空白の時間 2日目
<<XXXX年 3月9日 00:13 リューン治安部隊 拘束場地下牢>>
そこは、夜だった。
そこは、何年も前に打ち捨てられた廃墟だと、聞いていた。
そこに、一人で立っていた。
お使いをそっちのけでつけてきてしまって―…見失ってしまった。恐らく、この辺りにはいる。それはわかっているのだが、暗くてよくわからない。
諦めて、帰ってしまおうかと思ったときだった。
こつり、こつり、と自分のではない足音が響いた。追いかけてきた人のものだろうか。
そう考えると、なんとなく身を影に隠してしまった。それがよかったのだろう。その人は、コチラに気が付くことなく廃墟の奥へと進んでいく。
やがて、聞こえる声。
「…お待ちしておりました…」
それは男の、声だった。もちろん、自分には聞き覚えのないもの。
考えられるのは、先客が居たということ。ということは、あの男は待ち合わせでもしていたのだろうか。
「…一体、何をしてるんだろ?」
運良く、気づかれなかった。だが、頭に思い浮かんだ疑問はどうにも消せそうにない。何故なら、酷く嫌な予感がしたからだ。
酷く、ひどく嫌な予感が―…
「……は……」
目を覚ますと、そこは見慣れはじめた石造りの強固な牢屋。先程までの光景は、夢だったのだろう。
ブロウは、ざわざわと騒ぎ始めた胸を押さえつつ、再びしばしの眠りに付くのだった。
<<XXXX年 3月9日 16:59 リューン治安部隊 拘束面会所>>
くいだおれが扉をくぐると、そこにはブロウが既に座っていた。すぐ傍には、嬉しくないオマケも引き連れて。
「今日から、俺がお前らの監視に付くことになった。下手に脱走など企てられたら、たまったもんじゃないからな。」
そう吐き捨てるように行ったのは、一人の兵士。体中鋼の鎧に覆われているせいで、どのような男なのか全くわからない。
ただ、一つわかることといえば、コチラにいい感情はもっていない、ということくらいだろう。
「そんなこと、しないって。」
ブロウがつぶやくように行った瞬間、男がブロウの顔めがけて拳を振るった。バシィ、と頬に拳が遠慮なく打ち付けられる。
「っつぅ……」
ブロウが赤くなった頬を反射的に手で押さえる。兵士はそれをただ、汚いものでも見るかのように侮蔑のまなざしを向けるだけだった。
「口を慎め!」
同時に、イレイスの眉がピクリと跳ね上がる。
それに反応するように彼の半径2メートルにわたって気温が8度くらい下がった。気がした。
「ちょ、いっちー!落ち着いてね!!頼むから、落ち着いて、ね?」
ルートがイレイスの怒りにいち早く気が付き、小声で注意する。
「わかっている。お前に言われるのならば、私も堕ちたものだな。」
口ではそういうものの、気温はさがりっぱなしだ。シンヤはそんな二人の隣で、先が思いやられるな、と思ったとか思わなかったとか。
「…時間が決まってるのに、悪いけど、皆に話しておきたいことがあるんだ。」
一番初めに口を開いたのは、ブロウ。その瞳に、昨日のような悲壮感は薄まっている。
「と、いうことは何か思い出したんだな。」
イレイスの言葉に、こくりとうなづいて返す。
「夢を、見たんだ。記憶の一部のような、夢を。」
ブロウは、そういうと、見た夢の話を語った。
ある人を追いかけて廃墟に入ったことから始まり、誰かの待ち合わせ現場を目撃して、酷い胸騒ぎに襲われ、終わってしまった夢を。
「…ふむ、その潜んでいた声は、どんなものだったか覚えているか?」
「ぇ?…ぇーと、悪い、よく、覚えてないんだ…」
「性別は?」
「あ、それならなんとか。たしか、男だったと思う。」
「ふむ、そうか。」
こくりとうなづき、メモを取るイレイス。その行動を見ていたブロウが、申し訳なさそうに言葉を続ける。
