空白の時間

頭が痛い。体が重い。そう、宿の亭主は言い出したのだ。
しかも夜中に。それも、至急薬を買ってこいとまで。
夜中に薬屋は開いていないんじゃないか―…と、たまたま傍にいた冒険者の一人が言った。
しかし、宿の亭主は言う。いまどきの店は深夜までやっていると。
――…結局。
たまたま居合わせた人のよすぎた冒険者は、駄賃程度の報酬を片手に、近場のドラッグストアに行く事になったのだ。


それが、悲劇のはじまりだったのかもしれない。


<<XXXX年 3月5日 23:57 リューン青葉通り 路地裏>>



数人の男が、足音は軽快な音を立てて、しかしその表情はめんどくさいこの上ないという、かなり器用な状態で路地裏を駆け抜けていた。
「さっき、このあたりから女の悲鳴が聞こえたって通報を受けたけどよ…どーせチンピラの喧嘩程度だろ?」
「しかし悲鳴一つで通報するとはこのご時世、神経質な奴もいたもんだぜ。見てみぬ振り。これは常識だろ。」
ぐだぐだと喋りつつ、その内容はあまりいい物ではない。常識、生きるための術なのかもしれないが、それが町を守る自警団の言葉だと、不謹慎でしかない。
「全くだよな。コレでたいしたことのない事件だったら―…っておい!突っ立っている不審者発見!」
先頭を走っていた一人が、真っ直ぐ前に指をさす。そこには、青年がぽつんと立ち尽くしていた。
すぐに後ろで走っていた一人が立ち止まり、周囲を見回す。
「なっ…傍には血を流して倒れている女が…っ!殺人者だ!!」
そして、青年のすぐそばにあったモノを見つけて、悲鳴めいた声を上げる。
その声を聞きつけて、ひとり、またひとりと青年の周りに男が集まっていく。
「お前落ち着け、バカ!…手には、犯行に使用したと思われる凶器を持っている。もう片方には、血の付いた金!?しかも、被害者は裸同然、か…」
「つ、つまり、暴行強盗殺人事件!?」
周囲の男が、喧騒を上げる。
しかし、青年は何も語らずただ立ち尽くしているだけだった。やがて、男があることに気が付く。青年は、冒険者だということに。
「…へ、お前、冒険者だろ。爪弾き者は殺人者にもなるのか。」
忌々しげにつぶやく。それが聞こえた仲間の一人が煽るなとばかりに嫌な顔をする。
けれど、青年には聞こえなかったのだろう。ぴくりとも体を動かさず立ち尽くしていた。
様子が変だ、そう思いつつもやらなくてはいけないことはやる。男の一人が前に進み、青年を簡単に捕らえた。
「婦女暴行及び強盗及び殺人の疑いで、貴様を拘留させてもらう!」
青年は、何一つ言わなかった。最初から、最後まで、身じろぎ一つしなかった。


