美女が野獣
二人は、泉の前までたどり着いていた。
「さて、沈めるか…」
目的としてはなんら間違っていないのだが、いささか危険な香りがしないでもない台詞をつぶやきつつ、シンヤがチーターのロープを解いていく。
チーターは今だ気絶したままでおり、当分目覚めそうにない。
「ちょっとシンヤ。それを沈める前に一つだけ忠告しておいてやろう。」
当たり前だが、ためらいのないその動きをぼんやりとイレイスは見ていた。
「…貴様の忠告など聞く耳もたん。」
シンヤはただぶっきらぼうに、イレイスのほうを向くこともなく作業を続けている。
強情ともいえるその態度。まぁ、これまでの行動を胸に手を当ててしっかりと考えなくともわからなくもない。
「じゃあ、独り言とでも思っておけ。『そのまま進むと軽く後悔出来る』に30sp。」
イレイスの独り言。
シンヤはそれに返事をせず、ロープを解き終わったチーターを泉の中へとそのまま迷うことも、イレイスの独り言を聞き入れるわけでもなくその体を沈めた。
仲間を戻すことに何の後悔があるのだろうか。そもそも、戻さないと話が進まないだろうに。やはり嫌がらせか何かの類だろうか―…
シンヤがそこまで考えたとき、きらり、きらりとイレイスの時と同じように水面がきらめき始める。
「ぷはぁっ!ふひー、鼻の中に水入ったよあいたたたー。」
ざばぁ、っと勢いよく水の中から姿を現したのは、ルート。
「ルート!お前だったのか。」
シンヤが少年の名を呼ぶ。
ルートはそれに気がつき、二人の方に視線を向け、姿を確認すると、さして離れていないのに大きく手を振った。
「ぁ、しんや〜ん。いっちーもいるねぇ。」
そして、ルートはきょろきょろと誰かを探すように周囲を見回す。
だが、目的の人影は居なかったのか、何時もの笑顔がちょっと凹んだような顔つきに変わっていく。
「…せっちゃんは?」
「…ちょっとよく聞いてくれ。今から説明する。」
今にも泣き出しそうな顔になっているルートに、シンヤはこれまでの経緯を説明する。
自分たちが動物になってしまったこと。
仲間を元に戻す方法。
もちろん、ルートも先程まで動物であったこと。
「むー、てことは、早くせっちゃんを見つけないといけないねー。」
わかっているのかわかっていないのかは不明だが、とにかく納得はしたらしい。
「そうだな。しかし、セツナらしき動物を見つけたとして―…お前にそれを捕まえることが出来るのか?」
イレイスが納得しかけたルートに再び火をつけるようなことを口走り始める。
シンヤとしては、「余計なことぬかしやがって」としか思えない。なぜなら、ルートの表情が一変したからだ。そう。決してよくない方向に。
「どういう、こと。」
ルートが顔から笑顔を消し、シリアスモードに移行。別名、暴走モード。この状態になった彼をセツナ以外の人間が止めることは非情に難しいのだ。
しかも、当のセツナがらみになると周辺区域の被害は87%↑(当社比)になる。
「言葉どおりだ。動物になっているからな。私たちの言葉は一切通じない。説得できないなら、力づくでも行動を行使しないといけない―…そうだろう?」
「…それは…でも…」
ルートがイレイスの言葉に戸惑うようなそぶりを見せる。
だが、イレイスはそんな少年にこうなることをわかりきっていたような冷たい目を向けるだけで、助けの手は伸ばさない。
「…お前がセツナを異常に好いているのはわかっているが。シンヤでもやってきたんだぞ。
自分から先頭に立ち、いくら動物になっているとはいえ、仲間を力で押さえつけるのは辛かったと思うがね。」
「…イレイス…」
意外、だった。シンヤはイレイスの口から出た言葉に、思わず名を呼んでいた。
考えてみたら、ルートがセツナに対する想いは恋人並、いやそれ以上だ。片思い、というのが非情に残念な気もするが、両想いだったらだったでひたすらに暑苦しいだけだろうが。というか、片割れは子供とはいえ男同士だし。精神上よろしくないだろう。
