--ラぜラル王国-- 2話
さて、こちらは集落になんとかたどり着いたリズ。その集落は田舎道の中にあったとはいえ、まだ国境の町に近い。
そのあたりに住んでいる村人よりも、旅人や商人といった、「よそ者」の方が数多く見受けられる。
もちろんリズもそのうちの一人なのだが。
「ぇーっと…宿屋、宿屋っと……い、いっぱいある……。」
リズは夕暮れに赤く染まる村を、きょろきょろと見回しながら歩く。本当に狭い村のはずなのに、なぜか見受ける建物のほとんどが宿だ。
外からの客が異様に多いのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。
「……ま、いっか。どれか適当なところに行けば、なんとかなるでしょ。」
そういって、リズはまず一番初めに目に付いた宿屋に行ってみることにしたのだった。
木製のドアに、金属の取っ手。それを回して軽く引くだけで、からんという軽い音のドアチャイムとともにドアが開く。
中に入ると、入り口から直線上にあるカウンター越しに四十半ばほどの亭主がこちらに視線を向けていた。
「いらっしゃい……誰かの御付きの人かい?」
愛想もないが、無愛想でもない声がかかる。
「いえ、違いますー。今日一日宿を取りたいんですけどー。」
そうリズが言った瞬間、宿の亭主の表情が曇った。怪しんでいるわけでもない。ただ、リズのことを困ったような目で見始めたのだ。
「一人で、か?連れは誰もいないのかい?」
再度確認を取る亭主に、リズは少しだけ首を傾げたが、自分の年齢を冷静に考えると別に不思議なことでもなんでもない。
「あ、はい。一人で……連れって呼べる人は、ちょっとはぐれちゃって…」
「待ち合わせ場所は?」
矢継ぎ早に質問を繰り出す亭主に怪しまれてるな、と思いながらもリズはひとつずつ答えていく。
「待ち合わせ場所…?ティシモ伯爵の門の前ですけど…」
「……ほ、本気かい?」
「え?え、えぇ、そうですけど?」
リズにうそはなく、すべて、本当のことだった。
ソレを答えただけのことなのだが、亭主は深いため息をついた。
ついでに、なんだかこっちを見る目が可哀想な者に向ける視線へと変化しているような気がする。
「お嬢ちゃん、悪いけどウチには泊められないよ。」
「え、ええぇ!?な、なんで!?」
亭主の爆弾発言に、リズは大きな声で叫んでいた。
「…部屋がいっぱいなのさ。ここは国境の町も比較的近くてね。しかも、こんな場所だから宿代もはるかに安いんだ。
金のない、また金にがめつい奴はみーんなここに泊まってくから、もう空き部屋なんてないんだよ。」
悪いねぇ、と続ける亭主に、リズは怒りは浮かばなかった。それよりも、亭主の話が本当だとしたら、集落の中にいるのに野宿、という大変惨めなことになる。道理で、宿が無駄に多い―…いやそれでも、少し不足しているわけだ。
「とりあえず、この辺は宿が多いからね。全部あたってみれば、一部屋くらい空いてるかもしれんよ。」
そう、アドバイスを付け加える亭主。固まってしまったリズをさすがに哀れに思ったのだろうか。
「わ、わかった!いろんなとこ、行ってみる!!」
とりあえず、固まっている暇はない。リズは亭主に礼もそこそこに、宿屋から飛び出して行った。
そして、小一時間ほど経過した。
宿の数こそおおいなれど、集落自体は首都と等に比べると非常に小さい。おかげで、すべて回りきるのと、太陽が沈みきるのはほぼ同時くらいだった。
「……はー…ぁ……」
まぁもちろん、結果は出せるとはまた別の次元の話であるわけで。
日暮れぎりぎりにちょうど良いタイミングであいている部屋などなく、リズは外でため息混じりに立ち尽くしていた。
「…………おなか、すいたなー…」
ぽつり、とつぶやく。
もちろん、どうなるというわけでもないのだが。
「はぁ……」
もう一度、どうにもならないとわかっていても出るため息に自分でも嫌気が差す。今から出来ることといえば、休めそうなところを探すことだ。
集落の中である以上、昼間のように熊が襲ってくるわけでもないとわかっているものの、気は重い。
「あーあ、どうすんのよアタシ。火もおこせないってのに……たどり着く前に凍死したら、洒落になんないわよー……」
