--東の大陸・ラゼラル-- 9話
「まず、先ほどレイオーサ殿はシェンド伯爵が賊に指示をしてティーノ伯爵家を襲わせた……
と仰られていましたが、我々の調査の限りではシェンド伯爵が賊のような人物と接触されたような話はひとつも出ませんでした」
「それでは、貴殿らの怠慢を問わねばならぬな」
カルツの言葉に茶々を入れるトランコ。
「それを否定する証人をこちらも用意しております。…お願いします」
カルツに呼ばれ、イレイスは立ち上がった。
そしてカルツの隣に歩み寄り…皆に見えるように首にリボンを巻いたウサギのマスコットを持ち上げてみせた。
ちなみに、レイオーサからは顔が見えないように背を向けている。
「私は一介の旅人でしかないのだがね、ふとした縁で今話題に上がっている『ティーノ伯爵の子息』に会うことがあって、これを託された。
これには彼が身につけていたリボンタイに施されていたセットメモリーの魔法が記録したものを複製したものが入っていてね。
少なくともシェンド伯爵の単独犯でないことが証明できる」
「お前は一体いつ彼に会ったのだ!?それに彼は今どこに居るんだ!?」
「まあ、それはこれを再生してからにしようか。…賢き者の僕たる知、我が声に応えよ。かの物の記憶を垣間見せよ、リードメモリー」
イレイスが魔法を唱えると、天井にある映像が映し出される。
それはフィリンツがティーノの屋敷の焼け跡でレイオーサと遭遇し、そしてフィリンツにとって信じていた物を全て覆され、記憶を無理やりこじ開けられた事実であった。さすがにこれには誰も言葉を失った。
この中で最も顔色を変えたのは勿論レイオーサだろう。まさかこんなものが記録されているとは思ってもみなかっただろうからだ。
知元素のセットメモリーの魔法はそれをかけた対象が見えた事実を記録しておくもので、出所の証明さえできれば魔法使い倫理委員会の裁判でも採用されるほどの証拠品となりうる。そして、セットメモリーで記録された事実はリードメモリーで再生することができる。
さて、映像が終了した。さすがに七伯たちもレイオーサに対して疑惑の視線を向けている。
「レイオーサ、お前は……」
グランツの押し殺したような怒声。レイオーサはうろたえるかと思いきや…少しも動じた風はない。
妙な笑みさえ浮かべてイレイスに尋ねてきた。
「いや、実によくできた芝居だな。お前もクレスの仲間か?」
まあ、仲間と言われれば仲間みたいなものだがね?そのあたりは口にはしないでおいて、その代わり小さく肩をすくめてみせた。
「その反応は既に予測していてね。私の知人に援護を頼んでおいた。進行殿にはこれを読んでもらおうかね」
イレイスは衛兵を招き、シオンが書いた書状を渡した。衛兵は言われた通りイレイスから書状を受け取り、オーウェンに渡した。
それを読んだオーウェンも、今度は流石に顔色が変わった。
「な…グラ=ノワール……だと……」
「イレイス、貴殿は一体……」
クレスが信じられない、というような表情をしてイレイスに小声で尋ねてきた。
イレイスは口元だけそっと緩めてみせる。今は尋ねるな。という意味も含めて。
「先ほどの記録のとおり、ティーノ伯爵家襲撃事件は何者かによる作為的なものではなく、
忌月生まれが招いた自然災害的なものと判断して差し支えないかと思います。
故に襲撃事件とシェンド伯爵は全くの無関係という証明が可能と判断します。
なお、レイオーサ殿には虚偽属性宣告罪と故意魔法傷害罪の疑いがありますので、後ほど詳しくお話を伺いたいと思います」
「ぐっ……」
苦虫を噛み潰したような顔をするレイオーサに向かって、カルツがぺこりと頭を下げた。
そしてイレイスは今度こそレイオーサに向かい、ざまあみろ。と言葉にする代わりに思いつく限り一番さわやかな笑顔を向けておいた。
「しかし、フィリンツ=ティーノはクレスの屋敷で姿を見たという者が居たろう?
