学園モノなんです!本当なんです!!
3時間目は楽しい楽しい体育の授業!
さーて、今日は一体皆で何をするのでしょうか。
ひろーいグラウンドの中央に、座っているのは生徒のみなさん。
何時2クラス合同でやる授業ですので、今回は魔王様先生のクラスと王様先生のクラスの皆が揃っているようです。
……あ!先生がやってきましたよ。
体育の先生は紫色のバンダナがとってもきゅーとなゴメス先生。
たくましい肉体の持ち主で、それはそれは運動がとっても得意なんですよ!
「今日はドラゴナス先生が原因不明の食あたりと言う事で、ワシが急遽授業をする事になった」
その言葉で、みんなどよどよ騒ぎます。やっぱりドラゴナス先生が心配なんですね。
「――というわけで、今日はちょっと特別授業じゃ。皆で鬼ごっこをやろうと思う。ほら、立て」
ゴメス先生の言葉に、生徒の皆さんが立ち上がります。
チーム分けでもするのでしょうか。
「ワシが鬼じゃからの。よいか、学園内であれば校舎内以外はどこでも逃げてよいからの。
それじゃあ、よーい……」
いきなり鬼ごっこといわれても、戸惑う生徒の皆さん。
さてどうしたものかなあ、と考えている間にもゴメス先生は話を進めていきます。
「どん!」
と、声を張り上げました。
瞬間、ゴメス先生のたくましい腕が真正面に立っていたブライアン君を捕らえます。
その動きたるやまさに獲物に食らいつくピラニアの如しです。
「え、うぉ!?」
ブライアン君は何が起こったかわからず目を白黒させています。
気がつけばゴメス先生の顔が眼下にあったのですから、無理もありません。
急いで離れようとしますが、がっちり掴んで離さないゴメス先生のホールドからは誰も逃れられぬのです。
「は、離せッ!?だ、誰か!たすけ――」
ブライアン君の悲鳴は、押さえ込まれてしまいました。
ゴメス先生の肉厚たっぷりの唇によって。
詳細を考えたくない水音とブライアン君のくぐもった悲鳴だけがしんと静まりかえった場に響き渡ります。
それが1分間ぴったりたっぷりと時間をかけて行われたのです。それはまさに――捕食であったと、後に誰かが伝えました。
開放されてどさり、とブライアン君は倒れこんでしまいます。調子でも悪いのでしょうか。
ゴメス先生はそんな彼など興味もない、というように生徒の皆の方に
「おっと、言うのを忘れておったわい。捕まった奴はワシからのディープチッスだからな。
一人捕まえるごとに20数えたら追いかけるから、逃げるんじゃよ」
何が起こったかわからないまま固まっていた生徒たちでしたが、ゴメス先生が
「いーち、にーぃ、さーん」
とカウントアップを始めたので、はっと我に返って蜘蛛の子を散らすように逃げていくのでした。
――…… さ あ 、 地 獄 の 宴 の 開 催 だ 。
「――うわああああああああ!!!」
やっと安心できる所まで離れられた――……そう思った瞬間、どこからともなくどこか聞き覚えがあるかもしれない悲鳴が響き渡ってきた。
「今の声――!?」
「新たな被害者のようですね」
あのとき、全員が一斉になりふり構わずちりぢりに逃げたものだから、クラスも友人もなにもかもがばらばらになってしまった。
突如上がった悲鳴にびくりと体を震わし、傍にいた恍惚なる闇の服のすそを反射的につかんだのはザック。
気がついたら逃げた方向が一緒だったので、共に行動を起こしている。
(……授業は50分。残りは45分。一人当たり1分間の処刑に加え、20秒のカウント。
一人を捕獲する時間を加えた上で、おおよそ計2分。単純計算で20人以上が犠牲になりますね)
