宣言した。
「表なら、ラゼラル王国(北)に!裏なら、南の大陸に……もしも、縦になったら、明日は曇り!」
「…な、なんだそりゃ。」
ブロウの呟きをよそに、リズは自身の親指にコインを乗せ、その親指を軽く人差し指の間に入れる。
そして、一瞬だけ集中するように目を閉じた後、親指をはじき上げた。
硬貨が金属の涼やかな音を立てて、真っ青な天へと舞い上がる。
リズの飛ばしたコインは、少々目標がずれてブロウの手の中に落ちた。
いや、正しくはブロウが上手くキャッチしたのだが。
「―…表、だな。」
そういったブロウの手のひらの中には、『500』と数字が書かれた面が表になっていた。
「じゃ、ラゼラル王国ね。アタシ行ったことないから、どんな場所か全然知らないけど。」
リズは笑いながらブロウから500ノート硬貨を受け取る。
「ラゼラル王国といえば隣の国だぞ。学校でも習っただろうに。」
「あはー・・・だってあたし、授業中とか寝てたしー・・・」
ブロウの睨むような目つきに、リズはばつの悪そうな笑顔を浮かべる。
「ま、授業中に寝たくなるその気分、わからなくもないがね。」
意外にも、そう助け舟を出してくれたのはイレイスだった。
その船に乗るように、リズはイレイスに相槌を打つ。
「だ、だよね!もう、先生の話が眠りの魔法のように聞こえてくる不思議っていう?」
「それもあるが、もう既に自分でやったことを二回言われるあの退屈さ。
 プライドが高い連中ばかりで他の事をしようなら睨まれるぐらいで済まなかったからな。」
懐かしき日のことを思い出しつつ、遠い目で言うイレイス。
内容がすでにリズとは一線を画している。
「……うっわ、嫌味!?」
「当然。」
さらっと言った言葉に、リズはぴしりと固まった。
所詮イレイスの出す助け舟はただの泥舟でしかない。意外に丈夫そうに見えるけど、乗ったら沈む。
「…と、冗談はさておき。」
イレイスが場の空気を変えるように切り出す。
「いつまでもこんな場所で立ち話しているわけにもいかないだろう。時間も時間だ。そろそろ昼時だと思わないか?」
いわれて、リズが上をみると、ちょうど太陽は真上に来ていた。
どうやら、結構な時間はたってしまっていたらしい。
「あ、本当だ!アタシもうお腹ペコペコ〜。」
リズが少しだけ小さく鳴ったおなかをさする。そういえば、道中で食事を取ったのは二回だけで、どっちもパンだけだった。
「じゃ、決まりだな。」
ブロウがそんなリズを見て、少しだけ笑った。


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