<<XXXX年 3月8日 16:32 リューン治安部隊 拘留所面会室>>



ぴちゅ、ぴちゅ―…
高く手の届かない場所の窓。太陽の光と共に、鳥の泣き声が青年に降り注ぐ。
「鳥、か…」
少しだけうらやましそうにその光景を見上げる青年。その衣装は夜のように黒尽くめで、また髪も同じ色をしていた。
彼の名前は、ブロウ・ソレイル。くいだおれ、というパーティーのリーダーをしていた。
普段は明るくて人懐っこいような雰囲気をかもし出している青年だが、今その表情はどこか重く、暗い。
そこに、扉がハデにきしむ音を立てて、開かれる。
現れたのは、4人の冒険者たち。彼の、くいだおれという同じパーティの仲間達だ。
「…ブロウ!」
イレイスが捕らえられた状態の弟にらしくなくあわてた様子で駆け寄る。
「あ、皆。今日から、面談できるんだっけ。…元気?」
そんなイレイスとは反対に、ブロウは穏やかな笑みさえ浮かべてそう言ってのけた。
その様子が、逆に痛々しい雰囲気を周囲に与える。
「お前、さぁ。婦女暴行強盗事件の犯人に仕立て上げられてるんだぞ。この状況で呑気なこといってられるのか?」
シンヤがブロウを心配したような声を掛ける。しかし、ブロウは仲間の問いにうわごとのように答えるだけだ。
「…仕方ないよ。証拠がないんだ。俺が発見されたとき、その凶器を持っていたのは俺だ。噂だけどさ、いい結果は望めないって話しだし。」
ブロウは沈痛な面持ちで続ける。深く、ずっと考えてきたことを、息と共に吐き出す。
「それに、俺はその前後の記憶が何もないんだ。だから、俺が…俺が、本当に殺したかもしれない…」
その言葉の直後、ダン!と机をイレイスが思いっきり叩く。
考えを打ち消すように、嫌な思いを切り離すように。
「ブロウ!お前はあのとき親父の使いで宿を出たんだろう。それで人を殺すか?第一、お前はそんなキャラでもないだろう!よく思い出せ!!」
イレイスが、厳しい口調で言い寄る。ブロウのことを信頼している彼だからこその、行動。
しかし、ブロウはそれを完全否定するかのように頭を振って怒鳴り返した。
「覚えてないものは、覚えてねぇんだよ!!頼むから、頼むからこれ以上俺に関わらないでくれッ…もう、嫌なんだ…ッ…」
頭をかかえて、うずくまる。
ずっと、罪の意識に捕われてきたのだろう。殺したかもしれない人間。死んでしまった事実。
優しい彼は、その二つの鎖にがんじがらめに捕らえられたままで。
「本当に、何も覚えてないのか。何一つとして、思い出せないのか?」
そういったのは、シンヤだった。
見て、いられなかったのだろう。ボロボロになってしまった、彼を。
やっていないのに罪をなすりつけられて、それに苦しむ彼の姿は、見ているだけでも辛い。
その言葉が、何かの呼び水になったのか。はたまた、運命付けられた策略なのかはわからない。
ブロウは、いきなり頭を抱えだしたかと思うと、小さくうめき声を上げる。
「……おい、ブロウ?」
様子の変貌に、真っ先に彼の名を呼んだのはイレイス。しかしブロウは、彼の声すらも聞こえないといった様子で行動を停止していた。



―…視界が真っ白になる。どうして、俺はこんなところにいるんだろう。どうして。どうしてどうしてどうして―…



―――――夜も更けにふけた時間帯。
『自分』は一人で、リューンの街中を歩いていた。夜中でも開いているという薬屋にパシらされたのだ。
「いくらなんでもこんな深夜に使いに出すなんて…言われてた薬屋はこのあたりだったと思うんだけどな…」
『自分』はそこで周囲をきょろきょろと見回す。
あまり方向感覚に自身はないが、慣れ親しんだこの町のこと。多少なら口で聞いただけでもあるけるようにはなっていた。
ふと、視界の端で人が通り過ぎる。
「…?あれ、なんで、こんな時間帯に?」
路地裏へと姿を消したその人影は、『自分』は見たことがない―…はずだ。だけど、何かが引っかかったのだ。
どうして、路地裏なんかに、しかも夜中。『自分』は不思議に思って―――――


