子供狩り
森の中を、どんどん進んでいく。
ルートは言葉どおりに足跡を追いかけ、そしてそれにはぐれないようにメンバーもついていく。
決して深くは無い森だったが、いかんせん時間が遅い。普段はどの程度かはわからないが、村の暗さと相まって、とてつもなく深い深いものに感じ取れた。
「子供の誘拐……」
道中、ブロウが呟くように声に出した。
「山小屋で聞いた童謡と、何だかかぶるな……」
「ですが、あの老婦人の話ではずっと昔の話なのでしょう?今回の件とは、無関係ですよ。」
「……そう、だよな……。」
引っかかるところがあるのか、ブロウの返事は歯切れが悪いものだった。それと同時に、ルートが泉の傍でぴたりと足を止める。
「ルート?」
すぐ後ろにいたシンヤが声をかける。しかし、ルートはくるくると周囲に視線をはわし、地面をたどるばかりだ。
そして、すぐにひとつの結論に至ったのか、振り返ったときの表情は珍しく笑顔が無かった。
「ごめん。見失っちゃった。他の動物の足跡が多すぎて、まぎれてる……」
ルートが地面を指差した。此処はおそらくさまざまな動物の水のみ場だったのだろう。
午前だけでも相当数の往来があったらしく、完全に馬の蹄は掻き消えていた。
「…そんな!」
ブロウが驚きの声をあげる傍で、イレイスは口を閉ざしたまま森全体を見渡していた。
生い茂る木々の遠く、尖塔が突き出しているのが、彼には見えた。その方向にもしかしたら、城でもあるのかもしれない。
「……?なにか、気配が―…」
「どこどこ、どの方向?」
セツナの声で、さっとイレイスは意識を下に戻す。
ちょうど、セツナが指した方向をルートが調査のため近づいているところだった。
そして、それと同時にそばの茂みが動いた。『それ』は冒険者を確認し、ずんぐりとした体躯をのびあがらせる。
「熊ぁーっ!?」
驚きの声を上げたのは誰でもない、ルート。
牙を出して威嚇の雄叫びを上げながら、熊は一番近くに居たルートに襲い掛かる。
「ちょ、タンマタンマーっ!!」
ルートは振り上げられた熊の一撃をバックステップで避け、その勢いのままバク転、後ろに下がる。
「ルートッ!」
ブロウが剣を抜こうとするが、それより先にセツナが動いた。
彼の武器であるクォータースタッフを手にせず、彼は熊のほうへ手を開いたまま向ける。そしてその手をくるりと指を動かし軽く握りこぶしを作った。
瞬間。
『グルォァアアアアー!!』
熊の絶叫が、森へと響く。なぜなら、その巨大の体躯の中心に漆黒の巨大な針が貫いていたからだ。
すぐに針は掻き消えるが、熊を死に至らしめるには十分なダメージが与えられたようで、支えを失ったと同時に熊はどさりと地に伏した。
その巨大な体からは赤い液体が流れており、致命傷―…いや、既に絶命しているだろう。
「ふひぃー、ありがとせっちゃん、流石だよー♪」
「ちゃんと警戒していないからそうなるんですよ。」
ルートの明るい声に、セツナはため息を持って返す。
「……ま、これで脅威はさりました。どうしますか、リーダー?」
セツナがブロウのほうに視線を向ける。見失った足跡。手がかりの無い状況。まだ誘拐されたとは決まっていないが、さらわれた少女。
だが、そのことは、今回の依頼について関係あるかと問われると、ブロウはわからなかった。
「依頼人は、あいまいに村を救ってくれ、と言っただけだったが―…調査をしてみたら、これだ。」
イレイスが、誰に話すでもなく語りだした。おそらく、まとまらないブロウの思考の手助けとしての弁だろう。
「偏狭の村で同じ時期。二つの事件が平行して起こるとは思えない。関連があるのではないか。」
「…でも、手がかりがない。」
イレイスの言葉に、ブロウが付け足す。
「だからー、村長さんをさくっとやって白状させようよ。それが一番だって。」
ルートが平行線のまま何も成果が得られない調査に飽きてきたのか、体をゆらゆらと退屈そうにゆらしていた。
「いや、だからあのなぁ……。」
ブロウが呆れ顔を作る。イレイスはそんなルートにひょいと肩をすくめると、言葉を続けた。
「……村長だけではなく村人もある程度の状況は知っている。」
