--イシュネー王国-- 8話
魔法使い倫理委員会は大きく分けて「本部」と「支所」がある。
本部はもちろんイシュネー王国王都イシュラントにあるもののことで、支所は各町に点在している。
機能的には本部も支所も大きくは変わらないが、当然支所の方が権限が低い。というわけで、イレイスとスイレンは魔法使い倫理委員会の支所へやってきた。
少し大きな民家くらいの大きさの建物に入ると、数名の委員が忙しそうに動いていた。が、委員以外の人間はいない。
内部事情で慌しいのだろうか。とイレイスとスイレンは顔を見合わせた。
「こんにちは。今日はどのようなご用件でしょう」
意外に愛想のいい声をかけられ、振り返る。そこには人の良さそうな青年が立っていた。
「あのぅ、わたしたちイシュラントからここまで徒歩で来たのですが…途中、ゾンビに襲われたので一応ご報告をしておこうと……」
「ゾンビですか…?自然発生しないこともありませんし…まあ一応、聞いておきましょうか」
スイレンは首を傾げた。最初は人が良さそうだと思ったのだが、今の言葉で少し考えを改めた。
襲われたと言っているのに、どうも他人事のような反応しかしてこないこの人物にちょっとむっときたのだ。
彼はイレイスとスイレンを応接テーブルに案内すると、襲われた場所やそのときの場所などを先ほどよりは詳しく聞き取り、紙に書き写し……そこで終了となり、イレイスとスイレンはそこで放免された。
「……意外でした」
建物を出て、ぽつんと呟くスイレン。
「何が」
「だって、ゾンビに襲われるなんて重大なことのはずなのに、どうしてあんなに冷静でいられるのかと思ったら……」
「気になってはいたんだが、スイレンは一体どこから来た?私たちにとってはゾンビなんて珍しいものでもないがね。
スイレンは大きく捉えすぎてはいやしないか?」
最も、昨夜の徒党を組んで襲われることは珍しいが。とイレイスは付け加えた。
スイレンはしばらく思い悩むように立ち止まっていた。そして……「わかりました」と、呟いた。
「あなたを信用して、お話しておこうと思います。リズさんやブロウさんにはけして話さないと約束していただけますか?」
「ああ、いいだろう。…ならばどこかに入らないか?リズではないが、そろそろ腹もすいてきた」
「わかりました」
というわけで、イレイスとスイレンは適当に歩いてすぐ座れそうな店を見つけ、そこに入った。
昼時は少し過ぎているので店内は比較的落ち着いている。
特に食に対してこだわらない2人なので、お茶と簡単につまめるものを2,3見繕って注文して、スイレンが思い悩む話を聞くことにした。
「まずはイレイスさんの質問に答えます。わたしはヴァルシーアから来ました」
「ヴァルシーア…!?」
珍しくイレイスが驚愕の表情を見せた。無理もない。大陸に住まう人間にとってはヴァルシーアは御伽噺の中にしか存在しない場所…という認識しかないからだ。大陸の外に広がる大海の向こうにある小さな島…水神が酔狂で作った箱庭ヴァルシーア。
その場所が御伽噺以上にならないのは、大陸とその周囲に住まう者には大海へと出て行く手段が存在しないからだ。
賢神の遺物をもってしても大陸の民では到達できない場所なのだ。
「しかしスイレンはエルフ族だろう?なのにどうしてヴァルシーア出身だという?ヴァルシーアにはエルフ族がいるというのか?」
「いえ……元々はわたしも大陸に住んでいたそうです。ただ、とても小さい頃、海に流され…海で水神様に拾っていただきました。
それからはずっとヴァルシーアで育ちました。ちなみに、大陸に戻ってくるときは水神様の力をお借りしました」
「そうだったのか…どうりでどうも常識はずれなところがあると思った……リズも似たようなものだがね」
イレイスは肩を竦めた。そこで料理とお茶が運ばれてきたので、2人はしばらく食事に専念した。味は可もなく不可もなく…というところだった。
この場にリズが居れば文句のひとつやふたつ…いや、三つ四つは出てきていたであろうが、
「食べられればよし」なイレイスと不平不満の類はそうそう口にしないスイレンだったので特にまずいだのなんだのという感想は出てこなかった。
「しかし、どうしてヴァルシーアを出てきたんだ?お前の口ぶりならヴァルシーアに不満をもっていたようには思えないんだが」
「ええ、ヴァルシーアでの生活に不満はありません。ただ……強いて言うなら、知っておきたかったんです。
