四つ巴
こちらは変わってセツナ、トリス組。二人はあれから早々に階段を見つけ、地下3階へと降りてきていた。
「ここは…」
大きく広がった、ホールのような部屋。
ただ石造りのだだっ広い部屋になっている。調度品やら何か日常を表すのは全く無い。
賊にでも荒らされた可能性は捨てきれないが、サイクロプスがいる(らしい)この遺跡ではその可能性は低いだろう。
「これ、なんでしょうね。」
ただ静寂のみが支配する中、セツナが手に持ったランタンを壁に向ける。
そこには、恐らく日常とは不釣合いなものが壁から生えるようにぶら下がっていた。
「…鎖、だな。」
トリスが太くて丈夫そうな鎖を見上げ、つぶやく。
よく見ると、鎖には枷がついており、今は完全に無理やりちぎられたように壊れているが、過去に何かが捕われていた、というのは容易に想像ができる。
「ここに一部分が落ちていますね。」
セツナが地面に落ちていた鎖の一部を手に取り、調べる。実際に手に触ってみるが、変わった反応は無く、冷たい鉄の塊でしかない。
「…別に、普通の鎖っぽいよな。」
そばで見ていたトリスが声を上げる。
「そうでしょうか?」
セツナはトリスの意見をやんわりと否定する。そして、トリスの目の前に鎖を差し出し、魔力を込めるのと同じ要領で、念じる。
「あ…っ…」
トリスが短い驚きの声を上げた。
というのも、セツナが一瞬だけ魔力を込めたことで、呼応するように鎖に文字みたいなものが輝き、浮かび上がったのだ。
しかし、それも一瞬。すぐに消えてしまい、ただの鎖に戻ってしまう。
「どうやら、何か束縛―…蜘蛛の糸のようなものの魔法が宿っていたようです。
これはあくまで一部ですから使えませんけど、鎖全体だと強固なものでしょうね。」
「つまり、ここで何かが捕らえられていたって考えていいのか?」
「…そうですね。それが何かはわかりませんが。恐らく今回の騒動に繋がりはあると、オレは思いますよ。」
どうしますか、とセツナが聞く。今取れる行動の二択をトリスに迫っているのだろう。
もうすこしこの場を調べてみるか。それとも、カルクとルートを探すか。
奥に通路はあるが、相変わらずしんとしているので近くないとだけわかるのだが―…遠いのか、それとも全く見当違いな場所にいるのかはいまだ不明だ。
どちらにしろ、手がかりが少なすぎるのだ。
「ちょっとだけ、調べてみようぜ。隠し通路の先にいましたとも考えられるし。」
「わかりました。そうしましょうか。」
といっても、盗賊技能のない二人にそういうのを発見するのは難しい。だが、行動しないと何も進行しないのだ。
トリスは周囲を自分ができる最大の注意をはらい、調査を行う。
「なぁ、セツナ。ひとつだけ気になったんだけど。」
すこし前から感じていた疑問。多分どうでもいいと返されそうだが、聞いておきたかったのだ。
「なんでしょう?」
セツナがすこし離れたところから声を返す。セツナもセツナのやり方で周囲を調査しているのだろう。
周囲が闇に包まれているので、少しでも離れたら姿をとりにくくなるが、今はお互いにランタンをもっているので、大体の位置はわかる。
「お前さぁ、ルートのこと、心配とかしねぇの?」
いつもなら、他人のことには首を突っ込まない主義だ。
相手からそういう会話を振ってきたならともかく、自分からは言わないようにしている。
人それぞれ、自分もそれぞれなのだから。
けれど、トリスはセツナという人間が気になっていたのかもしれない。自身より若いのに、全てを達観したような振る舞いができる人間が。
「しませんよ。そもそも意味がありません。」
セツナはさらっと返す。しかも結構言ってる事は残酷だ。
「意味、ないって…」
トリスは思わず言葉を反芻していた。
「ええ。丈夫ですから。」
「そ、そうか…」
どういう関係だ、と聞きたくなったけれどぐっと抑える。これ以上踏み込むべきじゃないと思ったのだ。
「ですから。そちらもそんなに悲観することはないと思いますよ。ちゃんと躾けてありますし。」