「……こ、恍惚?」
悲鳴を上がった方をむいたまま動かない恍惚なる闇に、ザックが心配そうな声を上げる。
その表情は、目の前でいきなりおきた恐ろしい光景に完全におびえていた。
「いえ。何でもありません。安全に逃げるのであれば悲鳴のほうから遠く離れるべきでしょうが……」
そこで言葉を濁す。自分ひとりならばそれで安全圏は簡単に確保できる可能性が高い。
ゴメス先生がどういった行動をとるかは不明だが、単純に見つからなければ捕まらないだろう。
だが、それ以上に心をとらわれる事があるのだ。
「アルベルト……何処にいるんだろう……」
ザックがポツリと友の名を呼ぶ。
そう、恍惚なる闇もまた、気がかりな友人がいた。
(……。サモン)
この異様な授業にもしかしたら泣いてしまっているかもしれない。それならいい。
ゴメス先生の毒牙にかかる――…その光景を脳裏に描くだけで、言い様のない感情がわきあがるのだ。
ザックと行動できるのはある意味幸運だったかもしれない。
なりふり構わず逃げるのではなく、誰かを探すための危うい行動も彼ならば許容してくれるだろう。
「探しに行きますか?」
「い、いいのか!?」
「……。ええ」
そうして、隠れ潜んでいた場所から立ち上がる。
彼を利用する事になってしまうが、上手くザックを目立たせれば危険度はぐっと下がるはずだ。
――……授業残り時刻 40分
「――……あー、もー、マジないわ。本当夢だといってくれえ……」
情けない声を上げながら大きいため息を吐くのはダーエロ。
「悲しいけどコレ戦争なのよね、でゴザル」
その隣では上手く隠れているニンニンの姿があった。
「にしても、お前よく知ってたな……こんな場所」
「忍者の拙者でもなかなか解らない丸秘スポットでござるよ!」
そういって二人が居るのは立ち並ぶ部室倉庫の――…屋根裏。
運動部用に作られたそこは確かに校舎内ではないとギリギリ言えなくも無いので、ルール違反ではないだろう。
誰も存在を知らないのか、埃がたまりまくっているものの、立ち上がった所には換気扇があり、外の様子が伺えるようになっていた。
「俺のファーストキッスはヘレンたんにあげるって決めてるってのによ……」
「――だから、此処に隠れていれば安全でござろう?咄嗟の時にはそこから屋根に上がれるでござるよ!」
そうして、ニンニンが梯子が掛かっている天井を指差す。
そこは蓋になっているだけのようで、簡単に開く事ができるのだろう。
「そりゃお前ならこの高さから落ちても大丈夫だろうけど、俺そこまで鍛えてねーから」
「そういえばそうでござったなあ」
「……。ま、ここで見つかればもう何処に逃げてもかわらんだろうし……ん?」
外を見ていると、ちらほら逃げる王様先生クラスの人間ににまぎれて少しばかり見覚えのある姿があった。
グラウンドを横断しており、ちょっと―…いや結構危険なんじゃないか、とダーエロは思った。
「如何したでござるか?」
「……あー、今嫌な予感がした。どーすっかなぁ……」
ダーエロは小さく頭を抱える。ここにいれば安全だ。安全だが、一つばかり心配事がよぎった。
『彼』が居ないのであれば自分の親友は実に上手く危険ごとを回避するだろう。
もしかしたらここに潜んでいる自分よりも、だ。元々そういう知恵の回る男だ。
しかし、自分の身よりも大切なものがあるとすれば遠慮なく自身を簡単に差し出す人間だと言う事を知っている。
――だからダーエロは唸るような声を上げたのだが。
「……ダーエロ殿、その、嫌な予感とはなんでござるか」
