空白の時間 3日目



<<XXXX年 3月10日 00:06 市議長宅>>



「………。」
応接室。
きらびやかな印象が目立つその部屋に、思い悩むようにして老人は座っていた。
そして、うつむかせた表情のまま、立ち上がる。歩き出すのは、玄関のほうだ。
「あら?議長様。こんな遅い時間にどちらへ?」
向かいからやってきたのは、彼が雇っている家政婦。年相応にしっかりしており、この家で働いて結構な月日のたつ人物だった。
知り合い以上ではあるのだが、議長が家政婦を見る目は、いつになく冷たい。
「野暮用だ。明日ワシには公務はないはずだ。放っておいてくれ。」
「は、はぁ…」
全てを突き放すきつい言い方に、思わず戸惑いの声を上げる家政婦。
そのまま外へと出て行ってしまった議長に、思わず家政婦は首をかしげる。
自分に、どこか至らない所でもあったのだろうか、と。それとも、何か気分でも害するようなことでもあったのだろうか、と。
このときまだ、家政婦は何も知らなかった。その夜、一つの断末魔が闇に溶けて消えることも。


<<XXXX年 3月10日 16:18 リューン治安部隊 拘束場面会室>>



扉が、開く。
そこに、座っていた。甲冑を全身に着こなした兵士と共に、昨日よりすこしだけ明るい様子のブロウが。
「皆、元気そうだな。…今日はまた、早くに来たんだな…」
ちらと壁にかかった時計をみると、先日と先々日にくらべ、はるかに早い時間帯だった。
「まぁ、な。で、お前、昨日記憶が戻る瞬間、魔法が解かれる感じに似てるといっていただろう?」
イレイスは一分一秒も惜しい、という様子で早速本題に入る。面談の時間はきっかり15分と決まっているので、その気持ちはわからなくもない。
「あ、あぁ…言ったけど…?」
「軽く調べてみたんだがね。魔法というより、催眠術のようだ。お前、何かかけられたときに言われたり何かされたりしなかったか?」
「…いっちー、いつ調べてたのさ、そんなの。」
ルートが口をとんがらせる。
「過去の思い出だ。知識はもっと前に習得していた…が、失念していたんでね。」
「あはは…催眠術か…なんかされたってな―…あれ、違…言われ…た?」
ブロウの動きが、不自然なほどにぴたりと止まる。例えるのならば、停止ボタンを押されたような状態だろうか。
「…ぶろりん?」
ルートの呼び声に反応するように、ブロウがぱっと顔を上げた。
「言われたんだ!殺せない、殺せないって!!」
思い出せたことが単純に嬉しかったのか、早口でまくしたてる。
「真犯人の声、か。」
「多分。でも、声とか顔質とかぜんぜん。まるでメモ帳にかかれたものをそのまま呼んだ感じ。」
それはそれで気持ち悪い話だ、とブロウは付け足した。ぽろりとこぼれた記憶のカケラに、イレイスはふむ、とうなづく。
「しかし、殺せないってどういうことなんでしょうかね?これ以上罪を犯したくない心境の変化でしょうか。」
「―…もしくは。」
セツナの考えを、イレイスが補足する。
昨日考えていた、ブロウが『生きている』ことの理由。『殺せない』ならば、理由はほぼ完全に一つに絞られる。
「お前に好意を寄せている人物の行動、だな。」
更に言うと、ブロウが好意を寄せていることを知っている人物、でもいいわけなのだが。
この場合、殺すことをためらっている以上その線は薄いだろう。
「ちょっと待ってよ、ぶろりんと仲良しなのが催眠術となんの関係があるのさ?」
「それについては至極簡単。催眠術の前提条件は精神を疲弊させておくか、互いに信頼関係があることだ。
 前者ならばある程度相手を何らかの方法で痛めつけなければならないからな。」
「つまり、殺せないと言っている以上、ブロウを傷つけようと考えることはない、と。」
「そういうことだな。」
もちろん、イレイスの言っていることは間違いではない。しかし、この話には大きな落とし穴があるのだ。ブロウだからこその、大きな穴が。
「だったら…ブロウの場合、犯人断定できないんじゃないか?」
シンヤの意見に、イレイスが尤もだとうなずく。
そう、ブロウは善人街道まっしぐらの冒険者。同じ宿の者が困っていたら労力をいとわず、すぐに手を貸してしまう。
要するに、好かれる要素はあっても嫌われる要素はあまりない人物なのである。
「だから、抜け落ちた記憶がいるんだろう。…次はブロウ、コレを見てくれないか?」
イレイスは、懐からアシュレイの手紙を取り出し、ブロウに手渡す。
ブロウはそれを無言のまま受け取ると、つらつらと字を真剣な眼で追いかけていく。
「これで、何か思い出せないか?」
懇願するような、イレイスの眼。真犯人を断定できるのは、ブロウの記憶のみだからだ。