「犬かよ。」
思わず苦笑する。失礼な言語。不釣合いなほどに浮かべる笑顔。あのはしゃぎよう。
そんじょそこらの子犬となんら変わりないな、と思うと不意に口が緩んでしまう。
「似たようなものです。…あ。これじゃないですか?」
「何か見つけたのか?」
ランタンの明かりを頼りに、セツナの元まで進む。セツナは、ランタンの光を地面にかざしていた。
遺跡の地面は、地下になっても変わらず石で固められていた。
トリスが目を凝らしてよく見ると、そこにはかすれつつあるが模様のようなものがあった。
何かで引っかいて描いたようなものだが、薄れていても緻密に描かれたのがわかる。
「魔方陣…?」
自身のランタンの光を近づけ、さらに観察すると、その模様が丸く縁取られているのに気づいた。
「そのようですね。どこに飛ぶかはわかりませんが、転移魔方陣ですね。…ひとつだけ聞いておきますけど、転移魔法は知っていますよね?」
「そこまで無知じゃねぇよ。よーするに、空間を越えて物をぶっ飛ばす魔法だろ?」
さらに言うと、その魔法を行使するには空間を飛ばせるほどの膨大な魔力が必要な上、失敗すると空間と物体が混ざりあい、物によっては取り返しのつかないことになるのだが。
「それだけわかっていれば結構です。こういった魔法は距離に成功率が反比例しますからね。
離れていてもせいぜい10キロが限界のはずです。起動できますけど、どうします?」
セツナが再びトリスに決定権をゆだねる。おそらくカルクのことも考えてのことだろうが、逆にトリスにはプレッシャーのようなものだ。
しかし、試されている、そうセツナ自身が自分自身を値踏みするように見つめてくる。
トリスは数秒考え込むように黙り、そして口を開く。
「ひとつ質問。帰ってくる方法はあるか?」
「恐らくは。まぁ、最悪どうにでもなりますけど。」
「よし、じゃあ、起動させてくれ。」
セツナがトリスの答えに、わかりました、と短く告げた。そしてランタンを下に置き、しゃがみ込んで魔方陣に手をあてる。
セツナは歌うように言葉を紡ぐ。いわゆる魔法の詠唱というやつだろうが、リューンとは違ったやり方だった。
魔法を発動させるにもいくつかの『通り』やら地方によってやり方は様々なのでトリス自身は気にしなかったが。
「―再現せよ、過去に繋がり現在における意思となれ!」
セツナが大きくはないが鋭い声を発したとき、かすれていた魔法陣が光り輝く線ではっきりとその姿を現した。
トリスが驚く暇もなく、魔法陣から光が溢れ出し、目も開けられていないほどになる。
光は数秒とたたず勢いは弱まり、次第に消えてしまう。
しかし、二人の姿は完全にそこから消えており、ただ漆黒が広がるばかりだった。
「くっ…」
カルクは闘っていた。二匹のサイクロプス相手に。
『ぐるおぉぉおおお!』
そのうちの一匹が吠え、その巨体を生かして拳をカルクにふるう。
カルクは短く息を吐きつつ、横に飛んでそれをかわす。
しかし、避けた先にはもう一匹。これチャンスとばかりに再び拳を打ち込んでくるが、これは潜り抜けるように回避。
そしてそのまま間合いを取るために前に突っ切り、体制を崩さないようにする。
「…っ…」
今のところこちらの利を生かしてすべて避けてきたが、同時に一撃は与えられていない。
一進一退の攻防と言いたいところではあったが、動き回っている分こちらの体力のほうが限界に近い。
動けて、あと10分程度。それ以上かかるのは、今後の行動も頭に入れて不利になるだろう。
カルクは再び二振りの剣を構えなおし、次に来るべき相手の攻撃に向けて反撃の準備に備えた。
「…むー…」
ルートは少し離れたところ座ったまま、未だむくれていた。
見つめているのは、剣を振り二体のサイクロプスと戦うカルク。
はたから見てジリ貧なのはルートでもわかっていた。
あのまま一人で戦い続けて、勝てるわけがないともわかっていた。だからこそ、悩むようにむくれているのだ。