ダーエロはゆっくりと立ち上がる。
やらないで後悔するよりも、やってから後悔する。ダーエロというのはそういった男だ。
「ニンニン、俺ちょっと恍惚探しに行って来るわ」
「恍惚殿でござるか?ならば拙者も……」
「行き違いになったらシャレなんねーからお前はそこに居ろって。……心配するな。すぐ、戻ってくるさ」
「それはフラグでござるよ……」
怪訝な目を向けるニンニンに、ダーエロは軽い調子でひょいと手を上げる。
「知ってて言った。……早々死のうとも思ってねーよ。じゃーな」
「だ、ダーエロ殿!?」
ニンニンの引き止める声を聞くそのまえに、ダーエロはさっさと部屋から出て行ったのだった。
――……授業残り時刻 35分
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ……」
度重なる全力疾走に息が荒くなる。
聞こえてくる悲鳴が近くなっている。
此処から早く逃げないと、逃げないと――奴が、追ってくる。
「サモン、大丈夫か」
たまたま一緒に行動できたアルベルトが苦しそうに息を切らすサモンに気遣うような声をかける。
サモンは一つうなづくと、何とか顔を上げた。
「まだ、まだ――……走れる、大丈夫だ」
「……。そうか」
その言葉は強がりだ、という事実をアルベルトは理解していた。
バリバリの体育会系の自分でさえも少し疲労を感じてきている。
運動が苦手で体力もないサモンがそんな自分と同じ運動量をこなしているのだ。
――既に限界といってもおかしくはないだろう。
(……俺たちの後を辿るようにゴメス先生はおってきている。ザックは居なかったから被害にあっていないだろうが)
その一点だけは、アルベルトを安心させた。
彼にはアリサと言う想い人がいるのに関わらずゴメス先生に捕まってしまってアッーんな事になってしまうのはどうしても避けたい事案だ。
きっと見てられないほど落ち込んでしまうだろう。そんな姿をアルベルトは見たくない。
「行くぞ、サモン」
「……なあ、アルベルト」
「何だ」
「別に、俺と一緒に行動を共にする事もないんだぞ。その、お前には探したい人が居るだろうし……何より」
「――……時間が無い、急ごう」
サモンが全ての言葉を言い切るその前に、アルベルトはサモンの手をとって走り出す。
引っ張るような形になるが、そうでもしないととっくの昔にゴメス先生に捕まっている。
「うわっ、ったった」
いきなり走り出したからか、サモンは妙な声を上げていた。
(確かに、俺一人で行動した方が良い事は理解している)
――……サモンを見捨ててしまう事はアルベルトとって容易な上メリットがある。
単純に時間稼ぎも出来るのでそれだけザックが襲われる可能性が低くなる。
だが、弱いものを守りたいという正義感の強いザックの性格が移ったか、
それともなんだかんだ言いつつも困りごとに対しては善処する彼の行動を見ていたからか、兎にも角にも見捨てるという事は考えられなかった。
「はっ、はっ、はっ、は――……」
サモンの息がもう上がっている。
引っ張って進むにしても、そろそろ無理がある。なら何処かに身を隠して――……
「ッ!?」
ふいに繋いだ手から嫌な感覚。
振り返ったときには、サモンはその場で倒れていた。
「――サモンッ!」
「すま、ない、転ん、だ……」
息をするのもままならないままで体を起こそうとするが、上手く腕に力が入っていないようだった。
アルベルトはサモンを起こそうと手を伸ばす。
「手を貸せ」
「だ、ダメだ、アル、ベルト、俺を、おいて」