文字を、追いかけていく。
眼で追いかけているはずなのに、内容がひどく頭に入らない。それどころか、自分の頭には何か色々なものが頭に広がっていく。
邪魔、と感じ始めるその直前、彼の頭に酷い耳鳴りと頭痛が襲い掛る。ぱさり、と紙が机の上に落ちる音と共に、全く別の光景が頭に広がっていった。


夜。
廃墟の影にて。
ブロウは取引の一部始終を見つめていた。内容は、大量のコカの葉のやりとり。
黒服の男がコカの葉を渡して、終わっただけの意味のなさそうなやりとりだった。
結局一体何がしたかったのか、とブロウの頭に疑問がよぎったとき、更なる人影が廃墟の奥からやってきていた。
こつ、こつ、こつと規則正しい足音と共にやってきたのは、派手な服装に身を包んだ女性。
一体どういう人物かブロウにはわからなかったが、凄く場違いのように思える。女性は周囲をきょろきょろと見回し、そっと地面に手を置く。
がちゃり、と何かの鍵が外れる。
地下室だ、とブロウが理解したときには、既に女性はその扉を開いており、地下室へと歩み去っていった。
(…この奥、なんかありそうなんだよな…)
ざわり、と胸騒ぎが起こる。
嫌な予感がするのは、そこからだと本能的に察した。奥を見たい。けれども、リスクは高そうな気がする。
どうしようか、とブロウが腕組をし迷っていると、ひとつ、思い出した。
(そういえば。前に兄貴から遮蔽魔法の札もらったっけ。透明人間になれるが効果は10分しかないから大事に使えよ、とか言われたけど…)
自分の懐から、一枚の札を取り出す。何とかかれているのか相変わらずわからないが、きっと能力は折り紙つきなのだろう。
ブロウはほんの少しだけ躊躇い―…だがすぐに腹をくくったように、その札に念じはじめる。
すると、みるみるうちに自分の体が透明になっていくのがわかる。
(うぉっ…本当に透けちまったよ…さて、時間も限られてるし、とっとと追いかけてみよう!)
ブロウはそのまま地下室へともぐりこむ。地下室は、あまり広くなく一本道だったので、あっというまに追いつくことが出来た。
(…白骨死体?なんで、こんな所に…)
まず、眼に入ったのは女性自身。その足元には、3体の白骨化した死体が仲良く転がっていた。
ブロウからではどういう死体なのかわからないが、こんな所に転がっている以上ワケアリだろう。
(あの人も、なんか待ち伏せてるかんじだよな…死体には、かかわってなさそうだ…)
女性の視線の先は、あくまでも通路のほう。死体のほうには、気が付いていないのか全く向けられない。
こつり、こつり、とすぐに再び地下に足音が響き渡った。
どうやら、待ち合わせの相手が来たようだ。しかし、胸騒ぎは留まることを知らずにざわざわと大きくなっていく。
まるで、ここから一刻も早く離れろ、といわんばかりに。
顔が、あと数秒で―……