「ゴメン、中途半端で…」
「いや、いい。何か適当なフレーズ吹っかけたら思い出すかもしれないだろう?」
「そぅそぅ。気にしなくっても、だーいじょうぶ♪」
落ち込みだしたブロウを、ルートが明るい声で励ます。
「…それにしても、安心しましたよ。貴方、昨日に比べると大分顔つきがまともになりましたし。」
セツナは、ブロウの顔をじっと見つめていた。
昨日は罪の意識にさいなまれ、精神的に疲弊しきっていたような雰囲気だった。今ではそれが、少しだけ回復したように見える。
「ああ、昨日までは、死ぬ覚悟までしてた。けど、兄貴や…皆、俺を心配して来てくれたから…」
ほんの少しだけ、目を嬉しそうに細める。つかまってから、初めて見せた柔らかな表情だった。
見慣れたその顔も、たった数日でひどく懐かしいものに思えた。
「まぁ、冤罪とはいえ強盗殺人、あまつさえレイプまで犯したなんて、笑い話にもならんしな。」
「だよね!そーいうわけでぶろりん、あとちょっとの辛抱だから、我慢してね!」
「…ああ。ありがとう…」
「ま、お前はそうしてぼんやり思い出しながら待ってればいい。…本題に入るぞ。まず最初。お前…夢を見たとき、どうだった?」
「どう、って…?」
ブロウは、イレイスの質問の意味がわからず首をかしげる。
「何か覆い隠されていたものが取れていくような―…そんなものは感じなかったのか?」
イレイスの補足説明に、ブロウは短い声と共に目を見開く。思い当たる節があったのだろう。
「うん、なんつーか、魔法を解かれた感じ…に、近いかも。」
「なるほど、な。じゃあ次。ルート、アレを。」
「ほいさ!」
イレイスの合図に従い、ルートが自らのリュックサックに手を突っ込む。
そこから出てきたのは、くるくると丸められた一枚のポスター。そう、昨晩酒場から失敬した議長のポスターだ。
ルートは、それをくるくると広げてブロウに見せ付けるようにする。
「お前、コイツに見覚えは?」
「見覚えって…いわれても……うーん…もしかして、俺が追ってた奴がそいつ、とか?」
「今の所その話が出てるだけだ。お前は『はい』か『いいえ』で答えろ。」
ブロウはイレイスの言葉に、思い出すようにしばらく沈黙する。しかし、何も思い出せなかったのか、ゆっくりと首を横に振った。
「そうか。じゃあ話を変えよう。コレについて、何か知っているか?」
イレイスが懐から取り出したのは、小さなリング。廃墟でルートが探し当てたものの一つだ。
「これは…?」
「被害者がつけていたと思われるリングだ。」
イレイスの説明に、ブロウは不自然を見つけたように首をかしげた。そして、数秒考え込むように沈黙してから口を開く。
「…ぇ、違う、気がする…多分、これ、違う。」
「ほぅ?どうしてそう思う?」
イレイスの言葉は、攻め立てるそれではなく、答えを導き出すものだ。ブロウはそれに対し、自身がなさそうに答えていく。
「…俺が、気づいたときには彼女、肌蹴た状態で胸や首から血を流して死んでいたんだけど…
身に着けているもの全部、ブランド品っていうのかな、高級品ばかりだったから。」
「つまり、こういう安っぽい代物は、つけそうにないと。」
「うん。俺の主観、だけどさ。派手な女の子って感じがしたし。不自然な気が、するんだ。」
「わかった。参考にはさせてもらおう。」
イレイスがかりかりとペンをメモに滑らせる。
「あの、よろしいでしょうか。薬屋の女性の証言について聞いてもいいですか?」
「…薬屋、の証言?」
ええ、とセツナは答えると、ブロウに簡単な説明をする。
コカの葉を欲しがった男。その人がまさしく自分の言っていた怪しい男ではないかと。
「その時間、その人と俺しか通りを歩いてなかったんだ。もしかしたら、同一人物かもしれないけど、視界も利かない遠くだと…ちょっと、自信ないな。」