気温がまだ暖かかったならいいのだが、ここはシュトーレンよりも北にある上、しかも季節も冬へと向かっているので寒くなる一方だ。
しかもリズは魔法で火が起こせない上、そういう道具など持っていない。
すべてをあの二人にまかせっきりだったから、神様の落とした天罰だろうか、と疑ってしまう。
「はーぁ…」
三度、ため息をついたとき、とんとん、と軽く背中を突っつかれた。
何事かと思って頭をそちらに向けると、ニコニコと人懐っこい笑みを携えた10代前半の金色の髪をした男の子が頭に白い鳩をのせて、こちらを向いていた。
「おねぇさーん、どうしたの?くっらぁーい顔して。そうだ、キャンディ食べるぅ?美味しいよ?」
そういって、男の子は背中に背負ったパステルカラーのリュックサックから、ピンク色の棒つき飴を差し出してくる。
「え、あ、ありがとう……」
男の子がどういう人物で何なのかわからなかったけど、その表情に悪意はない。
リズは棒つきキャンディを受け取ると、男の子は再び喋りだした。
「今ね、今ね、おねぇさんの格好をした人探してるのー。おねぇさん、しらなぁい?」
「……はい?」
男の子の行っている意味がわからなくて、リズは思わず聞き返していた。
自分の格好をした人、なら自分自身ではないのだろうか。矛盾を感じるその質問に、聞いた男の子のほうも首をかしげている。
「あー、違うや。僕が探してるのは、リズ=ファシルっていって、おねぇさんみたいな人なんだけど、知らない?」
「よくわかんないけど、リズはアタシだけど…??」
同姓同名がいれば別の話だろうが、目の前の男の子は自分みたいな人、という説明をつけている。
そういう点では、たぶん探されているのはリズだ。
「あ、そうなんだ!じゃ、これでミッションコンプリートだね。じゃ、いこっか、りずりず♪」
男の子はそういうと、リズの片腕を取り、すぐさま歩き出そうとする。
もちろん、リズには意味がわからず、目を白黒させることしか出来ない。
「は、はいぃ!?ちょっと待って!!アンタ何よ!つかアタシを何処に連れて行こうってんのよ!!」
リズの悲鳴のような言葉に、男の子は悪びれるふうもなく、ぽんと手を一度叩いただけだった。
ついでに変な呼び方をされたのにも気になったが、今はそれどころじゃない。
「あ、そうだったね。僕の名前はルート。花もはじらう12歳だよ。場所は、僕らがお泊りしてる宿屋。
いっちーが書いてたもん。この時期一人で宿なんてとれないよって。」
「や、宿?っていうか、いっちーって誰よ!?」
「いっちーはいっちーだよぅ。宿、せっちゃんと一緒だけどいいよね。っていうか、むしろせっちゃんと同じ部屋にお泊りできることに感謝しろっていう?」
ルートにがっしりとつかまれた腕を、ずるずると引きずるようにして連れて行かれる。
いまいち説明のしかたが悪くてリズにはさっぱりだけど、不穏な香り漂う会話内容から読むに、あまり悪いことはされないようだ。
「うぅー…腹くくって、行くしかないわよね…結局、アタシ一人じゃどうしようもないし。」
結局、そういって諦めをつけることにし、リズはルートに素直に歩調をあわせることにしたのだった。
結局、リズは一番初めに入った宿に戻ってくることになった。
亭主さんが一瞬だけ驚いたような顔をしていたのは、きっと気のせいではない。
二階にある、一室。
ルートにつれられて中に入ると、ベッドが二つとテーブルが中央にひとつと、椅子が二つあるだけのシンプルな部屋だった。
「はい、到着っ!荷物はそっちにおいてね。あと、お風呂行きたかったら勝手に行ってね〜。」
とりあえず、ルートに言われたとおり、荷物を指定された場所、片方のベッドのそばに置く。
ルートは頭にはとを乗っけたまま、リズが荷物を置いたほうではないベッドに座った。
「…ぇーっと…で、なんでアタシをこんなところに連れて来たワケ?」
リズはルートと対面にすわるように、テーブルそばのいすに腰掛ける。
お風呂、という単語にかなり魅力を覚えたけど、そっちに行っている間に荷物を持ち逃げされたらたまらない。
「それはね、いっちーがお手紙飛ばしてきたんだよ。そっちに迷子が一人行くと思うから、その子をティシモ伯領まで連れてってやってくれってさ。」
そういって、ぬいぐるみの様に動かない白い鳩を頭から下ろして、腕の中に抱え込むルート。