ということは、クレスが先ほどのブロウという旅人に指示してフィリンツを誘拐したのではないか?
そうなれば、クレスは間接的にティーノ伯爵家を襲撃したということになりはしないかね?」
レグロヴィが妙に早口で尋ねてきた。
「ふむ…確かに、そういわれれば疑いは晴れぬな……となると、何故フィリンツが誘拐されたのかだな。
我々七伯とて、フィリンツという存在は知っていたが、フィリンツが実は忌月生まれではなかった。ということまでは知らなかったし……」
「そちらも僭越ながら魔法使い倫理委員会が調査しております。…ありがとうございました。では、次の証人を呼びたいと思います」
「いいだろう」
オーウェンの許可を取ったカルツは扉の外にいる人物を招き入れた。それは、イストとチサトだった。
チサトの姿を見た途端、レグロヴィが明らかに態度を変えた。イレイスは役目を終えた。
個人的にはもう用はないのだが、クレスの無実が証明されるまではつきあうべきと判断して席に戻った。
ちなみに、このチサトはスイレンが転身光という幻元素の姿を変える魔法を使った…いわば偽者である。
転身光が効果を示すのは外見だけで中身はスイレンなのだが…スイレンはなかなかうまくチサトを演じている。
少しチサトを見たことがある程度の人間なら十分騙せる範囲だ。
「すみません、名前と身分を教えていただけますか?」
「…チサト=エイディーン。北の大陸で冒険者をやってる」
チサトの姿をしたスイレンは、ぶっきらぼうに答えた。
おそらくチサト本人がこの場にいればこういう受け答えをするだろう。それを聞いて、カルツは小さくうなずいた。
「ではチサトさん、ティーノ伯爵のご子息、フィリンツ様のことについてご存知のことをお話ください」
「あぁ。俺は冒険者なんだが…どちらかというと何でも屋という方が近いかもしれない。
半月ほど前だったか…俺たちが間借りしている宿にある依頼がやってきた。
割のいい話だったが東の大陸…ラゼラルのヴァーチェ伯領だけに、少し遠かったんだが…
即金のほしかった俺と俺の仲間はその依頼目当てにヴァーチェ伯領にやってきて…依頼主に会った」
「なるほど、では依頼の内容とは?」
「ティーノ伯爵の屋敷に潜入し、軟禁状態の子息をヴァーチェ伯爵の屋敷まで連れ出してこい。ってものだった。
俺と仲間はそれを引き受けてティーノ伯爵の屋敷へと向かった」
「ちょ、ちょっと待て!こっちはそんな依頼なんてしてないし、お前のこともし、知らないぞ!」
名前を出されたレグロヴィは突然立ち上がり、チサトを指差しながら怒鳴りつける。その声はひっくり返っていた。
が、チサトは小さく肩を竦めると、
「別に、誰もあんたに頼まれたなんて一言も言ってないぜ?」
と、実に冷静に切り返した。
「レグロヴィ、今はお前の意見は聞いていないぞ、座れ」
「ぐ……ぅ」
更にグランツにまで冷たい言葉を投げかけられ、レグロヴィはうめき声を上げてのろのろと座った。
では、その後は?」
「ティーノ伯爵の屋敷に忍び込んで、フィリンツ様を連れ出した。言っておくが、乱暴なことはしていないぜ?
