--東の大陸・ラゼラル-- 8話
そして、その日。ラゼラル王国の歴史上、大きな裁判が幕を開けた。
国王任免権を持つ七伯のうちの一伯、シェンド伯クレスがティーノ伯爵家に奇襲をかけ、一族を殺害。更に屋敷に火を放った。
その動機は現国王に対する不服があり、罷免を狙うため…真実を知る者が居れば全くの出鱈目だと笑い飛ばす内容なのだが、権力がそう捏造した。
故にラゼラル王国の国民の大半はシェンド伯クレスは悪とみなし、裁判を行う議場の前には野次馬が多数終結、護送されるクレスを取り囲みひと騒動があった。クレスを慕うシェンド伯の臣民だけはクレスの無実を信じていた。
…いや、シェンド伯の臣民だけではない。クレスを友と認める異国の者も、クレスを信じていた。
議場には、ラゼラル王国にとってそうそうたる顔ぶれが揃っていた。
被告人席には、当然シェンド伯爵クレスが両脇を近衛兵に固められた状態で立っており、その正面…裁判官席には国王と王太子。
国王は人の良さそうな…しかし自信というものが全く感じられないような老人で、王太子はクレスと似たような年頃の、きりりとした空気を持つ男だった。
そして、被告人席から少し離れた両側には関係者…クレスから見て右手側には秋の恵みをまるごと頂き大会の場で見た老人…ディオーソ伯爵グランツに、禿頭の中年男…ヴァーチェ伯爵レグロヴィ…そして、ひとつの空席はおそらく本来クレスが座るべき場所なのだろう。
クレスから見て右側には、ティシモ伯爵フォルテの妻…フォルテは今ボレロ取得の旅に出ているので、代役なのだろう。
そして、細身の眼光の鋭い老人…ウィロ伯爵トランコ、ティーノ伯爵の屋敷の跡地で遭遇した魔法使い、レイオーサが座っていた。
イレイスはクレスの背後…傍聴人席の最前列でカルツの隣に座っていた。
彼の反対の隣には魔法使い倫理委員会の制服を着た若い女が居た。彼女はカルツの上司で、かなりやり手の人物らしい。
ちなみに今回は、彼女の計らいによってイレイスはここに座ることができた。
ここは…傍聴人席でありながら、単に傍聴するための席ではない。
イレイスはクレスの無実を証明するため、魔法使い倫理委員会の人間はレイオーサに罪を認めさせるためにここに居る。
だが、スイレンはここにはいない。スイレンはイストと一緒に、別室で待機している。
実は魔法使い倫理委員会はひと芝居打つ予定で、スイレンはそちらの役を任されたのだ。
スイレンはがちがちになっていたのだが…果たしてあれで大丈夫なのかね。と直前の様子を思い出したイレイスはそっと肩を竦めたのだった。
さて、鐘が鳴らされ、静粛を求められた。いよいよ開廷である。
(まずは相手の出方を見るとするかね)
イレイスは足を組み、議場全体を見るようゆっくりと視線を巡らせる。
正義と公正を司る聖神に真実の告白を誓うという開始宣言が滞りなく行われた後、まず立ったのは王太子だった。
「伯爵の方々には召集に応じて頂き感謝する。さて、我々は同胞であるクレス=シェンドの罪を問い、罪が真実であれば罰を与えねばならない。
そのための審議の進行を、このオーウェン=ゼル=ラゼリアに一任して頂きたく思うが如何か」
普通であればこのような重要な審議の進行は国王がこの場に居るのであれば国王が執り行うものである。