イレイスは、村への道のほうに踵を返す。
おそらく、ここに居ても何もえられるものがないとわかっている彼だからこその行動だろう。
「その根拠はあるんですか?」
セツナの問いに、イレイスは振り返って答えた。
「田舎の性質を知っているか?『隣の子が風邪を引いた』その程度のことが村中のうわさになる。
こんな閉鎖的な村で何か異常が起こったなら――、一人で隠し通すのは、至難の業だ。それも、子供一人がいなくなるような事件でだぞ。」
彼の言葉でブロウでも思い当たる節でもあったのか、何か感づいたような顔になった。
「こうした田舎では、横のつながりが強い。貧困と戦うためにそうなってるところもあるけど―…!」
「そういうことだ。時間も無い。なんとか村人を捕まえて、事情を聞きだしてみるべきだと私は思うがね。」
ブロウの瞳に、決意が宿る。視線はまっすぐに、村のほうへと向いていた。
「ああ―…行こう!」
そして、森から村へとくいだおれ一同は歩いていくのだった。
森もようやく抜ける―…そう、思ったときだった。
「―…ッ!」
とっさにルートが異様な気配を察知し、一番前へと躍り出る。
それが合図となったのか、イレイスは短めの詠唱を唱えた時―…前方から、風切り音と共に矢が数本、前列の方に居たイレイスに向けて立て続けに飛来する。
イレイスはまったく動じずに指を鳴らし、唱えていた魔法を発動。数秒だけ発動する打撃を完全に防御する透明な壁を出現させ、矢を全てはじいた。
「誰です!」
セツナが前方に目を向け、叫ぶ。其処には、3人の男の影が奥へと走りぬける姿が目撃できた。
「せっちゃん、任せて!」
ルートが駆けると同時に壁が効力を失い、消去。
そのままルートは盗賊の足を生かして3人のほうへと走りぬける。
「追いかけよう!―…兄貴、大丈夫か?」
「ああ。あんなもの、魔法を使うまでも無かった。…技量が足りないところを見ると村人だな。」
そういって、残りの4人は走り出す。あちらは普段荒事に慣れていない村人。そしてこっちはそういう道のエキスパートの冒険者。
多少地の利は向こうにあるかもしれないが、絶対的経験地は明らかに此方のほうが大きい。
だが、先に行ったはずのルートはほんの十数メートルのところで足を止めている。
「ルート、どうした―……あ。」
すぐに追いついたブロウがルートに声をかけて、足を止めていた理由を理解する。
というのも、村人の男性が、足を庇うようにしてルートの目の前でうずくまっていたのだ。
「一人どじったみたいでね。おいかけんの面倒くさいから、この人でいいよね?」
ルートは一応男の行く先を阻むようにして立っているが、足を負傷している男には無意味なように思えた。
おそらく、木の根かなにかに足をひっかけ、逃げ遅れたのだろう。その手には弓矢を握っており、先程攻撃してきた人物と考えて間違いない。
「…私を狙ったりするから、こんなことになるんだぞ。」
悠々と歩いてきたイレイスが男性の右側に立つ。その口はにやりと邪悪めいた笑みを浮かべており、向けられた当事者でなくても少し怖い。
「さて、吐いていただきましょうか。どういうつもりですか?」
セツナが男の左側に立ち、完全に見下した目を向ける。
子供・女性のような男性・身長の低い男性 に三方向を囲まれる青年。見た目はそんなに恐怖や畏怖を感じないのと、暗がりでよく全員の表情が見えないせいか、男性の表情にはまだ余裕があるらしく、ぷいと軽くうつむくように下を向いた。
「誰が……あんた達なんかに……」
だが、冒険者に囲まれている、という身の危険は感じているのだろう。口は堅くとざしているものの、その顔には冷や汗をかいている。
イレイスはそんな男の態度にククッと楽しそうに声を出さずに笑うと、視線をルートの方に向けた。
視線を受けたルートもにっこりと笑顔を浮かべる。どうやらアイコンタクトは成立したらしい。
「ちょ…っ、ちょっと、兄貴?」
ブロウがその雰囲気に嫌な予感を覚えたのか、割り込むように話にはいる。
イレイスはそんなブロウに向かって止まるように手で指示を出すと、そのまま言葉を続けた。
「大丈夫だブロウ。全て私に任せておけ。」