「ぇーと、それじゃあ…」
ルートが口を開いたとき、兵士が動き出した。
「時間だ。…悪いが、おとりひき願おうか。」
冷たい声が、投げかけられる。兵士はブロウの手を乱暴に引きつつ、歩き出す。
「ブロウ…!」
地下牢へと連れて行かれる途中、シンヤが声を上げた。振り返るブロウ。
「グレイシーが、お前によろしく、って…」
「…ああ、ありがとう。」
シンヤの言葉に、薄く笑顔を浮かべるブロウ。
その言葉を返すと同時に、扉が開き―…二人の姿を隠すように閉じた。周囲に広がる、誰も音を発しない静寂なる空気。
「………馬鹿な、ヤツ。」
その沈黙を破ったのは、イレイスだった。
「自分がやりもしない、やってもない罪なのに自分で自分を締め付けて。本当、馬鹿だ。」
一枚の、地下牢の奥にある扉を忌々しげに睨み付ける。握られた拳は、力が込められすぎて白くなってしまっていた。
「いっちー…」
幾分かマシになった、といってもそれは昨日に比べてのこと。
まだまだその表情は、重く、暗い。
死ぬ覚悟は、今でもしているんじゃないのかと。誰もがそう、思っていた。
「…とにかく、行くぞ。考えても埒が明かん。」
「ああ。」
自分たちがこの重く冷たい場所から彼を解放してあげることが出来る方法はたった一つ。
真実を突き詰め、虚偽を見破ることだけなのだから。
<<XXXX年 3月9日 17:34 リューン青葉通り>>
夕暮れの、青葉通り。やはり、時間が時間なので人の往来は激しい。
「さて、どうする?」
と、シンヤが言ったそのときだった。
「お、今日もやってるのか。くいだおれ調査団!」
後ろから、気さくな声が聞こえた。
一同がその聞き覚えのある声の方に振り向くと、やはりそこにいた。グレイシーとよばれる、冒険者が。
「ぁ、ぐれいるーん。どーしたのさ?こんな所に。」
「いやー、ここで待ってればお前さんたちが来ると思ってな。」
「と、いうことは情報が何かつかめたのですね。」
セツナの言葉に、グレイシーは短く笑った。
「ま、そういうこった。こっちでも色々調べてみたんだが…お前ら、何か聞きたい話あるか?」
「ぇーと、じゃーぁ、薬屋に来たコカの葉の人、知ってる?」
「ああ、知ってるとも。俺も今日時間が取れたんで聞いてみたんだが、詳しく話を聞いていくうちに、ある人物と合致した。
ケイト・アドラストって奴なんだが…」
「ああ、地上げ屋の。」
イレイスがグレイシーの発言をさらさらと手帳に書き込みつつ、相槌を打つ。
「知ってんのかよ、イレイス?」
「若くてやり手の地上げ屋と聞いたが。おまけに残忍だとも。…なるほど、確かに裏がありそうな人間だな。」
ふむ、と自分で納得するイレイスにグレイシーはため息をつく。
「美味しいとこもってくなよ…ま、そこまでわかってるなら話は早い。
コカの葉も、結局一個先の落ち葉通りで大量購入している。あの通りも、深夜営業の薬屋あるからな。」
「じゃーさー、その人の事についてしらべてみよっか。」
「ええ、そうですね。」
「ちょい待ちお前ら。住所教えてやるよ。ほら地図かしてみな。」
「わかったー!」
ルートはリュックサックに手を突っ込むと、どこかで見たポスターのようにくるくる折りたたまれた地図を取り出す。
そしてそれを折りたたんだ状態のまま、グレイシーに手渡した。
グレイシーは手にした赤のペンでくるりとしるしをつけると、ルートに地図を返す。
「ほら、赤丸つけといたから、その場所に行ってみな。」
「わーい、ありがとー♪」
ルートはしるしを確認すると、くるくると巻いて、再び地図をリュックサックにつっこんだ。
「ぁー、それと、もう一個情報があるんだが…」
と、グレイシーが再び口を開いたとき、鐘の音が通り全体に響き渡る。決して大きくはないが響き渡るその音色は、18時をしらせるためのものだ。