「………ぁ、っ…」
「ぶろりん!?大丈夫、ぶろりーん!!」
甲高いルートの声が頭に響き渡る。
連れ戻されるように暗転する世界。瞬きをしたときにはもう、視界は元に戻っていた。
「ブロウ、大丈夫ですか?」
セツナが、いつになく心配そうにブロウを見つめる。自分はいま、どんな顔色をしているんだろう。
ぎゅ、と先程まで騒いでいた胸を押さえ込み、思い出すように一つずつ声に出していく。
「俺は、追いかけたんだ。殺された、アシュレイっていう女の人を。
 兄貴から貰った札つかって、透明人間になって…手紙の通り、そのひとは、誰かと待ち合わせしてたんだ。誰か、と……」
そういうブロウの瞳は、遠く離れた場所にあるように見えた。
「誰か、か…そこまで出掛かってるんなら、もう少しだな。」
「…また、中途半端だよな、俺。」
「…気にするな。もうすぐ、終わるだろうからな。他に、感じたこと、思い浮かんだことは?」
テーブルから落ちた手紙を、イレイスは拾い上げる。ぴらり、と向けられたそれに、ブロウは考え込む。
「…あ。顔をが見えたとき、かな。よくわかんないけど、凄い嫌な…っていうかなー、うーん…」
言葉に出来ない感情だったのか、それともあいまいなだけなのか。ブロウは、こめかみに手を当て、必死に言葉を思い巡らしていく。
「とにかく、不快だった、と。」
「嫌な言い方だな…でも、そんな感じだった。なんだろーな…勝手な飼い主が子犬や子猫を捨てていくのを見たような気分で…って、何言ってんだろ俺。」
自分の言葉に自信がもてないのか、うーん、と再びブロウは考え込む。
記憶のカケラが出そうで出ずに引っかかっている、という表現のほうがいいのだろうか。
「まぁ、それは次でもいいだろう…といっても、今日はもうお前に聞くべきこともないがね。」
「そうなのか?」
「ええ、貴方も手紙を見たでしょう?真犯人については『黒い男』も市議会議長も白でしたから。」
「ふー・・・ん。」
と、ブロウがわかっているのかわかっていないのか生返事を返したときだった。すぐ近くに立っていた兵士が、す、と動き出す。
「…時間だ。」
どうやら、結構な時間がたっていたらしい。
「ぶろりん、それじゃ、また明日。」
ルートが兵士の合図に立ち上がり、手を振る。ちょうど会話も一段楽したので、丁度良いくらいだ。
「ああ、また明日。」
ブロウも、それに答えるように軽く手を振る。4人は立ち上がると、捜査再会のため、面会室を出て行った。
残されたのは、ブロウと兵士。ブロウがぼうっと閉じられた扉を見つめていると、後ろから苛立ったような声が飛んできた。
「ぼやっとするな!いくぞ!」
ブロウはその声に驚いたように一瞬だけ肩を震わせてから、立ち上がる。
面会室を出て、拘留場所に戻される。
いい加減に体がなまるよなぁ、なんてどこかずれたことを考えながら歩いていると、
通路の向かい側に赤い髪の男が一人、コチラを待っているかのように立っていた。
「お勤めごくろうさん。」
「はっ!」
その男は結構立場が高いのだろうか。兵士に向かってねぎらいの言葉をかける。
兵士はさっとマニュアルどおりの敬礼を返す。そして男は、ブロウの方に視線を移す。
「…その冒険者、例の暴行強盗殺人者の容疑者だよな?」
「ははっ!ついに、刑期が決まりましたか?いや、その前に裁判ですかな?」
男の質問に、兵士がどこか興奮した様子で答えた。冤罪だとは、自分でもわかっている。
しかしこうして、目の前であからさまに犯人扱いされるのは、居心地のいいものではない。
男を、見上げる。
男は、こちらをじっと見詰めた後、ゆっくりと口を開いた。