視界が急速に戻っていく。どこまでも白かったそれは、光が収まるように暗くなっていく。


「ぶろりん、どうしちゃったのさ!?何か、思い出したりしなかったり?」
甲高いルートの声が頭に響く。
先程の光景は夢かと理解した瞬間、ブロウは我にかえったように、ぱちくりと目を瞬いた。
「…………はっ…」
顔を上げれば、そこは留置所。心配そうに、パーティのメンバーがブロウを見つめていた。
「ぶろりん、大丈夫?」
ルートが心配そうな声をかけてくるが、ブロウにそんなことは関係なかった。
脳裏に走った、先程の光景。きっとそれは、自分自身が失ってしまった、記憶のカケラ。
「男…そうだ、男だ。怪しい男を、見かけたんだ。」
あまり確かな内容までは思い出せない。
だが、確かに覚えている。自分が夜中に薬屋へと走ったとき、路地裏に駆け抜けていった一つの人影を。
「その男がどうした?お前に何をした?…殺人犯、なのか?」
イレイスが再び言及する。しかしブロウは、その言葉に弱弱しくかぶりをふるだけだった。
「一気に、言わないでくれ…これ以上は、何も思い出せそうにないから…」
それに、とまだ言葉を続ける。続ければ続けるほど表情が暗いものへと変化していく。
「深夜に見た怪しい男なんて、でっちあげのよくある話だろ?…信じてもらえる訳なんてないんだ。」
思い出したとしても、あいまいすぎた。もうすこし、確固たる真実に近づくようなものならば、よかったかもしれない。
肩を落とすブロウに、イレイスは十分だと言って立ち上がる。
「…問題ない。この先は、私たちに任せておけ。真犯人を捕まえ、必ずなんとかしてやる。」
イレイスの面持ちは、何時ものポーカーフェイスに戻っていた。
恐らく、ブロウが自らの罪を否定し始めたことで彼も落ち着いてきたのだろう。
「………!兄貴…。みんな、ありがとう。ゴメン、怒鳴っちまったりして…」
「そうと決まれば、オレ達は青葉どおりに行ってきますから。…ですから、また、明日。」
セツナが穏やかに軽く手を振る。ブロウはそれに、短く返事をしながらも手を振って答える。
それを行動開始の合図としたのか、いっせいに立ち上がると一人、また一人と扉をくぐっていく。
最後に派手な軋みを立てて扉が閉まる。ブロウは、扉の奥にまだいるはずの仲間を見据えて、ぽつりとつぶやいた。
「俺なんかのために…皆、本当にありがとう…」


<<XXXX年 3月8日 17:19 リューン青葉通り>>



数あるリューンの通りの中でも、東に位置する青葉通り。
中流階級の一般市民が多くすみ、日中は活気あふれる至極普通の通りである。
「さて、私たちが出来ることは、例の怪しい男に関する情報を集めることだな。」
「現場百回、っていうくらいですからねぇ。目撃情報とか、何か手がかりがあるかもしれません。」
イレイスの言葉をセツナが継ぐ。その隣では、ルートがうーんと悩むような声ををあげていた。
「でもでも、目撃証拠はとにかくさ、物的証拠って残ってるのかなぁ?治安隊が居なくなったってことは、もう何も残ってないかもしれないよ?」
ルートの思考に、イレイスは軽く鼻で笑う。
「その状況下で、ハイエナのごとく探すことが私たちの『仕事』だろう?」
あまりに迷いのないその一言に、傍でシンヤが苦笑を浮かべていた。
「はは……はぁ。でも、それもそうか。」
「そういうことだ。では、行動開始と行こうか。」
イレイスが、そういって殺害現場の路地裏のほうに指をさす。まずは、現場の調査からはじめようということなのだろう。
その提案に誰も否定することはなく、その方向に進むことで肯定の意を表す。


アシュレイ殺害現場となった青葉通り路地裏の廃墟。過去に貴族が失踪して依頼、しばらくの間見向きもされなかった謎の物件だ。
ひんやりとした、石造りのそこは人の気配は全くなく、「イカニモ」な雰囲気をかもし出している。
誰が真犯人かは知らないが、罪を犯すには的確すぎる場所だろう。
「じゃ、草の根分けてまで探し出せ。」
イレイスはぽむり、とルートの肩を叩く。
「あのさぁ、いくら僕がそういうの得意としても、投げっぱなしっていうのは、どーなのさ。」
ルートがぶぅ、とほんの少しだけ頬を膨らませる。
遺跡は、狭くも広くもない。しかし、一人で全てを調査するのは、少々骨が折れそうだ。
「…それでもオレには出来ない事ですから。頼りにしてますよ、ルート。」
頬を膨らましたままのルートにセツナが笑顔を浮かべて励ましの声を掛ける。

