--ラぜラル王国-- 3話
朝。
ふわりとわずかに開けられたカーテンの隙間から、黄金色に輝く光が部屋へと注ぎこまれる。
リズはベッドの中、蒲団にくるまれながら、やってきた太陽に気が付き、うっすらと目を開く。
今日も、清々しく晴れてくれたようだ。
太陽に感謝しながら、蒲団の中で体を上にし、何とも思わずに天井のほうに視線を向けた、その時だった。
「――ッ!!??」
リズの体に、戦慄が走る。
というのも、ルートが何故か天井から布団で簀巻きにされてぶら下がっていたからだ。
しかもその表情は、全てを賭けて戦った戦士のように誇らしげに輝いており、正直不快だ。
夜中に何があったのかはわからないが、恐らくリズの想像を絶する戦いが繰り広げられていたに違いない。
リズは言葉も出せぬまま、体を起こす。
いつもなら、目覚めの悪く、うだうだと眠ってしまうことが多いのだが、今日はそんな気分になれそうもなかった。
体を起こすと、先に起きていたらしいセツナが出発支度を始めつつ、こちらに微笑みかけてきた。
「おはようございます、リズ。昨日はよく眠れましたか?」
「あ、うん……お、おかげさまで……。」
何も知らない人間が今のセツナの表情を見たら、気分を良くするほどすがすがしい笑顔。
しかしリズには、天井からぶら下がったまま眠っている、もとい気絶しているルートがいるだけに思わず引いてしまう。
「それはよかった。後30分でチェックアウトしますから、出発の用意はしておいてくださいね。」
「あ、うん。わかった……」
ルートのことに触れずに、話を進めていくセツナ。リズ的にはものすごく気になったのだが、禁忌とでもよばれそうな質問っぽかったので黙っておく。
とにかく、あまり時間はなさそうだったので、自分の荷物に手をかけ、さっさと準備を始める。
「……でさぁー……これ、いつになったら降ろしてくれんのぉー…?」
いつの間にか目覚めていたのだろう。本気で身動きの取れないルートが二人を見下ろしつつ、困ったような声を上げた。
「もう朝になっていますし、貴方がその気になれば自力脱出できるでしょう。」
セツナはルートのほうに視線を向けることなく、荷物の整理をしながら淡々と答える。
「そうなんだけどねー。やっぱり、せっちゃんの手で降ろしてほしいなぁー、なーんて…」
「万物の根源たる陰、隠す黒き元素に請い願う……」
「きゃー!!ごめんなさいごめんなさい自分で出ますぅー!!」
そういって、ルートは両腕を布団の隙間からポン、と出す。
そしてそのまま縄抜けマジックのようにするりと脱出し、とん、と華麗に床に降り立った。
「なーんか…イレイスとの知り合いってのも、わかる気がするー…」
リズはそんな二人のやり取りを傍目で見ていて、思わずつぶやいていた。
それからセツナの言葉通り、一行はティシモ伯領に向かって歩き出していた。
相変わらず道はあぜ道だが、一人で歩くよりも話し相手がいる分、気楽だ。
それに、見た目こそ自分とは年齢が変わらないように見えるが、あの二人の知り合いということもあり、頼りにはなってくれるだろう。
「セツナ、目的地まではどのくらいで着くの?」
「大体多く見積もっても10日程度ですよ。何日後くらいに待ち合わせをしているんですか?」
「え?待ち合わせっていうか……20日たってもダメなら自分で何とかしろって……。」
「…20日!?」
リズの言葉に、セツナが驚きの声を上げた。
リズはどこに驚く要素があったのかと、思わず首をかしげる。
「…いえ、すいません。あの人がそこまで待つとは思わなかったので……貴方、ずいぶんと気に入られてるんですね……。」
「どういうこと?」
あのセリフはどう見てもイレイスとブロウが行けなくなった時の可能性を示唆したものではなかったのか、とリズは疑問に思うのだが、どうやらそれは自分の思い違いの可能性が高そうだ。
「あの人、特に思い入れなかったら、向こうが慕っていようがなんだろうが余裕で見捨てますよ。」
「それってつまりー…」
「なんかの囮にされるか、逃がすには逃がすけど放置ってとこだねー。」