片手で、あやすように頭をやさしくなでている。
「……いや、だからその、いっちーって誰よ。」
「えぇ?いっちーとぶろりんと一緒にいたんでしょ?知らないの?」
「いや、知らないのっていわれてもぉー…」
だから、誰なのかわからないのだ。あだ名なのか、本当にそういう名前の人なのかが絶妙に判断につかない。
まいった、とリズが頬を掻くと、不意にドアがノックもなしに開いた。
と、同時にルートの腕の中でぬいぐるみのように止まっていた鳩が、急に翼をはためかせる。
「ぁ、せっちゃん、おかえりぃ〜!」
ルートの声で、リズも振り返る。そこにいたのは、すこし長い黒髪を束ねずに下にたらした、旅人が扉を閉めていた。
紙袋を片腕に抱えていて、その逆側の肩に白い鳩が待ってましたとばかりに止まる。
「ただいま、ルート。で、貴方がリズですね?」
ルートとはうってかわったような落ち着いた穏やかな声。身長は、リズよりも10cmほど高いくらいだろうか。
ぱっとした見た目こそ同じ年に見えるが、まとう雰囲気はもっと年上の人のように感じられた。
「は、はい!?なんだかそうっぽいんですけど!!」
リズの戸惑いの答えに、その旅人はルートを少しだけ睨み付けた。
「…ルート、大して説明しませんでしたね?」
その質問に、ルートはふいっと気まずそうに視線をそらすだけだった。旅人はそんなルートに対してため息を着くと、リズに向き直る。
「とにかく。オレの名前はナルザキ=セツナ。セツナでいいです。
イレイスに頼まれ、貴方をティシモ領へと送り届けることになりましたので、よろしくお願いします。」
「えぇ!?イレイスと知り合いぃ!?って、もしかして、いっちーって…イレイスのこと…?」
リズがルートのほうに視線を向けると、ルートは笑顔のまま親指を立ててきた。
どうやら、肯定の意味、のようだ。その論理でいくと、ぶろりん、というのはおそらくブロウのことだろう。
「……本当に説明してなかったみたいですね。」
「いや…まぁ……じゃなくって!イレイスとブロウは無事なの!?
熊に襲われて、アタシだけ逃がしてくれたんだけど、あの二人は戦って、もしかしたら怪我とかー……」
言いかけて、その途中で甲高い笑い声が響いた。音のほうを見ると、ルートがなぜか大きく笑っていたのだ。
「あはははっ!りずりずおもしろーい!!あの二人が熊にやられるなんて、ありえないよ〜?」
「は…はぁっ?」
こっちは本気で心配しているのに、その気持ちさえも馬鹿にされたみたいで、リズは不快だと思った。
しかし、すぐさまそんな気持ちに気がついたセツナが、ルートの脳天にゲンコツを一発食らわせていた。
「……い、いったぁー…い」
涙をうっすら浮かべて頭をさするルートをスルーし、セツナは再びリズに向き直る。
「すみません。躾がなってなくて。」
「あ、いや、あのー…」
「ですが、ルートが言うことも最もです。
こうして使い魔も飛ばしてきましたし。言葉どおり、ティシモ伯爵領に向かっていると考えるのが妥当かと思いますよ。」
そういって、セツナは肩に止まっている白い鳩をつっつく。どうやらそれが、イレイスの使い魔、という奴なのだろう。
「……うん。」
セツナの言葉にうなずくことしか、リズには出来なかった。ここでその事実を否定したところで、何にもなりはしないから。
セツナは、やはりどこか落ち込んだ表情のリズの隣に、紙袋をぽんとテーブルの上において、中身をとりだす。
「……お腹、空いてるんでしょう?」
そういって、セツナは紙袋の中にあるサンドイッチをリズに手渡す。どうやら中身は、晩御飯らしく、二人分と少しの食料が入っていた。
「あ、ありがとう。」
「気にしないでください。後はルートと半分してくださいね。」
そういったセツナの手にはひとつの小ぶりのホットドッグが握られているだけ。それはとても晩御飯には物足りない量のようにリズには見えた。
「そんだけで足りんの?」
「せっちゃん、少食だからね。」
ルートはベッドからぽんと降りると、テーブルに備え付けてあったいすに座り、手を合わせる。
所謂、『いただきます』のポーズだ。
「お腹空いたら誰彼かまわず襲いかかるようなりずりずとは根本的に体のつくりが違うんだよ。」
