--イシュネー王国-- 9話

裏通りをずっとまっすぐ言った所に、そこはあった。
古く寂れた一軒のレンガ造りの家。あったはずの看板はもぎ取られ、ただ錆びた金属の止め具があるばかりだった。
「……これで……やっと、足りる…」
こんこん、とその朽ちかけた扉をたたいてから、中に入る。派手にきしむ音がしたが、いつものことなので少年は気にしない。
「おや、君か……熱心だねぇ。今月は特に。」
埃と薬品のにおいが充満する薄暗い部屋の中。その奥で、もぞりとうごめく人影が、少年を捉える。
くたびれた白衣を身に着け、それでも目だけはギラギラと異様に光っている、中年の細身の男。
「今日は、大量だぜ?」
そういって、その男に巾着と財布を投げつけ、渡す。男はそれを受け取ると、ほぅ、と感慨深げにつぶやき、がたがたの机の中にしまった。
「お疲れ様、これでまた一歩、薬に近づくよ。」
「……ッ、ちょっと待てよ!」
それだけ言って再び作業に戻りかけた男を、少年は言葉で止める。
「いまので、約束の値段には達したはずだろ!!」
「……おや、そうだったかな?」
首をかしげる、男。あまりにもそれがわざとらしく見えて、少年は激昂する。
「とぼけんじゃねぇ!払い終わりと同時に薬はもらう約束だったろ!!」
「……さぁ、なんのことだったか。最近物忘れがひどくてね……君にもらった金額なんて…逐一覚えていられないんだよ……」
にやにやと、男は気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「てんめぇッ……」
少年は、怒りのあまり飛び掛るように男に襲いかかった。男はされるがままといったように、少年にえり首を捕まれる形になる。
「ふざけんなよ、騙したのか!」
「ふふふ…君が騙された、と思うんならばそうなんだろうね。でも、これで僕の研究はまた進むんだ。世界のための、研究が…そう思えば、君だって本望だろ?」
「なっ……」
少年はその言葉で確信した。この男の手のひらの上で躍らせられたことだけだったということを。
「いいよ、君の役目はもうひとつあるからね。うふふふ……」
そういって、男は少年の目の前で、ひとつの薬瓶のふたを開ける。そこから広がったのは、色々な香料を一緒にして混ぜ合わせたような、気味の悪い香り。
少年がその匂いにむせ返しそうになった時、自分の体に変化が訪れた。
「…な、なんだ…これ…」
体中からすべての力が抜ける。まるで、ふにゃふにゃと綿のすくないぬいぐるみにでもなったかのように、床に倒れ伏した。
「神経毒っていってね、ある一定の部分の機能を動かなくするものなんだ。僕は医学にも多少精通していてね……すごいだろ?」
瓶にふたをして、男は一本の注射針を取り出す。そこに、先ほどとは別の薬液を注射針の中に満たし、再び気味の悪い笑みを浮かべる。
「ちょうど、元気な実験体が一人ほしかったんだ。ちょうど君のような、ね。」
「な―…や、やめろ!!」
少年が制止の声を上げるが、男の動きはとまらない。ゆっくりと彼の首筋に手を伸ばし、針を向けた。

―…その、瞬間。

どっせい!