瞬間、ルートの目の色がギラリと輝いた。

「任ッかせてせっちゃん!!この僕がッ!草葉の陰に居るものでさえも掻き分けて探しちゃうよ!!」
ルートは言葉と同時に駆け出し、遺跡の調査に乗り出す。その視線と手さばきは、プロの盗賊だったとしても真似できない速さだ。
「ふふふ、張り切ってますねぇ。」
セツナがその真後ろで穏やかな笑みを浮かべていたままだった。そんな一部始終を見ていた、シンヤがぽつりとつぶやく。
「……扱いやすいんだか、にくいんだか…」
シンヤの呟きが空気中に霧散した直後、ルートが嬉々としてコチラへ走ってきた。どうやら、収穫はあったのだろう。
あの短時間で何かを見つけて戻ってくるのだから、やはり盗賊としての能力は高い。…本人のやる気に作用されまくるのが欠点だが。
「せっちゃん、いっちー、みてみてこれこれ!!」
そして二人の前で、ぎゅっと握っていた拳を開く。手のひらの上には、小さくて可愛いリングがちょこんと乗っかっている。
「リング、か。比較的安物だな…被害者のものか?」
イレイスが、そのリングを手に取る。
「おそらくは。魔力があるか、検地したほうがいいのではないですか?」
「そうだな。」
イレイスは、指先でつまむようにして持っていたリングを手のひらにのせる。
そして、瞳を薄く閉じて指輪のほうに意識を集中させた。…が、すぐにその瞳は開かれる。
「どうかしたのか?」
「全く持って魔力を感じられない、普通のアクセサリーだな。やるだけ無駄だろう。」
シンヤの問いにイレイスが答える。比較的安価、と彼が答えたこともあって、恐らく魔力など宿っていないことに気づいていたのだろう。
イレイスは、その指輪を大事そうに懐へしまいつつ、言葉を続ける。
「間抜けな治安隊が忘れていった大事な証拠だ。頂いておこうじゃないか。」
「そうですね…ルート、他には?」
「えっとねー、こんなのもあったよ!」
ルートはズボンのポケットをごそごそと探り、中に入っていたものを差し出す。
それは、夕日に当てられてきらきらと輝く見慣れぬ『バッジ』だった。
羽をモチーフにしており、中央に青い石の嵌ったそれは、女性でも男性でも持てそうだ。
「なんでしょうかね、これ。」
ルートの手のひらの上にのっかったバッジをしげしげとセツナは見つめる。
「…それは、市議会の議員バッジだな。私たちにはあまり関係がないから見慣れないが…議員の胸元についている、アレだ。」
そう、説明したのはイレイス。ルートはよくわかっていないのか、きょとんとした顔で首をかしげていた。
「しぎかいぎいん?」
しかし、ルートの問いはイレイスに聞こえなかったのだろう。イレイスは口元に指を当て、思考深く考え込んでいる。
「だが…議会バッジが何故…?こんな所に議員が来るものなのか…?」
廃墟となっている元貴族の住屋。何も高価なものもありはしないし、珍しいものもない。
それどころか、忘れ去られるようにしてぽつんと存在しているような物だ。
「……うー…」
傍では軽く無視されたルートが、ちょっとだけ寂しそうな顔をしていたとか。
「ま、結構重要なアイテムかもな。コレも私たちが貰っておこう。」
イレイスが、バッジを指輪と同様に大事そうに懐へとしまいこむ。
「僕が見つけたのは、これくらいかな。」
「…ええ、上出来ですよ。」
セツナはそういって、ルートの頭を親が子供を褒めるようになでる。ルートは、短く黄色い声を上げて、ほほを僅かに染めた。
「きゃ、せっちゃんにほめられちゃったぁ♪」
先程のちょっと寂しそうな顔はどこへやら、その表情は凄く嬉しそうだ。
そんな二人の関係を的確にあらわすならば、親と子供、というよりも、飼い主と犬。
「さて、後は聞き込みか。青葉通り周辺でよさそうだな。」
「妥当ですね。加害者がわからない以上、被害者の知り合いから調べていくのがいいかもしれません。」
自分たちが現時点で知っている真実はたった一つだけだ。
それは、ブロウが犯人ではない―…それだけだ。
それ以外は、被害者は女性だとか、何処のゴシップ紙でも書かれているような事実だけしか把握できていない。
「そうだな。とりあえず、青葉通りに一度戻ろう。」
シンヤがそういって遺跡の出口を指差す。これ以上、ここにいても収穫はないだろう。
ルートが本気を出してあらかた調べつくしたのだ。もし何かが残っていたとしても、少年の手で見つからなかったのだから、切り上げるのが妥当だ。
そうして、4人は日暮れ落ちる道の中、来た道を戻っていった。