「あのまんまほっといたら、せっちゃん怒るんだろうなぁー…」
ルートがカルクをぼんやりとみつめて、ぼそりと呟く。
実際は命の危険にさらされているようなものだが、ルートはまるで悪戯をして怒られることを考え、憂鬱になっている子供のように溜息をついた。
「せっちゃんに怒られるの嫌だな〜。でもでも、かるるん自分勝手でむかつくしー…」
ぐむぅ、と少年が出す声じゃないうめき声を上げつつどこかコメディ風味を残しながら、
ルートは心の秤でカルクとセツナを比べる。
カルクをおもいっきり見捨ててセツナにこれでもかと怒られるか。カルクをなんとか助けてセツナの言うことを聞くか。
「……よっし!こういうときはリーダーのぶろりんの意見を参考してみよっと。」
決めかねたのか、ルートは脳内で頼れる(?)パーティリーダーが言いそうなことをぽわわんと想像してみる。
脳裏に立ち上がる、黒なのに目立つ青年。青年は、こんな状況下に置かれているルートに恐らく叫ぶのだろう。
『何迷ってるんだよルート!こういうときは普通助けるだろー!!!』
それは、ルートの脳内のみで響く声。確かに、完全善人思考リーダーの言葉そのものだった。
「……ですよねー!」
ルートは意を決したように立ち上がる。
そう、彼がこんなところを見過ごすわけがないのだ。下がれといわれてもそっちこそ知ったことか。
ぶんっ、と風を切る音。カルクはサイクロプスの一撃をバックステップで下がる。
とん、と背中に壁がつく。壁際まで来てしまったか、とカルクは内心舌打ちする。
次は横に飛べば言いだけの話に見えるが、一瞬でもタイミングをはずせば怪我だけではすまない。
やはり二体一度に相手をするのが無理だったかもしれない。
しかし、ルートという得体の知れない―…しかも子供に背中は任せられなかった。
カルクは目の前のサイクロプスを見極め、次は見切りの体勢をとる。
無理にダメージを与えるべきではないと判断した結果だ。だが、カルクは同時にある計算違いをしていた。
一つ。サイクロプスは2体だけではないということ。
一つ。サイクロプスは、豪腕だということ。
「…!?」
異変に気づいたときには、もう時すでに遅し。
自分の真後ろの壁が崩れる前兆のような悲鳴を上げ、ぴしりと亀裂が入ったのだ。
轟音。
カルクは何が起こったかと頭で整理がつく前に、結果は出た。
自身が背後から壁ごと吹っ飛ばされたのだ。受身もままならない状態で床に叩きつけられ、そのままの勢いで体が回転する。
そしてちょうど向かい側の壁にぶつかり、そこで止まった。
「くぁ…っ」
全身を襲う痛みに、思わず声が出る。
体を今からでも叩き起こして逃げなければならない、それなのに。
麻痺してしまったかのようにうずくまることしかできず、ただ焦りばかりが募ってさらに動けない。
そればかりか、頭も強く打ち付けたようで意識もどんどんとおぼろげになっていく。
今、意識を失ってはいけない、そう言い聞かせるが足掻きにもならない。
サイクロプスの足音がひときわ大きく響いたとき、カルクの意識は完全に闇の中へ堕ちた。
「ここは…」
トリスが周囲を見回し、思わず声を上げる。暗闇のおかげで視界は制限されているものの、小さな私室といった部屋になっていた。
机に本棚、ベッドまであり食料と水さえあれば数日は過ごせそうだ。周囲は相変わらず石造りで、隠し部屋と考えたほうが妥当だろう。
「大分昔から使われてないみたいですね。」
セツナが完全に風化してしまっているシーツを持ち上げ、つぶやいた。
ぼろぼろと砂のように繊維が崩れてしまっているそれは、もう使うことはできないだろう。
「本も全部風化しちまってるなぁ…」
荒らされた形跡こそないものの、全てが過去のもの。
トリスが本棚に敷き詰められた本を何冊か開いてみるが、すべてインクがかすれて読めない。
どのくらい昔に使われていたものなのかはわからないが、100年は経っているだろう。
「ルート達もいませんね。魔方陣から戻れますけど、どうします?」