そういって、ルートはサンドイッチのひとつを口に入れる。
「いくらアタシでも襲い掛かんないわよ。誰よそんな事言ったの。」
「いっちーだよ。手紙に書いてあったもん。『リズは食料が切れると凶暴化するから、餌を常に撒いておくこと』って。」
そんな文章を書いたイレイスの表情が、すぐに頭に浮かんでくる。
きっと面白おかしくほかにもいらないことを書いたに違いない、というのは想像にたやすい。
「だから、大丈夫だって言ったんですけど。」
完全に固まってしまったリズに、セツナは息を吐く。
ベッドの端に座り、ホットドッグを食べつつ紙にペンで何かを書いていた。
しばらくたって。
食事もそこそこにすませたリズは、お風呂に入り、再びセツナとルートの部屋に戻っていた。
ちょうど部屋に戻ったとき、先に入浴を済ませていたらしいセツナが、白い鳩の足に紙をくくりつけていたところだった。
ルートはそれを黙ってとなりでニコニコ見ている。
「―…戻れ、万物の操り人、誉れ高き知能で和をもって制す、主の下へ。」
白い鳩は、セツナの指示に答えるかのように、彼の元を離れると、部屋にある開いた窓からまっすぐに飛び立っていった。
「ねぇ、何してたの?」
「イレイスのほうに連絡です。一応貴方と無事会えた事を報告に飛ばしました。」
「ふぅん、そうなんだ……ふぁぁ…」
そういうと、リズは大きなあくびをする。やはり、慣れてきたとはいえ今回はショッキングな出来事が多すぎた。
さすがに体のほうも今日は悲鳴を上げている。
「少し早いですけど、休みましょうか。とりあえず、オレと部屋が一緒ですけど、いいですよね。」
「え、何でそんな確認とるの?セツナとアタシがおんなじ部屋で寝るのって問題ある?」
さすがに前、ブロウやイレイスと一緒のときはスイレンが無駄に嫌がっていたのを覚えている。
自分的には二人とも何にもしてこないような気がしていたので一緒でもよかったが、それは男と女の話。
だが、目の前にいるセツナは一人称こそアレだけど、すごくまとう雰囲気といい、声色といい。女の人そのものだ。おまけにそこらの人よりも少食だし。
「……あの、一応オレは男ですから。」
そういったセツナの瞳に、少しだけ怒りの表情が含まれていた。
思わず二の句が告げなくなり、場の空気が悪くなるかと思いきや、ルートが口を開いていた。
「ま、僕的にはせっちゃんと一緒に寝れるからいいんだけどね♪えへへー、久しぶりに一緒のおふとんで寝れる幸せっていう。」
うふふ、と恍惚の笑みを浮かべて笑うルートは、いささか危険に見えた。
普通の旅人にしては少しおかしいその人間関係だが、相手は子供だ。そんなに深く考えなくてもいいのかもしれない。
「ルート。言っておきますが、余計なことしたら速攻で床に蹴り落としますからね?」
「うぅー、わかってるってばぁ。」
頬を少しだけ膨らませて答えるルート。
とにもかくにも、コレでティシモ領まではなんとかなるかもしれない。
リズは心の中でガッツポーズを作ると、ベッドの中にへと滑り込むのだった。
さて、これまた時は少しだけ遡る。
リズと別れたヒオウはリズがこちらを振り返らないのを確認すると再び森へと入り……周囲に誰もいないことを確認すると、杖を構え、目を閉じる。
「我、賢神に願う。知識の翼をその背にひととき貸し、遥かなる地へ進む力を与えたまえ」
そして、とん、と一度杖を地面に打ちつける。するとヒオウの姿は一瞬のうちにかき消えた。
一瞬の後、ヒオウは森から荘厳な宮殿の中にいた。黒い磨き抜かれた床石はヒオウの姿を映すくらいであり、朱丹塗りの柱が両脇に整然と立ち並ぶ。
柱の間に渡された手摺には精緻な彫り抜きが施され、軒先には紗布がかけられ、ゆるやかな風にその身を躍らせている。
ここはスナ王国が王都、ヒダカにある王の住まい、つまり王宮である。
目を開いたヒオウは軽くこめかみを押さえ、息を吐いた。今の魔法がリズに言った言葉の裏づけである。
その魔法は賢神の遺物とも称される、魔法使い倫理委員会が大切に保管する移動の魔法、「ムーブオブランド」である。
この魔法は遠く離れた場所まで一瞬で移動できるもので、魔法使い金の級を取得した特典として授けられる。
近場への移動なら呪文を唱えることなく移動することができるが、さすがに徒歩で半月ほどかかる行程ではかなりの集中を必要とする。