わたしの過去に何があったのか、そして……どうしてヴァルシーアに行くことになったのか……」
「で、その鍵を握るのがベリリルの森…というわけか」
イレイスの結論に、スイレンはこくりと頷いた。
「シュトーレンに着いたらお別れですね。シュトーレンから国境沿いを北上すればそのままベリリルの森に入れるようですし。
ティシモ伯領はもっと東に進路を取らないといけませんしね」
「……あぁ、そうだな」
「できれば、リズさんやあなたたちと一緒に旅をすることができればよかったんですけれど。
わたしの旅に付き合っていただくのも気の毒ですし、リズさんの旅に付き合えるほど余裕もないので」
スイレンは困ったように笑う。
「それでいいんじゃないかね。私達もそういうスタンスでずっと旅をしてきたし」
イレイスは呟くと、ふと視線を外にやった。
「……向こうは無事に買い物は終えられたんだろうか……」
その瞳は、決して憂いに満ちたものではない。
むしろどちらかというと、『楽しいことになっていないかなぁ★』などという微妙な期待を込めた物だ。
今、私たちの言葉を借りるならば、『wktk』という表現が非常に良く似合う。
―…さて、一方コチラはリズとブロウ。イレイスの期待をよそに、着々と買い物を終わらせていた。
「で、ブロウ、次は何?」
店を出てすぐ、ブロウに向くリズ。ブロウは紙を確認して、折りたたんで皮袋に入れた。
その背中に背負っている荷物袋は、ぷっくらと重そうに膨らんでいる。
「んー…いや、これで終わりだな。お疲れさん。」
「いょっしゃーッ!これで食べ放題!食べ放題!!」
リズが張りのある声と輝かんばかりの笑顔で腕を天に突き出す。言うまでもなく、手の先はグーだ。
「…一応、おつりの分だけだぞ?」
ブロウが前科もあることだしなんとなく心配になってきたので、確認を取るように付け加える。
「知ってるわよーぅ。アタシだって、ソコまで食い意地はってないし。」
ぷー、と頬を膨らませるリズに対し、ブロウは乾いた笑いしか出なかった。
なんというか、言及すると右ストレートくらい飛んできそうだったから、というのもあるだろうが。
「……で、どんくらい残ったの?」
「えぇっと、今からかぞえ……うぉっと!」
いいかけて、ブロウはよろける。というのも、ちょうど彼の体をぶつかるようにして一人の子供が走り去ったのだ。
「ははっ、悪いね、兄ちゃん〜」
その子供はぱっと一瞬だけ振り返って、悪気のない笑顔を浮かべると、再び身を翻して走り出す。
頭にまいた青いバンダナと、茶色のつんつんとした髪の毛が特徴的の子供だった。
「次から気をつけてくれよー。」
ブロウはもう姿の見えない子供に向かって言う。
「…で、幾ら残ってたのー?」
リズがせかすように声を上げる。
「あぁ……だから今から数え……あ、れ?」
ブロウがごそごそと内ポケットを探る。しかし、目的のものが見つからなかったのか、更に探す。
でもでもやはり見つからなかったのか、更にあちこち探しまくる。
「……ブロウ?」
流石のリズもおかしいと感じたのか、ブロウに向けて首をかしげる。そして、ブロウは何かを諦めたように軽くため息をついた。
「…やられた。久しぶりに……巾着と財布、スられたみたいだ…」
「はぁッ!?」
ブロウの自白に、リズが理解できないとばかりに大きな声を上げる。
「えぇ、じゃあ、アタシのご飯は!食べ放題は!どうなっちゃうのよ!!」
リズが凄い目つきで声を高らかにして叫ぶ。流石のブロウといえどもその剣幕に少しおされそうになってしまう。
「どうなるって……とりあえず、追いかけるしかないだろ。」
「でもでも、さっきのガキもう見えないじゃん!」
たしかに、リズの言うとおり既に子供の姿は見えない。少しだけ特徴的なことを覚えているが、それだけでは見つかりそうもない。
「……実は、俺財布スられんの度々あってさ、見かねた兄貴が、こういうものを作ったんだ……」
そういって、ブロウは懐から一つのネックレスを取り出す。
そのネックレスは、いかにも安物!といった風に透明のビー玉が皮紐でくくりつけられたようなお粗末なものだった。
「……なにそれ。」
「俺の財布探知機……。なんか俺の財布に反応して、黒く光るらしい…」
ブロウがなんとも情けない声で言う。多分、イレイスに散々罵られながら与えられたものなのだろう。
