--東の大陸・ラゼラル-- 7話
イレイスが案内されたのは、二階の一室だった。兵士がまず二回ノックをする。すると、穏やかな声で入室を許可する返答が帰ってくる。
兵士は手でドアを指し示す。自分で開けて入れということだろう。
「失礼する……久しぶり、と言ったところか?」
がちゃり、と後ろ手でドアを閉め、煌びやかな調度品に包まれた部屋の中心にある椅子に腰掛けている人物を見る。
そこには、黒髪金目の男が笑みを浮かべてイレイスを見据えていた。
「4年ぶりですね。お兄さん。とりあえず、腰を落ち着かせなさいな。」
男に進められるまま対面するように、イレイスは椅子に着席した。
テーブル越しに交差する、蒼と金の瞳。
「懐かしいですねー。ブロウ君を私の元から掠め去って以来ですよね。」
「それは皮肉か?それとも嫌味か、シアン。」
「まさか。……ちょっとしんみりしちゃっただけですよ。」
にこにこと穏やかな笑みを携えたままで男―…シアンはイレイスと対峙していた。
イレイスも、何時ものようなどこか余裕のある顔つきではなく、相手が悪いとばかりにあまり良い表情は浮かべていない。
「それで、こっちもラゼリアに呼び出されたとはいえ、いちいち貴方が赴いてくるのです。何か理由はあるのでしょう?」
「ああ。今回、呼び出されたのはクレス伯爵の裁判云々だろう。事件の概要は知っているか。」
「いいえ。興味ありませんし、関係ありませんし、関わるつもりもありません。それが何か。」
シアンはそういってテーブルの角を指す。そこには、今回の事件をことこまかく書いてあるであろう書類の束が鎮座している。
「面倒くさいからそれ読め。」
「えー。だってー、こちらも雑務とか積んでるのに呼び出されて……
王が行けば良いのにめんどいから国王補佐官だからお前行けって飛ばされたんですよ。ていうか本当に消えてなくなればいいんですがね、あの王様。」
にこにこと穏やかな笑みを崩さないままシアンは毒を吐く。イレイスは仕方が無いとばかりに自分の置かれている状況を1から話すのだった。
「……つまり。クレス伯爵が冤罪で捕まったのですが、それをひっくり返せる証拠が貴方の手にはあり、
しかるべきところに提出したのだけれども、ラゼリアがそれをもみ消す可能性が高いと。」
ひときしり話すまでも無く、シアンはそうまとめた。グラ・ノワールの国王補佐官という国王とほぼ同一の権力をもつ彼は、理解力も非常に高い。
「そういうことだ。これが証拠品……の、複製品だがね。」
そういって、イレイスは懐から小さな兎のマスコットを取り出す。
その兎の首元には宝石のついたリボンがまいてあり、その宝石にはセットメモリーの魔法が施されている。内容は、フィリンツのものと同一だ。
「要するに、その証拠品を私が一筆書き添える事で確固としたものにさせたいわけですか……」
「そういうことだ。鎖国を続けてきたグラ・ノワールの金印付き証明書は、ラゼリア、いやラゼラル全土にとって無視できなくなるからな。」
イレイスの言葉に、シアンは一つ息を吐いた。
「嫌です。」
きっぱりと吐き捨てるがイレイスは表情を変えない。初めからこうなる事は予想できたことだからだ。
「……今まで不関与を貫いてきた国に、一人の旅人の我侭を貫くわけにはいかない、ということか。」
「まあ、そんなところですよ。例え、ブロウ君が頼んできたとしても、コレばかりは流石に。
クレスさん、でしたっけ?彼には申し訳ありませんが冤罪でもなんでも捕まってもらうしかないですねぇ。」
だが、イレイスはある情報を掴んできたのだ。確実に、目の前の男を動かせる情報を。
「ところで、ブロウ君は元気していますか?あっちにいるとどうも世間に疎くなってしかたがないんですよね。」
黙ってしまったイレイスを見て、シアンは自分の論が勝ったと思ったのだろう。話題を不自然に変更し、話をそらす。
「ああ、元気だぞ。……指名手配犯になるくらいな。」
イレイスは昨日買った新聞をおもむろにテーブルの上に置き、指名手配所をすっとその上に重ねる。
「……は、い……?」
瞬間―…シアンの顔がぴしりと凍りついた。わなわなと震える指で、指名手配所を取る。
それを、近づけ、何度も何度も上から下まで目を通す。だが、そうして目を通すごとに、シアンの顔色は悪いものへと変化していく。
イレイスはすっと指を耳に入れる。
数泊置いて、シアンのものっすごい絶叫が大使館に響いた。
「な、ななな、あ、あのブロウ君が指名手配!?