だからその全て任すと色々心配なんだけど、特に男の人の今後の人生とか。……などと、ブロウは思ったがもう口に出さないことにした。
おそらく矢を向けられたことで彼は多少なりとも頭にきているのだろうから、此方の意見など聞きはしないことがわかってるからだ。
シンヤのほうに目をむけてみるものの、シンヤも同様の事を思っているのかゆるゆると首を振っていた。
「…さて。」
まずイレイスが話を始めた。その表情には、感情はまったくこもっていなかった。
「おとなしく吐いてくれなければ痛い目を見る。道理だな。此方は少しでも情報が欲しい。理解できるだろう?」
イレイスの淡々とした言い分に、男はびくりと眉を跳ね上げる。
だが、イレイスは男が口を開く間も考える間さえも与えず、どんどんと話を続けていく。
「冒険者なんてやっていると色々な知識が身につくものでね―……例えば。
どんなに鍛えても痛みの体性をつけることのできない場所があるということ、とかだな。」
イレイスはそこで直立だった姿勢を曲げ、少しだけかがんで男の視線に合わせる。
顔を近づけて、冒険者として―…いや、一人の人間として垣間見せる狂気を見せるため。
「指と爪の間。眼球、足の裏。そんなところを責められたら大の大人でも泣き叫ぶそうだぞ。試してみたいと思わないか?」
そういって一切変えなかった表情を、少しだけ口をつりあげ、笑ってみせる。
同時に、男性の顔におびえのが走り、とっさに後ずさろうとするが、背後に立ったルートがそれを許さない。
男性が振り返るとルートも同様ににっこりと笑って、男性にだけ聞こえる声でささやくように、一言告げる。
「……ふふっ、だから、簡単に吐いたりしないでよね?」
男性の顔がさらにこわばる。どうにかして逃げようと思うが、ルートが見た目によらない力で背中を押さえつけている。
それがわかったのか、男性は途方にくれたように、イレイスの顔を再び見あげた。
イレイスは曲げた体を再び直立に戻し、再びひとりよがりの解説をはじめる。
「先程の話の続きだが―…拷問による道具、なんてものはどこにでもあるんだ。」
そして何かを探すように周囲を見渡し、目的のものを見つけたのか、数歩歩いた後に地面に手を伸ばす。
その手には、先端部分が鋭利な木の枝が握られていた。
「…これで、皮膚の薄いところをやられたら、どんなふうになるんだろうな?」
くす、と狂気に満ちた、かつ恍惚とした笑みをイレイスは男に浮かべる。
「……お前も、泣き叫ぶかな?」
「……ひ、……ッ…」
イレイスはその表情のまま、男にゆっくりと近寄る。
男性はただただ声にならない声を上げて首をぶんぶんと左右にふるが、ぎゅっと固定された背中はぴくりとして動かない。
「さぁてと、何処を苛めてやろうかな?ここ?」
つん、とイレイスが男性の首筋を刺す。
「あはー、甘いねいっちー。どうせなら眼球どーんでいいじゃん。」
ルートがにこにこと笑顔を浮かべたまま、笑い声とともに意見を入れる。
男はそんな二人のやり取りに声をだせない悲鳴のまま、ただ顔を青くしてぶるぶると震えるだけだ。
そして、三方向を囲んでいるにもかかわらず、じっと喋らないセツナのほうを藁をも掴む思いで見上げる。
セツナは男性の視線を受けて穏やかに笑みを浮かべた。
「……オレならば、口内から貫きますけど……ああ、しゃべれなくなってしまっては意味が無いですよね。」
口調は穏やかなものの、その内容はグロテスク極まりない。
「ひ…ひーっ!!ひいいい!!!」
3人のドSに囲まれた男はついに情けない声を上げると、頭を抱えてうずくまってしまった。
「あっはははー。なっさけなー。まーだ何にもやってないのにガタガタ震えるなんて。それでも男なの?」
けたけたけた、とルートが男にとっては非常に耳障りとも思える高い声で笑い出す。
もちろん、それは少年の素の声なのだが、今の男性の精神状況においては恐怖の対象でしかないのだ。
「ルート。コレは男じゃない。……ただの雄だ。そう、一匹のタダの獣だな。」
ひょい、と肩をすくめるイレイス。
「あ、そうだねー。獣だねー。じゃ……何やっても大丈夫、だよね♪」