「行けない」
助けを拒否するサモンを無理やりに抱え起こす。そして、ふと気づいた。
先ほどまで定期的に上がっていた悲鳴が聞こえない。最後の悲鳴からどれだけたった。
――……では今一番ゴメス先生に一番近いのは、誰だ。
「見ぃーつけた、ぞ」
顔を上げるアルベルト。気がついた瞬間、目の前に巨大な肉体が迫っていた。
この距離では逃げられるはずも無い。ならば、とアルベルトは一つの行動に出た。
(……ザック、せめてお前は無事で居てくれ)
サモンの支えにしていた腕を放し、彼を突き飛ばしてアルベルトは前に出た。
後ろでサモンがアルベルトを呼ぶ声が響く。
早く逃げろ。アルベルトがそう声をかけるその前に、彼の意識は髭に奪われたのだった。
「う、わ」
すぐ目の前で行われているそれは、サモンにとって耐え難いものだった。
ゴメス先生がアルベルトをがっちりつかみ、思わず耳を塞いでしまいたくなる音を立てながら口を貪っている。
アルベルトの瞳からは光は既に失われ、抵抗する事もなくなすがままになっている。
逃げなくては。逃げなくては。逃げていいものだろうか。――…いや、逃げなくては、ならないのだ。
サモンの中で激しい葛藤。あのとき、アルベルトは自分を突き飛ばしてゴメスに身をささげたのだ。
自分が逃げる時間を稼ぐために。そんな彼の意思を無碍にして良い訳がない。
「……た、て、ない」
腕に力が入らない。足に力が入らない。あまりの恐ろしさに腰が抜けたか、それとも疲労のせいか。
どちらにせよ、サモンは体を起こすだけで精一杯であり、這うようにして移動する事がようやくできるというような話だ。
これでは、とてもゴメス先生から逃げられるわけが無い。
どさり、とアルベルトの体が地面に投げ出される。
ゴメス先生は宣言どおり此方へは走ってこず、獰猛な笑みを浮かべながら此方を見つめているばかりだ。
「いーち、にーぃ、さーん……」
野太い声が響き渡る。
サモンはただ、刻一刻と迫る死の宣告に身を震わせる事しかできない。
(嫌だ、いやだ、いやだ、いやだいやだいやだいやだ――……)
絶望。
その二文字が今の全て。
「――……にーじゅう。タイムアップ、じゃの」
――……授業残り時刻 30分
「アルベルトー!!おーい、アルベルトー!!どこだよー!!」
ザックが声を上げながら校舎の周りを回っていく。
半分くらいの人間はすでに隠れている事を選んだのか、すれ違う人間は少なかった。
こんな調子であるならばゴメス先生にすぐに見つかってしまうのではないか、と恍惚なる闇は少し心配していたが、
どうやらそれは杞憂らしく、犠牲者は見つけたものの、といったところだ。
「――……だめだ、見つからない。早く見つけないといけないのに……」
ぎり、とザックは拳を握る。その表情は焦燥感にとらわれていた。
「焦っても仕方ありません。もしかしたら隠れて出てこられないのかもしれませんよ」
「そんなことない!アルベルトは俺が呼んだら返事してくれる!」
「……」
「嫌な、予感がするんだ。さっきから。なんか、胸がざわざわする……」
大切な友が襲われたかもしれない。
ハッキリと口にこそしなかったが、その考えを抱いてしまっている事はザックの表情から読み取れる。
「私たちは、探している場所が悪いのかもしれません」
「……場所?」
恍惚なる闇は少し考える。この提案をすればエンカウントする危険性跳ね上がる。
しかし、此方もサモンの姿どころか手がかりも見つかっていない以上、攻め手に出る必要があった。
「今まで犠牲者の居ない方向を探してきたでしょう。彼らの方向にゴメス先生がいるのだとしたら」