だが、王太子オーウェンは父王の発言を待たずしてそう言った。つまりこれはオーウェンがこの会議の主導権を握りたいがための行動だ。
「我は特に異論はないが?…グランツ殿はそうでもなさそうだな」
「王太子殿下はトランコ殿、貴公の娘婿にあたる。いささかクレス殿にとっては不公平ではないかと思ったのだが…陛下は如何お考えか」
「儂は…オーウェンに委ねて良いと……」
「……国王陛下がそう仰られるならば仕方ない。他に適役も居らぬし…同意しよう」
「感謝をする、グランツ殿。他に反対意見は…ないようだな。では、始めさせてもらおうか。
まずシェンド伯クレス、貴殿にかけられた疑いについて…貴殿は否定しているようだが、本当に反逆など行っていないと言うのか?」
「勿論。国王陛下に反意を抱いたこともないし、まして私はティーノ伯爵とは縁遠く、敵対する理由がない」
王太子オーウェンに対し、クレスはきっぱりと答えた。
「では何故ティーノ伯爵は女子供や使用人まで殺され、金印も見つかっていないのだ?」
「それはわからない。何者かは理由を調べているようだが…」
クレスの答えに意見を述べたのはヴァーチェ伯レグロヴィだった。クレスはレグロヴィに答えるとき、少しだけだが言葉が淀んだ。
クレスの言う「何者か」は果たしてイレイスのことだろうか、それとも魔法使い倫理委員会のことなのか…そこははっきりしなかった。
だが、それは伯爵たちのうちでは周知の事実なのだろう。イレイスが感じたのは、クレスの言葉の「何者」はその場の人間によって想像する人物は異なったようだが…それでそのまま話が流れていくのであればそれに越したことはない。今はまだ、もうしばらく静観するのが正解とみた。
「亡くなったティーノ伯アンダンティは国王陛下寄りの考えを持っていた者、国王罷免という大義を押し通すには邪魔な存在だったのだろう?クレス。
そういえば奥方、ティシモの金印も何者かに奪われた…と話していたな」
トランコの質問に、ティシモ伯爵の妻は青ざめた顔をしてこくりと頷き、小さな声で「ただ今全力で捜索中です…」と言った。
その姿はここで罰を与えられることを予見しておびえているように見えた。
「ティシモは中立派とは言え、現状維持を求めるなら国王陛下を推挙する側。
クレスよ、ボレロの五聖を務めたからと言って自らが王にでもなるつもりだったのか?」
「捏造もいいところだ!」
「クレス、今は貴殿に意見を出す権利はない」
あまりの言われようにさすがのクレスも我慢ならなくなったらしい。
反論しようとしたのだが絶妙のタイミングでオーウェンが叱咤する。クレスは言葉を詰まらせ、オーウェンをにらみつけ…肩を落とした。
「先ほどから聞かせてもらっていたが…少し腑に落ちないことがある」
「グランツ殿、何か」
「クレスは国王陛下を罷免させる理由が弱いと思うのだ。
個人的な怨恨のある私自信や、貧しい地域を治めているレグロヴィ殿であればまだわかるが…
裕福な地域を治め、黙っていても相応の立場に居られるクレスがそんなことをする必要性が私には見えぬ。
それに、五聖を務めたことを理由に国王になるつもりであったら…ティシモが先にそうしているであろう?