「うぉ、もうそんな時間か…」
時間が迫っているのか、急にそわそわしだすグレイシー。
「お仕事、ですか?」
「うんにゃ。今日は食事だ。ある女の子と仕事で仲良くなってさー…♪」
そういいながら、グレイシーはにへら、と奇妙な笑みを浮かべる。その光景を見て、セツナは相変わらずだ、と思った。
「…とにかく、貴重な話ありがとうございました。」
セツナが会話を終え、グレイシーが立ち去ろうとしたとき、だった。
イレイスが、グレイシーの腕をがしりと引っつかんで足を止めさせた。
「名残惜しいってか?…男につかまっても、うれしくないんだけどなー、イレイス?」
イレイスはグレイシーの軽口にも反応せず、ただ冷ややかな目で見つめていた。そして、他の仲間の誰にも聞こえぬよう、小さな声で喋り始める。
「…一つだけ、答えろ。タイミングがよすぎると思ったのは、気のせいか?」
イレイスは、冷たい氷のような目で見つめる。グレイシーはそんな目を、まっすぐに受け止める。
交わる二つの瞳。
だがすぐに、グレイシーのほうが深いため息をついた。
「あのなぁ。お前さんだってわかってるだろ?アイツの魅力。
引き寄せられる人間は山ほど居ても―…利用しよう、なんて考える奴はまずいないだろ?親しければ、親しいほど、な。」
どこか、含みのある言い方だった。
アイツ、とはブロウの事をさしているのだろう。それは、簡単にわかった。イレイスは諦めたように腕を放し、視線でもういいぞ、とだけ吐き捨てる。
「うわーぉ、イレイス怖ー…おじさんこまっちゃう…」
「あはは、いっちーいっつもそんなもんだよ。」
わざとらし縮こまってみせるグレイシーに、ルートがけらけらと笑った。
「それより、約束はいいんですか?」
「うおっと!そうだった!!じゃあな、お前たちッ!」
グレイシーはセツナの言葉にはっと我に返ると、別れの挨拶もそこそこに通りの奥へと駆け抜ける。
どうやら、よほど約束の時間が迫っているのだろう。
「気さくで仕事もできて、あこがれるところも多いが…女好きが、タマにキズ、だよな。」
シンヤは、グレイシーの去って行った方向を見て、呆れたようにつぶやいた。
「いいんじゃない?そこもチャームポイントだと思うし。とにかくさ、行ってみようよ!」
ルートが地図を広げ、赤丸のしるしが付いたところを指す。とにかく今は、行動あるのみだ。
パーティ内からは否定の声が出なかったので、一同はそのままケイト・アドラスト宅へ向かっていった。
一見牢獄のような無機質の門構え。しかし、見るからに嫌味なほど効果かつ頑丈な扉と研磨された美しい石の壁。
全てに漂う冷たい雰囲気が、残忍な地上げ屋の住屋にまさに当てはまる。くいだおれは、迷うことなく、その扉を叩いた、のだが。
「…まさか、即行で帰れって言われるとはおもわなかったねぇ…」
ちなみに、くいだおれが居るのはリューンの青葉通りである。
「しかも、相手は面会する気ゼロだったな。」
シンヤがやれやれとため息をついた。
そう、扉を叩いたのはいいが、会わないと一周されたのである。というか、会おうと思わないとまで言われた。
しょうがないので、一同はしぶしぶと青葉どおりまで戻ってきた次第である。
「イレイス、どうしますか?下手に無理強いしたところで通報されますよ?」
セツナも同様に困り果てたような顔をしていた。ルートにやらせれば鍵くらいは開けられるかもしれないが、それでは意味がない。
周囲にただよう諦めムードのなか、イレイスはまったく困った風も迷った風もなく、口を開いた。
「ああ、それなんだが。奴には一つ面白い話があってだな。」
「なぁに、それ?」
「…重度のシスコンらしいぞ。」
一瞬だけ、空気が凍る。