それは、さておき―…説明も説得もなしに、いきなり行動にだせば、黙っては居ないだろう。
協力が出来なくなるのは仕方がないとしても、背後から攻撃されるよりよっぽどいい。しかもルートは盗賊技能の使い手、暗殺も心得ているだけに笑えない冗談だ。こうして話して説得することで、決心は出来ないにしても覚悟は出来るのかもしれない。
「…しんやんも?」
ルートの気持ちが、揺らぎだす。
もしかしたらイレイスのことをほんの少しだけ見直さなければならないかもしれないな、と、シンヤが思ったときだった。
「…ああ。私を見つけるなり隙を突いて日ごろの恨みとばかりに力の限りで後頭部を殴り飛ばしたうえ、
いざ真実を問えば虚偽を吐き、さも自分が正しいとのたまい、それにあきたらず嬉々としてつるはしを握り罠を作り上げた。
そしてお前が嵌ったのを知るや否や、何のためらいもなくその柔肌にきつく食い込むようにわざとロープを「ちょっと待て。」
シンヤが音速を超える勢いでイレイスの頭をひっつかんで無理やり向けさせる。
言うまでもないかもしれないが、シンヤの顔はまるで般若のようになっている。
「なんだね。私はルートを説得するのに忙しいのだが?」
「どの顔でその台詞を吐けると思い上がっているんだ今畜生。」
やっぱりイレイスはイレイスでしかなかったとシンヤは心から思う。先程まであった見直そうかな、というような気持ちは今では原子崩壊して宇宙のチリだ。
ぎりぎりとにらみ合う二人。視線ではお互いに罵詈雑言の嵐。
「…二人とも。僕、人生に対して見解が甘かったかも。」
そんな目と目で通じ合っている二人を傍目に、ルートがぽつりと漏らした。
「る、ルート?」
シンヤがルートの子供らしからぬ発言に、戸惑いの声を上げた。
いやもともと子供らしからねぇよ、と言ってしまえばそれで終わりなのだがその問題は今触れるべきではない。
「大丈夫、わかってるよ、しんやん。」
そういって、ルートは普段と同じように笑顔を浮かべる。しかしその笑顔は、何時ものニコニコとした満面の笑み、というものではなく。
どちらかというと、太陽のような輝きというも、月のような儚さや陰りのある、そんな顔をしていた。
「何、が、わかったんだ…?」
そんなルートの見たこともない態度に、思わずシンヤの声が上ずる。
絶対この顔は誰一人として幸せになれない結論に至ったような、そんな気がしてならなかったのだ。
ルートはシンヤの問いにゆっくりと首を力なく横に振り、口を開く。
「刺して晒して回して蹴って殴って嬲るんだよね!!」
「違うーッ!」
高らかに宣言するルートに、シンヤが叫ぶ。
というか、生命力の高い妖魔にやっても、どう見てもやりすぎですねありがとうございました。となるのがオチ。
「でもねそれがね、僕の愛だから…」
ルートは胸に手を当て、『私は3人目だから…』とかいいそうな雰囲気だ。ようするに、ちょっと病んでる。
「言わない!そんなドメスティックバイオレンスな愛は無いッ!」
シンヤはそんなルートの発言を真っ向から全否定する。こういう大人が子育てしちゃ不味いよね。
「いや、あるぞ?」
「あるの!?」
イレイスがそれに茶々を入れる。主に、ぴぴるぴぴるぴ、な世界の話だが、シンヤは当然そんなことは知らないだろう。
まぁシンヤが下らない事にまで反応している隙に、少年の思考はどんどん良くない方向へと進んでいくわけで。
「…わかってる、わかってるのに、でも、僕にそんなこと…出来ないッ…」
「いや、やらなくていいんだぞ…?というか、その必要性が見つからないぞ…?」
うっすらと瞳が潤んでくるルートを、シンヤが宥めようと試みる。
だが、今のルートにセツナ以外の言葉が耳に入るはずも無く、その行為は無駄に終わる。
「うわーん!僕の弱虫いくじなし、へちゃむくれのとうへんぼくー!!」
そういいながら、洞窟の奥へと獣のように走り去るルート。涙を流しながらのその光景は、さながら意中の相手に告白できない女子のようだ。