…いや、釈放だ。

「は?しかし、こいつは…」
耳を疑う兵士。それは、ブロウ自身も同じ。だが次に男の口からでた言葉は、ブロウと兵士を十分に納得させるものだった。
「今朝、真犯人が見つかったんだ。昼ごろに新聞社等にも発表した。…そろそろ、夕刊の号外で話題になるだろうな。」
真犯人。
みつかったのだ。自分ではない、罪を犯した誰かが。
あまり現実感がなく、無言のまま立ち尽くしているブロウに、男が更に言葉をかける。
「ブロウ君、でしたね。君には大変迷惑をかけました。釈放も今の時間になってしまって申し訳ない。」
「ぇ、ぁ…その…っ…」
意外にも物腰やわらかく話しかけられて、ブロウはただ戸惑うばかりだ。男はそんなブロウにくすりと微笑みかける。
「…いつも、会いに来てくれている友達に、報告してきなさい。」
そうして、男は兵士に道を明けるように視線で促す。
釈放が、確定したのだ。兵士はほんの僅かだけ不服そうな顔をしていたが、特に反論はしなかった。
「…はいっ!」
ブロウはぺこりとかるくお辞儀をすると、出口に向かって駆け出す。
自分の仲間達の元へと。


<<XXXX年 3月10日 16:38 リューン青葉通り>>



「さー、今日はどこから調査する?」
ルートが人通りの多い青葉通りをぐるりと見つめてつぶやいた。
市議長は白。黒い男も白。新しく解決の糸口をそこから導き出さなければならないのだが、正直言ってどこにほころびがあるかわからない。
そのとき、コチラに駆け寄ってくる足音が響いた。
「みんなーっ!」
聞き覚えのある声が、背後から響く。一同がくるりと振り返ると、そこには捕まっていたはずのブロウがいた。
「ブロウ!?」
「ついに脱走しちゃった!?」
「イレイスが何か余計なこと仕組んだんですか!?」
驚きの声を上げるのは、シンヤとルートとセツナ。
「違うッ!普通に釈放になったんだよ!」
ただ一人、イレイスだけは特に驚いた様子もなく、帰ってきたブロウをじっと見つめていた。
「…兄貴?」
「まずは、おかえりなさい、とでも言っておこうか。」
にやり、と悪戯をしくんだような笑み。ブロウもつられて、笑顔になる。
「うん、ただいま!」
「…で、なんでまた釈放になったんだ?」
す、と話題を切り替える。やはり、イレイスなりに気になっていたらしい。
「ああ、それなんだけど、なんか真犯人が見つかったみたいでさ。」
「…捕まったの間違いではないのか?」
「うん、間違いないけど。」
ブロウの言葉に、イレイスが僅かに顔をしかめる。まるで、犯人に思い当たる節があるかのように。
「まぁまぁ、堅苦しいことはおいといてさ、ぶろりん釈放ってことでどっかでぱーっとやらない?」
ルートが、難しい顔になっていくイレイスの腰に抱きつく。
「はは…それはちょっと大げさなような…」
「ま、それだけ嬉しいってことだろ?」
シンヤが、ブロウの肩を叩く。
何時もの、仲間達。何時もの日常。急に何もかもが帰ってきたような気がして、ブロウは笑った。
一同が和やかな雰囲気に包まれる中、イレイスは何かを感じて視線をむける。
人々の影に潜むようにして、コチラに走り迫ってくるのは、一人の青年。
その雰囲気は、異様、だった。

アシュレイの…仇ッー!