僅かに聞いた声からは、誰も寄せ付けないような冷たい刃のような雰囲気をもっているような…
少なくとも、愛想はよくないだろうと容易に想像が付く声色をしていた。
「…せめて、家族想いとかにしてやれよ。」
シンヤが、思わず突っ込んでいた。
「…でもさ、それが本当なら、その妹さんをひっ捕まえて強請れば万事上手くいくってことだよね!」
「それはそれで別件でつかまると思いますけどね。」
ガッツポーズを作るルート。セツナの言うとおり、冒険者がそれなりに立場のある者の身内を誘拐した、なんて話が持ち上がったが最後、きっと自分たちも冗談抜きでブロウの二の舞になるに違いない。
「だが、イレイス…妹を当たるといっても、その人物がどこに居るのか知っているのか?」
「ああ、名前はキャロリイナで…」
イレイスがそういいかけて、ルートが何かに気が付いたように声を上げた。
「ねぇねぇ、そのコってもしかして、頭二つにくくったりしてない?」
「…知っているんですか、ルート?」
「うん。前に一緒に遊んだよ。カエルとストローの化学反応について語り合ったりもしたし。」
一体どういう遊びだ、と突っ込んではいけない。だって相手はルートだもの。
「で、そいつが何処に居るのかわかるのか?」
「ぇーとねぇ、確かこの時間帯だったら、そろそろこのあたり通るはずだよ。」
と、ルートが言ったときだった。往来の激しい通りの中、髪を頭の天辺で二つにくくったルートと同じぐらいの女の子が奥から歩いてくる。
「ぁ、噂をすればなんとやら。おーい、きゃーろりーん!」
ルートはその人物を盗賊の観察眼をフルに活かし目ざとく見つけた。
きゃろりん、と呼ばれたその女の子は、ルートの声に反応し、その姿を見つけるとこちらに向かって走ってくる。結構、仲が良いのだろう。
「きゃー、ルート君!久しぶり〜♪」
そういって、二人でじゃれあうように抱きつく。
これが後数年すれば両者共に甘酸っぱい関係へと発展するかもしれないが、いまはさておき。
女の子は再会の抱擁を済ませた後、ふと視線をルート後ろに向ける。そう、イレイスやシンヤの立っている方向だ。
「ねぇ、ルート君。後ろの人たちは、お知り合い?」
女の子は別段警戒した風もなく、小首をかしげた。
「そうだよー。実はね、それとちょっと関係しててきゃろりんに頼みたいことがあるんだ。」
「へぇー、なぁに?」
ルートは女の子に簡単なコレまでの経緯を話す。…といっても、ケイト・アドラストに会いに行こうとしたら断られた部分から話は開始したが。
「なるほどー。皆でお兄ちゃんに会いに行きたいんだー…」
そう確認するようにいいながら、女の子は一同を見回す。そしてその場で何かを思い悩むように考え込み―…やがて、楽しそうに口をゆがませた。
「いいよ!でも、ただじゃ面白くないからさ、あなた!三回回ってワンってしてよ!」
指をさした方向は、誰であろうシンヤであった。
「お、俺!?おい、俺は犬じゃないぞ!」
もちろんシンヤは戸惑いの声を上げる。純真無垢そうな女の子だが、やはり地上げ屋の血筋か。
「あ、っそぉ。じゃーぁ、この話はなかったってことでー…ごめんね、ルート君。」
女の子はわざとらしいほど残念そうに言うと、くるりと来た道を振り返る。
「シンヤ、頼みます。いらないプライドは捨ててください。」
「そうだぞ。お前の余計な私情でアイツが助からなくなったらどうするんだ?」
「…お前ら、人事だと思って…わぁったよ、ったく!やればいいんだろ!」
シンヤはそういうとその場でくるくると三回ほど回転し、天空に向かってワンとほえた。
そういえば、ついこの前もこんな惨めな目にあったような、とこの間の山賊退治に心をはせながら。
「あははは、おんもしろーい!惨め過ぎておなかいたくなっちゃう!」