シンヤは追いかけようと駆け出そうとしたが、そこは素早い盗賊。風のように駆け抜けていき、その姿はあっという間に全く見えなくなってしまった。
「おい!ルート!!戻って来ーい!!」(いろんな意味で)
シンヤが洞窟の奥のほうに呼びかけるが、返事は帰ってこない。イレイスがそんな彼のそばでわざとらしく大きなため息をついた。
「…あーあ、泣ーかした。」
「もう貴様黙ってろ。」
シンヤは他人事のような発言しかしないイレイスを振り返ることも無く、歩き始める。
兎にも角にも、ルートは元に戻したのだ。ほとぼりが冷めたら落ち着いて戻ってくるだろう。
あるいは、セツナを戻せば帰ってくるかもしれない。いや、鉄板で戻ってくる。根拠は、それがルートという少年だから、の一言に尽きる。
それより、一番最悪なのが捕まえようとしていたときにルートと鉢合わせすることだ。
まぁ、相手も自分もどの動物がセツナでブロウなのかはわからないわけだから、起こりにくい問題だろうが。
少し歩いて、前と後ろに道がある通路にたどり着いたあたりだった。ちなみに、このまま奥に行けば袋小路につく。
その袋小路は、以前シンヤが穴を掘ったところだが、もう殆ど使い物にならないだろう。
始めからそんなに深いものでもなかったし、カモフラージュにかけた土もかかり、埋まっている。
見込めるとしたら、せいぜい足をとられて転ぶくらいだ。
二人は依然沈黙を保ったままだ。
シンヤはイレイスに対して今更話しかけようなどと思わない。イレイスは律儀なのか相変わらずの皮肉なのか、黙れといわれたことをそのまま実行している。
何故二人が行動を共にするのだろう、と二人の最悪でしかない雰囲気をみれば思うだろう。
だが、お互いに仲間とはぐれ、離れるに離れられない状況。
シンヤは分別の付く大人なのでそれを理解と共にイレイスと二人きり、というのを我慢しているのだった。
(さて、どうするか…)
足をぴたりと止めて、考える。
イレイスも、後ろでシンヤにあわせてピタリと止まった。
残る仲間は、後二人。ブロウとセツナだ。動物になっている以上、コチラから近づいてもあっという間に逃げられてしまう。
だから、餌で釣るしかないのだが。問題が一つだけあった。
それは、肉食か草食か、ということ。好みの餌でなければ、動物はそこにありつかないだろう。
せめて何かヒントがあれば、と思い悩む。
尤も、此処にパーティの知恵袋でもある参謀様がいるのだから意見を伺いたてるべきなのだろうが―…ちらり、自分の後ろで立ったままのイレイスを見る。
イレイスはその視線に気がつき、目を合わせたかと思うと、小馬鹿にしたような笑いを浮かべる。
シンヤはフン、と鼻をならすとフイと視線を前に戻し、思考を再び続ける。
ちなみに、今のアイコンタクトやりとりを通訳すると、こうなる。
『なんだシンヤ。黙っておけと命令しておきながら何か聞きたそうだな?
自分の悪いことは棚に上げて調子のいいときだけ私を頼ろうとするその態度、大人として恥ずかしいな、ん?』
『誰が貴様などに頼るか。これくらい、なんとでもなる。』
ちなみにアイコンタクトをとったのはわずか一瞬。
それだけでこれだけのことが確実に伝わるのだから、仲がいいのではないかと勘違いしそうだ。
ともかく、シンヤはイレイスに意見を求めることなど末代までの恥。
今までのことを思い出しながら、何とか活路を見出そうとしていた。
(…ともかく、最初だ。一番初め。あの台座を調べたとき、こう記してあったはずだ。『獣占いの宝玉』―…人間をその性格にあった獣に変える、と。)
イレイスは、狸。
ルートは、ヒョウ。
イレイスが狸なのはもうなんつーか、言葉に出来ないくらい納得できるからまあ良いとして。
ルートがヒョウなのは、どこか納得がいかないような気もしないでもない。
とりあえず、誤差はあれどもそれにあった動物に変化していることはしているのだ。