ルートがさらに笑顔を深め、押さえつけている背中の手の力をぎゅぅ、っと込めた。
男の顔が、絶望的なものへと変わる。
「ひいいいいいいーっ!!!」
もう、脅すには十分、というかぶっちゃけおつりが来るぐらいだろう、とシンヤは傍で見ていて正直に思った。
しかし、そうなっても一向にやめる気の無いらしく、むしろ実行しそうな勢いを保ったままの3人は相変わらず男を囲んでいる。
そんなある種断崖絶壁に立たされたようなな状況についにリーダーが立ち上がった。
「ちょ、ッちょっとちょっとちょっとぉぉーッ!!!!」
ざしゃあ、と短距離スライディングで滑り込み、まだ微妙に開いていたイレイスと男の間に割って入る。
「ん、どうしたブロウ?今、尋問中で忙しいんだが。」
さわやかな笑みを向けるイレイス。その手には鋭利な枝が握られたままでもうホラー以外のなんでもない。
「違う!これ、尋問違う!!拷問!!もう、拷問の域に入ってるッ!」
ブロウの言い分にイレイスは軽やかな笑い声を上げた。
「お前、拷問の定義を知っているか?『肉体的苦痛を与える』だぞ。私はまだ殴りもしていないが。」
「うっさい!爽やかに言うな!どう見てもやり過ぎだろーがッ!!」
ブロウはイレイスを怒鳴りつけると、男のほうへ向き直る。
イレイスはその背後でやれやれという風に肩をすくめ、首を緩やかに振っていた。
そしてブロウは男の方にかがみこんだとき、その背中が押さえつけられたままということに気がつく。
ブロウはその手がルートから伸びていることを知って、軽くため息をついた。
「……ルートも。手を離すんだ。」
「えぇー。いいじゃん。減るもんじゃなしー。」
ルートがつまらなさそうに言うが、其処に手を置くことで確実に男の精神は磨り減っている。
「いいから。リーダー命令だ。」
「はぁーい。」
ルートはそういうと、男の背中から手を放し、セツナの隣に立つ。
セツナはというとブロウが割り込んできた時点でこうなることを予測していたのか、すでに数歩下がった位置に立っていた。
「なぁ、アンタ……えっと、ゴメン。やりすぎた。大丈夫か?」
ブロウが諭すような口調で話し出す。
男性はその声でわずかに顔を上げるが、震えと冷や汗は止まらないようで、まだ顔が青白い。
「とりあえず―…信じてもらえるかわかんないけどさ、俺は、アンタを傷つけたくないんだ。できれば平和的に解決したいから―…頼む。」
ブロウの言葉に、男は疑いの目を向ける。
そりゃ、同じ仲間っぽい人間にあそこまでいびられたのだから、すぐに信用してくれというのはぶっちゃけ無理な話というのはブロウもわかっていた。
「……教えてくれたら、俺の命に掛けて絶対にさせないことを誓うよ。」
ブロウは真剣な目で、男を見つめる。男はブロウの気持ちが伝わったのか、わずかに迷いの目を向け始めていた。
「大丈夫。さっきだって止めてみせただろ。ちょっと信用してくれってのは、虫がいいよな……
うーん、そうだ、話を聞いてくれるだけでもいいんだ、だめかな?」
ブロウが人懐っこい笑みを浮かべる。男は、彼に敵意は無いことがわかったのだろうか、少しだけ安堵の表情を見せ始めた。
「さっすがぶろりん。手馴れてるねー。」
少し離れた位置でルートが緊張を解きはじめた男の顔を見て、セツナに話しかけていた。
もちろん、余計な刺激を加えないよう音量を最低ラインにしている。
「まあ、あの人は考えてやってませんからねぇ。本当に心から言っているから余計聞き入れるんでしょう。」
セツナは、いやに人に好かれるリーダーを思い浮かべつつ、答える。そんな実況と解説を入れている間にも、ブロウによる男への説得は続いていた。
「……あのさ、セシルって女の子が姿を消したんだ。」
「……ッ!!」
男性は、ブロウの言葉に反応し、息を呑んだ。
彼はブロウを見上げ、次の言葉を待っているようにも見える。
「人形だけが、その場に置き去りにされてたんだ。俺さ、あの子を助けたいって思ってる。だから―…あの子のことを少しでも教えて欲しいんだ。」
その言葉に嘘は無い。助けたいというのは、ブロウの本心だった。
