四つ巴

リューンから馬車で半日の場所に、それはあった。比較的真新しい木造建築に、ひとつの看板。
『遺跡調査解析地点 リューン南東支部』
そう、看板のとおり、遺跡を解析そして調査しちゃおうという団体の、支部。
ちなみに、遺跡の解析は新しい魔法や歴史の発見につながるので、
報酬が少なくともその瞬間に立ち会える喜びの元に集まるような人物が殆どなので変わり者が多いんだとか。

それは、さておき。

その建物の内部の一室、『来客室』とかかれたプレートの部屋。
大きめのテーブルがひとつ。椅子が4つ。そのうちの二つに、二人の冒険者が腰掛けている。
一人は茶色の髪型で黒い瞳。もう一人は金色の髪型で青い瞳の持ち主だった。

「…で、俺たちは何をすればいいんだよ。」
茶色い髪色のほうー…トリスが言った。
二人に対面するように座っているのは鎧を着た30代後半くらいの男性。難しい顔をして二人を見つめている。
「あぁ、どうやら遺跡にサイクロプスが住み込んでいるようなのだ。」
「…サイクロプス、だぁ?」
一つ目の魔物、サイクロプス。
巨人族のように大きい図体から繰り出される一撃は、易々と人々の命を奪える。
また、見た目どおりの怪力で『蜘蛛の糸』といったような魔法は意味を成さないし、
なにより生命力が高く、首をかっ飛ばさないとなかなか死んでくれない、厄介な魔物だ。
多少実力をつけただけの冒険者ならば、有無を言わせず敗走することになるだろう。
「…それでサイクロプスの駆除をお願いしたい。報酬は…一匹につき450sp出そう。」
450sp。なかなかの高収入。だが、引っかかるところが、この依頼にはあった。
「一匹につき、か。」
トリスが依頼を反芻する。
つまり、これはー…
「そうなんです。複数その姿を確認していて…正直、正確な数はわかりません。…受けてもらえませんか?」
30後半の男がすがるような目つきで見てくる。
その光景におぞましさを感じ、トリスは少々顔をしかめた。
数のわからないー…ゴブリンやコボルトなどといった下級妖魔ならともかく、サイクロプスという大物。きっとこれまで何組かの冒険者が辞退したのだろう。
「…お前の好きにしろ。」
ずっと黙っていたもう一人の冒険者、カルクがたった一言、ぽつりと言った。
トリスがしばらく考えるように黙り込み―…そして、結論。
「わかった、受けよう。ただし、殲滅はしなくてもいいんだろ?」
その答えに、男はぱっと顔を輝かせた。
「は・・・はい!殲滅までは行かなくとも、数を減らしていただくだけで十分です!!」
「とりあえず、今日は遅いから明日朝一で出る、いいよな。」
「ええ!部屋は用意しております!ああよかった、流石赤悪魔のブルーデビルの方々だ!!」
本当にうれしいのだろう。男はまるで問題が解決したかのようにハデに喜ぶ。
「………まだ、なにもしてねぇんだけどな。」
と、ぽつりとトリスはこぼした。