リズがそのネックレスを覗き込むと、確かにそのネックレスは黒い光が宿っていた。どういう仕組みになっているのかはさっぱりだが、少しづつ光が小さくなっていくそれは、今もお釣りが遠くへ遠くへと持ち去られていることを意味している。
「へぇ、じゃ、コレがあるなら何とかならないわけでもないってワケね!」
「まぁな……でも、マジで役に立つ日が来るとは思わなかったな……。」
リズはブロウの持っているネックレスをひったくる。
そして、未だ黒い光をともすそれに、ふふふ、と不気味な笑いを一瞬だけ浮かべた。
「いょおっし!何処のクソガキかしんないけど!!アタシの楽しみを奪おうってんなら悪・即・斬!100回オシリぺんぺんでも許さないんだからーッ!」
高らかに宣言しながら、リズは初めに子供が駆け抜けて行ったほうへと走り出した。
「お、おーい、待てよリズー!!しかも、そっち、裏通りだぞー!?」
当然、ブロウもその後を追いかける。
あの子供がどういう身分でどういう立場の子かわからなかったが、人の財布をスるくらいなのだから、あまりいい身分ではないのだろう。
オマケに、裏通りを選んで逃げている辺り、コレは一悶着ありそうだと、ブロウは内心で深くため息をついたとか。
「ふーぅん…あの兄ちゃん、見かけによらず結構金持ちじゃん。」
少年は、財布と巾着の中身を確認し、思わぬ高収入ににんまりと笑っていた。
財布と一緒に何故だか傍に入っていた巾着まで間違って盗ってしまったが、中身は何の変哲もない硬貨だったのでありがたくいただいておいたのだ。
「なんつーか、あんまりパッとしない感じだったからダメかと思ったけど、俺のカンは流石だね。」
機嫌よくポンポンと財布をお手玉のように扱いつつ、足を進める。高収入なのは、つい先日の村で正に体を張ったからなのだが、少年は知らないだろう。
「……これで、やっと……」
少年がそう、呟いた瞬間だった。
「目標、補足ぅーッ!」
いきなり背後から声がかかり、びくりと振り向く。ソコには、まるで鬼のような顔をした女の子が走ってこちらに来ていたのだ。
「……うっそ、ヤベッ!」
そう、間違いなく冴えない男と一緒に居た、妙に元気な姉ちゃんであると。少年は覚えていた。
少年はすぐに身を再び翻すと、一気に駆け出した。
「ちょ、待ちなさいよーッ!!」
走り出して、ほんの数分ほど。
リズは走った。それはもう滅茶苦茶に。ただ正しいルートを選んでいるだけなのならば、子供には決して追いつけなかっただろう。
しかし、ネックレスの『ただ近くにあれば光る性質』と、リズ自身のラックの高さのせいも手伝って、事件は目ざましい展開を迎えていた。
「……ったく、なんでアイツはこう食べ物が絡むと早いんだ…。」
ブロウは必死に少年の後を追いかけるリズの後を追いかけていた。
一応旅人の自分と、つい最近までただの学生だったリズとの運動神経は雲泥の差があるので、見失わずにはすんでいる。
距離はそんなにない上、裏通りということで人も少ない。しかもきっちりターゲットを見つけている辺り、本当に執念というのは恐ろしい。
「アーターシーの、おー釣ーりィー!!」
しかも、時折前方から奇妙な叫び声が聞こえてくるので、表情も血と肉に飢えたモンスターと変わりないような事になっているのだと安易に想像がつく。
それじゃ、追われるほうも溜まったもんじゃないよな、とブロウは被害者にあるのにもかかわらず、少年にこっそり同情の念を送るのだった。
「悪いけど…俺は今此処でつかまるわけには行かないんだよ、姉ちゃん!」
そういって、少年は何かを探すようにきょろきょろと視線を這わせる。
やがて、目的のものを見つけたのか、ニィ、と口をゆがめた。
彼の視線の先に居たのは、おそらくこの辺で適当に活動しているのであろうチンピラ。路上に放置された樽に座り込んで、3人で何かを相談しあっている。
少年が駆け寄る音が聞こえたのか、視線をそちらに向かわせる。
「よぅどうした、またヘマでもしたか?」
一人のひときわ大きな男が、少年に手を振る。
「そんなとこ!後ヨロシク!!」
そういって、脱兎のごとく走り去る少年。男はそんな少年にあきれるようなため息をついた後、立ち上がる。
その後すぐに駆け抜けてくる人影は、身なりこそ、そこらの一般人と変わりなかった。
しかし、なんというか、表情が凄惨すぎて、何度か修羅場をくぐった大男ですら一瞬だけ驚いた、が。