ルートの言葉に、リズはその状況に用意に想像がついたものだから、さぁっと青ざめる。もしこんな処でおいてけぼりにされてしまっては、どうにもできなくなってしまう。もちろん、こうしてセツナとルートに手を回してくれたのだから、それに対しては感謝するべきだろう。
「うっわぁ……でも、ブロウがいるんじゃ?」
それでも、イレイスとは対象に誰彼かまわず信用して助けちゃう彼がいるわけで。
二人一緒に行動しているのだから、意見の対立がおこるんじゃないのだろうか、とリズは思った。
そんなリズの疑問に、ルートは遠い眼をして、一言で答える。
「りずりず、いっちーはね……そういう事に関しても誰よりも早く頭が回るんだよ……」
要するに、口八丁手八丁で誤魔化しているのだろう。
なんだかルートの言ったその言葉は妙に説得力があり、リズは二の句が継げなくなってしまった。
「……20日なんてどこかで時間つぶししても余裕で間に合いますが、向こうは今日中についてたっておかしくありません。
進めるだけ進みますけど、良いですね?」
セツナがリズに意向を聞く。
本来ならばリズが口出しできるような立場ではないのだが、あくまでもイレイスの頼まれごととして処理しているからなのだろう。
リズは、迷うことなくうなずき、その歩調を止めることなく先へと進んでいった。
それから2、3日は特に目立ったこともなく順調に行程を重ねていった。セツナはあくまで事務的に道のりを消化していくだけだったし、ルートは口を開けば『せっちゃん、せっちゃん』でなんとなくリズとしてはおもしろくない。
別にルートが気になっているとか、セツナに淡い慕情を抱いていてルートが邪魔に思える…とか、そういうのではない。
ブロウとイレイスが一緒だったときはもっと会話が弾んだ。
セツナはリズが質問するとそれには答えてくれるが他のことはしゃべろうとしないし、ルートは話している方がストレスが溜まる。どうもルートとは会話が成立しないようなのだ。そしてとりたてて危険な場所を通るわけでもなければ、無理をして夜の間に距離を稼ぐこともなかった。
「ねえ、今はどのあたりを歩いているの?」
「シェンド伯領を越えて、ディオーソ伯領に入りました。ディオーソ伯領は特に危険な情勢でもありませんから、そのまま越えてしまえば問題ないでしょう。
ディオーソ伯はシェンド伯ともティシモ伯とも仲違いしているとも聞きませんから、道が封鎖されているということもないでしょう」
「そういえばさー、イレイスも言っていたけど、領地間のごたごたとかあるんだっけ?」
「りずりずー、なんにもしらないんだねー。もーちょっとベンキョーしたほーがいーよ」
「むか。悪かったわね」
「はいはい、低レベルな争いは時間の無駄です。簡単に説明しておきますからよく聞いてくださいね」
険悪な空気になりかけたリズとルートのことをセツナが先制で押さえ込んだ。
「このラゼラル王国は7人の伯爵がそれぞれ国を分割して治めている。ということくらいは知ってますよね?」
「うん、それはイレイスから聞いたよ」
「なら結構。正確には国王直轄地があるので国内は8つに分かれて統治されています。
ですが、水面下では伯爵同士の牽制が絶えません。やはり領土の位置によって貧富の差ができてしまいます。
例えば、王都と国境の町へ続く街道が領地内を通っているシェンド伯やイシュネー王国との国交が盛んなディオーソ伯は裕福な部類に入りますし、
国土の大半をベリリルの森に覆われているウィロ伯や主要街道から完全に外れているヴァーチェ伯は貧しい部類に入ります。
後は言わずともわかるでしょう」
「うん……」
リズは表情を翳らせ、頷いた。学校で歴史を学んだときに争いのことも学んだ。貧富の差は諍いの原因に十分になりうることも教えてもらった。
せっかく東の大陸には相互協力条約という素晴らしい制度があるのに、ラゼラル王国の中で争っていては意味がないように思ったのだ。
「ティシモ伯領はディオーソ伯領を越えた先にありますから、そういう意味での危険はないと先ほども言ったとおりです。
危険ならば近寄らない。というのも知恵のひとつですよ」
「だよねー?さっすがせっちゃん!」
なぜかルートがふんぞり返った。セツナとリズは言葉こそ違えど、「何故そこでお前が威張る?」とルートにツッコミを入れたのだった。