連れ去って、何をされるかだなんて想像はできないけれども、碌なことではないという事だけはわかっていた。
男性はそんな彼の気持ちを多少なりとも絆されてしまったのか、ぽつりと誰に言うでもなく口を開く。
「……俺の、末の弟は……セシルのことを好いていた……。」
そういった男性の瞳は憂いに帯びていた。そして、同時にあきらめたようなため息が、彼の口から吐き出される。
「……そっか……。俺、アンタの弟さんには会ったことないけどさ。きっと、この事を知ったら悲しむと思うよ。
さっきも言ったけどさ、信用してくれってまでは言わない。つか、言えない。
けど、俺たちは少なくとも、村を救ってくれって依頼を受けた。だから、俺は力の及ぶ限りこの村のためにアンタ達を助けたいんだ。」
ブロウが、男性の投げ出された手をとる。
男性は一瞬だけ体を震わせたが、その瞳にはおびえの色は既に無かった。
そのまま男性はブロウの視線から逃げるようにうつむいたまましばらく葛藤し―……そして、顔を上げた。
「…わかりました。貴方を信じてお話します。どうか、この村の子供達を―…セシルを、救ってください。」
その言葉を皮切りに、男性は今の状況と自分が持っている情報を切々と話し出した。
もちろん最初に、矢で狙ったことを詫びてからだった。冒険者が介入すると事態が悪くなると考えてのことだったようだ。
「この村は……子供がさらわれています。
時期は、去年の秋ごろからでしたが、さらわれたのはセシルだけではありません。近隣の村を合わせれば数は馬鹿らしいほどにもなりますから。」
男性の言葉に、ブロウは驚きの表情を作る。
「なっ……なんで、もっと早く、冒険者に依頼なりなんなりすれば―…」
ブロウの言葉に、男性は悔やんでも悔やみきれない、という表情を作った。
どうやら、かなりワケありのようだ。息をひとつ吐き、男性は話を続けていく。
「それが―…できればよかったんです。私達は本当に子供達がさらわれていくのを文字通り見ていくことしかできなかった。
堂々とさらわれていくのを、本当に見ることだけしかできなかった―……
なぜなら、子供達をさらっていくのはこの土地の領主、オーギュスト様だったんですから……。」
領主。
また厄介な相手だ、とイレイスが離れた位置で眉を潜める。権力を敵に回すと自分達の今後の生活が危ぶまれる可能性が高いからだ。
「……領主自身……。」
ブロウもそれが何となく理解しているのか、少しだけ困ったような視線をイレイスに向ける。
もし、これが「彼一人」にのみ責任が掛かるのなら何も考えずに突っ走っただろう。
しかし今は『仲間』がいて団体行動。危ない橋を渡り、崩れたときが怖い。
「その、領主というのはどういう人間だ?」
イレイスが離れた位置から、男性に質問を投げかける。
男性はまだ先程さんざん『尋問』された余韻が残っているのか、びくりとわずかに肩をふるわせてから答える。
「あ、はい……オーギュスト様は、とかく蛮勇で知られたお方でした。
しかし、その弟君が乱心し、国王に切りかかったとかで、処刑されて。オーギュスト様自身も地位を剥奪され、財産の多くを没収されてしまいました。
いくつか所持されていた城も、情けのように一つ残されたのみです。この森の、東の方にあります。」
「……あれか。」
男性の言葉に、イレイスは思い当たる節があったのかポツリと呟く。
「え?いっちー、森に入ったけど城なんてあったっけ?」
ルートがきょとんと首を傾げる。
探査をするのは主に少年の役目だから、自分が知っていないのが不思議だったのだろう。
「泉に差し掛かったとき、見上げたら城の尖塔が見えたんでね。直後お前が熊に襲われたものだから、気に留める程度にしておいただけだ。」
まあそれはさておき、とイレイスが続ける。
「お前が言うことを信じるとすれば、その『領主サマ』とやらに権威は無いのか?」
イレイスの確認に、青年が二つ返事で答える。
「あのお方は既に地位を剥奪されていて……厳密にはもう領主ではありません。」
もっとも、領主に何があったかは詮索するところではないが、もともと立場の弱い地方出身ではなく、