妙な怒号。
直後、ドアが自分のキャパシティを越えた衝撃を受け、ものすごい勢いで壁に叩きつけられる音。
ガゴン、と最後の悲鳴を上げ、蝶番が壊れた音がしたのは、きっと気のせいではない。
「すいません、ここにアタシの財布……」
「ドア壊すなよ……って、どうしたんだよ、リズ。」
中に入ろうとして、動きを止めたリズに、後ろからブロウが覗き込む。
そこには、倒れ伏した少年と、その少年に怪しげな薬を打ち込もうとする男の姿があった。
「……なんだね、君たちは。今僕は忙しいんだ、後にしてくれないか?」
不機嫌な顔で、男は二人をにらみつける。
「財布を取り戻しにきたんだ。そこの男の子が持って行った奴だけど。」
ブロウはリズの前に立ち、男に質問を投げかける。
どう見ても、異様な室内。何をしようとしているのか、ブロウにはさっぱりだったけど、ただひとつだけ確信していた。
絶対に、マトモな事はしていない、と。
「財布……?ああ、アレか。悪いけど、あれはもう僕のモノなんでね。だって、僕にあげるっていうから貰ったんだ。だから、君ラの物じゃないだろう。」
「何言ってんのよ!あれはアタシの……むぐむが」
言いかけて、リズの口を軽くブロウはふさぐ。こういう人間に、無駄な刺激を与えるのはよろしくない、という彼の判断だ。
「じゃ、それはそれでいいから、そこの男の子が俺たちの財布を持ってったんだ。こっちで落とし前つけたいから、よかったら身元を渡してくれないかな?」
ブロウの言葉に、少年の顔がいささかこわばる。
「それは駄目。今からこの子は僕が使うからね。君たちに得られるものなんて何もないから、さっさと帰ってくれ。」
「……こっちも出来るなら穏便に帰りたい。その子だけ渡してくれたら帰るって。大体、使うってなんに使うんだよ。」
ブロウの質問に、男は始めて笑みを浮かべた。というのも、それは気持ちのいいものでは決してなかったが。
「うふふふ、いい質問だね。僕のことに興味があるんならそう言ってよ…僕はね、今、世界のために役立つ研究をしてるんだよ。
 この子は第一実験体さ…僕のためにお金をとってきて、最後はその身をささげてくれて……ふふふふ、いい子だよねぇ?」
「だ、誰が、お前なんかのために!大体から、俺は姉ちゃんが助けられるって聞いたから!!」
男の言葉に、全力で否定する少年。
注射針がすぐ首元に突きつけられ薬のせいで体が動かないので、身じろぎひとつ出来ない。
「いつ、だれがそんな約束したっけ?約束するときは、ちゃんと紙にかいてくれよ…じゃないと、忘れるんだよ、そんなくだらないことは。
見下したまま、男は少年をにらみつける。
「…………アンタ、最低だな。
そんな二人のやりとりに、ぽそり、とブロウがつぶやいた。それは、そばにいたリズにしか聞こえないほどの、音量だった。
「ブロウ?」
リズが口元を抑えられた手を解き、ブロウの顔を見上げると、いつもの優しい顔つきとは違った彼が、そこにいた。
ブロウは、数歩中に進んだと思うとす、っと腰に挿している剣に手を伸ばす。
「切るのかい?僕を?いいけど、殺人で重い罪に問われるよ?」
男の質問に、ブロウは答えない。
「どうする、怖気ついた―…」
男が口を開きかけた、そのとき。ブロウはたった一歩、踏み出した。
それだけのはずなのに、男はなぜかまるで横なぎに何かで殴られたかのように吹っ飛んだ。
そして、壁に頭を思いっきりぶつけたのか、そのまま動かなくなる。
「な……」
少年が、驚きの声を上げる。その感情は、リズも同様だった。
「……ぇ、もしかして、殺し…た?」
ぴくりとも動かない男に、リズは思わずそんなことを口走っていた。
「いや、峰打ち。でも多分、3時間くらい目を覚まさないと思うけどな。」
振り返ってそう答えたブロウは、いつものように優しい顔に戻っていた。
「なーんだ、もう、驚かさないでよ。」
確かに言われてみれば、男の体からは血は流れていない。
まぁ、ちょっとだけ頭をぶつけたようでそこはたんこぶが出来ていたが。
「さて……なぁ、アンタ、大丈夫か?」
そういって、ブロウは倒れたままの少年に近寄る。少年はびくりと顔をこわばらせ、ブロウをおびえた表情で見る。
「な、何だよ……どうせ落とし前って奴つけるんだろ!!さっさとすればいいだろ!」
「いや、別にそういうのはしないけど……。」
あまりにも警戒されるような態度を取られて、ブロウは苦笑する。
単純に前の言葉はあくまでも交渉のためだったのだが、本気に取られたらしい。
えぇ、しないの!?