女の子はその光景をいたく気に入ったのか、シンヤのことを指差しけらけらと笑う。
女の子を満足でさせたのは大いに結構かもしれない。
「…ははは、そうかい…」
ただし、その代償として、自分の中の大事なものががらがらと音を立てて崩れていってしまったような―…そんな感覚にシンヤは捕われていた。
「さすがシンヤだな。」
イレイスは明らかに笑いをこらえつつ、シンヤの肩を励ますようにポンと叩いた。
「口元押さえて言うなッ!」
そう、怒ってみるものの、女の子の笑い声がBGMとなり、愉快な光景にしかならない。
「あー、おもしろかった。じゃ、ルート君、おにいちゃんの所まで案内するよ。」
「うん、きゃろりん、ありがとー♪」
ひときしりわらった女の子は、ルートの手を引くと先程くいだおれが行ったケイト・アドラスト宅へと足を向ける。
とにかく、コレで目的の人物に会うことが出来そうだ。
重厚な、扉の前。
再び一同は、ケイト・アドラスト宅に戻ってきていた。切り札となりうる、ひとりの少女を引き連れて。
女の子は一切ためらうことなく、ドアのチャイムを一度鳴らした。
「おにいちゃーん、アタシだよ。キャロリィナ!!どーしてもおにいちゃんに会いたいっていうお客さんを連れてきたのー。」
「…キャロか。久しぶりだな。それで、お客さんって?」
扉の向こうから聞こえたのは、穏やかな声。
シスコン云々はさておき、本当にこの少女のことを気に掛けている証拠だろう。
「うん。冒険者で、お友達のルート君たち。会ってくれるよね?」
一瞬、返答が止まる。だが、止まったのは、本当に一瞬だけだった。
「…お前がいうなら、通そうか…」
あっけなく出た、OKサイン。お友達、という文言が利いた証拠だろうか。
「ありがと!それじゃ、あたしは帰るから…ルート君たちと、仲良くしてね?」
「ああ。…またな。」
キャロリィナはやり取りが上手くいったのをみて、ルートに親指を立てた。そしてルートもまた、キャロリィナに親指を立てる。
二人でにっこりと笑いあい、キャロリィナはすたすたと帰っていく。彼らなりの、お別れのサインなのだろう。
そしてすぐに、扉のほうで鍵が回る音が聞こえた。
「…鍵は、開けました。どうぞ皆さんお入りください。」
チャンスは、出来た。
あとは、どうやってそれをモノにするかだ。一同は言葉もなく顔を見合わせ、互いにうなづきあう。
間に広がる、ぴりぴりとした緊張感は、まるで未開の洞窟に赴くのと少し似ていた。
鍵の開かれた扉に手をかけ、中に入る。
そこには、金を基調とした調度品が置かれており、いかにも金持ちです、という雰囲気が漂っていた。
「うっわぁ…悪趣味。」
ルートが部屋の隅々まで見渡し、誰にも聞こえない声でつぶやく。お金持ち、という単語からは程遠い生活をしているからこそ、更にそう感じる。
そして、広い部屋の奥にある大きなソファーに腰掛ける、一人の男。どうやらそいつが、ケイト・アドラストと見てまちがいないだろう。
ケイトは、無言でソファーを手で指し示す。座れ、ということなのだろう。
「…冒険者の方々が私に用があるというのが理解できかねますが…。ま、軽く自己紹介でも。不動産業を営んでおります、ケイト・アドラストです。」
一同がソファに座ったのを見届けて、ケイトはそう切り出した。
短く切りそろえた赤い髪。汚れ一つない漆黒のスーツ。オマケに高価なものだとわかるサングラス。
どれ一つとっても、なんとなく常人離れしたオーラを持っている、そんな青年だった。
「こちらこそ、初めまして。冒険者のイレイスだ。」
イレイスはそんなケイトに物怖じするわけもなく淡々と一同の紹介を行った。
「…それでは、はじめますか。と、いっても貴方たちの要件は大体わかりますけどね。はっきり言いますと、例の殺人事件のことでしょう?」