「……おい、姉ちゃんよ。」
口裏を合わせたように、3人で立ちふさがる。
リズは急に振って沸いたようなチンピラを弾き飛ばすほどの勢いも力ももっていなかったので、舌打ちをしてから急ブレーキで足を止めた。
「何よ!今アタシは忙しいの!邪魔しないでくれる!?」
完全に頭に血が上っているのか、リズは思いっきり怒鳴りつける。
「立派な勢いだ。けど、こっから先は俺タチのシマなんでね、悪いが通りたけりゃ通行料おいてきな?」
大男の右隣の妙にへらへらと笑っている男が、リズを見下す。
「るっさいわね!いいから通しなさいって言ってんでしょ、わからずや!」
「リズ、リズ、落ち着いてくれ。俺ら、いわゆる絡まれてるだけだから。」
ようやくそこまで追いついたブロウが、リズを軽くなだめる。
「そういうことだ。ま、あんたらには悪いが、あきらめてもらうしかないな。」
大男がそう加える。それに対しリズは、くるりと首を旋回させ、ブロウのほうをむいた。
その顔は、まさにブロウが想像したとおりの表情をしており、思わずその凄みにひるみそうになる。
リズはさらにブロウの方に視線を向けたまま、ビシィ、と指をチンピラ3人組に向けた。
「ブロウ…やれ。」
その声は、少女の口から出たとは思えないほど低くて野太い。
「や、やれってリズ……」
ふっと、戸惑ったようにチンピラ3人組のほうに目を向ける。そのチンピラは、その辺の方とは違うようで、人間の良心が残っているようだった。
なぜならば、同情の念をこめてブロウを生暖かい目で見ていたからだ。
「……あの、すいません。下手したら(リズに)殺されそうなんで、通してくれませんか?」
ブロウの交渉に、一番大きなため息をついたのは、誰でもない中央に立った大男だった。
「……。なんつーか、兄ちゃん苦労してんなぁ……。ま、もう間に合わんと思うし、場所もおしえてやんよ。」
「ぇ、何処行ったか知ってんの!?つか、間に合わんって何よ!」
「あのボウズはここいらでちょっとした有名人でね。何でも、病に倒れた姉ちゃんを助けたいんだかなんだとかで……
その辺の冒険者や観光人の金をスっては薬を作ってもらうために魔法使いの家に通ってんのさ。」
そういって、大男はずっと奥の方を指差す。おそらく、まっすぐ行けばその魔法使いとやらの家に着くのだろう。
「へぇ……苦労してるんだな……」
「あぁ。でも、あの魔法使いはただあのボウズを利用してるにすぎねぇ。何度も止めるように言ったが、ボウズは聞く耳もたんかったよ。
……でも、今月でもう二桁。あのまんま続けてたらとっ捕まるか報復されっかどっちかだ。」
そういった大男の顔は、どこかばつの悪そうな顔をしていた。おそらく、少年のことが心配なのだろう。
裏通りに暮らすもの同士、家族のようなものなのだろうか。
「つまり、俺たちに警告をするよう、仕向けてるってとっていいのか?」
「…否定はしねぇ。ただ、あんたらなら少なくとも酷いことはしないように見えたんでね。さ、行くんだったらいきな。」
そういって、大男と残り二人は道をあけた。
「……あんま聞きたくないような話聞いちまったなぁ……」
ブロウが小さく息を吐くのに対し、リズからは怒気のようなオーラが漂っていた。
「つまり、その魔法使いの家とやらに速攻で走ったら良いわけね!待ってなさいよ、クソガキ!アタシの楽しみを奪ったこと、後悔させてやるわ!!」
ぐ、っと握りこぶしを作って、再びまっすぐ駆け出すリズ。もちろん、ネックレスを確認することも忘れていない。
「ちょ、ちょっとリズ、さっきの話聞いてたか?!」
完全にフルボッコする気満々のリズ。このまま鉢合わせさせたら、不味い!とブロウは感じた。
「聞いてたわよ!でも、それと悪事って別モンじゃない!?偉人の言葉に、こういうのがあるわ…悪人に人権はないッ!」
そういって走るリズの姿は、なんとなくドラゴンすらも恐れてリズのことをまたいで通りそうだなぁ、とブロウも思ったとか思わなかったとか。
「……いやいや、男の子は悪人ってわけでもないような……」
むしろ、大切な家族のために危険を犯しているのだから、よっぽどいい子にブロウには見えた。
自分もその被害にあっているというのに、何処までもお人よしな彼だからこそだろうか。
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