セツナが足元の魔方陣をさす。魔方陣は、今は完全に沈黙している。
「んー…ん?」
トリスが何となく机の引き出しをあけたとき、それは鎮座していた。
辞書よりも薄く、参考書よりも分厚い一冊の本。他の本よりもこぎれいな、というかつい最近発行されたかのように保存状態がいい。
とりあえずページをめくってみる。
だが、中はやっぱりというかなんというか、読めるものではなかった。
しっかりインクでかかれているのだが、見慣れない文字で書かれたそれは単純に意味がわからない。
「…4,5世紀前の魔術言語ですね。ちょっと貸してもらえます?」
セツナが横から覗いていたらしく、文字を見て何かと判断する。トリスは自分では読めないので本を開いたままセツナに手渡す。
セツナは受け取った本をそのままぱらぱらと適当にページをめくっていきながらも、その表情は決して快いものではなかった。
「この本、日記のようですね。未来に残すことを想定したのか、ちゃんと本自体に防護魔法かけてありますよ。」
セツナは本の背表紙の見開きをトリスに見せる。
そこには、確かに魔方陣のようなものが記されていた。おそらくそれが、防護魔法の源となるのだろう。
「それ、読めるのか?」
「全てではありませんよ。オレの所の参謀なら全部読めるでしょうけど。大まかな内容程度しか把握できていませんけど、知りたいですか?」
「一応、頼む。できるだけ簡単に。」
「わかりました。要するに、この遺跡―…いえ、施設は下級妖魔を上級妖魔に魔力をもって改造する所だったみたいですね。
目的は、戦争。恐らく、兵士の代わりにでも投入するつもりだったんでしょう。
数百にも及ぶサンプルの中、成功したのはたった5体。全てサイクロプスへと変化させたもの。生憎、元々のモンスターは断定できませんでしたが。」
ぱたん、とセツナが本を閉じる。本当はもっと濃い話なのかもしれない。
だが、内容がおおまかでしかわからないことも手伝って、ひどく薄っぺらなものに聞こえた。
「つまり、ここで暴れているサイクロプスって…」
ここで改造を受けた下級妖魔の成れの果て。そう思うとほんの少しだけ哀れだとトリスは感じた。
「そういうことでしょう。最大五体と数がわかっただけでもよしとしますか。」
「…ぇ、増えてたりしねーの?」
一応サイクロプスも生き物だ。妖魔だってほっといたら人間のそれと同じで増えていく。
「この劣悪環境、外にも出てなかったみたいですし。耐えられたとしても、基本的に食料がないでしょう。
増えるまで行きませんよ。減っている可能性のほうが高いです。」
たしかに、漆黒の闇に包まれたような遺跡。セツナと一緒にここまで歩を進めてきたが、植物やら他の生物といったものが見当たらない。
なぜ外に出られなかったかは謎のまま、しかしそのうちわかるかもしれない。
尤も、今回は討伐であって探索ではないのでそこまで調べる必要もないのだが。
「さて、戻りますか。」
「ん、ああ、そうだな。」
これ以上ここにいてもどうにもならないだろう。セツナは本を元の場所、机の中に入れる。
「…ぇ、戻すのか?」
「調査ではありませんから。それに、調べる利点が見つかりませんし。」
どう見てもただの研究所ですし、とセツナが付け加える。
なるほど、とトリスは納得しつつも、それがどこか自分たちとは異なった考え方で。自身の感情に矛盾を感じつつも、魔方陣の上に立つ。
「なぁ、セツナ。ここってなんでこうなっちまったんだろうな。」
不意に出た、疑問。人がいたはずなのに。誰かが何かを願ってそれを果たそうとしたのに。
それは出来たのか出来なかったのかなんてそれこそ自分たちに関係ないのだが。
それでもトリスは疑問に持ってしまった。
「さぁ。戦争に使われていたのですから、必要なくなった。それだけでしょう。」
セツナは特に感情を持たさず、淡々と言い放った。それは当然のように事実だろう。
だが、結果だけを見れば誰でもわかることで。
まるで教科書のようにあったことだけをいっているだけだ。いやそもそも、感情的になるべきことではない。