ケイトが、コチラを推し量るような質問をする。
口調子からはわからないが、サングラスの奥にある瞳は、恐らく同じような目をしているだろう。
「ああ。わかっているなら話が早い。貴方らしき不振な姿をその夜見かけた情報があったんでね。こちらとしては、犯人は貴方だと考えているんだが。」
イレイスは、それに対し変化球のないストレートの真っ向勝負に出る。
対するケイトは、その言葉に別段驚いた風もなく冷静なままだった。自分たちが来たところ予想できる展開の範囲内だったのだろう。
「これまたずいぶんストレートにおっしゃいますね…証拠は、あるんですか?」
「ない。」
全くの間をおかずきっぱりさっぱり、イレイスは答えていた。そのとなりではシンヤが噴出しそうになっていた。
「…は?」
それは相手も同じだったらしく、侮蔑のような声色に変わった。
「カンで言っているわけではない。証言もある。…そしてそれに対する裏づけもな。だが、物的証拠がない。こればかりはお手上げだ。
加えて、お前のような人間はその両方が無いと納得しない人間だろう。」
「……ほう。」
ケイトの声色が、また変わった。
今度は、興味。どんな結論が飛び出してくるかを待ちわびているような雰囲気だ。
「さらに補足しておくと、私たちが来たとき、まるでわかりきった態度だったな。
自分が犯人扱いされると…しかも、こっちが例の殺人事件のことを調べているとわかっていて、だ。
以上の点から考えて、お前は少なからずともこの件についてかなり深いところまでかかわっている……違うか、ケイト・アドラスト?」
ケイトの口元に、真っ先に浮かんだのは笑みだった。ゲームを楽しんでいる真っ最中のような、愉しい笑い。
「…なるほど。中々面白い話ですね。…それで貴方たちは、私に一体何を望むんです?」
その笑いに誘われるよう、イレイスも同様のそれを口元に浮かべた。
「コチラの望むことはたった一つ。お前の持っている真実。」
そういって、イレイスは懐から銀貨の入った子袋をテーブルの上にトン、とおいた。
「…ビジネスライクでいこうじゃないか?」
「ふふ…ただの冒険者と高をくくっていましたが…いいですね、貴方。」
ケイトはくつくつと小さく声を上げて笑う。
「まず、被害者との関係を教えてもらおうか―…」
ケイト・アドラスト宅を出たとき、日は既に暮れていた。
イレイスがあのとき、『買った』情報は二つ。
一つは、被害者との関係。そしてもう一つは、廃墟のことについて知っていること全て。
「結局―…被害者とは、幼馴染だったってわけか。」
青葉通りへと戻る道、シンヤが会話の一部を確認するように口に出した。
となりでセツナがそれに相打ちをうつ。
「ええ。しかも10台の頃には恋愛対象までなっていた様子ですね。…しかし、今は疎遠らしいですが。」
「それに対して嘘はないんじゃない?ぜんぜん悲しんでる様子もなかったしさ。
しかも、事件の一週間前に男前と歩いてたって、元彼としてはあっさり淡白に言ってたし。」
イレイスが一つ目の質問をしたとき、ケイトはこともなげに答えた。
こういう話、そこそこの年齢の男ならば多少なりとも声色や表情に変化が見られるのだが、
ケイトの場合はただあるべき事実だけを淡々と伝えるだけの機械の声にさえ聞こえるほどだった。
「ここで痴情のもつれだったら面白かったんだがなぁ…流れ的に。」
イレイスが背後の会話を聞き流しつつ、とっていたメモをめくる。
「おいおい…」
シンヤがそんなイレイスを横目でみつつ、すぐ隣で展開されるセツナの推理に耳を傾ける。
「後気になりましたのは、同日彼女が違う男性と歩いてたのを見かけたときには派手な格好をしていた、という証言ですね。」
「ぶろりんも言ってたね。派手だったって。よーするに、昼と夜の顔を持つ女の子なんだね。」