とある一室。『仮眠部屋』とプレートのかかったそこは、小奇麗に整理整頓されていた。
あれからトリスとカルクは男に案内されて、この部屋に通されたのだ。とりあえずゆっくり今日は休んでおけ、ということだろう。
「サイクロプスか…安請け合いしちまったかなー…」
んー、とトリスが悩むように声を上げる。
「二人だとたしかに辛い、な。」
カルクが剣の手入れをしながらぽつりとつぶやいた。
その口長は責めているわけではなく、これからどうするかを促すものだった。
「そうだなぁ、一体くらいなら数分けてきても大丈夫だが…数対に囲まれるとどうしようもねぇし。おまけに遺跡はほぼ手付かず。罠もそのまま。」
トリスが考えられる現状を思い浮かべて、はぁとため息をついた。
普段ならば6人で行動しているのだが、今はちょっと小銭がほしくて分かれて依頼をこなすことになった。おかげでこの依頼も断るに断れなかったわけだが。
遺跡のモンスター退治など、自分たちの本分だと思ったが、いささか相手が悪いようだ。
「せめて、ルナでもいたらなぁ。」
メンバーの一人、罠解除の技術に長けた仲間を思い浮かべてみるが、居ないものはしょうがない。
「…トリス。」
「わあってるって。どうしようもないもんはどうしよーもねーって。」
そのとき、こんこんこん、とドアが三回ノックされた。
「すいません。赤悪魔のブルーデビルの方々はこちらにいらっしゃいますか?」
落ち着いた、若い男の声。
「ん、ここであってるぜ。」
トリスはドアの向こうに答える。すると、がちゃりとドアノブがまわり、ドアがゆっくりと開いた。
「すみません。失礼します。」
現れたのは、10代半ばの青年。
「しっつれーしっまーす!」
そして後ろにくっついて一緒に入ってきたのは、12歳くらいの子供。
「……なんなんだよ、お前ら。」
青年はともかく、もう一人の子供に嫌な予感を覚え、トリスが警戒心たっぷりに口を開いた。
「んとね、僕たちはサイクロプス退治の依頼を受けた冒険者なんだ。君たちのお手伝いってとこかな。」
「…はぁ??」
トリスは少年の言葉にわけがわからない、といったような声を上げる。
「正確に言いますと。あの方結構困ってらしたみたいで、あちこちに同じような張り紙を張られていたみたいですね。
たまたま俺と貴方たちと受けた時がかぶっただけですよ。」
つまり、ダブルブッキング。
まぁ向こうにしてみれば、数は少しでも多いほうがいいのだろう。
サイクロプスの首を単価として報酬を出すわけであり、雇うだけにはお金がかからないのだから。
「それで、結局俺たちに何の用事なんだよ。」
「はいはーい!それはねー、どうせそっちも二人だけだし、共同戦線張ったほうがいいでしょー。
 楽だし、戦力もまとまるしー、何より食い違いおこんないしー?遺跡内で人間同士殺し合いは意味わかんないでっしょ?だからね、いっしょにやんない?」
少年が愛嬌たっぷりに笑いながら言う。これが街中ならば良かったかもしれない。
しかし、こういった「依頼」の真っ最中にそういう態度をとられるとどうしても『ふざけた人間』としか評価ができない。そしてそれはトリスとて例外ではなかった。しかも相手は年下。馴れ馴れしくされるのも癪にしか触らない。
「……(どうする?)」
カルクのほうに目線を送り、アイコンタクトをする。カルクも同様に、少年の提案に不振なのか、険しい顔で首を横にゆるゆると振った。
「悪いけど。子供のお遊びじゃないんでね。足を引っ張るんなら他でしてくれ。」
「…む、それはないんじゃなーい?こっちの言い訳もきかないで…むぐむが」
少年が怒ったような声を上げるが、言いかける途中で強制終了される。口をふさがれたのか、よくわからない擬音と共に声がしなくなった。
トリスが視線を戻すと、青年のほうが、少年を無表情で抑えていた。そして青年はトリスのほうに目をむけ、口を開く。
「そうですか?見たところ剣士二人。生命力の高いサイクロプスを相手にするにはいささか分が悪い気がいたしますが。」
「…何が言いたいんだよ。」
青年の年不相応な落ち着き払った口調に、トリスは反応する。
少年のほうはともかく、こいつはできる、と冒険者としてのカンが働いているからだ。
「オレは、魔術にも心得があります。そしてこっちのおまけは、人格崩壊してますけれど、盗賊としてはオレも認めています。
 剣士二人に魔術師、盗賊。決してバランスは悪くないと思いますけれども。」
確かに。
サイクロプスには特に魔法が効く、というわけではないが、他に打撃に強い―…
たとえばスライムやゴーレムが居ないとも限らない。剣士の自分たちだけで行くのはいささか早計かもしれない。
さらに、罠の存在に気づける盗賊つき。当てになるかどうかはさておき、だが。
そのうえ、人数という点でもカバーが利く。だが、同時に賭けでもある。
目の前の二人組みが役に立つ保証はない。むしろ、足を引っ張る可能性もありうるのだ。
トリスは数秒、考え込む。乗るべきか降りるべきか―…そして数秒の沈黙の後、結論。
「…お前ら、名前は。」
サイクロプスはゴブリンやコボルトに次ぐくらい有名だ。もちろん名前だけだが。
だが、それでも名前を聞いても下がらなかった、というのは少しばかり腕に自身があるかもしれない。
カルクは後ろで賭けの要素が大きいことに気づき、小さくため息をついていた。
「ありがとうございます。俺の名前はセツナ。こっちがルート。
あげ・ダッシュに所属しています、ひややっこの一員です。」
「セツナに、ルート、ね。俺たちは…」
「知ってるよー!赤い悪魔のブルーデビル!
そっちのボンボンがとりるんで、そっちの庶民がかるるんだよね!」