あくまで自分たちは調査ではなく、討伐にきたのだし、そういうことに思いをはせるのは後に来る人物の仕事だからだ。
「…戻りましょうか。相方さんが心配なんでしょう?」
思考を現実に戻すように、セツナが促す。そう、ここでぼんやりと物事をゆっくり考えている暇などない。
「ああ。」
セツナは再び魔法陣に手を当て、短く小さい詠唱を行う。
二回目だから光が溢れ出してくるのは驚かなかったが、やはりまぶしいのは耐えられず瞳を閉じる。
同時に全身に襲ってくる独特の浮遊感もおそらくこの先なれることはないだろうな、とトリスは思った。
『ぐるおぉぉおおお!』
遺跡に響き渡る、咆哮。
一匹のサイクロプスがチャンスとばかりにカルクのほうへ襲いかかる。何度も何度も避けられかわされ、彼らなりにうっぷんがたまっていたのかもしれない。
カルクは、力尽きたようにそこに横たわったままで、ぴくりとも動かなかった。起きる気配は全くなく、完全に意識がなくなっていることがわかる。
サイクロプスは全体重をかけ、その強大な拳を豪速で振り下ろす。
「させないよぉーっ!」
たん、とカルクとサイクロプスの間に割って入るのは、ルート。
振り下ろされた拳が当たる寸前にカルクを抱え、そのまま体当たりするように一緒に転がって回避。
体格差がなければもうすこしうまく逃げられたのかもしれないが、子供が大人を抱えて三体のモンスターに囲まれたこの状況を逃げ回るのは難しい。
回避した先には、また違うサイクロプス。
「あぁー、もー!めんどくさいっ!つーか起きてよかるくーん!」
かばいながら逃げるのは不可能だと結論付けたルートは、武器を構える。
攻撃は最大の防御、というのはルートのモットーだ。しかし、それも『自分一人』でならの話。後ろに守らなければいけない人間がいる以上、独自のフットワークをいかして撹乱するという戦いを展開しようものなら、残りがもれなくカルクのほうに牙を向くだろう。
『ぐるぉおぉっ!』
ルートがぐるぐると思考している間にも、雄たけびと同時に一体がせまり、拳を高らかに上げて力のままに振り下ろす。
「…っ、耐えて!」
ルートはとっさに短剣のようなものを頭上で十字にクロスさせ、衝撃に耐える姿勢をとった。
直後、拳が十字の真ん中を射抜き―…衝撃がルートを襲うが、驚異的ともとれる脚力で何とか踏ん張ってみせる。
完璧な防御。一部始終を見ていたものならだれもがそう評価するだろう。
あえて問題をあげるならば、ひとつだけ。しかしそれはとても重要な、問題。ルートもそれは、わかっていた。
「やっば…」
ぎりぎりと力の均衡。
その中でみしりというかぴしりというか、ルートの獲物が悲鳴を上げている。単純問題、短剣というのは刃先が短い分折れる心配は少ない。少ないからこそ、こうして受け止める方法をとったのだが、それさえも覆すような力が加わっている。
要するに、近いうちに砕けるだろう。そうなるまえに身をひるがえす必要があるのだが、カルクが気絶している今、そうもいかない。
「起きて起きてよかーるーくーん!!ほんっと一生のお願いだからおきてー!僕君と一緒にこのカビ臭い遺跡に埋まるの嫌なんだけどーっ!!」
とにかく、叫ぶ。
自分が出せる最大の声量で。
カルクを起こすほかにも、もしセツナがいれば気づいてくれるかもしれないという低い可能性にかけて、ルートは腹の底から叫び続けた。
「ばーかばーか、かるくんのばーかぁー!自分勝手で空気読めないただのばーかー!無口きどってるだけの熱血ばーかー!80年代のキャラかっつーのー!!」
みしみし、ぴしり。
金属が音を上げていく、ルートにとっては死へのカウントダウンの音色。
途中から罵詈雑言に変わりつつも、ルートは叫び続けた。
「……っ、ぅ。」
反応するようにぴくりとカルクの指が動いた。
しかし、ルートは完全にサイクロプスのほうを見ているのでそれには気づかず、叫び続ける。
「ばーかばーか あんぽんたーん おまえのかぁちゃんねーかーまー!」