恍惚なる闇の言葉にザックがピクリと反応する。
自分が脳裏に描いているものが、事実となっている。現状ではその可能性が高いといっているようなものだ。
「……アルベルト」
「しかし、これはとてつもなく危険な賭けですよ」
ゴメス先生と距離を自ら縮めに行く。
単純に考えて、死期を早めているようなものであった。
ザックは数秒考えた後に、こくんと一つうなづく。
「行ってみることにするよ。恍惚、付き合ってもらってサンキューな。俺、この先からは一人で――……」
「何をおっしゃるんですか。乗りかかった船、私もご一緒させていただきます」
「いいのか?」
ザックが改めて問いかけてくる。その表情は若干の驚きのなかに明るいものが混ざっていた。
そう連れたって死地に赴くものではない。しかし、一人だと心細い事には変わりないのだろう。
「ええ。このまま貴方が帰らぬ人になるのも、目覚めが悪いので」
しかし恍惚なる闇にとっては、それは表向きの理由でしかない。
サモンを探しあてるためには、出来るだけ悪目立ちする必要がある。
そしてゴメス先生から逃げるためには少なくとも一人の生贄が必要だ。
確実に得られる80秒は手放したくない。
「……わかった!よし、えーっと最後に見かけたのは……」
「部室裏に倒れていたブロウさんでしたね。向かいましょうか」
そうして、恍惚なる闇とザックは歩き出す。お互いに大切な友を見つけ出すために。
被害者から被害者を探し、辿っていく。
その中でも知った顔がちらほらあり、下手をすればわが身もこうなってしまうのかと考えるだけで身震いする。
(……もうすぐ、半分)
壁にかかっている時計を見上げ、恍惚なる闇は息を吐く。
とてつもなく時間がゆっくりなように感じる。
ゴメス先生に近づいている事を理解しているのか、ザックは周囲を見回すだけで声を上げない。
しばらく歩いて中庭へと続く広い通路に出る。その瞬間。
「――……そんなっ!?」
ザックが悲鳴に近い声を上げて駆け出す。
その足の先には長い金色の髪をもった青年が倒れ伏していた。間違いない、アルベルトだ。
「アルベルトっ!しっかりしろ!!アルベルトっ!!」
ザックはアルベルトを抱えると、意識を失っている彼に必死の表情で呼びかける。
数度呼びかけられて、ようやくアルベルトはピクリと反応を返した。
「……ザック、無事……か」
うっすらと目を開き、か細い声で答える。
「俺は無事だ、無事だけど!!お前っ……」
今にも意識を再び失ってしまってもおかしくないと思えるほど重症の友人に、ザックは泣きそうな顔を浮かべていた。
その傍に、ようやく恍惚なる闇が追いついた。
「……アルベルトさん。まさか貴方まで……」
「ああ……。そう、か……恍惚、お前が、一緒、か……くっ」
「アルベルト、無茶するなって!」
体を自分で起こしかけたアルベルトだが、満身創痍のその体ではとてももちそうにない。
ザックが慌てて止めるが、アルベルトは余力を振り絞るように周囲を見渡す。
そして、少しだけ安心したかのようにぎこちなく微笑んで見せた。
「あいつ、のすがた、が、ない……、うま、く、にげ、られた、のか」
「あいつ?あいつって誰だよ」
「……サモン。一緒、だった、んだ」
アルベルトの口からでた人物の名前。
それは恍惚なる闇が探してやまない人物と一致していた。
「――サモン!?貴方はサモンが何処に行ったかご存知なのですか!?」
「お、おい恍惚!?」
いつゴメス先生が来るとも知れないにもかかわらず先ほどまでの冷静沈着な恍惚なる闇がアルベルトに向かって食い気味に問いかける。