一瞬にして凍る空気。
トリスは貴族と呼ばれるのを嫌がるし、カルクはもともとだんまりだし。

「……………あいたっ!」
ごいん、という鈍い音を響かせたのは、セツナだった。思いっきり空気の読めないルートの頭に拳を打ちつけたのだ。
ちなみに、ルートがDQN並みに空気をよめないのかセツナがルートを力の限りに殴り倒したという二通りの解釈ができてしまうのだが、正直どっちも当てはまっているので好きなほうでどうぞ。


翌日。
あれから、二組の空気は凍りついたままだった。というか、一瞬にして最悪までいったのだから早々に良くなりはしないのだが。
そのまま、何の会話もないままに遺跡の入り口前まで歩みを進める4人。
「やぁーっとついたね、地味に遠いんだから〜。」
にこにこと場違いなほどにルートは笑いながら遺跡をさす。入り口からしっかりした石造りになっており、大きめなことから簡単に発見されていたに違いない。ただし、発見されていただけで中は殆ど手付かずだろうが。
「……ここに、サイクロプスがいるんだよな。」
トリスは現状を口に出し、改めて気を入れる。全く気配のしないことから、入り口三歩目で出会う、などということは起こらないだろう。
「そうだねぇ、じゃ、とっつげきー♪」
ルートが、無用心もいいところに走って突入する。
「ぁ、おい、お前っ!」
トリスはそのあんまりにもあんまりな態度に後を追いかけていった。
「…………」
カルクはただ睨み付ける。
表情をほぼ変えないセツナのことを。
「…どうかしましたか?俺たちも行かないと置いていけぼりですよ。」
セツナはカルクにくすりと微笑み、歩き出す。その足取りはどう見てもその辺の公園に行くような軽いものだ。
カルクは、やはりどこか腑に落ちない様子で、その後を付いていく。


遺跡内部。
石造りで窓なんてないわけだから、光源は入り口しかない。壁には明かりをつけていたのか、たいまつを引っ掛けるスタンドのようなものがあるにはある。
だがいかんせん過去形だ。つまり、一寸先は闇。もちろん比喩ではなく。
トリスは、明かりをつけたランタン片手に何の考えもなくずんずん進む一人の子供を追いかけていた。
「おい、ルート!お前何考えてんだっ!」
トリスが先へ先へと進んでいくルートを怒鳴りつける。
いつ出会うかもしれないモンスター。いつあるかもしれない罠。それらをしっかりと考える行動する冒険者なら、単体で走り出したりはしない。
ルートも、そんなトリスの気持ちを汲み取ったのか、ようやく足を止めて振り返った。
「何って。せっちゃんが危険な目にあわないこと!」
えっへん、と答えるルートに、トリスはいっそめまいと頭痛がした。
「…はぁ?」
「だってさ。ここはすでにあの人たちがいくらか調査してるはずでしょ?だったら罠とかもないはずだよ。
 誰かが新しく作ったならともかく、そんな様子もないみたいだし。
 それに、サイクロプスつっても発見しただけで実際は被害ゼロ。つまり、妖魔の類も殆ど居ないって考えられるよね?」
「なっ…」
トリスは思わず言葉を詰まらせる。
アレだけの説明でそこまで自分は頭が回ったか―…答えは、否だ。
一から罠とモンスターの存在を信じて疑わなかった。今までそうだったから今回も、と警戒、いや、考えなかった結果だ。
「だとしたら、いるのは隠し扉ないしもっと下のほうでしょ?とりあえず階段だけさくっと探してみようかなって思って。
 特にこの一階とか、結構入り浸ってたみたいだしね。」
ルートは自身の所持していたランタンを地面にかざし、道の端のほう、あちこちに転がっている火の消えてしまっているランタンや、空っぽの荷物袋をを見回していた。
トリスはそこで初めて周囲を見回し、気がつく。人の手が入っていることに。
「せっちゃんに余計な手を患って欲しくないし?そ・れ・に。」
ルートはあくまでも楽しそうにニコニコと笑う。
「そんなにはじめっから緊張してたらさ、だれるよ?」
ばきゅん、と銃を撃つフリをしてルートは笑っていた。
「……う…」
トリスは思わず二の句が告げなかった。
サイクロプスと肩の力を入れすぎていたのかもしれない。いくら早足だったとはいえ、周囲の様子に気が回らないなど冒険者失格だ。
それこそ先ほどの台詞ではないが『何を考えているのか』と問いただされるだろう。
「うふふー、ほら、返せなくなったー♪君の負けだよ、ワトソン君♪」
その様子を見たルートが得意げにその場でくるくるとまわってみせる。
「…るっせぇ!年下の分際で!自慢げにいってんじゃねーよバーカ!」
トリスはよっぽどその姿にイラついたのだろう。ルートの頭を両方の拳で挟み込み、そのまま両手をぐりぐりと押し込むように回す。
もちろん手はグーで、人差し指を第二関節で曲げて尖らせるのを忘れずに。
「あーいたたたたぁっ!ひどい!幼児ぎゃくたーい!!」
ルートは痛みにわんわん叫ぶが、トリスはかまわず行為を続ける。
「ちょっとアレだからって調子のってんじゃねーよバーカバーカ!!」
「…………お前はガキか。」
ため息交じり歩を進めてきたのは、カルク。
ランタンの光は一部しか見えないのでよくわからないが、恐らくあまりいい顔はしていないだろう。
トリスはその一言で幾分か冷静さを取り戻したのか、ぺいっとルートを放り投げる。
「だって、コイツむかつくんだっつーの。」
ぶー、と不満声でトリスがルートを指差す。
「うぅー、それってなんだか酷いよねー。」
ルートは撃ち捨てられた体勢のままこめかみをさすっていた。
いわゆるオネエ座りなのだが、男とはいえまだ子供なので違和感はあんまりない。
「まぁ、仲良くなれて何よりです。先に進みましょうか。」
カルクの後ろにいたままのセツナが、先を促す。トリスはすこしだけバツの悪そうな顔でカルクを見る。
カルクは、トリスを見ることなくただ先へと歩を進めるのだった。