そこで、二人の性格を考えてみる。まだ、出来てあまり間のないパーティだが、ある程度の人格はわかっていた。
リーダーのブロウは、果てしなくお人よし。困っているものが居れば手を出すのを惜しまない人種だ。
メンバーのセツナは、結構マイペースな所もあるものの、その雰囲気からは肉食獣とはかけ離れている。
「…どっちも、草食か…?」
可能性としては、結構高いはずだ。よし、とシンヤは決心すると、荷物袋の中から一切れのパンを取り出し、おもむろに通路に置く。
「…待機するぞ。」
そしてイレイスを一瞥し、お互い通路の端と端に隠れるように指す。
草食動物の警戒するべき点は、やはりその逃げ足だろう。となれば、餌に釣られたところを挟み撃ちにして捕まえるしかない。
ロープは丈夫なものなのでもう何度か使えそうだが、他に役に立ちそうなアイテムは無く、ただ待つしかないだろう。
イレイスが聞いたら馬鹿にされそうな話だが、幸いにも何も彼は言わず、ただ黙って通路の端っこに身を隠した。
待つこと、しばし―…
『キューン…』
おどおどとした様子で通路の奥から出てきたのは、コジカ。
非情に臆病なのか、きょろきょろと周囲をみまわしつつ、鼻をひくひくと動かしている。
やがて通路に放置されているパンを見つけたのか、喜びの声を小さく上げた。
『キューン、キューン…』
そのまま、パンを食べ始める。
シンヤは、今がチャンスとばかりにさっと立ち上がった。それをイレイスが確認したのか、通路の片端で立ち上がる。
「飛んで火にいる夏のコジカ!」
ざ、と手早く二人はコジカを囲んだ。
『きゅ、キュン!?』
コジカはいきなり現れた二人に戸惑いと驚きの声を上げる。
そりゃ、大の男二人に囲まれたらコジカじゃなくても驚くというものだろう。
「…はあっ!」
シンヤは剣を抜くと、チーターのときと同じようにセツナに降りかかるが、そこは流石に草食動物。
本能的に危機を察したのか、シンヤの動きをオーバーながらも何とかよけると、そのまま逃げ出す。
もちろん、逃げ出したほう―…シンヤが居たほうとは全く逆、つまりはイレイスの居るほうになる。
やっぱりイレイスはその場から微動だにせずにコジカが逃げるのを黙って見送った。
「…おい…!!」
何してるんだ、というシンヤが声を出す前に、洞窟の奥で何かがハデに転ぶ音。
考えられる可能性の中で尤も高いのは、先程そちらの方向に向けて逃げ出したコジカだろう。
どうする?と、イレイスが視線で聞いてくる。シンヤは考えるまでも無い、といったばかりに少し奥、袋小路へと足を進めていった。
コジカは居た。袋小路の奥、何故かその場にうずくまるようにして。
「…穴に足をとられた、のか?」
シンヤがもはやちょっと規模の大きい窪みと化した穴を見る。たしかにこの深さなら、コジカくらいならすっころぶかもしれない。
たまたまなのか、イレイスがそれを見越していたのかは下らない問題なので置いておく。
とにかく、仲間を戻していかなければならないのだ。シンヤは荷物袋から黙ってロープを取り出すと、コジカの方へと更に足を進める。
『キューン…キューン…』
コジカは足が痛むのかそれとも単純に恐いのか、その場で悲しげな声を上げる。
シンヤをじっと見るその瞳も完全におびえの色に染まっている。
自分が動けない上に何をされるかわからない恐怖の板ばさみなのだから、当然といえば当然だろう。
「……………。はぁ……なんだか、極悪人の気分だ…」
シンヤがそのコジカの様子に頭を抱える。
潤んだ瞳、悲しげな声。気絶させても当然いいのだが、良心の呵責というやつだろう。
手にしたロープを持ったまま立ち尽くしてしまう。後ろではイレイスが、やっと自覚し始めたかこの愚か者、と冷ややかな目で彼を見ていた。
「とにかく、すぐに戻してやるから―…」
いつまでもこうしていても仕方が無いのだ。泉まで連れて行くしか方法がない以上、ロープで縛るしかない。
シンヤが決心し、再び歩を進めようとしたそのとき―…
ひゅん!