夕暮れの青葉通り。人々が仕事を終えて帰路に付く時間帯だけに、その往来はそこそこ賑わっている。
「とりあえず、アイツが行こうとしていた薬屋に行ってみるか…」
イレイスが、視線を大きな紫の屋根の建物へ目を向ける。
例の、親父さんが言っていた夜間でも開いている薬屋。場合が場合だったので、あらかじめ場所を聞いておいたのだ。
もちろん親父さんも、隠すことなく教えてくれた。ほんの一言の、謝罪と一緒に。

店に、入る。
一歩踏み出すなり、青いロングの髪の女性がくいだおれに向けてありきたりの文句を述べる。客だとおもったのだろう。
というか、薬屋に入ってくる冒険者なんて自然すぎて客としか思えないだろう。
「すまないが、この間の殺人事件について何か知らないか?」
「え?」
イレイスがその店員に質問を投げかける。店員は一瞬何を聞かれたかわからず、きょとんとしていたが、数瞬の後にああ、と手を叩いた。
「ぇーっと…たいした情報でもないけど…事件が起きる少し前に、若い黒服の男が買い物にきたわ。」
特に隠すことでもないのだろう。
青髪の女性は別に不審がる事もなく答える。ただの喋り好きな可能性もあるが。
「ほぅ?買ったものは覚えているのか?」
ブロウも黒服だ。だが、彼が欲しかったのは風邪薬である。
つまり、それ以外のものならば、探すべき人物が見つかるかもしれない。
「そうね、コカの葉が欲しかったみたい。しかも大量に。例え合法でも危険薬物は取り扱ってないって言ったら、栄養ドリンクだけを買っていったわ。」
「他に、誰かこなかったのか?コレでもかという黒尽くめの奴とか。」
遠まわしに、ブロウのことをさす。しかし店員は知らないと首を振るばかりだった。
「他には…来ていないけど。例の殺人冒険者とは別件よね?」
そういった店員に、警戒の色が僅かに見て取れた。
「そうか、すまない。」
瞬時にそれを察したイレイスが会話を切り上げる。
感付かれた場合、どのようなごたごたが待っているかわからないからだ。それに、これ以上情報は得られないだろう。
「…では、出ましょうか。」
「冷やかし客ばんざーい、ってね。」
ルートとセツナが薬屋の外へでる。それの後について、残りも外に出た。