優しくて、可愛くて、人の恨みを買うようなマネは決してしない子なのにー!!!どーいうことですか、お兄さんッ!!」
だぁん、とテーブルを勢いよく叩くシアン。もし今二人がたっていたならば、シアンはイレイスに掴みかかっていただろう。それくらいの勢いが彼にあった。
「どういうって、普通に多分冤罪だが。」
セルフ耳栓を解いたイレイスが、努めて冷静に切り返す。
「当たり前です!!ブロウ君はこんな事する子じゃないですっ!なのに何ですかこれはッ!!
冤罪です!政治的策略です!誰かがブロウ君を落としいれようとしてるんですぅうー!!」
ぶんぶんと信じられないとばかりにシアンは頭を振りかざし、悲鳴に似た声を上げ続ける。
「わかってるじゃないか。」
「貴方こそ、わかっているならどうしてこんな所に遊びに来ているのですか!ブロウ君の事は全面的に貴方に任せているのですよ!
もしブロウ君に何かがあったら……あぁあああああー!!」
「遊びには来てない。ついでにコッチも見てみればどうだ?」
崩落れるシアンにイレイスは新聞紙を指しながらため息をつく。
シアンは、多少のトラブルハプニングが起きたとしても、冷静に対処できるほどの能力は知力・戦闘力共に軽く有している。
グラ・ノワールの歴代補佐官を紐解いてみても五の指に入るほど有能な人物だ。しかし、彼の一番弟子であるブロウの事になると、なんかもう色々と酷い。
「え?新聞ですか・・・・・・これは昨日のものですね……」
シアンは指名手配の紙を横に退け、イレイスが昨日買った新聞を手に取る。
しばらく無言で新聞を読んでいたようだが、ブロウのことが書いてある箇所に入ったとき、ぐしゃりと新聞を握りつぶした。
「……なんですかこれ。」
その声は、聞くもの全てを心底から震え上がらせるようなほど低い。
「これはブロウの連れから伝言された内容だが……
クレス伯爵に面会していたところに兵士が乗り込んできて、護ろうとしたものの失敗したと。そこを、連れが助けたのだが面は割れたみたいだ。」
そうイレイスが説明して―…シアンは深いため息を一つ吐いた。
「つまり、この新聞の内容を取るのならば、ブロウはクレス伯爵と共犯だ。しかしクレス伯爵は白。もちろんアイツも白だ。
このままではクレス伯爵の国家反逆罪は免れない。共犯となっているアイツもまたしかり、ということだが。」
イレイスが逆に勝ち誇ったような笑みを浮かべる番だった。シアンは深く思い悩むような顔を作り、そのままいくばくかの静寂。
「…………。ひとつ聞きますが、貴方ワザとブロウ君を……」
「まさか。私は安全なスナ王国で待機するように言いつけていたさ。」
シアンは再びため息を吐き―…引き出しから紙を一枚と万年筆とインクを取り出す。
「……はあ、ブロウ君……きっと今頃迫り来る悪漢から一人で逃げ回っていると考えると……私は!私はそれだけで涙がちょちょ切れる思いです……」
紙にすらすらとインクをつけたペンを走らせながら、シアンが呟く。
「いや、それはない。」
「え?どこかに匿ってる、とかですか?」
イレイスの言葉に、シアンの表情がわずかに明るくなる。
「一昨日捕まったらしいからな。」
イレイスがそういうと、シアンの顔が泣きそうなものになる。
「な、なんですってぇ!?あああ、可哀相なブロウ君!