蛮勇とまでいわれた人物がこのような偏狭の地に飛ばされている時点で確定したようなものなのだが。
「だったらさ、抵抗しちゃえば?相手は一人、こっちは大勢なんだからさ。数の暴力で押し切れるじゃん。」
ルートが珍しく至極もっとな意見をいうが、男性はとんでもない、という表情を作る。
「それは、表立っては全ての地位を無くし、平民扱いになっておられますが……
御国はその武勲を無視できなかったのでしょう。一城とこの貧しい村をあの御方に残しました。」
「……つまり、実際はこの村の支配権を握っている、というわけですね。」
セツナの言葉で、男性がうつむく。村人にとって、領主というのは神にも等しい存在だ。
逆らうことなど、天地がひっくり返ったとしても考えられなかったのだろう。
ルートの先程の意見も、結局は道を自ら切り開いていく冒険者の観点からであって、成されるがままの村人には霞んで見えるほど遠い考え方だ。
「でしたら、国自身に訴えればいいでしょうに。」
「それも、無理でしょう。この村は、御国から最期の情けとして贈られた褒美ですから……」
いけにえのように捧げられ、捨てられた村。搾取されることに慣れきってしまい、全てを諦めてしまった村人達。
その光景が、目の前の男性一人ですべての縮図として手に取るようにわかる。
そもそも、地方のごたごたに介入する国などないことなど、質問をしたセツナ自体わかっていた。
しかし、自らの運命を悲観したまま受け入れるだけだなんて、彼はそれが心のどこかで許せなかったのだ。
「……世界は―…自分の物差しで決まる。ここの村人にしてみれば、小さな村と領主だけが、全てだ。」
めずらしく険しい顔をしているセツナに、イレイスが言葉を投げかける。
セツナは、彼に一言『わかっています』とだけ投げかけ、そのまま押し黙る。
理解してるけど、納得はできていない。そんなセツナに、イレイスはひょいと肩をすくめていた。
「そういえばさ……俺達に、依頼してきたあの人は……?」
ブロウは、黙っていた口を開く。領主と村人の関係など、自分にはあまり察することのできないものだったが、閉鎖的には見えた。
彼自身ちょっと田舎育ちだったがため、この状況で一人行動するというのがどのくらいありえないことかは想像がついていたため。
しかも―…実際に、殺されている。
「……彼だけが……助けを求めるべきだと……いくら領主様でも、こんな横暴がゆるされるはずがない、と。私達は、彼が恐ろしかった。」
たとえ何をされても、奴隷のように働いて耐え忍んで。初めから最期まで疑うことはあっても声すら出せずに死んでいく。
それを全員受け入れていたからこそ、恐怖の対象となったのだろう。
「それで、何を言い出すのかと……あせった村人達は村長の名を受けて……彼を襲いました。
私はそれに従っていませんが、村人がそうしているのを見過ごしていたわけですから、同じことです。」
そういって、男はわずかに涙ぐむ。襲われて、それでも自分の愛する子供がさらわれるのを見ていられなかったのだろう。
まさに決死の想い―…そして、しかも行動に結果が出ているのだ。実際に、冒険者がここに集まり、調査をし始めているという結果が。
「……私達のしていたことはやはり…間違っていたのですか……?」
「さあな。間違い正解など所詮結果論だ。ブロウ、もう情報収集もいいだろう?」
イレイスが声をかける。確かに、もうこの男に聞くべきことはあらかた聞いた。
「あ、うん。ありがとな、アンタ。あと……必要以上に脅かして悪かった。本当、ゴメン。」
ブロウは立ち上がり、振り向きざまに男に頭を軽く下げる。
脅かしたのは彼の本意でもない上、一部有志の行動だったのでブロウが謝るのは筋違いというものなのだが、それでも気になっていたのだろう。
「……ぶろりん、マメだよね。」
「誰のせいだと思ってるんだよ。誰の。」
ルートが再び先頭を歩き出す。事件の黒幕はわかった。あとはもう、その根城に突撃するのみだ。
「……待ってください!」
進もうとしたそのとき、座ったままの男が声を上げていた。一同が、振り向く。
「あの、あなたがたは……やはり、オーギュスト様を……」