ティシモは代々コンパスを務める血筋だ」
「そういえばクレス殿はつい最近、ケールスの町のことで以前より不利な条件をもちかけられたのでしたか…あの時は随分おかんむりでしたなぁ……」
「っ!?…あれは……」
ぽつりと発されたレイオーサの言葉に、クレスは弾かれたようにレイオーサを見つめた。
イレイスはむ、と眉をひそめる。その話は聞いたことがなかった。
最も、クレスとイレイスが会ったときはさすがにこんな展開になろうとはイレイスでも読みきれなかったし、一介の旅人では入手の難しい情報だった。
グランツの意見にクレスは白に近づいたのだが、これではまた黒に逆戻りではないか。
「まずクレスの王家への反逆について罪を尋ねるとしようか。実は、重要参考人を呼んである。…つれて来い」
オーウェンは控えていた兵士に命じた。兵士は短い返事をして外に出た後…程なくして、ブロウを連れて戻ってきた。
ブロウの表情ときたら、すっかりしょげかえってまるで捨てられた子犬のようだ。イレイスはこぼれそうになる笑みを押し殺すために、俯き唇を軽く噛む。
傍から見れば、イレイスは何かを悔やんでいるようにも見えたろうが…勘違いはあえて訂正しない方が双方にとって幸福というものだろう。
「さて、まずは名と職業を聞かせてもらおうか」
「…ブロウ=ソレイル。職業は…旅人?冒険者?」
律儀なブロウは律儀に自分の本名を名乗った。どうせ根無し草で身分を証明するものなど何もないのだから、適当に偽名でも使っておいた方が後のためだというのに…全く、融通が利かないものだね。とイレイスは小さく肩をすくめた。
「ブロウ=ソレイル、貴様にはクレスと共謀し、ティーノ伯爵アンダンティとその一家を殺害し、更に屋敷に火を放った嫌疑がかかっている。
それについて、弁明はあるか?」
「ちょ!?俺はティーノ伯爵領なんて随分と前から行ってない!それに、ティーノ伯爵なんて会ったこともない!」
「では、一介の旅人風情が何故シェンド伯爵に会っていた」
「それ、は……」
スナ王国の女王に頼まれ、シェンド伯爵の身を守るために接触した。しかし事実は当人以外には知られるなと言われている。
さすがのブロウもすべてを吐き出すわけにもいかず、苦虫を噛み潰したような顔をして押し黙った。
「そう言えば、ティーノ伯爵の子息がシェンド伯爵家に居た…という証言もある。
しかし王国正規軍がシェンド伯爵家を訪ねた時にはそのような人物はいなかった。貴様が連れ出し、どこかで殺めたのだろう?」
「違う!そんな人知らない!」
そこでイレイスは笑みをひっこめ顔を上げた。今オーウェンが言った内容は、クレスとごくわずかな側近しか知らない事実だったはず。
それが筒抜けているということは…どうもシェンド伯爵家の中に情報を売った者が居るということだ。
下手をするとイレイスが次はブロウの居る場所に立たねばならないかもしれない。
まあ、それもいい経験かもしれんがねと結論づけた。そして、隣に居るカルツにそっと耳打ちする。そろそろ助け舟を出す頃合だろう。と。
カルツは頷き、彼の上司に同じく耳打ちをする。彼女は…ゆっくりと頷いた。
「すみません、二つほど質問があるのですが良いでしょうか?」
カルツは軽く手を挙げ、皆の注目を集めた。そんな彼の声は少しだけ震えていた。
実はカルツにとってこんな重要な場を任されるのは初めてのことらしい。
彼の上司が「どうしようもなくなったら代わってやる」と言ってくれているそうだが、さすがに緊張しているのだろう。
「…ふむ、受け付けよう。重要参考人はもういい、下がれ」
オーウェンが言うや否や控えていた兵士がブロウの両脇を固め、退室していった。代わりに、カルツが席を立つ。
「まず一つ目…ティーノ伯爵にはご息女しかいらっしゃらなかったはずではないですか?