その様子がザックの中では意外だったので、驚いたような声をあげた。
「わか、らない。けど……あまり、遠くには、いない、はず、だ……」
それだけを言い切ると、アルベルトの体から力が抜ける。
ザックの腕の中に納まる形になった。
「アルベルト!?」
「――たのむ、恍惚、俺はもう、駄目だ、だから、ザックを……頼んだ……」
恐らく。サモンはアルベルトに助けられたのだ。恍惚なる闇はそれが解ってしまった。
結構な距離を追われていたのだろうであること、そして何よりサモンよりも運動神経のいいアルベルトだけがここに倒れている事。
ここにある全ての要素がそれを物語っていた。
「……。わかりました、善処します」
「そう……か、よか……」
ゆっくりと、アルベルトの瞳が閉じられる。
「……っ、アルベルト!!アルベルトっ!!」
ザックが必死に呼びかける。しかし、もうアルベルトの体は僅かな反応さえも返さない。
恍惚なる闇は呼びかけるザックを止めるように手に触れると、ゆっくりと首を振った。
「――っ、畜生おおおおおおッ!!!」
ザックの慟哭が中庭に響き渡る。
例えゴメス先生に見つかったとしても、恍惚なる闇は止められないだろう。
(……。サモン、貴方は……一体、何処にいるんですか)
恍惚なる闇は空を見上げる。
今の気分とは打って変わって澄みきった雲ひとつ無い青空は、サモンの姿を思い浮かべるに十分すぎた。
――……授業残り時刻 25分
(……幸運だった)
中庭より少しだけ離れた掃除用具用のロッカーの中でサモンは思った。
20のカウント後、つかまると思った。しかし、ゴメス先生は急に方向を変えて何処かへと去っていったのだ。
最も、十数秒後にアレックスの悲鳴が上がったのだから、理由は考えるまでも無かった。
そのままなんとか身を隠せそうな場所があったので、移動もままならないしここに身を隠す事にしたのだ。
――どこからか声が聞こえる。悲鳴ではなかったので、ゴメスではない他の誰かが居るのだろう。
(…………)
つかれきった体を壁に預けて、少しだけ瞑目する。
突き飛ばされる自分。目をそらしたくなる光景。嫌な水音が精細に描かれて、胸が痛んだ。
(アルベルト。どうして、お前は……)
俺をそこまでして守ったんだ。
今まで言葉を交わしたことはあまりなかった。ただ、同じクラスでザックやアリサやミーアと面々仲がいいらしくずっと行動を共にしていた事を知っている。
それだけなのだ。それは向こうも同じくらいの印象しか抱いていない。そのはずだ。
「―――!」
足音が僅かに聞こえる。ロッカー越しでは上手く捕らえられないが、誰だ。
びくりと体が震えた。まさかゴメス先生が此方に来てしまったのだろうか。ありえる。
何故なら自分が大して動けない事を知っているのだ。息を殺して、様子を伺う。
身じろぎ一つしないが、流石に此処に誰かが潜んでいてもおかしくない、と思われるような場所だ。
サモンが考えをめぐらせている間にも足音は確実に此方に向かっている。
(――嫌だ)
逃げる方向が悪かったのか、何人もの悲鳴を聞いてきた。
幾度のカウントアップを聞いてきた。
(――いやだいやだいやだいやだ)
あの逞しい腕に納められ、醜い唇で蹂躙される姿を見てきた。
(――……だれか、だれかたすけて)
心臓が高らかに鳴り響く。恐ろしさのあまり、涙が出る。
自分もああなってしまうのか。怖い、とてつもない嫌悪感と恐怖にとらわれる。
足音は、近づいて、近づいて。
(……クレイス!)