アレから4人は数分後、階段を見つけ地下二階へと足を踏み入れていた。
一階と違い、あまり手の入っている形跡のないそこはトリスとカルクを警戒させるには十分であり、また心なしか、闇も深くなっている気がする。
「…どこまで進んだのか、聞いとくべきだったな…」
しくじった、とトリスが舌打ちをする。
相変わらず魔物の気配はないが、いつサイクロプスがでてもおかしくない雰囲気だ。
「そうだな。」
カルクがこくりと隣でうなづいた。
だが、これが冒険者として面白いのかもしれない。いつ死が訪れるとも限らないギリギリの生活。
家にいたならばつまらないだけの人生、それが嫌で自分は飛び出してきたのだから。
「ぁーっ!ランタンめっけー。やっぱりまだ人が出入りしてたのかな、この辺り。
 こっちには扉だねー。開けた後があるよー。うーん、モンスターはいないねぇ。」
ただしこの、ちょろちょろ動き回る奴がいなければ、もう少しだけそれが快感と取れたかもしれない。
「……だーっ!うざってぇ!調査するんならもうちょっと静かにやれっ!あとちょろちょろすんな!目障りだ!!」
本日二回目、トリスがルートを怒鳴りつける。ルートはその声にひゃっと肩をすくめ、足を止めた。
「もー、なんでそんなにすぐ怒るー。とりすん、カルシウム不足?」
「…おい保護者。一発アイツ殴っていいか?」
トリスがセツナを睨みつける。バキバキと指を鳴らして、どうやら相当苛々しているらしい。
「それで気のすむのならどうぞ、何発でも。」
しかしセツナは我関せずといわんばかりに冷静に言うのだった。
そう返されると、逆に殴ろうにも殴る気が失せるというもの。
「…ったく、何なんだよお前らは…」
イライラをぶつけるようにガシガシと頭を掻く。
それで気が晴れるわけでもないのだが、そう小さく文句を言うことしか出来なかった。
「トリス…落ち着け。」
そんな中、ぽん、と肩を叩いたのは、カルク。トリスが何時も以上に集中できてないのを察したのだろう。
それは違う人間と組んでいるせいもあるだろうが、ルートとセツナという掴みどころのない二人のキャラに惑わされているいい証拠。
今、いきなりモンスターが襲いかかってきたら、恐らくトリスが一番初めに負傷する。
それを心配しての、カルクなりの心づかいだった。
「…わかってる…」
トリスは深く息をついて、首をゆっくりと横に振る。
モンスターの気配は、まだない。それが自分をたるませている一つの要因であることも、トリスにはわかっていた。
「…ん、あれれ?」
あちこちうろうろしていたルートがふいに妙な声を上げた。
とたんに何かを探すようにきょろきょろとしている。
「どうかしましたか?」
「んっとね、この辺りだけ変なんだよね。」
ルートが遺跡の角に立ち、下の地面を指さす。
別に見た感じでは奇妙な点は見受けられず、ただの石造りの床でしかない。
「…ふむ。」
カルクもルートのそばに移動してみる。もともと洞察能力の高い彼だ。おかしいと言われて気になったのだろう。