少なくとも公式的にはご子息の存在はなかったはずです」
「委員殿の仰る通り、公式の場ではアンダンティには息女が一人ということになっているが…実はアンダンティの子供は双子でな。
ただ、子息の方は忌月生まれということで存在が伏せられていたのだ。
知っているのはそうだな…国王陛下と王太子とわれわれ七伯、それにアンダンティの家臣くらいのものだろう」
トランコが説明してくれた。カルツは頷く。…どうやら、この場に居る者はティーノ伯爵の子息…フィリンツの存在を認めているようだ。
そうでなければ後々厄介なことになるのだが、ここはこちらの有利に動いたようだ。
この世界の生物にはそれぞれ属性を持っている。基本的にはその種ごとに決まった属性があるのだが、人間だけは生まれた月によって属性が決まる。
そしてその種類は十三、関係元素の十二と「無」属性。
一方、暦の中の月の数は十二。暗属性の忌月は6年に1度巡って来るのだが、忌月には何故か良くないことが起こる確率が高い。
そんな忌月生まれには「悪魔が宿る」と噂され、忌月生まれの子はほとんどが殺されてしまうのだ。
そして、忌月生まれの子がいるとその家族も蔑視の対象となるので、世界的に忌月生まれはほとんど存在しない。
…ただ、忌月生まれの子が災いを呼ぶという実証はないに等しく、迷信の域を出ないのだが……人はいまだにそれを正そうとはしないでいた。
「そしてもうひとつ…何故ティーノ伯爵家はあんな無残な姿に成り果ててしまったのでしょう」
「それは確か、賊の襲撃があったという話だったな…レイオーサ。その件の報告、まだ聞いていないように思うが」
「左様でございます、王太子殿下。残念ながら私めは襲撃があった当時、王都に赴いておりました故詳細は存じておりませぬが…
推測するに、クレス殿…いえ、クレスに指示された卑劣な賊共はティーノの屋敷を襲撃、伯爵の血筋にありながら最も継承位の低い子息を誘拐し、
後に爵位を継がせて国王陛下の罷免を手伝わそうとしたのでしょうな」
と、レイオーサは最後に重々しく頷いた。レイオーサの言うところが真実であれば、確かにクレスは諸悪の根源となる。
「ということだ。委員殿、理解いただけたか」
「…ええ。ありがとうございます。……では……」
「そろそろ良いだろう。これでクレスは一連の事件の首謀者ということが皆も理解できただろう。だが、クレスの思惑も理解できぬ話ではない」
オーウェンはカルツの言葉をさえぎり、周囲を見回し高らかにそう言ったのだ。
オーウェンの言葉に一瞬その場に居る者ほぼ全員が驚愕の表情を作った。そして、オーウェンはゆっくりと議場を歩き始めた。
「何故クレスがそのような企てを思いついたのか。何故なら、我らがラゼラルはこの東の大陸の他国に比べ、劣っている。
それは国王が無能であるから。そう考えたのではないのか」
こつり、こつり。彼の立てる靴音と、彼の静かな声音の熱き思いだけが周囲を支配する。
「我がラゼラルは、国王は常の存在ではない。無能なる王のままでは、いつか周囲の国に呑まれて消える。…それは、このオーウェンも同じ考えだ」
(ほう、なかなか強引だがそうくるか……)
そこでざわざわと、周囲が揺れた。オーウェンは殊更自信に満ちた笑みを浮かべる。
「今なら七伯が揃っている。故にオーウェン=ゼル=ラゼリアは七伯諸君に尋ねたい。
今のままの国王で良いのか、それとも、新たな道を歩み始めたスナやネルベのように、ラゼラルも新しい道を模索すべきではないのか」
当の国王は無言のまま…項垂れた。七伯の反応はさまざまだった。
重く頷く者、さすがに状況が飲み込めず、戸惑いの表情を見せる者…クレスもまた、どう反応していいのか迷っているようだった。
「そうだな…ここで皆の意見を聞くのも良いかもしれぬな…」
「…という結論に至るのは早いです。魔法使い倫理委員会が独自に調査し導いた結論も是非聞いていただきたい」
議場全体がクレスの罪と国王罷免に向けて意見が固まりつつあったのを、なんとかカルツが言葉をつないだ。
オーウェンは片眉を上げてカルツを見やった。カルツはオーウェンの視線を真っ向から受けたが動じなかった。
初めてにしてはなかなか肝が据わっているではないか。イレイスは少しだけ頷いた。
「…いいだろう。聞こうか」
カルツは「ありがとうございます」と言い、場の中央へと歩んだ。
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