財布を捜すため、あちこちとあさっているリズがそのとなりで驚きの声を上げる。
いや、しねぇよ!?やる気マンマンだったのかよ!!」
こっくり、と深くうなずくリズ。そのやり取りを見ていて、少年は小さく噴出した。
「…ははは…あーもう、最悪だ…」
そして、年に似合わない乾いた笑いを浮かべて、ようやく薬が切れてきて動くようになった体を起こし、座り込む。
「ちょっとだけ、話聞いたぜ、アンタの事。お姉さん、助けるためだったんだって?」
「うん…でも、駄目だった。もう、わかんねーよ…俺もどうすりゃいいか、なんて……」
おそらく、最初で最後の希望だったのだろう。
ブロウは懐からひとつの小さな薬瓶を取り出すと、深いため息をついて頭をガシガシとかきむしる少年に、差し出す。
「なんだよ、コレ。」
「いや、お姉さんがどこ悪いのか知んないけどさ、コレでなんとかならないかな、って。」
そういって、少年は差し出された薬を受け取る。
それは、子供の手のひらに簡単に収まってしまうサイズ。中身も淡いグリーンで、瓶を動かすたびに液体がとろりと流動する。
「なんだっけ…命元素と、その他薬草を配合したもので、大体の病には一本で治るって言ってた。」
「そんな裏技くさいの、あっていいの?」
そう答えたのは、リズだった。いつの間に見つけたのか、両手には財布と巾着を手にしている。
「いやー、兄貴が作った奴でさ、なんか普通に原材料と技術料足すと10万下らないんじゃないかって言ってたし…多分、大量生産も出来ないんだと思う。」
「…10万!?」
少年が目を丸くする。
そりゃ、小さな薬瓶が10万なんていわれれば、誰でも驚くだろう。
「ブロウ…お人よしもそこまで行くと逆に駄目っぽい…」
「いやでもほら、困ってるし。なんとかしてあげたいだろ。」
少年は、じっとその瓶を見つめて、ぎゅ、っと大切そうに握った。
「いいのか、本当に?」
「いいよいいよ。…あ、でも、一個だけ、すっげぇ副作用があるんだった。」
「…副作用?もしかして、モンスターになっちゃうとか?」
「……それはすでに薬でもなんでもないような……いやー、兄貴が薬は苦いというのを根本的に覆したかったらしくて、すっげぇ胸焼けが……」
そのときを思い出したのか、ブロウは口元を押さえる。どうやら、飲んだことがあるのだろう。
「…胸焼けぇ?」
「……その薬のとろみは…粉砂糖をたくさんぶっこんだ結果なんだ……」
確かに、少年の手の中の薬はとろりとしている。
どれだけいれたらこういうことになるのかわからないが、確かに胸焼け必死というか、いっそ毒のように思えてならない。
り、良薬口に辛し……
リズが想像してしまい、青ざめた顔で思わず口にする。微妙に言葉が違うが、その薬に当てはまっているので誰も突っ込まないが。
「…でも、それさえ乗り越えれば何とかなるかもしんないだろ?俺、早速帰って姉ちゃんに飲ませてみるよ。何も礼できないけどさ、ありがとな!」
そういって、少年は立ち上がると、たっと外へと駆け出していった。その顔は、すがすがしい笑顔を携えていて、見ているこちらも気持ちがよくなるほど。
「…さ、俺たちも行こうか。」
「そうだった!アタシの食べ放題―!!」
ブロウが立ち上がった、その瞬間、教会からの鐘が高らかに鳴り響きだした。
「やべ、これ、5時の鐘じゃないか!?」
ブロウがそういって、腰に吊り下げている懐中時計を開けてみる。
ブロウの思ったとおり、ちょうど長い針は12のところを、短い針は5を刺していた。
「ええぇぇっ!?アタシの食べ放題は!?」
「悪いけど、リズ、この時点で遅刻確定だ。急いで乗合せ場所に向かわないと!!」
始めに言われていたのだ。5時までに買い物が終わったら、という約束だったのを。
「えぇえええー!!やだやだー、アタシ疲れて動けないぃー…」
そういって、リズは再びぺたりと座り込む。
「ちょ、っちょっとー!!後で怖いの俺なんだけど!!」
そういって、さんざんぐずり駄々をこねるリズをブロウはなんとか説得しようとしてみるものの、
ついには宥めきれずに、その背中に背負って乗合場所に着くまで、かなりの時間がかかってしまったとか。



「お前は時計も読めないような奴だったか。さすがに兄としてこれは教育を間違ったとしか言いようがないな」