と、そのとき背後から馬車が走ってくる音が聞こえた。リズたちはいそいそと道端に寄り、馬車のために道を譲った。
その馬車は見たことのある形をしていた。それもそのはず、少し小ぶりではあるがリズが乗った乗合馬車の小型のものだったのだ。
それが証拠に、客車のドア部分にはイシュネー王国の国章が描かれていた。
「あれ?ここはイシュネーじゃないのにイシュネーの馬車が走ってるの?」
そういえば、このあたりは道も広く平らに整備されているように思われる。
「あぁ、ディオーソ伯領の途中まではイシュネーの馬車の乗り入れができるようになっているんで…!?」
「ちょっと地図見せて!」
セツナが一瞬怯むくらいの勢いでセツナに詰め寄ったリズは、セツナが出した地図をひったくるようにして広げると……深いため息をついた。
「りずりずー、どしたのー?」
「やっぱり……ティシモ伯領に行くのって、アタシが住んでた町からだったら馬車でディオーソ伯領まで来て、そこから歩いた方が断然近い……!」
しかしリズが旅に出たときはティシモ伯の存在なんてこれっぽっちも知らなかったし、イシュラント行きの馬車を選択したからこそブロウやイレイス、
そしてイストやスイレンといった人物に会うことができたのだが…悲しいかな、その言葉を投げかけてくれる人物は誰ひとりとして今ここにはいなかった。
「まーそーゆーコトもあるよー。りずりずがちょーっとうっかりだっただけだよー」
「……5千ノート……アタシの5千ノートが……ムダ……」
リズはそのままばったりと倒れ、動かなくなるのではないかと思った。
…が。
「あれー?なんだかたのしい音楽がきこえてくるよー」
茶化しているのかなぐさめているのかよくわからない言葉をかけながらリズの周囲をくるくると回っていたルートが突然動きを止め、
馬車がやってきた方に耳を澄ます。
「残念ですが、私には何も聞こえませんけどね」
セツナはルートから背を向けると、そのまま馬車を追いかける方向へ歩こうとした。
…が。
「…あれ?なんだかいい匂いがする……」
リズはそろそろと立ち上がり、鼻をひくひくさせながら馬車がやってきた方へとふらふらと歩き出した。
「ちょっと二人とも!そっちは方向が違いますよ!」
「だけどさー、たのしい音楽きになるよー」
「だけどさー、おいしい匂いが気になるんだけどー」
ぶー。と今度はリズとルートの声がシンクロした。そして、リズとルートは顔を見合わせて…にんまりと笑った。
「よーし、音楽のところへいってみよー!」
「なんだかおいしい匂いのところへいってみよー!」
二人は突然元気になって街道を走り始めた。保護者…ことセツナはこのままほうっておいてやろうかと思ったのだが……
「……それも、まずいですよね」
ひとつため息をついて、2人の後を追いかけたのだった。
スキップめいた駆け足でほんのしばらく。リズたちは集落の広場へたどり着いた。
そんなに大きな集落ではないのだが、集落の大きさに対して広場は大きかった。音楽と匂いはそちらから流れてくるようだ。
リズたちのところにちょうど一人の中年男性が歩いてきたので、リズは少し質問してみることにした。
「あのー、何かあるんですかー?」
「見りゃわかるだろ?収穫祭だよ。今年はうちが伯爵様をお迎えする年だからいつも以上に賑やかなんだ」
そう、今は秋。農耕が盛んなラゼラル王国では国のあちこちで豊かな恵みに感謝する祭典が行われているのだ。
「おまつり!!わくわくするよねっ!」
「ほんと、わくわくしちゃうよ!!」
リズが故郷に居た頃は、新年を祝う祭は大掛かりにやっていたが、それ以外は特に祭などやっていた記憶がない。
すっかりやる気のリズとルートは嬌声を上げながら祭会場となっている広場に突撃していく。もはやセツナのことは置いてきぼりである。
セツナはやれやれとため息をついた。すると、先ほどの中年男性がセツナに声をかけた。
「そういえば兄さんたちは旅の途中かい?」
「ええまあ……そんなところです」
「だったら、ちょっと息抜きしてけばいいよ。酒も出るしな」
中年男性はうわははは、と笑うと、そのままどこかへと行ってしまった。どうやら彼も既にアルコールが入っているようだった。