そこまで言って、男は口を噤む。脳裏に浮かんだ質問は、村人にとって声に出すことすら恐ろしいのだろう。
「…そこまでは、わかんないけどさ。俺は只依頼人が望んだように、依頼を完了する。それだけだ。」
しっかりとした口調で答えたのは、パーティのリーダーであるブロウだった。
なんだかんだいって自由なパーティだが、やはり最終的には彼の意図に依る。
彼が望めば剣を抜くし、説得もする。もちろんそれ以外のことも。
「そうだな。領主といっても建前だ。戦うことになったとしても、後腐れは無いだろう。」
「……って、戦うの前提かよ!」
ブロウがイレイスの物言いに突っ込みを入れる。
「だがなブロウ、偉人は言うぞ?『攻撃は最大の防御だ』とな。」
「そうそう、殺られる前にぶちのめせ!ってね!」
「……お前らなぁ。」
ブロウが軽く肩を落とすその端では、男が理解できないといった目つきで見ていた。
神にも等しい領主を、酒を飲んだ勢いで女と戯れるように蹂躙しようというのだ。少なくとも、正常には見えない。
「…そんな、オーギュスト様を……恐ろしい……」
相変わらずの物言いに、セツナが少しだけ苛々とした表情を浮かべる。
「……貴方達は、領主を慕っていたのですか?」
「ま、まさか。ただ、信じられないんです。逆らおうなどと、考え付く人が居るなんて……
私達のように塵にも等しい存在が、そんなこと、あっていいのでしょうか……」
セツナが男の言葉に対して返す言葉の代わりに盛大なため息をつく。
生まれたときから、いや、もっとそれ以前からこの村は虐げられてきたのだということが、容易に想像につく。
だからこそ、抵抗しなくてもいい、慣れきってしまってもいい理由などありはしないのに。
「俺にはさ、アンタは塵のように惨めな存在に見えない。」
ぽん、とセツナの肩にブロウの手が置かれる。
身長の低いセツナがブロウを見上げる形になるのだが、その視線が合ったときブロウは優しく微笑んでいた。
「は……い?」
「がんばって、がんばって今日を生きてる。一人の立派な人間だよ。だからさ、こんな状況に流されるのは変だって。
アンタが今の村の状況がおかしいって思えたらさ―…あの男の人が頼んできた依頼が本当に終わるんだと思うんだ、多分。」
男が、ブロウの言葉を聞いてハッとした表情で顔を上げる。
子供の無事を願ったのは、その将来はまだ光に包まれているから。
虐げられ、搾取されることに慣れてしまった疲れた大人たちでは持ちえない、希望を持っているから。
それを周囲に流されるようにして、その光を失わせていくのは誰でもない、自分達だ。
「俺達が成功したから正しいなんて証明は出来ない。けどさ。もし、上手くいったらもうちょっとくらい、前向きに生きて欲しいな、なんてな。」
ブロウが、にっこりと笑う。偏狭の村人では持ちえない全てのものを携えた、笑みだった。
「…ええ……そう、ですね……皆さん、どうか、お気をつけて……」
そういった男の瞳には、少しだけ光が宿っていた、気がした。
ブロウがそれに気づいて、もう一度だけ微笑んでから、城へと足を踏み入れるため、森へと向かって行った。
獣道のような道を、一同はただ進んでいく。セシルの身を案じるのもあり、いつの間にか駆け足になっていた。
「貴方は―…上手ですよね。」
そんな道中、ぽつりとセツナがブロウにもらした。
「何が?」
きょとんと、ブロウが首をかしげる。
「気づいていないのならば、いいのです。
いえ、むしろ―…気がついていないからこそ、良いのかもしれませんね。」
「え、だから、何がだよ。」
セツナの言葉に、ブロウは意味がわからない、とい首をひねったままだ。
そんなブロウにセツナは少しだけ穏やかにくすりと微笑む。
「そうですね……リーダーに向きすぎて笑えない、といった所でしょうか。」
「……なんかそれ、どっかで聞いたことのある台詞なんだけど。」
そうブロウが返したとき、ルートが声を上げた。どうやら、イレイスのいっていた領主の城の一部である尖塔が見えたようだ。
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