今頃暗くて狭い牢屋の中で言われも無い罪で苛まれながらきっと枕を涙で塗らしているに違いないですぅうううう!!!」
「いや、場所と時間的にまだ護送中だと思うが。」
再び激しく取り乱すシアンに、イレイスが冷静に突っ込む。しばらくそのままシアンは紙にペンを走らせながらブロウのことを嘆きつづけるのだった。
「……出来ましたよ。これでどうですか?」
大分落ち着いてきたらしいシアンは、イレイスに紙を手渡す。
グラ・ノワール国補佐官、シアン・ノワールはこの度のクレス伯爵国家反逆の裁判において、
イレイス・ソレイルが提示してきた証拠品に対し、判決を行うにあたり考慮するに値する物とする事を望む事を此処に記す。
なお、この判断が不服であるとラゼリアが捉えた場合、証拠の原本を持参した上で確固とした理由を用意する事。
また、この書を一方的に無視したとグラ・ノワールが捉えた場合、シアン・ノワール及び王は自らの持つ全ての権限を使用し、ラゼリアに対し不服を唱える。
国王補佐官 シアン・ノワール
「……はッ、えらく物々しい文面だ。」
書類の角には、グラ・ノワールの金印が押されていた。
要するに、証拠品を受け入れないと戦争を起こす、と言っているようなものである。
「ブロウ君を助けるためですからね。国家反逆罪だと良くても悪くても死刑ですから。そんなことは私の目が黒いうちはさせませんよ。」
シアンはそういって、穏やかな笑いを浮かべる。
「……そうだな。グラ・ノワールという国の成り立ち上、アイツが処刑されるのは非常に不味い。
多少権力にものを言わせても、罰は当たらない……そうだろう?」
イレイスが笑う。しかし、その笑い方は何時ものどこか含んだようなものではなく、自身を嘲るようなものだった。
「イレイス君。私は例え貴方とブロウ君の立場が逆だったとしても、同じ文章を書きますよ。」
「それはアイツが頼みに来るからだろう?」
「違いますよ。貴方もブロウ君も、ノワールの人間です。たとえ生まれた場所が違っても、育った場所が違っても。流れている血は本物です。たとえ貴方に『証』が無くても、それだけは変わりません。……無茶をするのは結構ですが、たまには思い出してくださいね。」
シアンはゆっくりと紙を封筒に入れると、イレイスに手渡した。
イレイスは封筒を受け取り、大事に懐へしまう。
「そういう言葉は、ブロウに真実を包み隠さず打ち明けてから言え。」
「ふふふ、手厳しい。だってブロウ君が自分に王位継承権があるって知ったら後々面倒くさいじゃないですか。結構気にするタイプですし。というか、貴方もそれをわかって打ち明けて無いのですからどっこいどっこいですよ。」
くすくすと笑うシアンに、イレイスは何も答えなかった。
そして、用が済んだとばかりに席から立ち上がり、扉に手を掛ける。
「お兄さん、何時でも良いので―…もし旅に疲れたなら、いつでも訪れてくださいよ?
グラ・ノワールの一人の民、そして貴方達の叔父として。私は何時でも歓迎いたしますから。」
「……そうだな。覚えておく。」
イレイスはそれだけ返事をすると、扉に手を掛けた。
何はともあれ、証拠が不受理になった瞬間の―…最強の奥の手は用意できた。
後は、明後日の朝にあの二人にコレを手渡せば、つつがなく事件は終結するのだろう。
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