ぴしり、ぱしり。
もう限界が近付いているのだろう。ついに、ルートの持つ短剣らしきものにひびが入る。
「っきゃー!やーばーいぃー!!かるくんの、ばーかーぁー!」
獲物の限界を感じたルートが声をひときわカン高くさせて、悲鳴交じりの声を上げた。
その時。
「…誰が、馬鹿だ…」
ルートの真後ろで声が上がる。ルートは確かにその声を聞き取り、目線だけでそちらを追う。
するとそこには、壁によりかかるようにして立ち上がったカルクの姿。
「…!かるくぅーん!おっはよー!!」
ルートが、歓喜の声を上げつつ、獲物を放り出して抱きつくようにカルクに飛ぶ。
同時に、サイクロプスが力のよりどころをなくし、がくりと大きく体制を崩した。
そしてルートの獲物は、ひびが入っていた上、おまけに体制の崩したサイクロプスの下敷きになり木っ端みじんに吹き飛んだ。
「かるくん、逃げるよ!!」
しかしルートは全く気にならないといったように獲物を振り返ることもなく、カルクの腕をひっつかんで、引きずるようにして脱兎のごとく駆け出した。
当然カルクはルートのいきなりの行動に対応できず、体制を崩しそうになる。しかしそれでもひっぱるルートに必死についていく。
後ろに控えるサイクロプス。今の自分では勝てるわけがないからだ。
カルクは何も考えず、必死に足を進める。だが、サイクロプスも後を追いかけてくる。
足の速さは、ほぼ互角。
いくらサイクロプスの動きは遅いといっても、ルートの力だけでカルクを引っ張っていくのも無理がある。
このまま走っていては、いけない。何か。状況を変える何かがなければいけない。
カルクは必死に頭を働かせる。
だが、出血と焦りでうまく考えがまとめられない。
しばらく走って、すこしだけ狭まった通路に入る。
「うん…この辺り、かな。」
焦るカルクのことも露知らず、ルートがふと足をとめる。
そしてカルクの手を離し、壁に凭れかかせるように体をそっと置くと、くるりと反転した。
後ろからは、サイクロプスが追ってきているので派手に大きい足音が聞こえる。
「何を、考えている…」
座っているとはいえ、完全に息が上がってしまったカルクが、喘ぐようにしゃべる。
ルートは、まっすぐに前を見据えたまま、声を出さずに笑う。
いつものニコニコとした子供らしさ満開の笑顔だが、どこか、違った。
「ねぇ、かるくん。僕のこと、信用してくれる?」
大きな足音が、響く、響く。
しかし、ルートの言葉はまるで別次元からしゃべっているように明瞭だった。
場違い、を声にするとこうなるのだろう、と想像がわきたつほどに。カルクは、ルートの問いに答えられなかった。
「…そ、か。僕も、君のことは信じられない。だからね。」
ルートは、まっすぐ見据えた方向に駆け出す。そんな自殺行為な、とカルクは後を追いかけるにも、体が動かない。
おそらく、受けたダメージが相当なもので、先ほどの全力疾走で力を使い果たした証拠だ。
開いていく、二人の距離。
30メートルほど空いた時、ルートが再びカルクのほうを向いた。
「君のこと、おいていくね。」
にっこりと、笑う。
リュックサックに手が入る。出る。
握られているのは―…火晶石。
「お前っ!」
カルクがそこではじめて、ルートがやろうとしていることに気がついた。
しかし、動くこともままならない状態では飛び出すこともできず、ただ見ていることしかできない。
「せっちゃんに、適当に言い訳しといてね♪」
大丈夫、とばかりにピースサインをルートは作る。
しかしもう一方の手では火晶石をを真上、天井のほうへ、勢いよく投げつける。
着弾 轟音。
がらがらと天井が崩れる。ルートは、姿が見えなくなるまでニコニコと笑ったまま立っていた。
「くっ…ルー…ト…」
カルクは、舞い上がる土煙の中、思い出したように再び襲いだした傷の痛みに、意識を手放した。
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