青葉通り、薬屋からある程度はなれた道の端っこで。
4人は、邪魔にならない程度に固まり、話し合いをしていた。
「後は、町で地味に聞き込むしかないですねぇ。」
特にコレといった情報がない以上、そうすることしかできない。
「だねぇ〜ちょーっと面倒くさいけど、分かれたほうがいいんじゃないかなぁ?」
ルートがそういってくるくると回りだす。じっとしているのは性に合わないのだろう。
「おいおい、ぶつかったらどうするんだ…」
日ももうすぐ落ちるとはいえ、まだまだ人通りは多い。いくら道の隅っこに居ても、運が悪いと体当たりを食らわすかもしれない。
「しんやん、この僕がそんなへまをすると思うの?」
ぴたりと立ち止まるルート。だが、彼の背後には駆け抜けていく女性の影があった。
女性は目の前の人間を避けることに必死になっており、身長の小さいルートまでは目に入っていない。
そしてルートも、前の3人に意識を集中しているせいか、全く背後のことは気にしていない。
シンヤがそれに気が付き、あ、と声を短く上げた頃には―…
「きゃっ!?」「きゃー!?」
二人の体は衝突していた。
ごろごろと不自然なほどに転がるルートをスルーし、シンヤはしりもちをついてしまった女性に手を差し伸べる。
「すみません、ウチのツレが…大丈夫ですか?」
「え、ええ…こっちも急いでて、ごめんなさい。」
女性はシンヤの手をとり、立ち上がる。そして服についた土をパンパンと払う。
「どうした、シンヤ。恋の予感?」
「違う!」
イレイスの冗談を、本気で即効否定するシンヤ。そんな二人のやり取りを、女性はじっと見つめていた。
「…あの、何か?」
その様子に違和感を感じたセツナが、女性に話しかける。
女性はハッとしてセツナの方を向き、なんでもない、と首を横に振る。
「ねぇねぇ、お姉さーん、僕達、最近起こった殺人事件について調べてるんだけど、何か知らない?」
「殺人事件って、あの、冒険者が…って奴、よね。」
「うん。そーだよ。何かしらない?」
ルートの質問に、女性の表情が僅かにこわばった、気がした。
けれどルートはその変化に気づいていないのか、はたまたそ知らぬふりをしているのか。
回答待ち、といったようにニコニコと笑顔を浮かべているだけだ。
「…………殺された…」
小さく、つぶやく。
「なーに?」
ルートがその言葉を聞き取れずきょとんとして首をかしげる。女性は、ルートのほうをみて、言葉を続けた。
「殺された、アシュレイはアタシの友達だったの。」
「えぇ!?」
ルートがわざとらしいほどの驚きの声。子供だから女性にはなんら不振には見えなかっただろう。
しかし、その普段よりも少し大きな声は、仲間達の注意をコチラに向けるのには最適だった。
「大親友って、ほどじゃなかったけどね。それでも、お買い物したり、一緒に食事したり…大事な、友達の一人だった…」
何百年も遠い過去を見つめているような目で、女性は続ける。
「ねぇ、貴方たちも冒険者なんでしょ?もしかして、あの変態冒険者の仲間なの?」
その瞳には、薬屋の女性と同じように警戒の色が簡単に見て取れる。
友人を殺された仲間なのかもしれないのだが、当たり前なのだが。
どう答えようか。パーティ内で一瞬の目配せをかわす直前―…イレイスが、誰よりも先に口を開いていた。
「…そうだとしたら、どうする?」
「イレイス…っ!?」
それはいくらなんでも不味いだろう、と声を上げるシンヤ。
しかし、時既に遅し。女性の表情は、みるみるうちにコチラを非難する冷たい目つきに変わっていく。
「なにそれ…ッ、もしかして、アンタ達もアシュレイを殺した共犯者だったりするの!?
 あの子は、何も悪くないのに…サイテーよ!変わりにアンタたちが死ねば良かったのよ!!」
女性は、涙を浮かべながら責め立てる様な声を上げる。
シンヤは状況の悪化に嫌な想像が脳裏によぎったが、イレイスは表情を変えない。
相変わらず、涼しい顔をしていた。
「残念だが…私は―…いや、私たちは、か。アイツが犯人だとも思っていないし、そもそも共犯でもない。
 だからこそ、真実を知るために何か知っていることがあれば教えてほしいのだが?」
「な……っ…」
女性が、僅かに開けたまま、固まる。
イレイス自身、賭けだった。友人と言っている以上重要な手がかりは持っている筈なのだ。
だから、なんとしてでもコチラを信用させなければならない。
下手に嘘を付くよりも、コチラの身分を明かした方が信用されやすい、そう判断したのだ。
交差する視線。
女性は、やりきれないような表情で言葉を継いだ。
「……アシュレイが、殺された日の午後は、治安隊がうろうろしていたわ。
 市議会議長がお見えになるらしくて、その警護だとおもうけど。そのとき、そのお偉いさんが例の裏路地に向かって行ったわ。」
事件には関係ないかも、しれないけど。そう、視線が言っていた。
「そうか。感謝する。」
イレイスは軽い礼を言ってから、パーティに目配せをした。此処から離れるぞ、と。
「じゃぁね、お姉さん♪」
去り際に、ルートが手を振る。女性は、手を振ることなく4人を立ち尽くしたまま見つめていた。