「…!?」
何かが風を切る音。
それはシンヤの髪をわずかに掠めたかと思うと、壁につきささった。
「なっ…!?」
生き残りの山賊でもいたのか、と壁に視線だけ向ける。するとそこには、ステンレス定規が壁に突き刺さっていた。
こんなものを武器として扱っている物好きな奴は、一人しか知らない。
つか、他にいるのだろうか。
「一応腐っても仲間だから、外したよ。今のは、警告。」
そういいながら洞窟の奥から現れたのは、金色の髪で茶色のくりくりとした瞳が印象的な少年。
「…ルート…」
そう、先程洞窟の奥へと駆け抜けていったその人。
両手にはスローイングナイフとしても短剣としても使っているステンレス定規が二本、握られていた。所謂、本気というやつだろう。
「だから、せっちゃんから離れやがれこの腐れ外道ーッ!」
そう叫ぶや否や、ルートは素早い身のこなしでシンヤとの距離を詰める。
シンヤはルートが本気と判断、すぐに剣を抜き、ルートの一撃を剣ではじく。
攻撃をはじかれたルートはそのままの勢いでバックステップ、再びシンヤとの距離を開けた。
「ちょっと待てルート!この動物がセツナだという根拠はあるのか?!」
そう、残る動物はセツナとブロウの二匹。どちらも草食動物のような性格の持ち主だ。
その一匹が目の前に現れてセツナだと決め付けるのは、いささか早計な気がしたのだ。
「何ほざいてんのさ、しんやん!この僕がせっちゃんとほかの人を間違うわけないでしょ!!」
ルートはさも当たり前のように言う。あぁ、うん、そうですよね、とイレイスもルートの発言で納得したような顔になっていた。
ちなみにイレイスはルートに道を譲るようにして立っており、完全傍観を決め込んでいる。
ルートも主犯しか興味がないのかなんなのか、イレイスのことは全く見ていない。
「いやあのなぁ…此処で俺を攻撃しても意味がないだろ!」
シンヤもその勢いに半ば気おされるように顔を引きつらせる。
しかし、言っておくことは言わなければならないのだ。おおよそ勘違いで仲間に殺されるなんて、あの世でも笑い話に出来かねない。
「ハァ?しんやん、頭に蛆虫でも沸いた?それともいっちーが言ったみたいにふざけてんの?せっちゃんにケガさせた…万死に値するに決まってんじゃん!」
そういってルートは再び構える。
「いやいや、あのなぁ!戻すためには仕方ないだろう!」
シンヤも言葉を続けながらも、剣を構えなおす。補足しておくが、別に攻撃しようという気ではなく、守りの構えだ。
「仕方、ない…?いま、仕方ない、って言った…?」
ルートがわなわなと震えだす。シンヤは、瞬間自分の言葉選びを失敗した事を感じた。
何故なら、少年の眼は今まで以上に殺気の篭ったそれへと変わったからだ。まるで鬼人を彷彿とさせるほどに。
「せっちゃんを傷つけることにどんな大事な理由があるのか期待した僕が愚かだったよ!
でも、これで、いくら仲間だったとはいえ、気兼ねなく殺れる!!死ねしんやーん!!!」
「うわぁもう直球かよ!」
しかも『仲間だった』と過去形だ。きっとルートの中で今のシンヤは敵でしかないのだろう。
ルートが手にした二本のステンレス定規を投げる。
しゅ、とシンヤの頭と心臓を的確にねらったそれは、使い手の技能が洗練されている事を物語っている。
頭と心臓、高さが違う以上に、横位置もずらされており、非情に避けにくい。
シンヤは少しかがみつつ、もう一本を剣ではじく。一本の定規は勢いが弱まることなくそのまま飛んでいく。
もちろんそこにはコジカがいるのだが、うずくまっている上シンヤの身長が大分高いので命中することはないだろう。
「とどめぇー!」
シンヤが定規を受け流した直後、ルートがすぐ目の前で手にした鉄製のバットをフルスイング。
何処から出してきた、などと聞いてはいけない。今回ギャグコメディだったし。
一瞬、瞬間移動でもしてきたかと錯覚に陥りそうだが、単純に定規を投げると共に駆け出しただけだろう。
要するに、あくまでも定規は囮でしかなかったということだ。
「くっ…」
シンヤはそれも剣でガード。
ルートの全体重の乗っかったその一撃は、意外に大きく、大の大人であるコチラが押されるほどだった。
ぎりぎりと、バットと剣でつばぜり合い(?)をする両者。
「しんやん、そこ、どけ。」
命令かよと思いつつ、シンヤは引くわけにも行かないので三度説得を開始する。
「あのな、セツナだって元に戻りたいと思うぞ。いつまでも動物のままだなんて、それでもお前はいいのか?」
「いいよ僕は。せっちゃんがそれを望むなら。」
「…いやだから、望んでないかもしれないだろ?」
微妙に質問の答えが食い違う。しかしルートは、バットを握る手に一層力を込め、言い放った。
「それは過去のせっちゃんの話でしょ!今のせっちゃんだってせっちゃんなんだよ!
姿かたちはちがうけど、せっちゃんはせっちゃんなの!例えそれが動物でも、僕はせっちゃんを守るんだッ!」
うわぁ、トンでも理論出たー。
と、シンヤはいささか脱力しかける。確かに、ルートの言っていることは正しい。間違いと正しいの二つの区分で意見を分けるなら、後者だ。
もし、これがもうちょっと違う場面でなら、お涙の一つや二つ頂戴できたかもしれない。
だが、魔法の呪文TPOの前ではただのわがまま、ってゆーか、KY?