正面を向いたヒオウは、無人の部屋を出た。その先は回廊になっており、侍女がしずしずと頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、賢者様」
「ただいま帰りました。姫はどちらですか?」
「龍姫様は公務を終えられ、眺望の間でおくつろぎで御座います」
「ありがとうございます」
侍女は再びしずしずと頭を垂れる。ヒオウはそのまま軽く靴音を立て、教えられた場所を目指した。
眺望の間、王宮の上層にある、見晴らしのよい部屋である。仕切りの紗布をくぐると、数名の侍女に囲まれながら中央に配された卓に頬杖をつき、
茶の給仕を受けている娘の姿が目に入った。ヒオウは膝をつき、頭を垂れた。
「姫、ただいま戻りました」
「……随分、遅かったな。好みの娘でも見つけたか?」
姫と呼ばれた娘は立ち上がることなくヒオウを見下ろし、不満をこめた声で尋ねた。
「いいえ。寄り道をしていました」
「ふぅん……つまらないな。楽にしていい」
彼女はスナ王国の女王、名をアカリという。茶色の長い髪を背に流し、苛烈な光を放つ紅玉の瞳を持つ美しい娘だ。ヒオウが仕える人物である。
主から赦しを得たヒオウは立ち上がると、卓の対面にある椅子に腰掛けた。すると侍女が流れるような動作でヒオウの前に白い陶器でできた碗を置く。
「花茶の橙にしようか。それと献上菓をふたつづつ。残りはお前たちが食べるといい」
アカリは侍女の一人にすらすらと申し付けた。侍女は一歩さがった後頭を垂れ、続きの間へと消えていく。その直後には別の侍女が出てきた。
茶瓶を携えた侍女は優雅な仕草でアカリとヒオウの茶碗に茶を注ぎ、盆を携えた侍女はそれぞれの前に菓子を置く。アカリは侍女たちをねぎらい、全員をさがらせた。これで、この場にはヒオウとアカリの二人だけになる。
「北東国(ラゼラル王国)ですが……おそらく荒れるでしょうね。個人的に助力を請われましたが、辞退させていただきました」
「それでいい。わざわざ出向いて下らん火種を拾うこともない。お前は須那の賢者だ。心せよ」
「御意」
「で、具体的には?」
「ええ、現王を推挙する伯が2名、皇太子を推挙する伯が2名…ティシモ伯は任務中らしく態勢は不明で、お伺いしたシェンド伯は現王を推挙されるおつもりとのことです」
ヒオウが言うと、アカリは茶を飲み息を吐いた。
「次は北東国が荒れるか……その前は我が須那国と北西国との諍い。…全く、愚かしい限りだな」
「姫?」
「…独り言だ。しかし…それだけではここまで遅くなった理由にはならんぞ」
アカリは碗を置き、唇を引いてヒオウを見つめた。ヒオウは小さく息を吐く。
「姫には敵いませんね。実はシェンド伯より、領内の森にギンイロコイゴコロダケが生えるとお伺いして、お土産に持ち帰ろうと思って探していたんですよ。
姫、お好きだったでしょう?」
「ああ、あれは実に美味いな。汁に仕立てるのもいいが、私としては炙るのが好みだ」
「ですが、結局見つからなくて。途中、熊に襲われた娘さんなら見つけたんですけどね」
「で?その娘が好みだったから…というところか?つまらん嘘など不必要だぞ」
「違います!そんなに喜ばないで下さい全く……旅をされていたようなので、札を少し分けてさしあげただけです」
ばつが悪くなったヒオウは口ごもりながら茶を口に含んだ。そして、ふとリズのことを思い出した。彼女は無事に仲間に会えたのだろうか。
そして、これから始まるであろう諍いに巻き込まれないだろうか…などと考えた。
「だろうな。お前がそんなに器用じゃないことは私が一番知っている。でなければ、私などに命を預けたりするものか」
「僕は誓いました。貴女をお守りすると。心変わりなど万に一つもありません」
ヒオウとアカリは互いを見つめ、小さく微笑むとほぼ同時に立ち上がる。
「北東国に影を潜ませ、シェンド伯の身の安全を確保せよ。同時に北東国の情勢を常に把握するように努めろ」
「御意」
アカリは言い放つと、侍女を従えて部屋を出ていった。ヒオウは立ったまま頭を垂れてアカリを見送ったのだった。
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