<<XXXX年 3月8日 18:24 あげ・ダッシュ 5番テーブル>>



くいだおれの本拠地、あげ・ダッシュ。
宿の亭主は娘さんと一緒に走り回っている。どうやら、自分たちと話している暇はなさそうだ。
「…さて、今日の情報をまとめようか。」
「だ、ね。」
そういって、イレイスが懐からリングと議員バッジを取り出した。
「この、バッジ…」
シンヤが、ぽんとテーブルに置かれた翼をモチーフにしたバッジを手に取る。殺人現場に落ちていて、ルートが発見したものだ。
「ぁ、しんやんも?気になるよね、お友達さんの証言もあるし。」
友人の証言。物的証拠。確実に、誰かという憶測ではなく、議員がやってきた証拠になりうるものだ。
「ああ、少し怪しいな、と思って。」
「だが、真犯人には確定できないだろう?この人物が来たのは午後としか判明していないしな。」
犯行が起きたのは、深夜だ。午後としか判断できない今の状況では、特定するには早計すぎる。
「わかってる。これだけだと証拠が足りないというのもな。」
「んー、ぶろりんに議長の顔でも叩きつけたら何か思い出すんじゃない?」
おあつらえ向きにあんなのあるしさ、とルートが壁に並べられたボトルを指差す。
そこには、ボトルにさえぎられるようにして、一枚のポスターが張ってあった。
議員であることをお知らせするためのものであろうそれは、顔が大きくピンで描かれている。
「…かもしれませんね。ルート、ポスター頂いてきてくださいませんか?」
「ほいさっ!」
ルートは椅子から立ち上がると、そのポスターを断りもなく手早くはがす。そして、再び席に戻ってきた。
「…マスターに断らなくて良かったのか?」
「別に、ボトルで隠れてたからいいんじゃない?それにさ、ぶろりん困ってるんだから。
 こーんなおっさんのポスター一枚なくなったって、別にたいしたことないでしょ?」
ぺろりん、とルートは広げたポスターをシンヤに見せ付ける。
そこには、ブリリアン・グルームと名前が書かれた白髪の眼鏡をかけた老人が書かれていた。
「まあ、そういってしまえばそうなのだが…」
シンヤの言葉にためらうことなくルートはくるくるとポスターを丸めると、自分のリュックサックにぶっさした。
「では、次はこれ、ですね。」
セツナがさしたのは、女性用の小さなリング。これも、先程の議員バッジが見つかった場所でルートが見つけたものだ。
魔力の類は一切感じられず、被害者の遺留品、と考えるのが妥当なところだろう。
「なんだか、ちっちゃいね。」
ルートがそれを己の指に嵌めてみながら言う。
「だからなんだって話だがな。」
その指輪は、それ以上でも、それ以下でもない。ようするに、今は保留するしかない物になるだろう。
イレイスが、場を仕切るように軽くため息をつく。
「…とにかく、だ。被害者の友人の目撃証言、それと議員バッジ。どう考えても、議長が殺害現場に足を一度踏み入れたことは確かだな。」
「ねぇねぇ、たとえばだけど、例の黒服サンが議長って言う可能性は?」
「ルート、ポスターも出るような人物だぞ。あっちが流石に気が付くだろう?」
「ですね。第一、それで考えると年齢が合いませんよ。」
薬屋も、若い男といっていた。くるくると折りたたまれたポスターに描いてあったのは、白髪の初老の老人。
どう若く見ても40後半は過ぎているに違いないだろう。
「あ、そっかぁ。」
ルートが気が付いたようにぽんと手を叩いた。