ブロウがぶつぶつと呪詛の文言を吐き続けるリズを背負って乗合場所にたどり着いた頃には、予定の時間を30分ばかり過ぎていた。
で、ブロウを見つけたイレイスが開口一番上述の台詞を直球でぶつけてきたのだ。
当然、イレイスとスイレンは約束の時間より少し前には到着しており、チケットの購入などを済ませておいたのだった。
ちなみに「どうせブロウは遅れる」とイレイスがスイレンに宣言したからスイレンがチケットの購入まで済ませておいた…とか、なんとか。
しかしブロウだって最大限の努力はしたのだ。それなのにこの言われようはなんなのだ。むっときたブロウはイレイスに言い返す。
「そう言うけどな、俺だって別に好んで遅れたわけじゃない。買い物済ませた後スリに遭ったりそいつが訳有りだったりその他諸々で…」
「しかも食べ放題できなかったし……」
「食べ放題?」
「お釣りで食べ放題の店に行くつもりだったんだろうよ。っていうかリズ!お前がちゃんと歩いてりゃここまで遅れることなかったんだからな!」
「でーもー!食べ放題どころかアタシなーんにも買えなかったんだしー!」
「ほほほら!もう馬車乗れますよ!ここで遅刻したらチケット代無駄ですから!馬車に乗りましょう!」
リズとブロウの言い合いに発展しそうになったところをスイレンが割って入った。
「リズ、そのお釣りはお前が持っておくといい。それにシュトーレンなら国境沿いの町だからな、ここ以上に色々な物が集まっているぞ」
「ほんと!?ありがとうイレイス!」
イレイスは小さく肩を竦め、三人を先導するように歩き出した。リズは途端に元気になってぴょんと飛び跳ねるとイレイスのあとをスキップでついていく。
ブロウはひとつ大きくため息をつく。スイレンがそれを聞いていて、苦笑してブロウを促した。
馬車はリズの故郷から王都へ向かうものより大きく立派だった。それもそうだろう。リズの故郷はイシュネー王国の片田舎。王都イシュラントから更に奥となる。一方シュトーレンはイシュネー王国の玄関口。他国の境に面した街で王都イシュラントの次に大きい街だ。
人の流れも物の流れもこちらの方が圧倒的に多い。しかも、馬車はほぼ全席埋まっていた。
ぎりぎりでチケットを取ったため、4人はばらばらに座ることになった。リズの隣は商人風の中年男だった。これといって特徴もない、明らかにエキストラな人物である。
「ねえねえ、シュトーレンってどんな街なの?」
リズは席に落ち着いてから、通路を挟んで隣に座っているブロウに尋ねた。
「俺もずいぶん前から行ってないが…国境に面したイシュネーの街だ。ちなみに東の大陸には四つの国がある…っていうのは知っているよな?」
「うん知ってる。アタシたちが住んでるイシュネー王国でしょ、これから行くラゼラル王国にオラトリオ教の総本山があるとかいうネルベ王国。
 それと、スナ王国だったよね」
「そう。この四つの国は大陸のほぼ中央で国境が隣り合っている。だから、その国境が隣り合っている部分に街を作ってるんだ。
 で、その街のイシュネーの国内部分はシュトーレンという名前…というわけだ」
「他国との交易も盛んに行われている街だ。イシュラントよりも珍しい物が安く手に入る」
ブロウの言葉を補うかのようにブロウの後ろに座るイレイスが言った。
「ってことは、珍しいおかしとか料理とかもあるってことだよね!よっしゃあ!」
「…こいつ、食べ物のことになると目が輝くんだよな……」
やれやれ。ブロウはため息をつくのだった。そのあたりで椅子から規則的な振動を感じるようになった。どうやら馬車が動き始めたらしい。リズはマントを体にかけ、眠ることにした。最初こそ馬車で眠ることはできそうにない…と思っていたが、だんだん馴れてきたように思う。時間としてはまだ早い。ブロウはまだ眠る様子はなさそうだった。



さて。
馬車は滞りなく進み、シュトーレンの街へ到着した。時間はまだ早朝のはずなのだが、街は既に動き始めていた。
乗合所の付近では露天がいくつも立ち並び、果物を山盛りにしている店や肉を焼いている店には早くも数名の客が買い物をしている。
うわあああ!!肉!肉がアタシを呼んでるううう!!
待て待て待て待て!!!