「え……!?」

ブロウに突如として向けられる刃。
もちろん、街中で臨戦態勢もクソもあったもんじゃないブロウは反応できずに立ち尽くしていた。
刃が彼を貫くその刹那―…青年の体は何かの糸に絡められたかのごとく、地面に転ぶように倒れこんだ。
「ふぅ…この状況で仕掛けてくるとは。ただの愚か者かそれとも馬鹿か。」
イレイスが、手の平を青年に向けていた。相手を捉えることの出来る『蜘蛛の糸』を発動させたのだろう。
「いっちー、それって、意味一緒だよね…」
異変に気が付いていたイレイスによって、最悪の事態は免れた。
青年は強固な蜘蛛の糸に絡められた状態でもありながら、じたじたと体をよじり、あらん限りの声で叫ぶ。
「放せ…ッ、僕を放せーッ!!!」
「…煩い。」
そういって、容赦なくイレイスは『魔法の矢』を彼の頭5mmのところを的確に打ち抜く。
ずどん、という音と共にわずかに抉り取られる石床。
「次騒いだら打ち抜くぞ?」
しゅうしゅうと湯気を上げる石床。
イレイスは、にっこりと輝かんばかりの笑顔を浮かべていた。その右の人差し指には何時でも発動できるように魔法エネルギー体が集結している。
青年は流石にヤバイと気が付いた…もとい、冷静になったのかごくりと唾を飲む。
「相変わらずの手さばきですよね、貴方…」
「ふ、褒めても何も出んぞ。」
と、イレイスが得意げにわざとらしく長い髪の毛をふわりと掻き揚げた時だった。
「号外、号外だよー!!あの殺人事件の真犯人、まさかの市議会長自殺発覚!!さぁみんな、もってけドロボー!!」
新聞社の号外のようだ。
怒号のような掛け声に、わいわいと人が集まっていく。無料配布なのか、撒かれるように新聞が手渡されていった。
「ルート、貰ってきてくれ。」
「はいはーい。」
ルートは人ごみの中にするりと入っていく。そしてすぐに出てきたその手には、一部の新聞が握られていた。
「はいこれ。中身は見てないけどね。」
イレイスはルートから新聞を受け取ると、その場で開く。そして、特に驚いた様子もなく、皆に聞かせるような声量で読み上げ始めた。

『3月10日 09:17頃
 リューン市議会議長と不動産業ケイト・アドラスト氏の遺体が市議会議長宅の倉庫で発見された。
 ケイト氏は首や心臓などを数箇所刺され死亡。市議会議長は天井より首をつった状態で発見。
 その足元には遺書も残されていた。遺書によるとケイト氏にあることで強請られていたと発覚。その詳細は治安隊が発表していないのでいまだ不明』