もう頼らないと決めた親友の名を呼んだそのとき、乱暴に掃除用具の扉が開かれた。
「サモン!やっと、やっと、見つけました」
「……くれ、いす」
扉を開けたのはゴメス先生ではなく―……助けに来てくれた、親友だった。
安心したように微笑んで、此方に手を伸ばしてくれている。
「クレイスっ!」
改めて名を呼んで、その体にしがみつく。
極度の不安から凍り付いていた心が、体が、ようやく血が巡ってくる気がする。
ただひたすらに重かった体がわずかに軽くなる。
「よかった、貴方が無事で……本当に」
恍惚なる闇がサモンの体を受け止め、優しく抱きしめた。
ただ一人、ザックはその隣で神妙な面持ちで二人を見つめていたのだが、すぐさま我に返って己の頬を叩く。
「――……ザックさん」
「大丈夫、何でもないよ」
落ち着かせるようにサモンの頭をぽんぽんと撫でながら、恍惚なる闇はザックに視線を向けていた。
彼が抱いたはずの黒い感情に気づかないわけではなかったからだ。
犠牲になった友人と、友人を犠牲にして無事な人間。しかもその人間は自分やその友人と親しいわけでもないのだから、猶更だろう。
「そうですか。サモンも、もう大丈夫ですね」
「あ、う、すまない。……。ザックも、その」
「――その話は、止めよう。今はどう逃げるかが先決だろ」
そしてサモンもザックの事に気付かない程頭が幸せではなかった。
しかし、謝罪を口にする前にザックが提案した内容に、納得し行動せざるを得なかった。
「……そう、だな」
「――……果たして逃げられるか?このワシを前にして」
不意に響き渡る声。上から押さえつけられるようなプレッシャー。間違えようもない。ゴメス先生の声だ。
サモンが体を震わし、恍惚なる闇の服を掴む。
ザックは一歩前に出て、周囲をぐるりと見渡してみるが―……声の主の姿は見えない。
「ど、どこだ!?」
「上です!」
恍惚なる闇が声を張り上げる。その視線は天を向いていた。
直後、空から落ちてくる巨体の肉ダルマ――……もとい、ゴメス先生。
ずずぅん、という重々しい音と共に、一同の前に立っていた。
「う、うあ……あ」
ザックと恍惚なる闇は初めてだったのだが、何度も何度もエンカウントし、
そのたびに言葉にすることさえも憚られる光景を見せつけらてきたサモンは彼の姿を見るだけで恐慌状態に陥っていた。
「ザック!」
「うぉぁ!?」
ゴメス先生の伸びてくる腕。
ザックは卓越した反射神経だけでそれを何とか避けると、恍惚なる闇のいる位置まで下がってきた。
「ほう……今のを避けるか」
楽しそうにゴメスが笑う。それは間違いなく余裕からくるものだった。
手詰まりを感じたらしいザックは困ったようにちらりと恍惚なる闇を見る。
逃げる一手をうつしかない。何せこれは鬼ごっこなのだから。恍惚なる闇はゴメス先生に目を向ける。
彼は3人を前にして、自分たちがどうでるか待っているようであった。距離にして2歩半。一瞬で詰められるだろう。
「――……私の目的は果たしました」
「……え?」
独り言のように恍惚なる闇の口から言葉が漏れ出る。
恍惚なる闇は怯えたまま自分の服を掴んでいるサモンの頭に手を置き、そしてザックへと向きなおした。
「サモンを連れて、逃げていただけますね」
「そんなっ!?」
声をいち早く上げたのは、サモンだった。
「な、なんで、そんな、お前まで!何で、お前まで……」
ぎゅ、と握られた服に力が籠められる。
恍惚なる闇はそんなサモンに向かって優しく微笑んでみせる。
「違います、サモン。私は貴方の為に散るのではなく――自分の為と、そして課せられた義の為」
「あっ……」
恍惚なる闇の言葉に、こんどはザックが反応する番であった。
アルベルトから託された『ザックを頼む』という言葉。それを恍惚なる闇は守ろうとしているのだ。
「い、いやだ!!嫌だっ!お前が犠牲になるくらいなら、俺はっ!!」
サモンが叫んだその瞬間――……ぱしん、と軽い音が響く。
恍惚なる闇が、自身を服を掴んだサモンの手を打ったのだ。
衝撃で手を離すサモン。
「――行きなさいッ!」
その瞬間、恍惚なる闇が声を張り上げる。