瞳を輝かせながら走っていこうとするリズのマントの襟首をブロウが慌てて掴んだ。
「リズさん、ここは国境の街ですけれど、まだイシュネーですよ?先に国境を越えてしまった方がより珍しい物があるかもしれません」
「あ、そっか!スイレン頭いいね!それじゃあ早速、国境越えしますかー!」
リズは拳を空に突き上げ、揚々と歩き出した…が、
「そっちはラゼラルじゃない。ネルベだ」
レイスに冷たくツッコまれ、すごすごとイレイスの後をついていく羽目になったのだった……
東の大陸にはリズが言ったとおり、四つの国がある。魔法文化で栄えるイシュネー王国、「七伯領国」の異名を持つラゼラル王国、オラトリオ教の総本山を持つ新興国ネルベ王国、近年まで緩い鎖国状態にあったスナ王国。
四つの国はおおむね平和に共存していたが、今より少し昔、ネルベ王国の前身であったアレトニア王国がスナ王国に攻め入り、スナ王国がアレトニア領になってしまったことがあった。この事態を重く見たラゼラル・イシュネーの両国はスナ王国の王族を擁護し、アレトニア王国の蛮行を非難した。
そのことによりアレトニア王国は世界的に批判を受け、オラトリオ教団と深く結びついていたアレトニア王族が失脚、ネルベ王国となった。
一方周囲の手助けを受けて国土を回復したスナ王国は見返りとして鎖国を解くことになった。
そして戦乱の終止符は四人の国王によって、この場で打たれた。東の大陸の四カ国は相互に協力し、発展していくことを誓う。
俗に言う「東の大陸の相互協力条約」である。四カ国はこの条約を結んだ証として国境に面する場所にそれぞれ街を作り、その中央に王たちが会議を行う場を建てた。会議を行う場は普段は閉鎖されているが、半年に一度数日間だけ公開されるらしい。
…まあ、そんな話は今のリズには関係ないのだが。
リズたちはイシュネーとラゼラルの国境を越えるための門に来ていた。門が開くのは朝8時。
もう少しだけ時間があるのだが、馬車に乗ってきた者はそのまま門へ来た者が多いようだ。十数名の旅人が開門を待っている。
「そういえばさー、もうラゼラル王国に入っちゃうわけなんだけど、ティシモ伯領に行くにはどうするの?」
「その門をくぐればラゼラル王国の国境沿いの街、ケールスに入る。そこからは徒歩だな。徒歩で北東へ行くことになる」
「馬車は?」
「乗合馬車はイシュネー独自のものだと思っていい。ラゼラルやネルベでは馬車は運搬用に用いるのが普通だ。
まあ、鶏や豚と相乗りでも構わないというのなら方法はなくないが」
「……それはやだ」
リズはぶるぶると首を横に振った。
「となると、ケールスを旅立つときはお別れですね」
「えぇ!?」
唐突なスイレンの言葉にリズはぎょっとした。数日の旅であったが、リズにとってはスイレンもブロウやイレイス同様大切な仲間という感覚になっていたからだ。
スイレンはふ、と微笑む。
「わたしが向かうベリリルの森はケールスからは国境沿いを真北の方向にありますから。
リズさんがティシモ伯領に向かうのが目的であるのと同様に、わたしはベリリルの森に行くのが目的ですから」
「えぇ〜、やだやだー!スイレンも一緒がいいよー」
「リズ、聞き分けろ」
ブロウは駄々をこねるリズの頭を軽く押さえる。まるで兄妹のような仕草だ。イレイスはそんな様子を見て鼻を鳴らす。
「子供だな」
「……ぶぅー……」
リズは特に反論できず、頬を膨らませるにとどめた。
そうこうしているうちに門が開き、人が動き始めた。
ちなみに、国境を越えると言っても相互協力条約のおかげで特に何かの手続きを必要とするわけではない。ただ警備兵の前を通ればいいのだ。
そこには特殊な魔法がかけられた場があって、そこを通る者の姿を変える魔法を無効化し、あらかじめ登録された人物(この場合犯罪者や出国禁止になっている者)の顔と照合し、該当しなければそのまま反対側に抜けられる。
ということになっている。というわけで、スイレンはあらかじめ魔法を解いてエルフの姿で国境を越えることにした。
ちなみに、エルフ族はラゼラル王国にいるので、特に不審がられたり珍しがられたりすることもなく抜けることができた。
「それでは、良い旅を。リズさん、ボレロ入手がんばってくださいね」
「スイレンこそ、気をつけてね〜」
「また会えるといいな」
「なかなか興味深い話を聞かせてもらった」
スイレンは微笑むと、自分の荷物を抱えなおし、ケールスの街の雑踏の中へと消えていった。
3人はしばらくスイレンの背中を見送り……
「じゃ、朝ごはんとしゃれこみますか!」
リズはにま。と笑った。


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