そして、周囲をくまなく調査し始めた。
「別に、不審な点はない。」
カルクが最後に周辺一帯を見回して、結論付ける。
「うっそだー。絶対変だってー。」
ルートがカルクの結論に文句をつけるように頬を膨らます。
セツナは、まだ考え込むように黙り込んでいた。
「おいこらクソガキ。気のせいだったんじゃねーの?」
「そんなことないものー。絶対なにかあるよー。」
「あー、はいはい。」
トリスが、ため息交じりに壁によりかかった。
もはや既にその顔色からは強い疲労の色がうかがえる。もちろん、精神的な面で。
「うぉ・・・っと。」
いきなり壁の一部が後ろに引っ込む感覚を覚え、危うくバランスを崩しそうになる。
それと同時に、その壁の奥で何かが落ちたような重い音がした。
「何やってんの……っうぇ!?」
ちょうど同時に、ルートとカルクのあたりに立っていた地面がぽひゅんと軽い音を立てて消える。
恐らく、魔法的なトラップが仕込んであったのだろう。二人の足元に広がるのは、ぽっかりと空いた暗い闇。
「…ほら、言ったとおりいぃぃぃぃ―…
重力に逆らわず、奈落の底へと落ちていく二人。それと同時にフェードアウトしていく、ルートの声。
「カルクっ!」
トリスが腕を伸ばすが、届くはずもなく。
「ち…くしょぅ!」
がいん、と拳を悔しげに床に打ち付けることしかできなかった。
先ほど、スイッチを押したのは自分自身。どこまで続く穴かわからないが、極端に深かった場合―…死んでいるかもしれない。
「カルク…」
穴から離れていたので、落ちなかったセツナはふぅ、と、トリスの真後ろで面倒くさそうに息をつく。
「そんなところで座り込まないでください。さっさと行きますよ。」
セツナは落ちたランタンを拾い上げると、再びそこに火を灯した。
そしてそのまま奥へ進む道を指す。
「…なっ…お前っ!」
セツナのあくまでも冷静な行動にトリスがついに切れた。
セツナの首をぐい、と持ち上げる。
「なんの、真似ですか。」
怒ることもなく、セツナはただ不快という目線でトリスのことを睨み付ける。
「お前、おかしいっつーの!仲間が死んでるかもしれないんだぞ!!なのに、なんで!!」
そんな冷静に、動けるんだ。
トリス自身、半分八つ当たりというのはわかっていた。此処でこうしても仕方がないというのも、わかっていた。
「死にそうになっているかもしれないから、早く動くのでしょう。」
セツナは、声を荒げることもなく。怒ることもなく。ただ、冷静に確実な事実を、突きつける。
「それ、は。」
「離してください。時間が惜しいのは、貴方のほうでは?」
的を得た意見。トリスはうなだれるように、力なくその手を離した。
「俺は…っ、俺は…」
頭が回らない。
落ち着け落ち着けと自分に呪文のように唱える。けれど、無意味なほどに逆に混乱していく。
「……仕方ありませんね。」
セツナはそんなトリスが見るに耐えなくなったのか、小さく何かを紡ぐ。
それは、聞く人が聞けば魔法の詠唱とわかるもの。