さて、忘れないでいただきたい。今だ両者はつばぜり合いを続けているということ。
そして、シンヤの肩の力がルートのトンでも理論によって少し抜けたということ。
「そぉれっ!」
そのチャンスを外すことなく、ルートは更に踏み込んだ。
「くっ!?」
がいん、と重い金属音が鳴り響く。シンヤの剣が、ついにルートの鉄製バットによってはじかれたのだ。
おいおい、子供が大人の攻撃をはじくなんて、現実味あふれるCWの世界でありえんだろ…と、モニター前の皆様は思っていらっしゃるかもしれない。
しかし、シンヤは仲間に攻撃するという点でためらいがちになっているのだ。
さらに、ルートは自分絶対神であるセツナを守るという点で遠慮の無い、トランス状態に半分片足を突っ込んだ状態になっている。
それに今回、ギャグコメディだし!(二回目)
「そのどてっぱら、がら空きだよぉー!!」
まぁ、ギャグコメディ語りながら仲間同士がつぶしあうのもどーよって話なのだが。
ルートはバットを華麗なる体重移動と腰のひねりを使い、完全にがら空きになった腹部へと振り切る。
遠慮躊躇いのカケラもないその一撃は、シンヤの体をすっ飛ばせるのに十分すぎる威力があった。
「…かはっ…!」
バットが肉を的確に射抜く鈍い音の直後、シンヤは乾いた咳と共に壁へと叩きつけられる。
息がつまり、その場にうずくまるシンヤ。ちなみにすぐ傍にはコジカがいる。
シンヤの巨体がセツナを押しつぶさないようにとルートが的確に角度調整していたのだろう。
「ふ、うふふっ…とったど〜!!」
ルートはさながら手にしているのがバットではなくモリと勘違いしているかのように高らかに叫ぶ。
モリならば何か獲物が刺さっているのだろうが、バットにあるのは消しきれなかった過去の血痕くらいだ。
こらそこ、何があったとか詮索しないように。持ち主はルートだぞ!
「ぐ……ゲホゲホッ…」
シンヤは数回咳き込み、なんとか肺に酸素を送り込む。急激な空気の入れ替えにチリチリとした痛みが襲いかかるが、腹部の激痛に比べるとただのオマケだ。
「さーて、パーティの時間は終わりだよー?」
ルートが猟奇的な笑みを浮かべ、バットを片手にこつこつと歩く。
どうやらとどめを刺す気なのだろう。
うずくまったまま動かない、シンヤ。いや、動けないのかもしれない。
そこで、少し離れていた場所で一部始終を黙ってみていたイレイスが、軽いため息とともについに動き出した。
「ルート。ちょっと待て。」
そしてすっと少年の脇を通り抜け、シンヤの前に立つイレイス。
瞬間、ルートの表情がすっと冷たくなる。
「なにさ、いっちーも邪魔するわけ?そしたら僕、君とも戦わなければいけなくなるんだけど。」
ためらいなど一切ない敵意だけの言葉。だから、こいつら仲間だよね?なんて思ってはいけない。
何故ならこの空間には止め役が一人も居ない状況でフリーダムがそろっているのだから。
「…シンヤ、喋ることは可能か?」
シンヤだけに聞こえる小さな声でイレイスは確認を取る。
シンヤは鈍痛の激しい腹部を押さえつつ、顔をしかめてこくりと首を縦に振った。
イレイスはそうかとつぶやき、ルートのほうに顔を向ける。
「3分。時間をよこせ。私はシンヤに確認したいことがある。」
イレイスの提案。ルートは少しだけ考えるようなしぐさをして―…口を開いた。
「いいよ。3分だけだから。それ以上超えると―…わかってるよね?」
もちろんだ、という軽いやり取りの後、イレイスはうずくまるシンヤの隣にかがみこむ。ちょうど様子を見るように、視線を合わせた。
「後悔、出来ただろ?」
ふ、と薄く笑うイレイス。
自分の忠告を聞かないからこんなことになるんだろうが、と、そう物語っていた。
「ああ…全くだ。」
先にセツナないしはブロウ救助に向かっていれば避けられたかもしれない弊害だ。
いや、セツナをすぐに見つけたのが不味かったのかもしれない。
「…ということは、賭けは私の勝ちだな。」
その答えを聞いて満足したのか、イレイスはすっとその場から立ち上がる。
その顔にはすがすがしいほどの笑顔が携えていて。そしてその表情のまま、ルートのほうに向き直った。
「もういいぞ。聞きたいことも聞いたし。後は煮るなり焼くなり好きにしろ。」