「…おかしくない?」
ぽつりとつぶやいたのは、ルートだった。
「ああ。アシュレイの手紙が事実だとしたのならば、この二人も殺されたということになるな。」
イレイスの言葉に、ぴくりとうなだれたままの青年が息を吹き返したように声を上げた。
「あ、アシュレイの手紙!?僕にも見せてください!!」
「…て、いうか、なんで君がここで沸いて出てくるかな?」
蜘蛛の糸に絡めとられたままの青年を、ルートが見下す。青年はいてもたってもいられないというように、言葉を継いだ。
「だ、だって僕は…」
「クリュー、だろ?」
イレイスの言葉に、青年、もといクリューは驚いたように眼を見開く。
アシュレイの手紙にもあった、一人の聞き覚えのない名前。
『愛するクリュー』と、一番初めに書かれていたようなものだから、きっとそれ相応の関係なのだろう。
「手紙を読めばわかっただけだがね。」
「……はぁ、ならば早く見せてくださいよ…」
クリューがため息をついたとき、再び彼の頭3mmの地点を魔法の矢が射抜いた。しかも先程よりも威力は強めだ。
おもわず、ひ、とクリューは声を上げる。
「お前まだ自分の立場がわかっていないみたいだな?」
先程よりも笑顔を深く浮かべて佇むイレイス。クリューの額に冷や汗がつうっと流れる。
「ちょ、ちょっと待った兄貴!!流石にそれはいくらなんでも・・・!!」
大慌てで止めに入るブロウ。
「いやあのさ、ぶろりん、仮にもその人さ、君を殺そうとしてたんだよ?」
ルートがとなりでブロウの寛大さ加減にため息をつく。
「それに、お前…コイツに手紙を見せるということは、間違いなく話は前進するぞ?
 本来私たちはブロウを釈放するために動いていただろう。今、真犯人が見つかった以上それも叶った。
 これ以上首を突っ込んでも碌な事にならんとは思うが…お前は、どうしたいんだ?」
いつになく真剣なイレイスの声。その眼差しの先には、ブロウ。
真実を知り、その裏側までも知ってしまうか。今、全てを忘れ去りなかったことにしてしまうか。
選ばせているのだ。
「俺、は…」
くるりと、仲間を見回す。皆がこちらを向いていたが、眼が語っていた。―…どちらを選んでも反対しない、と。
ブロウは決心したようにイレイスを見る。
「俺は、真犯人を見つけたい。放っておけない!…それに、記憶も不完全なままだしさ。」
自分を陥れて。自殺に見せかけ人をあやめ、さらにはその人に罪を全て隠して。
どんな人間なのかは、わからない。けれど。
そんな人を、見てみぬ振りできるほど、ブロウは器用でもなかった。
「そう、か。お前がそれを選ぶならば、それでいい…だろう?」
イレイスの問いに、他の一同も黙って力強くうなずいた。
「じゃ、そういうわけで、読んでいいぞ。」
そういって、転がったままのクリューの目の前にぽんと手紙を置くイレイス。
戸惑いの視線のようなものが、イレイスに向けられる。まだ、蜘蛛の糸に捕らえられたままなのだ、彼は。
「どうした?見ないのか?蛆虫のように地に伏したままだと読めないというのか贅沢者め。
ちょおぉぉっとぉー!!!
イレイスの言葉に制止をかけるブロウ。
クリューとイレイスの間に割って入る。
「リーダー権限発動!せめて解いてあげてください!
ば、と手を上げて宣言するブロウ。イレイスは露骨に嫌そうな顔を作った。
「…あの、ブロウ。もう一度言いますけど、その人貴方勘違いで殺そうとしてたんですよ?」
セツナが、ルートの言った言葉をそのまま繰り返す。
「で、でもさ…勘違いってわかってくれたみたいだし……もう、いいだろ、な?」
お願いするように、ブロウが言う。
その優しさに後ろでクリューがそのときうっすらと涙を浮かべていたとかいなかったとか。
「…だからお前は冤罪でつかまるんだろうが。」
イレイスはためいきをつきつつも、ぱちりと指を鳴らす。すると、不可視の糸はまるで空気中に解けるように霧散して消えた。
「あ…す、すいません…なんか…」
クリューは立ち上がりつつ、ブロウに謝罪する。
命を狙っていたはずの人物が味方になってくれていたのだから、当然の行いだ。
「いいよいいよ。結局なんにもなかったんだしさ。」
ブロウは地面に落とされた手紙を拾い上げると、クリューに手渡す。
その相変わらずのお人よしさ加減は、今だ健在。
「ありがとうございます・・・」
クリューはその手紙を受け取ると、眼を通していく。そして、その表情はやがて驚きにへと染まっていった。
「アシュレイが…夜の仕事をしていたなんて…」
読み終えた、手紙を折り目に沿っておる。その表情は、いつになく暗かった。
「知らなかったんだ…」
「はい……」
悔やむような表情を浮かべ、手紙をブロウに返した。
「さて。それを読んだ責任だ。どんな些細なことでもいい。情報を教えろ。」
「は、はい!僕にわかる程度のことであれば…」
クリューは先程までとはほんの少し違った態度をとる。
警戒心、というか、敵対心のようなものが薄れてきた所為だろう。
「といっても、コチラが聞くのはたった一つ。アシュレイに不審な行動はなかったか?」
「不振な、行動…」
イレイスの質問に、クリューは少しだけ思い悩む。
夜の仕事をしていることさえ黙っていたのだから、あまり身の回りのことを語られていなかったに違いない。
無駄だったか、そうイレイスが思ったとき、クリューは何かを思い出したように短く声を上げた。
「殺される日の前の晩でした…たしか、アシュレイは有名人に会うといっていました…時間は何も言ってませんけど、そうだったとしたら真犯人も有名人…」
「…ふむ。そうか。」
イレイスは、クリューの発言をさらさらとメモに書きとめる。
「あ、そういえば、あの指輪、この人のじゃないんですか?」
セツナがぽんと手を叩いた。
「そういえばそうだな…これ、一応返しておくぞ。」
イレイスが懐に手を入れ、捜査開始一日目に廃墟で見つけた小さなリングをとりだす。
そしてそれを、クリューの手の上にポンと置いた。
「これ、は…」
クリューの瞳が、いままでにない以上大きく見開かれる。
「せっかくのプレゼントが、遺品なんて笑えない話ですけれども。コチラには必要ありませんし、もっていてください。」
「…、ありがとうございますっ…!!」
小さなリングをぎゅっと大事に握り締め、クリューはコチラに頭を下げる。仇をとりに来た事といい、よほど愛していたのだろう。
「さて、と。私たちは殺害現場に行ってみようかね。」
イレイスが行動を起こす傍で、ブロウはクリューを見つめていた。
愛する人が殺されて。でも自分はどうにも無力で。残していった思い出のカケラにより縋るそんな哀しい姿をしている人物。
「……こらぶろりん。ぼさっとしない!」
ルートがブロウの背中を勢いよくばしんと叩く。
その衝撃でブロウは我に返ったのか、きょろきょろと周囲を見回していた。
「ぇ、あ、ゴメンッ!」
そして、大分先にすすんでしまったイレイスの姿を追いかけていく。
「ていうか、市議長の家って何処なんだ?俺知らないんだけど…」
「木苺通りですよ。門構えが立派な御宅です。」
一同は、殺害現場でもある市議長の家へと向かっていく。