「全てのものに、平穏なる風。明かりを。希望と、なるようにー…」

―…ふわり。
空気がよどむ洞窟の中に風がゆっくりと流れる。
香りも何もない、ただの風。だが、トリスはどこか心がすぅっと落ち着いていくのを感じた。
「今のは…」
「落ち着きましたか?」
ふと後ろを見ると、変わらずセツナはそこに立っている。
その時トリスは、セツナが魔法の心得があるといったことを思い出し―…
そして今しがたの不自然なほどに心が落ち着いたのも魔法を使われたのだと、わかった。
「ああ…悪い。」
トリスは立ち上がり、もう一度気持ちに整理をつけるためにかぶりを振る。
顔を再び上げた時は先ほどまでとは違い、すこしだけ吹っ切れたような顔をしていた。
「さて、行きましょうか。時を無駄にしない、そのためにも。」
セツナは視線を道の先へと向ける。漆黒が続く、闇へと。



「ぁぅー、いい感じで落ちたねぇ。」
ルートがぱらぱらと落ちてくる小石を払いながら、立ち上がる。
下は堅い地面だったが、穴自体そんなに深くなかったこともあり、軽傷ですんだ。
ルートは消えてしまったランタンに再び火をつける。周囲がぽぅ、と狭い範囲だが明るくなる。
「まったくもぅ、とりすんも気を付けてほしいよね。」
口ではそういうものの、やはりニコニコと笑ったままのルートにカルクは少なからずとも懸念を抱いていた。
「…お前。『知っていた』だろう。」
「何が?」
そう、先ほどの落とし穴。
ルートは存在さえも知っていて、自分を罠にかけたかもしれない。
だが、彼も一緒に落ちたことでいったい何がやりたいのか、真意は掴めない。
だからこそ、カルクは聞いたのだ。しかし、ルートは満面の笑み。

しばし両者の沈黙。

ルートはそこで初めて笑顔を解いて、どこか困ったような、いや、あきれたような顔になった。
「あのさぁ。僕がそれをして何の得があるのさ。状況をしっちゃかめっちゃかにして楽しむ趣味はないよ。僕んとこの参謀じゃあるまいし。」
カルクはそれでも、ルートのことを全然信じられないといったように、睨み付けるだけ。
再び沈黙の時間が、両者に訪れる。

ルートがそろそろこの状況に飽きてきたなぁ、と感じていたその時だった。


ウオォォ…


暗い遺跡に反響する、異形の遠吠え。それが何のものであるかは、二人にはすぐに予想がついた。
「んー、距離は大分遠い?でもあんまりここにいても仕方ないと思うけど。」
ここのフロアは行き止まりで、進む先は一本だけ。当然声は奥から聞こえてきたが、進めるのはそこしかない。
つまり、自らで敵の陣地に突っ込むしか選択肢がないのだ。
「……」
カルクは考えていた。
サイクロプスが何匹いるか。そして、この先はどうなっているのか。
それに対応する自分の出方。助かる方法を。状況は最悪。トリスとはぐれてよくわからない少年と二人きり。
「…何を考えてるかあえて詮索しないけどさ。じっとしてる方が危険じゃないかなぁ?」
ルートがその様子を見て口を開く。
その後、わずかにだが、重いものが落ちたように地面が揺れた。
定期的な間をおいて、続けざまにゆれる。まるでそう、巨人かなにかが足踏みしているかのごとく。
「……!!」
流石にカルクも近づいていることに気がついたのだろう。
獲物に手を伸ばし、剣を抜く。逃げるのは不可能だと、考えたからだ。
この狭い遺跡の中、行き止まりということで通路よりも広いスペースになっているが、ちょこまかと動けるこちらのほうが有利なはずだ。
「よっし!大暴れしちゃうよ!」
ルートも背負ったリュックサックの中に手をつっこみ、暗くてよくわからないが短剣らしきものを手に取る。
ランタンを腰に結いつけて、戦う準備は万端だ。
「……下がれ。」
しかしカルクはぽつりとルートに告げる。
「……今、なんて言った?」
「……下がれ。俺一人でやる。」
ルートの表情が、確実に引きつった。
足音は、こちらに確実に近づいている。
「あのね。足音からして二体だよね。こっちは一対一。勝てる見込みはあるよ。それをあえて一対二で戦う利点と意味を教えてよ。」
ルートが言葉をまくし立てる。
しかし、カルクは変わらず険しい表情のまま、
「下がれ。」
というばかりだった。

「そこまで言うならいっこだけ聞かせて。そう言うのは、僕が子供だから?それとも、信用できないから?」

真っ直ぐに、ルートはカルクを見る。
カルクはただそれには答えず、視線をそらすようにサイクロプスが現れる方向を見ていた。
それは恐らく、前者でもなく後者でもなく。第三の選択、『両方』なのだろう。
「…もぅ、勝手にすれば!!僕知らない!!」
あくまでだんまりを貫き通すカルクにルートのほうも怒ったのか、構えていた武器をしまいこむ。
そしてその場に座り込むと、不機嫌そうにカルクを見つめつつリュックサックからチョコレートをひとつ取り出し、口に放り込んだ。
「…来る。」
カルクはそんなルートを振り返ることなく、片手に一本づつ携えた剣を再び構えた。
『ウルオォォォオオオ!!』
奥から現れたのは、サイクロプス二体。
カルクはふっと短い息をついて、飛び掛った。
ルートは後ろで、座り込んだまま。
最悪ともいえる機嫌のまま、ぷぅとほほを膨らませていた。


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