「ちょっと待て貴様ァ!聞きたいことはそれだけかーッ!!!」
シンヤは後は我関せずというふうにその場から数歩離れるイレイスに向かって叫んだ。
イレイスはその質問に対し、急に真顔に戻って鼻をならし―…一言。
「他に一体何があるというんだ?」
「だあああああー!!この男殺して、っ、ぐ、ゲホゲホっ、」
シンヤが二回目のシャウトをし終わる前に、その場で激しく咳き込んだ。
しばらくゴホゴホと咳き込み、同時に口からは鮮血がほとばしる。
重症だったのに、叫ぶという腹に力を入れるという行為のおかげで順調に悪化したのだろう。
「あーあ。ほらもう。余計なことするから余計に辛くなるのに、なぁルート?」
「そうだね、黙ってじっとしていれば楽になれるのにね、いっちー♪」
そんなシンヤを見ても心配するどころか二人はむしろ楽しそうだ。
もう、誰が加害者で誰が被害者なのやら。ついでに言うと、何処までがシリアスで何処までがギャグなのやら。
「楽になれる方向のベクトルが違うだろうがーッ!」
再びバットを構えたルートにシンヤは血を吐くような絶叫。いや、実際直後に再び咳き込み吐血してるし、比喩じゃないんだな、これが。
「大丈夫だよ、しんやん。仲間のよしみですぐに終わらせてあげるから。」
ルートは笑顔のまま、シンヤにバットを振り上げる。
もはや剣は自らの手を離れ、少し離れた地面に落ちている。立ち上がり逃げるのも、もう遅すぎる。そもそも立てないし。
ああ、一人の冒険者は仲間割れによって此処で命の花を散らしてしまうのだろうか―…
そう、思われた時だった。
「止まりなさい、ルート。」
りんと響く、青年と少年の間の声。そんな声色の持ち主は、一人しか居ないわけで。
「せっちゃ…ん…?」
コジカが居たはずの場所―…そこに、一人の若者が佇んでいた。
バットはシンヤの首筋3センチ前で完全急停止している。後コンマ2秒でも遅かったら、完全に命はなかっただろう。
シンヤが状況を飲み込めないまま、視線を上げる。それと同時に、ルートはバットを放り投げ、若者の下へと駆け出していた。
「せっちゃん!せっちゃんせっちゃんせっちゃーん!」
何度も何度も名前をよんで、彼の元へと向かう。少年は嬉しさのあまり両手を広げていた。
が。
グワシッ!とルートの手がセツナに届く前に、頭から顔面にかけて手で押さえられる。
もちろん、ルートの邪魔をしているのはセツナ以外の誰でもない。
「…ルート。あの状況は、なんですか?」
そういってセツナがあいた一方の手で指をさしたのは、いまだに座ったままのシンヤ。
「ぇ、ぁ、ぅ、そ、それは…」
ルートが焦りの声を上げる。表情は手のおかげで全く見えないのだが、恐らく声と同じような顔をしているだろう。
セツナは恐ろしいほどの邪気を含みながらにっこりと笑って、言葉を続けていく。
「言い訳は聞きたくありませんよ。オレはありのままの真実が知りたいんですけど。……教えてくれますよねぇ、ルート?」
ルートが蛇ににらまれた蛙のごとく言葉も出せずに竦みあがる。
それほどにもセツナの怒りが恐ろしいのだ。セツナはそんな態度のルートを肯定ととり、というか否定ととる気はないだろう。
傍に立っていたイレイスの方に顔を向ける。
「すいません。オレ少しだけルートに状況説明してもらうんで、シンヤの治療をお願いできますか?」
「あぁ、いいぞ。行って来い。」
「はい、すいませんね。お願いします。」
そういうと、セツナはルートの頭をひっつかみ、奥へと足を向ける。
「ちょ、ちょっとせっちゃんー…」
「言い訳なら奥で聞きますよ?さぁ、さくさく歩いてください。」
穏やかな口調が逆に恐ろしい。セツナはずるずるとルートを引きずるようにして洞窟の奥へと姿を消した。
「……まぁそういうことで、私が治療することになった。ありがたく思え?」
「誰のせいでこんなことになったと思っている…」
イレイスはシンヤのほうにつかつかと歩き、彼の前でかがみこむ。
「それにしても…どうしてセツナは戻ったんだ?泉に沈めてないだろう?」
シンヤに浮かんだ、一つの疑問。
イレイスの魔法で戻したとも考えられるのだが―…いままでの話の流れでそこまでするかと問われると、どうも縦には首を振りにくい。