しばらく歩いて、青葉通りの出口が見えてきた頃。一同は見覚えのある姿が眼に入り、足を止めたのだった。
「釈放、おめっとさん。」
ひらり、と手を振ってきたのは、 茶色い髪を短く後ろでまとめた大人の男性。
グレイシー・オードリーだった。
「ぁ、グレイシーさん!ありがとうございます!」
「いやいや、別にこっちも心配だったしな。…ところで、お前さんたちは一体何をしているんだ?」
そういうとグレイシーは訝しげに一同を見る。ブロウが釈放されたのにまた青葉通りから出ようとしているのだから、わからなくはない。
しかも、比較的裕福な人間の集まる木苺通りの方へ足を向けているのだからなおさらだろう。
「真犯人を捕まえるんです!」
ぐ、と拳を作って、ブロウは意気込んだように答えた。
瞬間、グレイシーの顔がしかめ面へと変化する。
「何を考えてると思ったら…俺はあんまりそういうの感心しないな。冒険者たるもの、余計なことには首を突っ込むなって…何度言ったんだか…」
さらにはため息をつくグレイシー。
余計なことに首を突っ込みまくってるブロウという人物を知っているからこその表情だ。
その態度に、微妙に共感めいた表情でイレイスは見ていたとか。
「う…で、でも…俺は…」
「まぁ…それでもお前は探すんだろうが…本当、金にもならんことを追いかけてるといつか死ぬぞ。」
「……はい。」
死、という最大の現実を押し付けられ、ブロウはうなづくしかできなかった。
実際ほんの十数分前にも刺し殺されそうになったこともあり、反論ができなかったのだ。
そんなブロウに、グレイシーはふっとその表情を和らげる。
「なーんて、な。説教じみた話、俺にする資格もなけりゃ似合わん。…じゃ、俺は死に分かれた恋人の墓参りでも行って来るさ。」
「えぇ!?そんな人いたの!?初耳なんだけど。」
真っ先に驚きの声をあげたのはルート。
「そりゃぁ、誰にも言ってないし。20年前ほどに、な。」
暗いはずの話題なのに、グレイシーはまるで日常のことのように話していた。
だからこそ、だったのかもしれない。ルートは、余計に首をかしげていた。
「でもさぁ、普段の行動見ててもぜんぜんそれっぽくないよ?」
はは、とグレイシーは笑い声を上げる。
「昔から言うだろ、女に甘い言葉をかけるのは男としての社交儀礼だって。なぁ、シンヤ?」
「…残念ながら、聞いたことないぞ…」
もう一度グレイシーは笑ってから、歩き出そうとする。
「あの…、どこの墓地なんですか?」
「リューンから、ちょい北に行ったところの岬。今日が、命日。」
お前のことも、報告してくるよ、とだけ言ってグレイシーは再び歩き出し、去っていった。
「…さ、行くか。」
イレイスを先頭にし、一同も木苺通りへと歩いていく。真犯人を、探し当てるために。


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