相手は子供だったし、『ヴァーチェ伯爵の屋敷まで一緒に来てほしい』と言ったら素直についてきたからな。
…で、俺と仲間はフィリンツ様と観光しながらヴァーチェ伯爵の屋敷への旅をしていたんだが…
ちょうどティシモ伯爵領との境あたりで、依頼主の部下ってヤツらが来て、フィリンツ様を預かる。
違約金は支払うって言うもんだからそのままそいつらに預けて別れた。
その後はすぐ北の大陸には戻らずにティシモ伯爵領で少し滞在してたんだが…
どうもフィリンツ様のことが気になって、預けた連中の行き先を探ってみた。そうしたら、ウィロ伯爵領にある廃屋で拷問を受けてた」
「何故フィリンツ様は拷問を受けることになったんですか?」
「さあな。そこまでは知らない。
で、俺と仲間と…たまたま知り合ったエルフ族の娘と一緒にフィリンツ様を助けて…スナ王国を目指して逃げたんだ。
その途中でシェンド伯爵領に立ち寄った時、エルフ族の知り合いとか言うそこの白い男……
そいつと会って、シェンド伯爵の屋敷で保護してもらえるようにしてもらったんだ」
確かそういう話だったかね。イレイスは小首をかしげたが…まあ、大筋で合っているのでそういうことにしておくことにした。
「その後は…ティーノ伯爵領が賊の襲撃に遭ったっていうのを聞いて、フィリンツ様が戻ると言い出したもんだから
俺と仲間とエルフ族の娘とそこの男と一緒にまたティーノ伯爵領に戻った。後は、さっきの記録の通りだ」
そう言った後、スイレン扮するチサトはクレスとイレイスに目配せした。イレイスは小さくうなずいてみせる。
真実はラゼラルの国王罷免問題に決着をつけるためにイレイスがティーノ伯爵の金印を探しに行くことになり、一番詳しいであろうフィリンツを同行させることにした。それにスイレンとチサトとシラギがついてきた形なのだが、それを言うとややこしい話になるのは目に見えているので、意図的にそういうことにしておくことにした。スイレンもそのあたりの事情は把握しているのだろうから、こちらに合図を送ってきたのだ。
「ところで、そもそもフィリンツ様を連れ出すよう依頼をしたのは誰なんですか?」
「ヴァーチェ伯爵領で実際に会って話をしたのはヴァーチェ伯爵の部下だって話だが…依頼をしたのはヴァーチェ伯爵だろうな」
「だだ、だからお前なんぞ知らんと…」
「あ、証拠ならちゃんとあるぜ?これ、金印を使ったんじゃないのか?」
レグロヴィが改めて否定しようと声を上げた。が、絶妙のタイミングでチサトがポケットから一枚の紙を取り出した。
カルツがそれを覗き込み、わざと大きな声を出す。
「これは…実際の依頼が書いてありますね。それに、何か印章の跡もありますね。確認していただけますか?」
カルツはそう言って紙をオーウェンに見せる。オーウェンは紙を覗く。
「確かに、これはラゼラルの金印。この文様は…ヴァーチェ伯爵のものだな」
「それでは最後に、今フィリンツ様はどちらに?」
「さっきの記録の通り、フィリンツ様は精神にダメージを受けてる。今は仲間と一緒に安全な場所にいてもらってる。
正確な場所は……フィリンツ様を害した人間もこの場にいるから控えさせてもらうぞ」
「結構です。どうも、ありがとうございました」
カルツが丁寧に礼を述べると、チサトはぺこりと軽く頭を下げ、イストと一緒に退室していった。
「これらの事象より、シェンド伯爵クレス様がティーノ伯爵のご子息を誘拐したという疑惑については否定できると確信しております。
それでは、我々の調査報告は以上で終了させていただきます」
カルツは言って自分の席…イレイスの隣へと戻ってきた。
「オーウェン、これは一体……」
震える声で、国王が息子に尋ねた。
「どうやら、裏切り者はクレスだけではなく、レグロヴィも加担していた。というだけでしょう。父上はどうか口を挟まれぬよう」
「しかし……」
「なっ、なっ、何を申されるか!!こちらだって、ただトランコ殿に頼まれて依頼を出しただけで…」
「人聞きの悪い。それこそ、何の証拠があると言う」
「トランコ殿!」
議場は異様なざわめきを生んでいた。もはや裁判でも会議でもない。口汚い罵り合いが始まった。
レグロヴィは大きな声でトランコを非難し、もはやグランツの制止もきかない。オーウェンも何度か静粛を求めたが、もはやそれでは収まらない。