そういうことです、とセツナは隣でうなずく。
このご時世、食い扶持を稼ぐために女性が夜の街に仕事に赴くのはむしろ普通だ。
それでも、着飾る必要性が出ている仕事…といえばあまり深く考えたくはないのだが。
「2個目は廃墟の話、だったな。賭博場にしようかって話が出てたヤツ。」
「市議会議長を頭とする反対一派が居てお流れになったようですが。」
二つ目は、廃墟についての話だった。人を騙さないが法に触れるか触れないかのギリギリな事はする―…そう、ケイトは初めに宣言した。
そしてその言葉どおり、と言ったところだろうか。廃墟についての話は本当に知っていることの殆どを話してくれた、といっても過言ではないほど。
尤も、自分に都合の悪い部分は伏せている可能性は大いにあるのだが。
「殺人事件のときの調査もかなりてきとーだったらしいしね。ま、考えられる犯人が一人しか居ない…ってゆーか、現行犯だったわけだし。」
だから簡単に落し物も見つけることが出来たんだけどねー、とルートは続けた。
「ですが、違う何かが絡んでいる、という言葉もありましたよ。」
最後に、ケイトは自分の考えを少しだけ語ってくれた。
『不動産業を営むものとして、あの建物からは何かを感じますよ。』
その言葉は恐らく、一番初めのイレイスのやり取りに対する礼儀のようなものだろう。
実力を認めた相手に対して初めて見えるほんの僅かな好意、といったところだろうか。
「後は…適当に酒場ででも煮詰めればいいでしょう。」
セツナが視線を前に向ける。青葉通りは、目の前だ。
「…でもさぁ、いっちー。どうしてコカの葉のことも、ケイト自身のアリバイも聞かなかったのさ。」
ルートが前を歩くイレイスに駆け寄った。
「両方、関係なさそうに見えたからな。前者は恐らく取引の話。後者はそこに繋がる取引の話。…ジャンルが全く別物だ。」
「ふーん…で、どうするのさ。これから。」
ルートは半分納得したような出来ていないような声で行動を促した。青葉通りにはついた。
「もう、日も落ちたし酒場に帰るのが妥当じゃないか?」
シンヤは、歩きながら提案する。といっても、やはり前を歩くのはイレイスだが。
「僕はそれでいいと思うよ。」
ルートが返事をしたとき、先頭を歩いていたイレイスがぴたりと足を止めた。
「…気になる。」
「何が、ですか?」
追い越してしまったセツナは、くるりとイレイスのほうを振り返る。イレイスは考えをまとめるように口元に指先を当てていた。
「捜査が不十分。ケイト自身、何かあると付け足して来た。」
廃墟のことだと、誰もが口を出さずともわかった。
「まるで、行け、といわれているみたいじゃないか?」
イレイスはそういって、にらみつけるように見据えたのは、廃墟の方角。
「…罠かもしれませんよ?」
そう、セツナも薄々気づいていたのだ。ケイトの情報の中。暗示しているのはとるべき行動だと。
だが、逆にヒントがわかり安すぎて、無意識のうちに警戒していたのだ。
「はッ、私を誰だと思っている?」
肩をすくめて、イレイスが笑いを浮かべる。目は冷たいまま口だけをゆがめた、何時もの奇妙な笑顔。
そしてその表情のまま、廃墟のほうへと歩いていく。
「………はぁ。気の毒でなりませんよ。」
折れたように、セツナが廃墟のほうに足を向けた。
「うん、気の毒だねぇ。」
あはは、とルートが笑いながらセツナと共に歩みだす。
「…ああ、気の毒だ。」
シンヤは、疲れたようなため息をつきながら3人の後を追った。
そして、三人同時にイレイスの後姿を追いかけながら、ほぼ同時につぶやく。
『…アイツ(あの方)を陥れた、その真犯人が。』
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