「…お前、目的と行動を混ぜていないか?泉に沈めるのは、水を飲ませるための方法だろう。」
言われて、気づいた。
今までそうしなければならないのだと考えていたが、イレイスの言葉どおり、それはあくまで方法だ。
水さえ飲ませることが出来ればいいのだ。飲むという行為に意味があるのか、体に取り込ませればいいのかはわからない。
だから、いちいち動物を運んで沈める理由などないのだ。
「だがー…そんな水を持ち運び出来るようなものがあったか?」
もちろん冒険者たるもの、水筒のひとつやふたつ持ってきている。
水分摂取は人間の体を健康に維持していくためには必要不可欠なことだからだ。
しかし、今回はただの山賊退治。軽い水筒を人数分しか持ってきていないのだ。
それの中身を入れ替えて、後で自分が動物を仲間に戻せる効力のある水を飲めるかというと、ちょっと厳しい。
何も異常がない自分たちが飲んで、何があるかわからないためだ。
「だから荷物袋の中にあったこれを使ったんだが。」
イレイスが手に持っていたのは、グレイル。コップよりすこし大き目のそれのなかみは、今はない。
「…どうやって持ち運んだんだ?」
いうまでもないが、ふたとかなく、上部むき出しだ。水を入れて歩けば、普通にこぼれるだろう。
「ふ、企業秘密だ。」
そういって、口をゆがめるイレイス。
なんでもありの彼のことだ。魔法でもなんでも使って水が外に出ないようにしていたのかもしれない。
「さてとりあえず、治療するわけだが…私のオリジナルの治療魔法をかけてやろう。痛いのと辛いのと苦しいの、どれが良い?」
「…既存の魔法でお願いする。」
どれも治療魔法の選択肢じゃなかったので、シンヤは第四の選択。いちいち突っ込みを入れないのは、慣れてきたのか疲れてきたのか。
イレイスはシンヤの返答に小さく舌打ちをして、嫌な色に変色している腹部に手を当てた。
そして、詠唱。癒身の法とは少し違う様子のそれは、水の精霊と光の精霊の複合治療魔法だということが容易に想像できる。
淡い光が、イレイスの手から発せられ、その光がどんどん痛みを消してくれるような感覚。
ようやく落ち着いてきた身体に、ふうとシンヤが息をついた、そのときだった。
「ひぎゃぁぁああああぁぁぁぁぁぁー!!!!!」
洞窟の奥から、ルートのあられのない断末魔が響き渡る。
恐らくセツナにこれでもかというほど絞られているのだろう。まさに自業自得なので情をかけようとも思わない。
「…終わったぞ。」
声が聞こえなくなるのと同時に、イレイスが腹部から手を離す。どす黒い赤紫に変色していたそこは、まだ薄い青紫へと変わっていた。
「ま、しばらくは食べてすぐ走ったくらいの鈍痛が走るが、吐血することはないだろう。」
完全には、なおらなかったらしい。数回繰り返せばそれも可能かもしれないが、魔力をそんなことで浪費させるわけにもいかない。
それに、もう後は放っておけば自己治癒力でなんとかなるだろう。
「そうか。」
それだけ言って、立ち上がる。大丈夫、動ける。
そう確信したとき、洞窟の奥からすすり泣く声と、二つの足音がコチラへ向けて鳴り響いた。
「すいません。お待たせしました。」
すまなさそうに笑って、軽く頭を下げるセツナ。傍らには、ルートが泣きじゃくりながら付いている。
その姿は凄惨で、輝く金の髪も、今はどこかくすんで見えるほど泥まみれでボロボロだった。
「…また、派手にやったなぁ…」
その光景をみて、つぶやく。
「ええ、しつけは大切ですからね。」
にっこりと笑うセツナに、ルートがびくりと肩を震わせたのは気のせいではないだろう。
これは、しばらくはこのままだろうなぁ、などとシンヤは思っていた。
「さて、子供のお仕置きタイムも終わったところで…ブロウ捕獲に向けて動き出そうか。」
イレイスの言葉にこくりとうなづく二人。ルートはまだまだ泣き止みそうな気配はない。
よほど、『よほど』なことをされたのだろう。口にすると年齢制限かかりそうなこととか。
4人はとりあえず、泉のほうに向けて歩き出すのだった。
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