むしろ、罵り合いを静観しているように見える。そして肝心の国王にはもう、これを静める力はないようだった。
イレイスの隣にいるカルツが小さくため息をついた。言いたいことは多分イレイスも同じだ。得てして政治は白いままでは行えぬという考えは持っていたが、ここまで薄汚い争いを見せつけられては興ざめもいいところだ。
「伯爵の皆に、改めて問う。一連の騒動の元凶は力のない国王によるものであり、我々が改めて結束するためには変革が必要だと思うがいかがか。
賛同いただけるのなら、この場で国王罷免文の作成を願いたい」
オーウェンが絶妙とも言えるタイミングで声を上げた。それにすぐさま賛同したのはレグロヴィ、そしてトランコ、グランツと続いた。
「しかし、流石に七人のうち三人で罷免文を作るのでは民が納得せぬだろう。
ここははっきりとシェンド、ティシモ、ティーノの参加権を決めておく方がよいだろう」
トランコの言葉に、グランツが肯定を示した。そうなればトランコも同意しないわけにはいかない。
「まずティーノだが…ティーノは現在王大子殿下が仮に統治なさっておられる。
ここは一時的に王大子殿下にティーノの権利を託しては如何かと思うが?」
「賛成!賛成しますぞ!」
「……ふむ。本来ならフィリンツ=ティーノにその権利を与えるべきだろうが……
所在不明であるし、レイオーサは魔法使い倫理委員会より疑惑を突きつけられておる。空位にするよりはそうあるべきだろうな」
「ということだ。よろしいですかな、王大子殿下」
「私でよければ、謹んで受けよう」
「シェンドは…濡れ衣とは言えここまでの騒動に発展させた責を取っていただくとして今回に限り、伯爵としての罷免権を認めぬとしよう」
「…は」
グランツの言葉にクレスは頭を下げた。確かに、ここで権利を主張するのは得策ではないと思われた。
「そしてティーノは、金印を失くすという失態を冒すようでは伯爵としての自覚不足とも言えよう。今回は罷免権はとても認められぬ」
「はい……」
トランコの言葉に伯爵夫人は頷くことしかできなかった。
「それでは、ただいまより国王罷免文の作成を始める」
「待たれよ!」
オーウェンの言葉が、何者かによって遮られた。そして……
くすんだ緑の髪の老人が入ってきた。老人とは言え、他の誰よりも達者、という雰囲気の老人は颯爽とした足取りでティシモ伯爵夫人が座っている席まで行くと、夫人の肩を叩いた。
「ご苦労じゃったな。もうさがって良い。
…まったく、人の留守中にこんな大事を起こすなど、おちおち観光旅行もできんわ!のうグランツ!」
「その声……モーブか……」
「その通り、モーブ=ティシモ、唯今参上、じゃ!」
「…あれは?」
突然乱入してきた老人に、イレイスもカルツも納得がいかない。
カルツが上司の女性に尋ねたところ、彼女はくすくす、と声を上げて答えてくれた。
「彼はモーブ=ティシモ。ボレロのコンパス、フォルテ=ティシモ殿の父君。
確かコンパスの任務はフォルテ殿に譲られて引退されたが、ティシモ伯爵までは完全に譲られていなかったはずだぞ」
議場の真ん中ではなにやら話が進んでいたようだが、最早イレイスたちには関係の話となっているようだ。
ここいらで退散するか。ということで三人は席を立った。
かくして。
罷免文書は作られることになったが、突然乱入してきたモーブ=ティシモが金印を持っていたためティシモ伯にも罷免権を認められたのだが、モーブは罷免に反対したので罷免要請は成立せず、結局このまま国王は交代しないことになった。
更にティシモの金印はトランコの差し金で盗み出されたことが発覚し、レグロヴィの自白のこともあってオーウェンたちの計画は失敗。
クレスは無実が証明されて解放されることになった。
この後モーブによってオーウェンとトランコとレイオーサとレグロヴィはきついお仕置きをされるのだが、それはまた別の話だ。
ただ、ティーノ伯爵家の襲撃については誰が悪いというものはつけられぬことになり、今しばらく空位のままとなるようだ。
いずれ落ち着いたら血筋を遡って誰かがそこにおさまるのだろう。こればかりは仕方のないことだ。
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