「ごめん!」
ザックは迷わない。簡単な謝罪の後に有無を言わさずサモンを抱えるとそのままいずこかへと駆け出した。
「……っ、下ろせっ、クレイス!!クレイス――っ!!!」
サモンの絶叫が響き渡るが、直ぐに遠ざかっていく。
残されたのは、恍惚なる闇とゴメス先生。
「美しき友情、じゃの」
「お褒め頂きありがとうございます」
ずん、と音をたてて近づくゴメス先生。強がった笑みを恍惚なる闇は向けて見せる。
今にも逃げ出してしまいたい。しかし、逃げたところでコンマ数秒で捕まるのが目に見えている。
それならば、最期はせめて気高くあろう。
一歩、二歩。ゆっくりと、その手が伸びて恍惚なる闇を捕え――……
「――……っ!?」
ゴメス先生の手は、奇しくも空を切った。
というのも、恍惚なる闇の体が思いっきり後方に引き込まれたからだ。
――……突如現れたダーエロの手によって。
「恍惚、逃げんぞッ!」
ゴメス先生の顔面に何かを投げつけたかと思うと掛け声と共にそのまま腕を引いて駆け出す。
投げつけたのは泥団子。流石のゴメス先生でも視界を奪われれば其方を回復させるのに優先させる。
「ダーエロ、どうしてここに!?」
「んなもん後だ後!喋ってる暇ありゃあ足動かせ!」
ダーエロの腕に引かれるまま、恍惚なる闇は駆けだす。
前を走るダーエロの足には迷いなく、一直線に中庭を抜けていく。
「ほぅ……この儂に刃向ってみせるとはな……面白いッ!」
ゴメス先生はやや乱暴に顔をぬぐい、離れていくダーエロを睨みつける。
そして、その鍛えた足で地面を蹴り、駆け出す。そのスピード、パワー。――……正に強大な弾丸であった。
当然、圧倒的に遅いダーエロ達。このままでは数秒と立たずに追いつかれる。
「こっちだ!」
しかしダーエロの表情に焦りはない。
道を途中から外れ、校舎と倉庫の間、狭い裏道の様な場所を通り抜けようとする。
その壁には、長い木の柱の様なものが立てかけられている。
「その程度で逃げ切れるつもりか!?」
たしかにゴメスは巨体で潜り抜けらるのに時間が掛かるが、其れは此処だけの話。
此処を過ぎてしまえばスピードは圧倒的に相手の方が上だろう。
「無理だろうな。けどよ――……こいつでどうだ!?」
ゴメスがその裏道の真正面に立ったその瞬間、ダーエロは何かに結び付けられていたらしい紐をほどいた。
その瞬間、ゴメス先生に向かって立てかけられていた柱が倒れてくる。
「むぅ!?」
ゴメス先生は木の柱のようなものを打ちこわし、己に害がないようにしてみせるが、ダーエロのトラップはそれだけではなかった。
どうやらその柱に運動場の白線引きに使う石灰が大量に結び付けられていたらしく、白い粉が大量に舞い上がり狭い通路内の視界を完全に奪い去る。
「――……ふー、やっべ、俺天才じゃねー!?」
「あ、貴方ねえ……」
無茶苦茶ともいえる方法でゴメス先生を撃退してみせたダーエロが、恍惚なる闇に向かって笑顔を浮かべて見せる。
無邪気に喜ぶダーエロに、恍惚なる闇は少しだけ呆れたような顔をしていた。
「何だよ、あれくらいやんねーとあの先生どうにもなんねーだろうが」
「……それはそうなのでしょうが」
そう答える恍惚なる闇の顔はどこか暗かった。
自分が取った方法とはいえ、またサモンと離れてしまった。
最も――……プライドを傷つけられたゴメス先生が此方を執拗に狙ってくるであろうが、それよりも彼とはなれたことによる不安感のほうがはるかに大きい。
「……はーぁ」
ダーエロがそんな恍惚なる闇に対して、大きくため息をついた。
「何ですか」
「別にー。何でもねーよ。……兎に角行こうぜ。良い場所知ってるんだ」
そうして、ダーエロは再び走り出す。速度を調整してくれているのか、恍惚なる闇が追いつけない、ということはなかった。
それ以上にお互いに会話はなく、走る二人の足音だけが、響き渡る。
「……。その、礼は言っておきます。ありがとうございました」
「……ああ」
お互い前を向いているものだから、表情はうかがえない。
だからだろうか、二人の間には何故か気まずい様な空気が漂っていた。
→ 後半に続く