「ま、今日一日の成果をまとめてみたが―…犯人はわからない、な。」
まだ、パズルで言うところのピースを幾つか見つけたところなのだ。
つながりは全く見えてこず、ばらばらの状態のピースがいくつかあったところで、どうにもならない。
「ですね。これだけでは流石になにも…」
「明日、すこしでもいいからブロウに情報をもらえればいいんだけどな…」
シンヤがふうと息をついた。今の時点、一番真犯人に近いのはブロウ自身と言える。
だが、彼はそのとき何があったのかはわからないが、そのときの記憶をなくしてしまっているのだ。
魔法を使われ、記憶をなくされているのか、それとも精神的ショックですっとばしたのかはわからない。
「仕方ありませんよ。今日は解散しましょう。面会時間の夕方まで各自自由行動ということで。」
「おっけー!明日もがんばろーっ!」
ルートが返事をした、その直後。ふと、背後から、聞き覚えのある声が響いてきた。
「よ、暇人諸君。」
そこに立っていたのは、茶色い髪を短く後ろでまとめた大人の男性。
彼の名前は、グレイシー・オードリー。
高名な冒険者として、このあげ・ダッシュを本拠地として活動している。
彼が居るからこそ、この宿も繁盛していると言われるほどだ。
また、人柄もよく、威圧感を感じさせないその雰囲気は、多くの同業者に慕われており―…そして、ブロウもまた、その慕っていた人物の一人でもあった。
「…おや、グレイシーさんではありませんか。」
くいだおれの面々は、ブロウにあらかじめ紹介されていたので顔見知り以上友人以下の関係、といったところだろう。
「生憎だが、暇人というわけではない。」
イレイスが挨拶しに来たグレイシーを一蹴する。
しかし、グレイシーは苦笑を浮かべるだけで、断りもなく一つ開いている椅子にどかりと座り込んだ。
「イレイス…言葉のあやだっつの。第一、ブロウのことは…俺もあいつがやったなんて信じてない。」
いつになく、真剣な調子でグレイシーが言った。しかし、ルートはその空気をぶっ壊すように口を開く。
「だったらさ、何か情報とか…なーい?」
「現金だよな、おまえらって…いや、悪いけどさ、こっちは何にもそういうのないんだ。
 だが、俺はお前らの味方だ。何か俺に相談できることがあったら言ってくれよ?」
そういって、口元に笑みを浮かべる。彼なりに、元気付けようとしているのだろう。
「ええ、ありがとうございます。ブロウは、貴方の事慕ってらっしゃいましたから。そう言っていたと伝えたら、喜ぶと思いますよ。」
ブロウは、個人的にグレイシーによく連れ添ってどこかへ行ったりと仲良くしていた。
彼自身、お人よしなところがあり、そしてまた目の前の男性も同じような性分を持っていたがために気があったのだろう。
セツナはそれを知っていたので、穏やかな調子で礼を述べた。
「おいおい、照れるって。…じゃ、俺仕事の時間だから。」
グレイシーはそうとだけ言うと立ち上がり、さっさと宿の出口へ歩いていってしまう。有名なだけあり、あちこちから引っ張りだこなのだろう。
「さっすが…なんていうか、忙しそうだね。」
「…ええ、そうですね…イレイス?」
セツナが、イレイスの様子に変化を感じ、そちらをみる。イレイスは、訝しげに眉間にしわを寄せ、グレイシーの出て行った宿屋の出口を見つめていた。


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