(はぁぁ……こういう空気は苦手なんですよ……)
セツナは改めて大きくため息をついた後、鉄砲玉を回収するために会場へと足を踏み入れたのだった。
先ほど会った中年男性が言ったとおり、広場ではあらゆる催し物が行われていた。ある一角では葡萄酒の樽を気前良く開けて通り過ぎる人に振舞い、
また別の一角では簡単な弓矢を使った的当てゲームが行われていて子どもたちが歓声を上げている。
「うーん、さっすがお祭り!いいねお祭り!」
心底嬉しそうに言うリズの手には既にしっかりとバゲットのサンドイッチが握られている。
「僕もおかしの補充ができて満足!」
ルートは背負ったリュックサックから棒キャンディをはみ出させたまま、その上に手にしたバスケットにもクッキーをたくさんつめこんでいる。
他にも魔法使いが魔法で人形を動かしてみせたり、アコーディオン弾きが軽快な音楽を奏でたりしている。
ちなみにリズたちは気がつかなかったが、広場の少し高いところに設けられた主賓席には2人の人物が座っていた。
この領地の主、ディオーソ伯爵とその愛娘である。周囲には伯爵と令嬢を守るために甲冑姿の騎士が数名、そして身の回りの世話をする侍従が3名ほどついていた。場の空気は警戒など不要。と言わんばかりに平和で明るいものだったが、騎士たちはさすがに少しも気を緩ませることはなかった。
広場のほぼ中央に組み上げられたステージに、道化師のようにめかしこんだ男性が現れた。
男性は手にしたタンバリンを大きく鳴らして人々の注目を集めた後、深々と礼をした。
「さて、この場にお集まりの紳士淑女の皆様、お知らせでございます。
これからこのステージ上で行います“秋の恵みをまるごといただき大会”に出場くださる方を募集しております。出場資格は特にございません。
食べることが好きな方、まだまだ食べたりない方、はたまた友人・家族の絆を試したい方。3人一組になってどうぞステージ裾までお集まりくださいませ」
「へー。大食い大会ってわけだねー。お菓子出るかなー」
「なお、優勝者には賞金7千ノートとバッキャス農園提供の葡萄酒の新樽1つが進呈されます!是非、奮ってご参加くださいませ!」
ルートがほのぼのとステージを見守る横でリズはふるふると震えた……
大食い大会…まさにリズのための大会だ。それに、3人一組……頭数はそろっている。
「やれやれ、全く勝手に行かないでくださいよどれだけ、」
リズはにやり、と笑みを浮かべると、セツナとルートの首根っこをぐわし!と掴んだ。そして……
「はいはいはい!アタシたち参加しまーす!っていうか参加させろーーーー!!」
「……本気ですか?」
リズの意気込みに対し、首根っこを捕まれたままだがあくまで冷たい視線を送るセツナ。その表情は呆れの感情があらわになっている。
「何言ってんのよー!食べ放題よ食べ放題!!しかも賞金付き!!」
きゃー、やらひゃっほー、やらリズが一人で黄色い声を上げる。しかも、利き腕のほうでつかまれたルートはぶんぶんと上下に激しくシェイクされていた。
「はぁ……オレはあんまり目立ちたくないんですけど。」
「でででも、せっちゃぁぁああん、もももももしかしたたたたら、ふたたたりとともももも、きててててるかかも、しれれないいいよぉぉおおお?」
シェイクされたままなのに、セツナの意見に提案するルート。……ある意味で大物だ。
「……たしかに、あの人が今日のことを視野に入れていたとしたら、ソレもありえますが…」
そのまま、しばらく考えるように黙り込むセツナ。その周囲にはシリアスな空気が漂うものの、首根っこは捕まれたままなのでギャグの要素が激しく残る。
しかも、ルートはいまだシェイクされたまま。止めてやれよ、頼むから。
「なーにうじうじ悩んでんのよ!!アタシが行くッたら行くの!!」
リズはリズで首根っこをつかんだままずるずると受付のほうへと歩いていく。
セツナはそんなリズを止めることをあきらめたのか、ため息をつきながらも、されるがままになっていた。
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